Corona Borealis

*読書*

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はじめまして。

ようこそいらっしゃいました。

本棚 神様の御用人9 (メディアワークス文庫) 文庫 – 2020/12/25 浅葉 なつ (著)

 

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I found a book that I want to read.

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神様の御用人9

(メディアワークス文庫) 文庫

2020/12/25

浅葉 なつ (著)

 

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本と作家のリスト
 

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映像リスト

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシネマ歌舞伎 歌舞伎NEXT 阿弖流為

 市川染五郎 (出演), 中村勘九郎 (出演) 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainもののけ姫

もののけ姫 [DVD]

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  • 発売日: 2014/07/16
  • メディア: DVD
 

 宮崎駿 (監督) 

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memo

大日孁女神(おおひるめのかみ)

  • 天照大神(あまてらすおおかみ)、または天照大御神(あまてらすおおみかみ)

  • 日本神話主神として登場する女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。『記紀』において、アマテラスは太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。

    太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ。天岩戸神隠れで有名な神で、神社としては三重県伊勢市にある伊勢神宮内宮が特に有名

  • 名称 

    『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。別名、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)。神社によっては大日女尊(おおひるめのみこと)大日孁(おおひるめ)大日女(おおひめ)とされている。

    古事記』においては「天照大御神」という神名で統一されているのに対し、『日本書紀』においては複数の神名が記載されている。伊勢神宮においては、通常は天照大御神の他に天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、あるいは皇大御神(すめおおみかみ)と言い、神職が神前にて名を唱えるときは天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)と言う

    なお、「大日孁貴神」の「ムチ」とは「貴い神」を表す尊称とされ、神名に「ムチ」が附く神は大日孁貴神のほかには大己貴命(オオナムチ、大国主)、道主貴(ミチヌシノムチ、宗像大神)などわずかしか見られない

 国之常立神(くにのとこたちのかみ)

  • 国之常立神(くにのとこたちのかみ)
  • 日本神話に登場する。『日本書紀』においては、初めての神とされる。日本神話の根源神として一部神道新宗教で重要視されている。
  • 古事記』では国之常立神、『日本書紀』では国常立尊(くにのとこたちのみこと)と表記される。別名を国底立尊(くにのそこたちのみこと)ともいう。

    古事記』において神世七代の最初の神とされ、別天津神の最後の天之常立神(あめのとこたちのかみ)の次に現れた神で、独神であり、姿を現さなかったと記される。『日本書紀』本文では天地開闢の際に出現した最初の神としており、「純男(陽気のみを受けて生まれた神で、全く陰気を受けない純粋な男性)」の神であると記している。他の一書においても、最初か2番目に現れた神となっている。『記紀』ともに、それ以降の具体的な説話はない。

    神名の「国之常立」は、「国」を「国土」、「常」を「永久」と解し、名義は「国土が永久に立ち続けること」とする説や、日本の国土の床(とこ、土台、大地)の出現を表すとする説など諸説ある。

    伊勢神道では天之御中主神豊受大神とともに根源神とし、その影響を受けている吉田神道では、国之常立神天之御中主神と同一神とし、大元尊神宇宙の根源の神)に位置附けた。その流れを汲む教派神道諸派でも国之常立神を重要な神としている。

 
天地開闢」における神々(古事記による)
一柱 二体の龍
東北
荒脛巾神(あらはばきのかみ)
  • アラハバキは、日本の民間信仰的な神の一柱である。
  • 起源は不明な点が多く、歴史的経緯や信憑性については諸説ある。

    荒脛巾神の祠がある神社は全国に見られるが、その中には客人神(門客神)としてまつられている例が多い。客人神については諸説があり、「客人(まれびと)の神だったのが元の地主神との関係が主客転倒したもの」という説もある。

    東日流外三郡誌」では遮光器土偶が荒脛巾神の姿とされるが、『東日流外三郡誌』は偽書であるため実際の姿とは異なる。

蝦夷たち

馬火衣(まかい) 男

  • 集落の長の息子

阿弓良(あてら) 男

  • 馬火衣(まかい)の息子
  • 落石で母親を失ったばかりの赤ちゃん

音羽(おとわ) 女

  • 馬火衣(まかい)の妻で、落石で命を落とした
  • 死んだ音羽(おとわ)の代わりに黒龍が母親になりかわる

呂古麻(ろこま) 男

  • 阿弓良(あてら)より2歳年上のフラの子ども
  • 香矢(かや)の次男
  • 香矢(かや)の姉夫婦の養子になる

香矢(かや) 女

  • 呂古麻(ろこま)の母親

伊地万呂(いちまろ)

  • 呂古麻(ろこま)の伯父

阿字加(あじか) 男

  • 馬火衣(まかい)の父親
  • 集落の長

衣留馬(いるま) 男

  • 村の年長の男の子

京都

祇園祭

萩原良彦(はぎわらよしひこ) 男

遠藤(えんどう) 男

  • 萩原良彦のもと同僚。
  • 今は研修をへて本社勤務。

赤ちゃん 女

  • 遠藤の子供

白鳥陵(はくちょうりょう)

  • 白鳥陵(しらとりのみささぎ)

  • ヤマトタケルの陵。

  • 奈良県御所市富田と大阪府羽曳野市軽里(軽里大塚古墳)の2ヶ所に治定されている。

  • ヤマトタケル伊勢国能褒野で薨じ、同地に「陵」を造って葬ったことは、『古事記』『日本書紀』ともに一致するところであるが、さらに白鳥(『古事記』では「八尋白智鳥」)と化して西方に飛び、降り留まった地にあらたに「陵」を起こしたという記事は両書で異同がある。

    古事記』においては能褒野から白鳥となって飛び、河内国志幾に留まり、そこに「陵」を起こし、これを「白鳥陵」と呼んだが、のちここからまたも白鳥となって飛び、ついに昇天したという。 つまり『古事記』の白鳥陵は河内国志幾に営んだ「陵」である。

    日本書紀』巻第七によれば白鳥となって能褒野陵から出て、まず大和国琴弾原(奈良県御所市冨田)にとどまり、そこに「陵」を造ったところ、さらに白鳥となって河内国旧市邑にいきとどまったので、そこにも「陵」を造ったが、また白鳥となって天に上ったという。 『日本書紀』では最初の能褒野陵、大和琴弾原の「陵」、河内国旧市邑の「陵」と三陵を時人は「白鳥陵」とよんだという。

    皇子の墓を「陵」というのは、『古事記』、『日本書紀』においてヤマトタケルの能褒野陵、2つの白鳥陵のみで、例外的である。

    のちにヤマトタケルの墓を「能褒野墓」と定め、また『日本書紀』の所伝をも尊重し、「白鳥陵」2つを能褒野墓に附属するものとした。

三浦(みうら)

大阪・枚方

  • 史跡公園

黄金(こがね)

百済王敬福(くだらのこにしききょうふく)

東大寺盧舎那仏像

宣之言書(のりとごとのしょ)
百済王聡哲(くだらのこにしきそうてつ) 男

藤波孝太郎(ふじなみこうたろう) 男

  • 萩原良彦の昔なじみ
  • 大主(おおぬし)神社の権禰宜

権禰宜

藤箕(ふじみ)

  • 箕(み)とは穀物脱穀、選別、調整、運搬に使用される農具。箕の文字は、本来、「其(き)、基」とともに「四角」を意味し、甲骨文では、平らに編んだ四角な大ざるのような用具のことで、この四角な箕が中国華北地域に発し、朝鮮を経て伝えられたものである。わが国では、奈良県の唐古(からこ)遺跡から竹製の箕と思われるものが出土したり、古墳の副葬品に醸造用の箕を模したものがみられ、箕が古くから使われていたことが察せられる。普通、箕は、藤(ふじ)づるやヤナギなどを縦とし、へぎ板や割り竹を横にして、むしろ編みにし、一方を開け口とし、他の三方は囲んで木や竹の縁をつける。使い方は、穀物や豆類などを入れ、両手で縁を持って揺り動かし、風にあおりながら穀物と塵埃(じんあい)や籾殻(もみがら)などをえり分ける(これを簸(ひ)るという)。箕は、産地ではその用途によって、穀物の調整に使われるものを穀箕(こくみ)、製茶用を茶箕、製粉用を粉(こな)箕、土運びや砂利運びに使うものを雑(ざつ)箕などといって区別している。また製作材料により、板箕、皮箕、竹箕、藤箕などの種類がある。板箕は縁まで板でつくり、皮箕は木の皮をはぎ、これを生(なま)のうちに折って箕の形にとじたもの。竹箕はタケで主要な部分を網代(あじろ)編みか、ざる編みにしたもの。藤箕はイタヤ、ウルシ、シノダケなどに藤づるを織り込んだもので、じょうぶで軽いので全国的に用いられた。箕は五升(しょう)箕、一斗(と)箕、一斗五升箕などの規格があり、箕つくり、箕なおしとよばれる山窩(さんか)など山に住む人々によって供給されることが多く、山形県の次年子(ずねんこ)、代(たらのきだい)など、東北地方には、村中が箕づくりを業としている所もあった。

  •  一方、箕に関する俗信や呪法(じゅほう)も多く、たとえば、箕を裏返しにするのは不幸のあったときで、普段箕を裏返しにしておくと縁起が悪いといって忌み嫌った。また山形県地方では、嫁入りに一升枡(ます)を入れた箕を嫁の頭上にのせたり、鹿児島県の漁村で箕立てといって、昼間夫婦が同衾(どうきん)しているときには、箕を門口に立てるという習慣があった。東京浅草のお酉(とり)様の土産(みやげ)に商売繁盛の縁起物として、熊手(くまで)と箕を買ってくることはよく知られている。なお、箕との関係で、南九州から沖縄など南西諸島にかけて使われているバラとよぶ脱穀用・収穫用の網代円板形のざるは、箕に類似のもので、注目に値する。[宮本瑞夫]

大地主神(おおとこぬしのかみ)

  • 地主神(じぬしのかみ、ぢぬしのかみ)
  • 日本の宗教(特に神道)におけるの一類型である。「とこぬしのかみ」「じぬしがみ(ぢぬしがみ)」「じしゅのかみ(ぢしゅのかみ)」とも読まれる。
  • 日本の神道などでは、土地ごとにそこを守護する地主神がいる、とされている。土地は神の姿の現れであり、どんな土地にも地主神がいる、とする説もある神社寺院に祀られることが多く、その地主神は、その神社、寺院が建っている地域の地主神である。

    古くは『古語拾遺』(9世紀成立)にあり、大地主神(おおとこぬしのかみ)が田を営むとある。『延喜式』(10世紀成立)では、神祗五(神祗編第五巻)二十二条にて斎宮祈年祭に関して地主神の記述があるほか、同巻六十条にて記述がある

    地主神への信仰の在り方は多様であり、荒神田の神客人神屋敷神の性質がある地主神もいる。一族の祖先が地主神として信仰の対象になることもある。地主神を祀る(まつる)旧家からの分家に分祀されたり、屋敷の新設に伴い分祀されることもある。 御神体も多様で、自然石、石塔、祠(ほこら)、新しい藁束、御幣(ごへい)などがある。祀る場所もまた多様で、神社、寺院のほか、丘や林の祠(ほこら)、屋敷、屋敷の裏山で祀り、一族の墓が神格化する地域もある

田道間守命(たじまもりのみこと)

  • 道間守(たじまもり/たぢまもり)

  • 記紀に伝わる古代日本人物

  • 日本書紀』では「田道間守」、『古事記』では「多遅摩毛理」「多遅麻毛理」と表記される。

  • 天日槍の後裔で、三宅連(三宅氏)祖。現在は菓子・菓祖としても信仰される

  • 田道間守の生まれについて、『日本書紀垂仁天皇3年条では天日槍新羅からの伝承上の渡来人)の玄孫で、清彦の子とする。一方『古事記応神天皇段では、天之日矛(天日槍)の玄孫は同じながら多遅摩比那良岐(但馬日楢杵)の子とし、清日子(清彦)は弟とする。

    日本書紀垂仁天皇紀によれば、垂仁天皇90年2月1日に田道間守は天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわちタチバナ(橘)を求めに常世の国に派遣された。しかし垂仁天皇99年7月1日天皇崩御する。翌年(景行天皇元年)3月12日、田道間守は非時香菓8竿8縵(やほこやかげ:竿・縵は助数詞で、葉をとった8枝・葉のついた8枝の意味)を持って常世国から帰ってきたが、天皇がすでに崩御したことを聞き、嘆き悲しんで天皇の陵で自殺したという

    古事記垂仁天皇段によれば、多遅摩毛理は「登岐士玖能迦玖能木実(ときじくのかくのこのみ)」(同じく橘)を求めに常世国に遣わされた。多遅摩毛理は常世国に着くとその実を取り、縵8縵・矛8矛を持って帰ってきた。しかしその間に天皇崩御していたため、縵4縵・矛4矛を分けて大后に献上し、もう縵4縵・矛4矛を天皇の陵の入り口に供え置いて泣き叫んだが、その末に遂に死んだという。

    そのほか、『万葉集』巻18 4063番では田道間守の派遣伝承を前提とした歌が、巻18 4111番(反歌4112番)では田道間守を題材とする歌が載せられている

はぐれ狐

  • 白狐(びゃっこ)
  • 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の眷属

吉田穂乃香(よしだほのか)

  • 大主神社の宮司の娘
  • 大学年生
  • 神や精霊などを視る「天眼(てんげん)」の持ち主

  • 吉田穂乃香の友人

宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

  • 日本神話に登場する女神。『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記する。名前の「宇迦」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。また「宇迦」は「ウケ」(食物)の古形で、特に稲霊を表し、「御」は「神秘・神聖」、「魂」は「霊」で、名義は「稲に宿る神秘な霊」と考えられる記紀ともに性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきた

    伏見稲荷大社主祭神であり稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことである(後述)。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた。

大年神(おおとしのかみ)

宗近(むねちか)

  • 三条 宗近(さんじょう むねちか)

  • 平安時代刀工山城国三条に住んでいたことから、「三条宗近」の呼称がある。

     
    『月耕随筆 稲葉山小鍛治』尾形月耕。三条宗近が稲葉明神の化身とともに作刀する謡曲小鍛冶」を題材としたもの

    古来、一条天皇の治世、永延頃(10世紀末頃)の刀工と伝える。観智院本銘尽には、「一条院御宇」の項に、「宗近 三条のこかちといふ、後とはのゐんの御つるきうきまるといふ太刀を作、少納言しんせいのこきつねおなし作也(三条の小鍛冶と言う。後鳥羽院の御剣うきまると云う太刀を作り、少納言信西の小狐同じ作なり)」とある。日本刀が直刀から反りのある彎刀に変化した時期の代表的名工として知られている。一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えたことが謡曲小鍛冶」に取り上げられているが、作刀にこのころの年紀のあるものは皆無であり、その他の確証もなく、ほとんど伝説的に扱われている。実年代については、資料によって「10 - 11世紀」、「12世紀」等と幅がある。

    現存する有銘の作刀は極めて少なく「宗近銘」と「三条銘」とがある。代表作は、「天下五剣」の一つに数えられる、徳川将軍家伝来の国宝三日月宗近」。

    作風は板目肌がよく約み、地沸がつき、小乱れ刃、匂が深く小沸がついて、三日月形の「打のけ」と称される刃文などが見られる。

吉光(よしみつ)

天目一箇神(あめのまひとつのかみ)

国之常立神(くにのとこたちのかみ)の眷属

  • 荒脛巾神(あらはばきのかみ)・・・東の黒龍
  • 黄金・・・西の金龍

『東日流外三群誌(つがるそとさんぐんし)』

  • 起源は不明な点が多く、歴史的経緯や信憑性については諸説ある。

    荒脛巾神の祠がある神社は全国に見られるが、その中には客人神(門客神)としてまつられている例が多い。客人神については諸説があり、「客人(まれびと)の神だったのが元の地主神との関係が主客転倒したもの」という説もある。

    東日流外三郡誌」では遮光器土偶が荒脛巾神の姿とされるが、『東日流外三郡誌』は偽書であるため実際の姿とは異なる。

 二柱 過ち

福麻呂(ふくまろ)

天石(あまいし)

  • 福麻呂の父で刀鍛冶の師

宮城県

建御雷之男神(たけみかづちのおがみ)

経津主神(ふつぬしのかみ)

伊達綱村(だてつなむら)

『大建て替え』

大国主神(おおくにぬしのかみ)

須佐之男命(すさのおのみこと)

鹽竈(しおがま)の社

土老翁神(しおづちのおじのかみ)

熊襲(くまそ)

奈良

  • 四つ岩

三由(さんゆ)

  • 猪手(いのて)の息子、6歳
  • 三男

末(すえ)

  • 猪手(いのて)の長女で末っ子

乎麻呂(おまろ)

  • 猪手(いのて)の長男

猪手(いのて)

  • 土器作りをなりわいにしている

広売(ひろめ)

  • 猪手(いのて)の妻

白(はく)

  • 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の眷属の脱走狐
  • はぐれ狐のこと

蝦夷アイヌ民族

三柱 嘆きの空

 百済王俊哲(くだらのにしきしゅんてつ)

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)

蕨手刀(わらびてとう)

  • 蕨手刀(わらびてとう、わらびてがたな、わらびてかたな)は、日本の鉄製の一種。
  • 蕨手刀は、現在までおよそ280点ほどが日本全国で確認されており、その8割が北海道東北地方から出土していることから蝦夷(えみし)が好んで使っていたことは間違いないが、必ずしも蝦夷の独占物であったというわけではなく、数こそ少ないものの鹿児島に至るまで全国に分布が広がっている

    西国の蕨手刀は蝦夷俘囚)が移配にともなって携行したものとされてきたが、東国と西国では蕨手刀の型式に差があることから、この説は否定される立鼓柄刀と同じく蕨手刀は蝦夷古墳遺跡に副葬され、蝦夷文化の特徴のひとつとなった

    蕨手刀の刃反りが発展し、毛抜形蕨手刀毛抜形太刀に変化するとされてきたことから、日本刀の祖型の一つとして言及されることもある。これに対して津野仁は、方頭大刀のうち共鉄造りのものが日本刀の出発点であるとして、日本刀の起源に一石を投じた

坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ)

道嶋嶋足(みちしまのしまたり)

萩原晴南(はぎわらはるな) 女

  • 萩原良彦の妹

大主神社の宮司

  • 穂乃花の父親

仙台

萩原敏益(はぎわらとします)

  • 萩原良彦の祖父

萩原良彦に宣之言書を渡してきたじいさん

  • 黄金が大神と呼ぶ者
  • 宣之言書の御用を出している神
  • 国之常立神(くにのとこたちのかみ)
  • 『滅びと再生』

大日孁女(おおひるめ)

須勢理毘女(すせりびめ)

月読命(つくよみのみこと)

日名照(ひなてる)

  • 日名照額田毘道男伊許知邇神(ひなてるぬかたびちおいこちにのかみ)は、日本神話に登場する女神
  • ひなてるぬかたびちおいこちにのかみと訓まれるが、書籍によってはひなてりぬかたびちおいこちにのかみともされる。

    古事記』にのみ登場する神であるが、系譜以外の具体的な事績については不明。

    長い神名は文字の配列から考えて「日名照・額田毘道男・伊許知邇神」と分解できる。次にこの神は女神であるのに、「男」を含むのは異常であるから、「日名照・額田毘道男」は「伊許知邇神」の父神の名で、それを娘の名に冠したものと考えられる。

    • まず「日名照」は「日な(の)曇り」の反対で「日な(の)照る」の意で、「額田」は「額のような四角い田」の意で良田を指す。これは額田の上に「日がよく当る」という修飾語を冠している。「毘道男」の「毘」は「辺」で、「額田辺へ行く道の男」の意。これが父神の名。
    • 次に「伊許知邇」の「伊許」は「厳(いか)」で、「いこよか」の語もあるように、勢いの盛んなさまで、ここでは「稲の繁茂」の表象、「知」は「神霊」、「邇」は人につく親称と解する。これが娘神の名。

    上記から名義は「日が照る、額田辺の道を父にもつ、勢いの盛んな精霊」と考えられる。またこの神の農業神的性格が子の国忍富神に引き継がれている

水干(すいかん)姿の少年神

水干(すいかん)

  • 水干(すいかん)は、男子の平安装束の一つ

 
水干(時代祭
𧏛貝比売(きさかひひめ)と蛤貝比売(うむがひひめ)

大きな蛙と梟を連れた男神

手のひらに載ってしまいそうなほど小さな神

  • 少名毘古那神(すくなびこなのかみ)

羽山戸神(はやまとのかみ)の子ら

羽山戸神(はやまとのかみ)

  • 「古事記」にみえる神。
    大年神(おおとしのかみ)と天知迦流 美豆比売(あめちかるみずひめ)との間に生まれた子。大気都比売神(おおげつひめのかみ)をにしたとある。山の(ふもと)の神。

天棚機姫神(あめたなばたつひめのかみ)

長い白髪の男神

濃紺の打掛を纒(まと)った女神

邇邇芸命(ににぎのみこと)

倭建命(やまとたける)

阿弖流為(あてるい)

伊治呰麻呂(これはるのあざまろ)

渤海(ぼっかい)

 

698年 - 926年 遼 
後渤海 
高麗 
渤海の位置
渤海の最大領域

 

 
渤海の行政区分
金神(こんじん)
  • 金龍のモデル

金神(こんじん)

  • 金神(こんじん)とは方位神の1つである。

    金神の在する方位に対してはあらゆることが凶とされ、特に土を動かしたり造作・修理・移転・旅行などが忌まれる。この方位を犯すと家族7人に死が及び、家族が7人いない時は隣の家の者まで殺される(これを七殺(ななさつ)という)と言われて恐れられた。

    金神の中でも、「うしとらの金神」は「久遠国」という夜叉国の王である巨旦大王の精魂とされる。巨旦大王眷属の精魂も(普通の)金神と呼ばれる凶神となっている。

    またその精魂の抜けた屍は牛頭天王によって5つに引き裂かれ、五節句に合わせて祭った(巨旦調伏の祭礼)。

    すなわち、

    • 1月1日----紅白の鏡餅(巨旦の骨肉)
    • 3月3日----草餅(巨旦の皮膚)
    • 5月5日----菖蒲ちまき(巨旦の髭と髪)
    • 7月7日----小麦素麺(巨旦の筋)
    • 9月9日----黄菊の酒(巨旦の血)

    である。