カルトの子 米本和広
ゴースト
ダーティーハリー
第一章 べやと
べあと
- イタリア語
- beato
- 祝福された
島本笑美(しまもとえみ)
- 無口な父親、朗らかな母親、歳の離れた優しい兄がいる
- 甘やかしてくれる祖父母
- コミュニケーション能力が低い
- 田舎育ち
- いじめの対象、中学生まで
- 高校ではいじめがやむ(山池先輩のおかげ)が、空気のような存在
- 大学は東京の私立大学
- 就職浪人
- 生きてる人間とそうでない者との区別ができない
- 変質者や痴漢に見つけられる
- 宗教団体やマルチ商法などの標的になりやすい
山池(やまいけ)先輩
- 地元で有名な不良
- 笑美の高校のOB
- 笑美の肉体的魅力に魅かれて、面倒にてくれた
島本陽太(しまもとようた)
- 笑美の兄、笑美とは10近く離れている
- 佐々木るみのもと同級生
- 精悍な顔つきの青年、ハンサム
- 大学生の時には水泳部で、モデルもしていた
- 身長182㎝
- カンがいい(霊感)
パンケーキを連呼する黒髪ロング女子高生
- バケモノ
- コミュニケーションに飢えている
社内いい匂い
「しとみい」
- 面接で現れたバケモノ
ヤン
- モリヤ食品社長
- 青年 30代
- 印象が薄い
- HPの守屋秀光社長とは別人
ヤン
守屋秀光(もりやひでみつ)
- ホームページに載っていたモリヤ食品社長
- 60代
ヤンの手が島本笑美に触れた
- あたたかい
- 多幸感
- バケモノを見ない
石神百行(いしがみひゃっこう)
- 老人
- 70歳はこえている
- 短髪
- 汚らしい作務衣
- 訛り
- 森林のような香り
- 就職先のモリヤ食品を言い当てる
- モリヤ食品について訳知りそう
- 笑美の考えをよむ
- 「これだけお渡しします」
- 作務衣姿
- 蛇様のお力で、本人は霊能者ではないという
- 母親に山に捨てられ、保護してくれた山の管理人が白蛇に導かれ自分を発見してくれた(四歳)・・・山中で2週間生きていた
- ミシャクジ信仰を持つ、霊能者
出社
- 田舎
天使
映画「ゴースト」
虚ろな目の運転士
- 笑美の送迎をしてくれる会社の運転手
「回向 永眠 保温」
第二章 ぱしよん
佐々木るみ
- 青山幸喜の上司
- 青山幸喜とは大学の同窓生
- 大学では文学部、大学院で民俗学のゼミでチューターをしていて、青山幸喜と知り合う
- 格好にかまわない
- 年齢は30歳代
- 男のまちがわれる
- 霊感はある
- 呪いや祟りに精通していて対応できる能力がある
- キャラメルマキアートが好み
青山幸喜(あおやまこうき)
- 佐々木るみの部下、彼女を先輩と呼ぶ
- 佐々木るみとは、大学の同窓生
- 大学では神学部だが、民俗学のゼミで佐々木るみと知り合う
- 実家はプロテスタントの教会、ゆくゆくは牧師
- 27歳
- 曾祖父のコーカソイド系が強くでて色素が薄い
- 身長170㎝
佐々木の事務所
- 飯田橋(いいだばし)のオフィス街から離れた、雑居ビルの3階
- 心霊関係
飯田橋(いいだばし)
- 飯田橋(いいだばし)は、東京都千代田区の地名。現行行政地名は飯田橋一丁目から飯田橋四丁目。住居表示実施済みの地域。郵便番号は102-0072
- 旧麹町区に当たる麹町地域の北端に位置する。北で文京区後楽、東で神田三崎町、南東で西神田、南で九段北、南西で富士見、西で新宿区神楽河岸・下宮比町と隣接し、北東に小石川後楽園を擁する。また、飯田橋という呼称は飯田橋駅周辺の汎称でもある。
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チューター(英語:tutor)とは、大学において学士課程の学生への学習助言や教授の補佐を行う者のことであり、同じ学科の大学院生がその役割を担うことが多い。ティーチング・アシスタント(TA)とも呼ばれる。
アメリカでは、上記の他、広義では家庭教師や学習塾、予備校などの講師も含まれる。また、「~の勉強をみる」という意味の他動詞としても使われる。
日本国内の大学では特に1990年代後半から、賃金を支払って正式にチューターとしての職を与える制度が整備されてきている。また、現在では数多くの大学がこの制度を取り入れており、チューターは広く知られている職業名詞となった。
かつてイギリスにあるケンブリッジ大学では、学部生の教育をカレッジで教員と学生の1対1で行い、こうしたカレッジの責任で行われる指導を「チュートリアル (tutorial)」と呼び、チュートリアルを施す教員を「チューター (tutor)」と呼んだ。現在では、ケンブリッジ大学におけるこのようなチューター制度は形骸化している。
- コーカソイド (Caucasoid,Caucasian)とは、身体的特徴に基づく歴史的人種分類概念の一つである。これに分類される人々の主要な居住地はヨーロッパ、西アジア、北アフリカ、西北インドである。「西ユーラシアン」ともいわれる。
- 由来
コーカソイドとは、カスピ海と黒海に挟まれたところに位置する「コーカサス」(カフカース地方)に「…のような」を意味する接尾語の「 -oid」 をつけた造語で、「コーカサス出自の人種」という意味である。元々はドイツの哲学者クリストフ・マイナースが提唱した用語であった。その影響を受けたドイツの医師ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハは生物学上の理論として五大人種説を唱え、ヨーロッパに住まう人々を「コーカシア」と定義した。ジョルジュ・キュヴィエはヨーロッパ人とアラブ人をコーカソイドに分類し、その高弟アンドレ・デュメリルもコーカソイドをアラブ・ヨーロッパ人とした。
人類学が成立したヨーロッパはキリスト教圏であり、ユダヤ・キリスト教に由来する価値観が重んじられていた。ヨーロッパのキリスト教徒にとって、『創世記』のノアの方舟でアララト山にたどり着いたノアの息子たちは現在の人類の始祖であった。人類学の父とされるブルーメンバッハをはじめとするヨーロッパ人学者たちは、アララト山のあるコーカサスに関心を抱いていた。また、『旧約聖書』の創世記1〜6章では、白い色は光・昼・人・善を表し、黒い色は闇・夜・獣・悪を表していた
-
コーカソイドとはヨーロッパ人がキリスト教的価値観に基づいて自己を定義するために創出された概念である。 戦後しばらくまでの人類学は科学的根拠に乏しい、偏見や先入観に満ちた内容であることが多く、人種差別的な思想を多分に含んでいた。事実、提唱者であるブルーメンバッハもさまざまな人間の集団の中で「コーカサス出身」の「白い肌の人々」が最も美しい、人間集団の「基本形」で、他の4つの人類集団はそれから「退化」したものだと考えていた。つまり最初の時点で白人至上主義的な考えが基盤に存在していたのである。その後、他の人類学者によって(白人が他に優越しているという原則の上で)コーカソイドをさらに細分化しての分類が試みられた。ウィリアム・Z・リプリーによる北方人種・地中海人種・アルプス人種の三分類などが有名である他、東ヨーロッパ人種・ディナール人種という分類も存在する。
初期の人類学の人種判別は外見の違い(特に肌の色)による判断という、かなり原始的な考察を頼りとしていた。また上述されている通りキリスト教への信仰心が深く関与している概念であり、風貌的に似通っていても異教徒である場合は意図的に範囲から除外された。
人種分類はその性質上、優生学などの差別的な思想と結び付きやすく、実際にクー・クラックス・クランやナチスのような勢力を生み出す遠因となった。そのため、現在の生物学における人種に関する研究は、現生人類は一種一亜種であるという前提の上で慎重に行われている。あくまで人種とは現生人類の遺伝的多様性の地域的・個体群的偏りに過ぎず、人種相互に明瞭な境界はないとする。
なお、近年の国際的な学会では、人種分類としてのコーカソイドという名称から、地域集団の一つとしての「西ユーラシア人」という名称が一般的になりつつある(詳しくは人種を参照)。「コーカソイド」は、日本語中での用法は白人・白色人種のヨーロッパ風の表現として認識されることが多い。
- 特徴 モンゴロイドやネグロイドにも言えるが、コーカソイドもまた非常に広い範囲に分布しているため、人種的特徴は一概に言えない。
眼
- 瞼(まぶた)は二重が多い。モンゴロイドの二重とは構造的に異なり、コーカソイドは眉下の皮膚が上瞼に被さっている状態である。その為平均的にモンゴロイドよりも顔の中で目の占める面積が大きい(目が大きい)。
- 虹彩の色が多種多様で最も暗い茶色から最も明るい青色まで幅広く存在する。
鼻
- 鼻が顔の中央にある鼻が大きい。モンゴロイドと比べ、平均的に正面から見た時に顔を占める鼻の面積が狭くなる(鼻が小さく見える)。
- おでこ(眉間上部)より立体的に鼻が垂れ下がっている者が存在する。そのため目元がくぼんで見える。
頭部
- 個体差が大きい。
- 前額部が突出している。
- 類人猿にみられる眼窩上隆起の名残である眉上弓は盛り上がっており目に影がかかって窪んでいるように見える、いわゆる「彫りが深い」
- 頭髪の色が多種多様。メラニン色素形成は年齢によって変わるが、最も明るい金髪や赤毛から暗い黒髪まで存在する。また髪と虹彩の明るさは必ずしも関連しない
- 毛髪は丸くて細い。そのためウェーブ(天然パーマ・クセ毛)が多く、他人種と比べ白人男性は禿げやすくまた体臭も強い。
皮膚
- 体毛や髭が多いといった、ホモ・サピエンスの原型であるネグロイドよりかけ離れた遺伝的特徴を持つ。
- 肌の色は「白人」の名称の由来の一つではあるが、薄褐色~褐色の個体が最多数派を形成する。
- もともと人類の皮膚色は濃かったのにもかかわらず(熱帯で産まれた人類は毛皮のかわりに紫外線から身体を保護するためにメラニン色素を沈着した)、白人がなぜ薄い皮膚色をしているのかについては諸説あるが、分子人類学者の尾本恵一の説によれば、コーカソイドの祖先集団は約一万五千年前の後氷期にインドから北西へ向かったが、当時の気候は氷河の溶ける水分蒸発により曇り空が多く、太陽光線は弱かった。そのため過剰な紫外線から体を保護するメラニン色素の厚い層は不要になった。一方、紫外線を浴びることが少ないと人類はビタミンDの不足に陥るため、紫外線の少ない環境下では、メラニン色素の産出にあずかる遺伝子の突然変異によって皮膚色が薄くなった個体・集団が有利となった。図にもあるようにヨーロッパにおける淡色頭髪の出現頻度が最も高い地域はスウェーデンやフィンランドなどの北欧地域である
体格
- 肩の位置が胸より後ろにあるために、大胸筋が前方へ突出しているように見える。
- 体格は個体差が大きい。
- これも地域によって差があるが、概ねモンゴロイド系に属する諸民族の平均身長よりも高く、世界の平均身長上位30位は全て欧米で埋まっている。しかし、中世東欧人の平均身長は150cm程度と低い、北部がコーカソイドであるインドの平均身長は低く、欧米の豊かな栄養状態など後天的な要素が大きいともいわれる(ただ、北インドの中部・南部の住民は小柄だが、これらの地域のインド人はドラヴィダ人などと混血している。インド半島中南部のドラヴィダ系が多く住む地域から遠く、他の人種・民族との混血の度合いが低いインド・パキスタン北部のパンジャブ人などは比較的長身である)。
- 佐々木るみと青山幸喜の民俗学ゼミの教授
- 副業でテレビや雑誌の仕事で怪談や心霊現象の特集によばれ、有名
- 佐々木るみが指示する先生
島本陽太(しまもとようた)からの依頼
- 妹の笑美が3日間、音沙汰がない
涌井(わくい)
- モリヤ食品の怪しいバイトの一人
- 巨漢の男
- 幼少期からいじめられていて、高校中退
- どこにも就職できず、搬入アルバイトで生計をたてている
玉田(たまだ)
- モリヤ食品の怪しいバイトの一人(蛙)
- 細身
- 以前合成麻薬常習で逮捕され、今は更生施設にかよって人生を模索中
誠一(せいいち)と隆二(りゅうじ)
- 兄弟
- モリヤ食品の怪しいバイト(蛙)
- 参加理由ははぐらかす
- 意外にも受け答えはしっかりしていた
岡田(おかだ)
- モリヤ食品の怪しいバイトの一人(蛙)
- 非常に体臭がきつい
- 50歳はこえている男
- コミュニケーションが苦手で話しかけることができなかった
横川(よこかわ)
- モリヤ食品の怪しいバイトの一人(兎)
- 兎部屋にはバイトが3人
モリヤ食品の怪しいバイト
- 蛙、兎、魚、鳥、鹿の部屋
- 動物と一週間一緒に暮らす
- 夜の面接の記憶がない、体温と血圧を計られたのをおぼえている
佐野(さの)
- モリヤ食品の怪しいバイトの一人(魚)
- カエルが苦手という男
カナ
- モリヤ食品の怪しいバイトの一人(鳥)
- 左腕にリスカの痕がいくつもある女性
- 風俗嬢をやっていて、ホストの彼氏と同棲していることなど、独白した
巡回
- 雑木林の宴会場
- 佐野、カナ、島本陽太(しまもとようた)
『カルトの子』
- 米本和広
米本和広
-
米本 和広(よねもと かずひろ、1950年 - )は、日本のジャーナリスト。島根県生まれ。横浜市立大学卒。繊研新聞記者を経てフリーのルポライターとなる。
本来は経済関係が専門だったが、幸福の科学の取材をきっかけに、新宗教やカルトの問題をも多く扱うようになった。1997年、「巨大カルト集団ヤマギシ「超洗脳」ルポ」(VIEWS)にて編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞企画部門受賞。『月刊現代』2004年11月号に発表した「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」を機に、統一教会の脱会活動を拉致監禁と主張する本を出版し、それまでのカルト批判の立場に加えて、反統一教会・反カルト陣営の活動も問題視するようになった。統一教会の公式サイトでも米本の活動が複数回取り上げられている
桜井(さくらい)
- 青山幸喜の回想にてでくる専業主婦
『諏訪(すわ)大社』
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諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖周辺4か所にある神社。式内社(名神大社)、信濃国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「梶の葉」。
全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社である。旧称は諏訪神社。通称として「お諏訪さま」「諏訪大明神」等とも呼ばれる。
諏訪大社 | |
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上社 本宮(上)と下社 秋宮(下) |
- 概要
長野県中央の諏訪湖を挟んで、以下の二社四宮の境内が鎮座する。
上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっている。なお「上社・下社」とあるが社格に序列はない。
創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在する。『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬された。また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟・漁業の守護祈願でも知られる。
社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られる。
- 祭神
当社全体で祀る主祭神は以下の2柱(各宮の祭神については各項参照)。両神とも上社・下社で祀られている。
- 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
- 八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
なお、上社の古い神事や祭祀には長野県を中心に東日本全域に分布していたミシャグジ信仰の痕跡が見られる。また、水の神・風の神とされたことから諏訪大社の神を蛇(あるいは龍)とみなす信仰は昔から伝わり、諏訪の神が蛇または龍として登場する伝承や民話(甲賀三郎伝説や小泉小太郎伝説など)は数多く残っている。
八幡神や住吉三神など他の信仰にも見られるように個々の祭神が意識される事は少なく、まとめて「諏訪大明神(諏訪明神)」・「諏訪神」として扱われる事が多い。
- 当社の社殿の周囲四隅には、御柱(おんばしら)と呼ぶ以下4本のモミの柱が建てられている。 御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに配置される。
蛙狩神事(かわずがりしんじ)
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諏訪大社本宮では、毎年元旦の朝に、本宮前を流れる御手洗川で、冬眠している蛙を捕え、神前にて小弓を射ってお供えする。
どんなに寒い年であっても、蛙が獲れるため、七不思議の一つとして数えられている。
蛙狩神事に続いて、諸祭儀に奉仕する地区、御頭郷を決める御占神事が行われている。
「御頭祭(おんとうさい)」
- また上社の1月15日の五穀豊穣祈願の田遊神事,下社の同日の筒粥神事でその年の農作物の豊凶を占う。上社の4月15日の例祭のあとの御頭祭(おんとうさい)では本宮より前宮へ神輿(みこし)渡御のあと,古くは鹿の頭75個を供えて流鏑馬(やぶさめ)を行った。また下社の8月1日の御船祭(おふねまつり)は,2月1日秋宮から春宮へ遷座した神霊をふたたび秋宮へ移す祭りで,そのあと例祭がある。…
ミシャクジ信仰
- ミシャグジとは中部地方を中心に関東・近畿地方の一部に広がる民間信仰(ミシャグジ信仰)で祀られる神(精霊)である。長野県にある諏訪地域はその震源地とされており、実際には諏訪大社の信仰(諏訪信仰)に関わっていると考えられる。全国各地にある霊石を神体として祀る石神信仰や、塞の神・道祖神信仰と関連があるとも考えられる。
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「ミシャグジ」の発音は「サク」「シャグ」「サグ」「サコ」「サゴ」「ショゴ」などが見られ、中には「おシャモジ様」まであるという。「ミシャグジ」のほかに、「ミシャグチ」「サグジ」「ミサクジ」「ミサグチ」「シャクジン」「シュクジン」「シュクジ」「シュクシ」「シキジン」「シキジ」「(お)さんぐうじ「(お)しゃごじ」「じょぐさん」「しゃごっつぁん」「しゃごったん」など多様な音転呼称がある。
当て字と漢字の組み合わせも大変多く(200以上もあるといわれている)、諏訪では「御左口神」「御社宮神」「御射宮司」「御社宮司」「御作神」が見られるが、柳田國男は「石神」として取り上げたこともある。柳田の『石神問答』(1910年)には「石護神」「石神井」「宿神」などもある。金春禅竹の『明宿集』(1465年頃)は、「宿神」と「翁」とを同一存在と見なし、翁(宿神)を諏訪明神や筑波山の岩石などと同一視している。なお、石神(シャクジ)と石神(いしがみ)を同一視する辞書は複数あるが、『日本民俗大辞典〈上〉あ〜そ』は「石神(いしがみ)とは異なる」としている。また検地の神といって「尺神(しゃくじん)」をあて、検地棒や検地縄を奉納する所もある。このほか、「守護神」「佐軍神」「射軍神」「赤口神」「参宮神」「社子神」「曲口」「佐口」「山護神」「釈護子」「御佐久知神」「御闢地神」などとも表記される。
名前の由来については諸説あり、稲を守護することから「作(さく)神」とする説や、土地を開拓する(=さく)ことによってその中に秘められた生命力を表出させることから「御作(咲)霊(みさくち)」とする説、または蛇神とされたことから「御赤蛇」とする説などが唱えられる。
- ミシャグジの実態については様々な説があげられているが、解明されたとは言い難い
百合
- マリア信仰か
収穫
第三章 おらしよ
おらしょ
- オラショとは、日本のキリシタン用語で「祈り」の意。ラテン語のオラシオ(oratio、祈祷文)に由来する。
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日本に伝来したキリスト教に対して江戸幕府は、本格的な禁教令を出して取り締まった。こうしたキリシタン禁制の江戸時代において、棄教しなかった信徒達は隠れキリシタンと呼ばれた。オラショの字義的意味は世代による伝承のうちで失われたが、仏教徒や神道など日本の伝統宗教の信者として振舞いながら、信者は密かに「おらしょ」を唱えた。また、メダイやロザリオ、聖像聖画、クルス(十字架)などの聖具を秘蔵し、生まれる子に洗礼を授けるなどして信仰を守った。幕末の開国、更には明治政府によるキリスト教解禁後、こうしたキリシタンの多くは再宣教のために来日したパリ外国宣教会によってカトリックに復帰した。長崎県などにはその後もカトリック教会に属さず、土俗化した信仰を保有しているキリシタンも存在する。現代の学術研究では、禁教下の信徒を「潜伏キリシタン」と総称し、明治以後もカトリックに合流しなかった人々を「カクレ(かくれ)キリシタン」とする呼び方もある。
禁教前においても、宣教師がもたらしたキリスト教の教えや伝承、儀式などは、それ以前から日本にあった諸宗教や民俗、習慣、文化から影響を受けて変容したり、並存したりしていた。現代(2010年代)においても生月島(長崎県平戸市)などでは、カクレキリシタンの儀式を守る人々がいる。家庭でオラショを唱えて拝む場には、神棚や仏壇も並んでいる場合もある
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オラショは、パライソ(天国)やインフェルノ(地獄)の教えが、隠れキリシタン(カクレキリシタン)によって300年間あまり、口伝えに伝承されたものである。カクレキリシタンにとって、オラショは一種の呪文のようなものであり、意味内容を理解した上で唱えられているものとは言えず、「基本的には一つの行として、暗記して唱えること自体が重要なことであって、意味そのものを理解することにはほとんど関心がない」という。
1970年代以降、皆川達夫らにより原曲の比定などの研究と共に録音のリリースが行われた。現在ではオラショを題材とした曲が作曲されている
泉(いずみ)さん
- 佐々木事務所の入っている雑居ビルのオーナー
- 仕事を紹介してくれる
- 以前、恋人の地縛霊に悩まされているのを佐々木るみに助けてもらった
ポーリク青山教会
俊彦(としひこ)
- 美青年
- かつて悪魔付きになった被害者
水野翼(みずのつばさ)
- タクシー運転手
村瀬舞美(むらせまいみ)
- 主婦
- 息子の琢磨(たくま)と同居
喫茶店
- 佐々木るみの実家
- 母親がやっている
佐々木るみの母親
- るみに目がそっくりの、非常に少女趣味な洋服を着た母親
あなてまたるべし
- ヤンの呪文
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アラム語(アラムご、ܠܫܢܐ ܐܪܡܝܐ, ラテン語: Lingua Aramaica)は、かつてシリア地方、メソポタミアで遅くとも紀元前1000年ごろから紀元600年頃までには話されており、かつ現在もレバノンなどで話されているアフロ・アジア語族セム語派の言語で、系統的にはフェニキア語やヘブライ語、ウガリト語、モアブ語(英語版)などと同じ北西セム語に属す言語である。アラマイ語とも呼ばれる。
もともとアラム語は今のシリアを中心としてその周辺(レバノン、ヨルダン、トルコ、イラク)に住むアラム人の言語だった。アラム人は主に農民だったが、アレッポやダマスカスに代表される都市の住民もあった。後に通用範囲を広げて中東全体のリンガ・フランカとして使われるようになったが、7世紀にアラビア語に押されて衰退した。現在でもアラム系諸言語の話者は存在するが、周辺のアラビア語やクルド語の強い影響を受けている。20世紀にはいるとアラム語が使われる範囲は縮小した。
アラム語は新アッシリア帝国の外交用語としても使われ、新バビロニアやアケメネス朝ペルシア帝国は行政用の公用語としてアラム語が使われた。近隣のセム語話者たちはその文章語、口語のアラム語化といった直接的な影響を受ける。
ダーティーハリー症候群
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ダーティハリー症候群(ダーティハリーしょうこうぐん、英: Dirty Harry syndrome)は、緊張状態にある新人警察官が、自らを逞しく見せようとするあまり過度の暴力をふるってしまうことを指す俗語。以前は、ジョゼフ・ウォンボーによるワイアット・アープ症候群(英: Wyatt Earp syndrome)という名称が多く使われていた。
現実社会において、正義の執行者を自任し、「悪党に生きている資格はない」という判断、正義感によって、目の前の現行犯人をたとえ微罪でも射殺し、「逮捕に抵抗するからだ」と正当化してしまう。『ダーティハリー』はアメリカ映画のタイトルであり、「主人公ハリー・キャラハンが正義の名のもとに犯罪者を自ら次々と処刑してゆく」という映画の間違った印象にちなんで、この名で呼ばれるようになった。この映画の2作目では実際に症候群に侵された登場人物との対決が見られる。
拳銃を抜く事について比較的寛容なアメリカ合衆国の警察で罹患する例が多く見受けられる(実際には発砲が適正であったかについての調査が日本同様に為される)。拳銃の使用に厳しい日本の警察ではほとんどない。ただしアメリカの場合は一般市民も(それこそダーティハリーばりの)強力な銃を所持しているという事情や、凶悪事件の発生件数・殉職する警官数の多さも考慮しなければならないことがこの問題を難しくしている。
映画『ダーティーハリー』
『鶏鳴三声(けいめいさんせい)』
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遷御(せんぎょ)または遷御の儀(せんぎょのぎ)は、神宮式年遷宮を構成する祭事の1つ。旧殿から新殿へ神体を移し奉る神事であり、式年遷宮において最も重要な祭典である。俗に式年遷宮のクライマックスと称される。
伊勢神宮における祭儀は、「外宮先祭」として皇大神宮(内宮)より豊受大神宮(外宮)で先に行うが、式年遷宮に関しては内宮を先とする習わしであるため、内宮の遷御が先に行われる
- 本祭 遷御
遷御に当たっては、勅使として宮内庁より掌典長が派遣されることが慣例となっている。遷御の奉職者は、通常の祭祀とは異なり、古式に則り束帯に明衣(きよぎぬ)をまとう。勅使は木綿鬘をかけ、3名の勅使随行員は衣冠を着ける。出御の4 - 5時間前より奉仕者は玉石の上で控えている。
午後6時、祭主以下百数十名の奉仕者が正宮へ参進し、勅使が神に新宮へ移ることを願う祭文(さいもん)を奏上する。参進は勅使を先頭に、勅使随行員・祭主・大宮司・少宮司・禰宜・玉串所役の権禰宜・その他の権禰宜・権禰宜以下の奉仕員の順になる。内宮の遷御では、玉串所役の権禰宜以上の奉仕員は大玉串を両手に持つが、外宮の遷御では、禰宜以上が玉串を持つ。祭文奏上中、楽長と楽師は神楽歌を演奏し、禰宜は新宮の御扉を開き、権禰宜は明かりを灯す。
定刻になると宮域の照明を一斉に消し、浄闇を作る。鶏鳴三声(けいめいさんせい)が瑞垣御門で唱えられ、午後8時に勅使が「出御」を宣言し、大宮司・少宮司・禰宜の奉戴する神霊(神体)とその前後の行列が旧正殿から新正殿へ向けてゆっくりと進む。宮掌が唱える鶏鳴三声は天岩戸の故事に倣ったもので、内宮では「カケコー」と唱えられるが、外宮では「カケロー」と唱える。
神体は絹垣(きんがい)と呼ばれる囲いの中に納められ、行障(こうじょう)と呼ばれる白布で正面を覆う。新宮へ向けて進む行列は、「雨儀廊」(うぎろう)と呼ばれる、遷御のために特設された屋根の下を通る。さらに遷御の直前にその下には真菰の葉を編んで作られた葉薦の上に道敷布と呼ばれる白麻が敷かれ、神体が通った後祭主の前で巻き取られ回収される。この間、楽師は神楽歌・和琴(わごん)・篳篥(ひちりき)・笛を奏する。
新殿に神体と神宝類を治めた後、勅使が祭文を読み上げ[、大宮司は勅使に遷御の終了を告げる。最後に奉仕員が奉拝し、別宮を遥拝し、遷御を終了する。同時刻の皇居では、神嘉殿前庭にて「庭上下御」(ていじょうげぎょ)と呼ばれる特別な遥拝が行われる。中日新聞の報道によれば、第62回(2013年)の遷御は、内宮が午後8時37分、外宮が午後8時20分頃に終了した
- マルディグラ(仏: Mardi gras)とは、フランス語で「肥沃な火曜日」の意で、謝肉祭の最終日、灰の水曜日の前日を意味する。英語では「告解火曜日」「懺悔の火曜日」「パンケーキ・デイ」を意味する「シュローブ・チューズデイ」が相当する。
べにでおみね
永田(ながた)と妻
- 崖から飛び落とされて、海でもがく佐々木るみと青山幸喜を発見し、助けてくれた親切な男
東京➡岡山➡土佐山田(とさやまだ)駅
土佐山田駅 | |
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駅舎
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物部(もののべ)
- 車椅子の男
- 体格は細身で、目元が涼やかな美青年
- 拝み屋
『おしかり』・『すそ』
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邪術(じゃじゅつ)は、英語の sorcery に対応する日本語の文化人類学用語であり、呪術信仰において超自然的な作用を有すると信じられる呪文や所作、何らかの物を用いて意図的に他者に危害を加えようとする技術を指す。ただし、防衛のために行われる呪術を邪術に含める場合もあるので、邪な意図によるものばかりではない。
E・E・エヴァンズ=プリチャードによる南スーダンのアザンデ族の研究以来、社会人類学では邪術 (sorcery) と妖術 (witchcraft) とを区別するようになったが、一般的には sorcery を魔法、魔術、妖術と訳したり、witchcraft を魔術、妖術、魔女術と訳すなど、用語法や概念分類はさまざまである。
- 日本の邪術
民俗学者の小松和彦は、著書の中で邪術を「物質的、具体的な方法で神秘的力を発動させ、相手に災厄を与えるもの」と定義し、「術者が能動的に行える」点で妖術と区別ができる、とした上で、物部村方言における「呪詛(スソ と発音する)」が、人形に釘を打つ、写真に針を刺す等ある種の手続きで発動する呪術と共に、文化人類学でいう妖術を指す語であったり、犬神に憑依という現象に対する、太夫(ごくまれに犬神憑きから犬神遣いに「昇格」する者がいる)の説明が、「修行の足りない博士」である等、邪術と妖術の区別がほぼつかないとしている。
また、高知県香美郡物部村の、いざなぎ流とよばれる呪術の中に、相手へ「式を打ち」倒す因縁調伏と呼ばれる邪術的なものがあり、博士(ハカショ)と呼ばれる祈祷師は一応行うことができるものの、「返り(かやり)の風」とよばれる現象によって、依頼者に術が跳ね返り死ぬなどの被害があるとして、なかなかやりたがらない、という。また、彼ら太夫(祈祷師を指す一般名詞)は主に、神からの罰(お叱りとよばれる)によって興る病気を治す(祝い直し とよばれる)など、呪医としての機能もみられる。その際邪術を実行するために使われる(といわれる)式神で、病気の原因を出す ということになっている。
いざなぎ流に影響を与えた陰陽道そのものも、典薬寮に於いて呪禁師が興した厭魅、蠱毒と呼ばれる術を修め、時折使っていたらしい。ただ、陰陽師も、呪禁師が表向き病気の治療を行ったと同様、依頼者を災厄から守ったり、病気の治療を行ったりしたらしい。
『花の歌』
第四章 てんたさん
康平(こうへい)
- 大きな神社が家
- ヤンの友人
慶次(けいじ)
- 地元の名士の次男坊
- ヤンの友人
水垢離行者(みずぎりぎょうじゃ)
垢離
- 水にて身心の罪穢(つみけがれ)を除き清めるための行為。水垢離(みずごり)、垢離掻(こりかき)などともいう。神仏に詣(もう)でるときや祈願に先だって、水を浴びて身心を清めるもので、禊(みそぎ)の一種。滝や川などで行われることが多い。古くから和歌山県の熊野三社に詣でる熊野詣での垢離をはじめ、富士行者や修験(しゅげん)者などの間に多く行われている。山岳信仰における登拝は、もとは男子のみであったが、第二次世界大戦後は愛媛県の石鎚(いしづち)山その他で女子の登拝が許され、女子の垢離も行われるようになった。垢離をとるときは、裸体または白衣を着用する。垢離の起源は、記紀神話に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、濁穢(けがれ)を除くために禊祓(みそぎはらい)をしたとある故事によるのであろう。
カタストロフィ
- 「倒す」を意味するギリシア語のkatastrophēに由来し、普通「悲劇的結末」とか「破局」と訳される。演劇用語としては、劇構成上の最終部分を示し、クライマックスで最高潮に達した主人公の運命がやがて逆転、下降線をたどり、残っていた運命挽回(ばんかい)の可能性も消えて破滅が決定的になることをいう。しかし、なにも悲劇にだけ適用されるものではなく、単に劇を結末づける部分をさすとも考えられ、「大団円」「大詰」と訳されることもある。この意味では日本の能の「序破急」の急がこれに相当する。
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カタストロフィ(catastrophe)
《「カタストロフ」とも》
1 突然の大変動。大きな破滅。
2 劇や小説などの悲劇的な結末。破局。
3 演劇で、大詰め。
「私」
- 悲惨な家庭環境で育つ
- ブス
- 両親の死後、施設で育つ
- 佐々木るみ
- 強く考えたことが実現にできる能力がある
- 心霊関係の案件を扱う仕事は自分の能力と暴力性の発散にうってつけ
橋口香苗(はしぐちかなえ)
- 「私」を小学校でいじめた女王蜂のような女子
人魚姫
- 佐々木るみの造形物
あの顔の美しい男
- 本物
- 例外中の例外
- 佐々木るみと同等以上の力を持つ
- 力を他人のために使う
ヤン
- 人間
- 例外中の例外
ユダヤ教 「列王記」
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『列王記』(れつおうき)は旧約聖書におさめられた古代ユダヤの歴史書の1つ。元来、『サムエル記』とあわせて1つの書物だったものが分割されたようである。また『列王記』自体も上下にわかれているが、これは七十人訳聖書以来の伝統である。また、正教会においては『列王記第三』、『列王記第四』と呼称される。内容的には『サムエル記』のあとを受けており、また『歴代誌』とは一部内容が重複している。ユダヤ教の分類では『ヨシュア記』『士師記』『サムエル記』と共に「前の預言者」にあたる。
この書物の原作者は、伝統的にエレミヤであると伝えられている。
預言者エリヤ
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エリヤ(ヘブライ語:אליהו, ギリシア語: Ηλίας, 英語: Elijah、エリア、イリア、イリヤとも表記される)は、旧約聖書に登場する預言者。「エリヤ」とはヘブライ語で「𐤉𐤄𐤅𐤄(ヤハウェ/ヤフア)は我が神なり」の意。
『列王記』に名が見え、バアル崇拝への熱心な反対者、𐤉𐤄𐤅𐤄(ヤハウェ/ヤフア)信仰の守護者として描かれる。新約聖書『ヨハネによる福音書』では、旧約聖書を代表する預言者として言及される。イスラーム教においてはイルヤース (إلياس) としてクルアーンに記述される預言者。
- 島本陽太の友人
- 交通事故で死亡
イエスス・ハリストス
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全能者ハリストス(ギリシア語: Παντοκράτωρ, ロシア語: Вседержи́тель もしくは Пантокра́тор)は、イイスス・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ語読みに由来する、日本正教会で用いられる転写)のイコンにおける主要な形式であり、ハリストスが天上の王であり審判者である事を示しているものである。デイシスの一部から発展した形式である。ギリシャ語からそのままパントクラトールと転写される事もある。ロシア語では"Спас Вседержитель"(救世主全能者)とも呼ばれる。
主に正教会で用いられるが、ビザンティン美術の影響を受けた西方教会においても用いられない訳ではない。また、「全能者ハリストス」はイコンの名として使われる事が多いが、全能者ハリストス(全能のキリスト)といった敬称そのものが使われる場面は、イコンに限定されない。また、「全能者」は至聖三者のうち、神父(かみちち)に対する称号でもある。
- 概要
旧約と新約のいずれでも、主(ハリストス)は繰り返し全能と唱えられており、この事をイコンが示している。
このイコンでは、ハリストスの左手には福音経が描かれ、右手はふつう祝福の動作の形に整えられて描かれる。
この形式のイコンには、濃緑色のマンドーラと、赤い「八角の星」が描かれているタイプのものがある。
濃緑色のマンドーラは、黙示録4章3節に「虹は
寶座 を繞 りて、其色 葱珩 の如 し」(訳文:日本正教会訳聖書)とある事に由来する。マンドーラの中のハリストスの周りに描かれた天使の群は、ハリストスが「(天使の)万軍の主」である事を示している。
赤い八角の星は、天地創造が7日間で行われた事から、「8」の数はこの世を越える事を意味するため来世を表し、赤い炎はエゼキエル書第1章にあるように、神の臨在を表す。
四人の福音記者の象徴(鷲:イオアン(ヨハネ)、人:マトフェイ(マタイ)、牛:ルカ、獅子:マルコ)も四隅に書き込まれ、この世の果てまで四方に福音が広がる事が示されている。
テオトコス
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神の母(かみのはは:ギリシア語 Θεοτόκος 英語Theotokos テオトコスもしくはセオトコスと転写)とは、キリスト教の用語でイエス・キリストの母マリア(聖母マリア)に対する称号。 マリアが神の母であるとは、キリストの神的位格(υπόστασις)を生む母であることを意味し、キリストを神の本性(φύσις)において生んだ母という意味ではないとしている。ここでいう位格(自立存在ともいわれる)とは、他の存在に依存することなく存在するものをいう。アレクサンドリアのアタナシオスはマリアをロゴス(λόγος:神の御言葉)の母と称していた。つまり、マリアは神の位格のひとつロゴス(子なる神、神子:かみこ)の母であるとの意味である。
これに対して、コンスタンディヌーポリ総主教のネストリオスは、この称号を否定して人的位格を生んだクリストトコス(Χριστοτόκος:救世主(Χριστός)を産む者(τόκος))という新たな称号を提唱し、聖人ではあるが神の母ではないと主張した。この争いを調停するため、エフェソス公会議が召集され、ネストリオスの教義は異端と宣告され、マリアが神の母であることが宣言された。
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正教会の一員たる日本ハリストス正教会(日本正教会)では生神女(しょうしんじょ)と呼ばれる頻度が多い。ギリシャ語のテオトコス(Θεοτόκος)は神(Θεός)を産む者(τόκος)の意味であり、直訳すれば「神産み」という称号であるがゆえに男性形語尾を保つ女性名詞であるが、スラヴ語に訳されたときに「神を産む女」(教会スラブ語:Богородица)という言葉になった。「生神女」という訳語はスラヴ語の流れを汲むものである。
日本正教会の祈祷文においても「神の母」の語は用いられ、イエスの母マリアを指す正式な訳語のひとつであるが、"The Mother of God"には「神の母」の訳語を当て、"Theotokos"には「生神女」の訳語をそれぞれ当てる定訳として基本的に使い分けられている(聖堂名の翻訳などにはこうした定訳が当てはまらない場合もある)。
- ローマ・カトリック教会は、1931年エフェソス公会議1500周年に際し、教皇ピウス11世により1月1日を「神の母」の祝日と制定した。尚、1月1日は降誕祭の8日目にあたり(ユダヤ教の律法は、生後8日目に男子に割礼を施し命名することを規定している)、キリストの割礼日を祝する日(主の割礼祭)でもある。
ガブリエル
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ガブリエル(ヘブライ語:גַברִיאֵל、アラビア語:جِبرِيل、英語: Gabriel)は旧約聖書『ダニエル書』にその名があらわれる天使。ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと引き継がれ、キリスト教ではミカエル、ラファエルと共に三大天使の一人であると考えられている(ユダヤ教ではウリエルを入れて四大天使)。西方キリスト教美術の主題の一つ「受胎告知」などの西洋美術において、彼は優美な青年で描かれる。時には威厳のある表情で描かれることもある[2][3]。
聖書においてガブリエルは「神のことばを伝える天使」であった。ガブリエルという名前は「神の人」という意味である。
日本ハリストス正教会では教会スラヴ語読みからガウリイルとよばれている。
Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν
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旧約聖書の神の固有名詞の学問的呼称。
ユダヤ教成立後のヤハウェは旧約聖書に於ける唯一神であり全世界の創造神とされ「宇宙の最高原理」のようなもので、預言者を除いた一般人にとっては、はっきりしない存在であるが、むしろ自ら人間たちに積極的に語りかけ、「妬む」と自称するほど感情的であり、創世記のとおり人類はヤハウェに似せて造られたことが伺える。
”Ἐγώ εἰµι ὁ ὤν”(エゴー・エイミ・ホ・オーン)=「私は在るものである」はイエスとヤハウェを結び付け、その神性を現す意図で多用されている。これはセプトゥアギンタの『出エジプト記』第3章第14節でヤハウェが「私は在るものである」と名乗ったので、イエスはこれを多用して自分がヤハウェと密接な関係にある事を暗に示したとされる(『ヨハネによる福音書』第8章第58節など)。 正教会において、イエスのイコン、とりわけ自印聖像においてその光輪にギリシア文字 "Ο・Ω・Ν"(ὁ ών 『在るもの』) を記す習慣もこれに関連する。
三位一体の教説が成立して以降、ヤハウェを単に神の名とするにとどまらず、特定の位格と結びついた名として捉える論考が現れる。一般に、西方教会においてはヤハウェ(ラテン語文献では多く「エホバ」)を父なる神と同一視することが多く、対して東方教会においてはヤハウェはイエス・キリストの神格における名であると考えられることがある。
第四章 ぱうちずも
柏木春樹(かしわぎはるき)
- ヤン
- 19歳
イサクの燔祭(はんさい)
- イサクの燔祭(イサクのはんさい)とは、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話を指す概念であり、彼の前に立ちはだかった試練の物語である。その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものであった。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられている。
- モリヤ山にて
終章 なたる