井上ひさしにより「シンデレラと三国志と金瓶梅とラストエンペラーの魅力を併せ有す、奇想天外な小説」と高く評価された。
酒見 賢一(さかみけんいち)
9 崩御(ほうぎょ)
9 1607年 腹英34年
- 腹上死であったと、記載。
- 官製の発表は、心臓麻痺
1607年は、本来は明朝。
11 史官が原稿を書くための資料の3種
- 「素乾書(そかんしょ)」・・・正史
- 「乾史(かんし)」・・・正史
- 「素乾鑑(そかんつがん)」・・・無官の歴史家・天山遯(てんざんとん)が著した歴史通釈の書
架空の資料設定が面白い。
12 銀河(ぎんが)
- 町で採取した風聞をよく家に持ち帰った。
- 栗色の髪の女の子
- 13歳
12 この日は帝王崩御お悼むため、民衆は仕事を休み、家で喪に服す布令
- 家に父がいて、朝から飲んでる
12 銀河(ぎんが)の父
- 腕のいい陶器職人だった
- 酒に目がなく、弱い、酔えばあらえる自制が吹っ飛ぶ酔態だが、暴力沙汰に及ぶ事がほとんどないのが救い
- 素面(しらふ)の時はくそ真面目
13 銀河(ぎんが)の母
14 ・・・『乱ノ前、新正妃立ツ。幼名ヲ銀河ト称シ緒陀(おだ)県ノ民庶(みんしょ)ヨリ出ヅ。父母ノ名ハシラズ』・・・
14 帝王
- 1607年 腹英34年に崩御
- 諡(おくりな)は、腹宗(ふくそう)
- 享年48歳
- 正妃が1人
- 后妃が2人
- 夫人が4人
- 嬪妃(ひんひ)が8人
- 婕婦(しょうふ)が16人
- 美人が16人
- 才人が16人
- 宝林が32人
- 御女(ぎょじょ)が32人
- 采女(さいじょ)が32人
- 形式上 159人の婦人のほかにその他多数の女官を入れて、約550人の後宮。
- 歴代王朝の例からすれば、やや少なめの規模の後宮。
- 腹宗(ふくそう)の嫡子が王位を継ぐに当り、定めにより、この後宮は解散。
14 皇太子
- 17歳
- 腹宗(ふくそう)の嫡子
14 宦官の早急に新しい後宮作り。
- 広い国土の中を飛び回る
15 宮女狩り
15 昔の宮狩りは相当酷かった。
- 国土が矮小で国民の数も少ない時代
15 衒宗(げんそう)
- 腹宗(ふくそう)から数えて6代前の伝説的な皇帝
- 彼の治世の時、この国の領土はかなり広大
- 従来の中央集権制が改良され、ほぼ完全なものに仕上がった
- 彼の業績は知られていず、後宮事情の方がよく知られ研究された
- 記録では、2000人からなる後宮を持っていた(表むき)
- 実際は6万人の女性が後宮に詰めていたと推定
- この国の4ぶんの1が後宮に取られた
- 年齢は、9歳から33歳まで
15 ・・・『民庶男子、尽(ことごと)ク寡(か)ト為(な)リ、恰(あたか)モ宮セラルルガ如シ。臣下、百姓(ひゃくせい)ノ枯レ果テンコトヲ怕(おそれ)ル』・・・
- 民衆の男達は、妻や恋人を取られ寡夫となり、まるで去勢されたようになった。
- 臣下達はこのままでは百姓(民衆)がいなくなってしまうと心配した。
15 寡夫(かふ)
16 衒宗(げんそう)は、諫言(かんげん)が大嫌いだったので、誰も後宮について忠言しなかった。
16 ・・・後宮には陸続、6万の名花が生けられることとなった。・・・
16 陸続(りくぞく)
16 衒宗(げんそう)時代の後宮の反動
- 男色が流行した
- 領地を越えて異民族の女を掠奪
- 国家の知らぬところで、戦闘が頻発し、やがて大きな戦争となった。→この戦争が領土拡大のもととなり、衒宗(げんそう)没落の一因となる。
16 衒宗(げんそう)没落
16 200年ほど前の宮女狩り
- 民衆は震えあがった。
- 長い鞭と剣を持った酷薄な宦官が、若い娘を強奪していくから。
- 後宮に攫(さら)われた女のその後が全く分からない。(民衆には知ることができない)
- 悲嘆にくれた親が多く自害した。
- 宦官を憎んだ。
16 宮女狩りをする方の宦官
- 非常に苦労して女を集めるので、心ならずも酷吏(こくり)を演じて鬼になってみせなければならなかった。
16 吏(リ・つかさ)
16 酷吏(こくり)
- 運の悪い宦官は、村ぐるみの抵抗で殺されたりした。
- 宦官にとり、気の重い仕事。
- 大方の宦官はこの役目を嫌がり、後宮設立期には病を発する者が増えたり、「陽根が奇跡的に復活した」という辞職願を提出して退官しようとする者もいた。
17 腹宗(ふくそう)の2、3代くらい前から、宮女狩りは楽な仕事になった。
- 宮女狩りには、かなり身分の高い宦官が自分の部下を引き連れて各国へ下る。
- 大抵は自分の生国へいくのは、途次、物見遊山の旅を楽しみ、故郷に錦を飾ることができるから。
- 旅の間に賄賂を取り、巨財を築く者までいた。
- 後宮志向の趨勢(すうせい)が若い女性中心として社会に広まったから。
17 趨勢(すうせい)
17 銀河(ぎんが)の町にも宮女狩りがやってきた。
- 緒陀(おだ)地方
17 真野(まの)
- 緒陀(おだ)地方の宦官で、最も出世した男。
- 宮女狩りの総責任者。
17 槐歴(かいれき)元年2月頃
- 辻々に高札が立った。(宮女の募集広告)
18 ・・・銀河は、と書き出さざるる得ない。ここで、筆者は言いわけをするとともに、諒承(りょうしょう)を得ておかなければならない。・・・
18 諒承(りょうしょう)
20 ・・・『近所の女どもが悪い』と今の若い娘の浮薄(ふはく)きわまる生活態度のせいにして罵った。・・・
20 浮薄(ふはく)
20 宮女や女官へのイメージの変化
- 若い娘にとり、一種の地位に感じられた。
- 貧しい子だくさんの農民が、泣く泣く我が娘を宦官や人買いに売り、生計を維持した時代は昔のこと。
20 世の中が貧しくても豊かでも廃(すた)れない売春という商売
- この国には、もともと売春は悪、恥であるといった思想はなく、おおらかだった。
- 10世紀頃確立された道学で、売春は悪いということになった。国家が徹底して押し付け定着した。(銀河の父親は、定着した道学の生き残り。)
20 道学(どうがく)
21 「箕松(きしょう)先生随文」巻3
架空の資料
22 各地の宮女狩りは盛況
- 緒陀(おだ)地方は大したいしたことがなかった。
- 宦官真野(まの)は、最初から自分の出身地での宮女狩りを不利だと考えていた。
- 戸数が少ないのが、真野(まの)は苦だった。自分の故郷以外の地へ行くことも禁じられていないが、非常識。
- 僻地(へきち)に近い田舎(いなか)なので、当節流行の上昇志向を持ち合わせた女も稀で、それ以前に垢抜けた美人がほとんどいないはず。
22 緒陀(おだ)地方
- 山間の隘地(あいち)にある。
- 昔、蜴(えき)という名の国の都城があって、強勢だったというくらいしか誇れるところがない場所。
- 蜴(えき)の王は、広い平地を求めて遷都していったから、緒陀(おだ)地方はすぐに静かになった。
- 人々は、畑に出るか、銀河の父親のように窯業(ようぎょう)を営んだ。
- 戸数が少ない。
22隘(あい)
23 窯業(ようぎょう)
23 『ソノ容姿、古今ノ名華(めいか)ヲ凌駕シタリ』と謳われるに至る銀河であるが、おそらくは皇后へのお世辞だろう。
- 銀河が真野(まの)に選ばれたのは、才色を認められたのではなく、人材がなかったからだろう。
- その証拠に、一県何人と選抜人数の規定がないのに、真野(まの)が銀河一人しか連れて帰らなかったからだ。
24 入宮
24 政府は後宮内の情報を民間に公表したことはない。
24 何らかの事情で後宮を解雇される宮女に対して沈黙を義務付ける。
- 当局はかなり高額の口止め料を支給。
- もし、約を違(たが)えれば即座にひっ捕らえて、磔刑(たっけい)に処すると脅す。
24 磔刑(たっけい)
24 解雇されずに、一時代を勤めた宮女
- 先帝の寵愛の程度により、上は皇太后から下は雑役婦まできちんと終身雇用される。
- 嫌なら尼寺に放り込まれる。
- 結局、世間に帰ることはない。
25 「白梅曲」(架空)
- 世間し知られている、薄幸の宮女と美貌の宦官の道ならぬ恋の芝居は、全く作り物。
25 素乾(そかん)国
- 銀河の住む国の名前(銀河は真野(まの)に聞くまで、知らなかった。)
- 王家の姓でもある
26 真野(まの)
- 白鬚(はくしゅ)の宦官
- 堅苦しい話し方
- 宦官にしては、教養があった。
- もと、進士に及第した官吏(かんり)候補だったが、どういう事情か、自宮して宦官となった。
- 鬚が自慢
26 鬚(ひげ)
26 真野(まの)の外見上の奇妙な点は、誇らしげな鬚(ひげ)。
- 普通宦官となると、内分泌系のバランスが崩れ、男性ホルモンの減少のため、男性的特徴に欠ける。
- 宦官は大抵、のっぺりした顔にいじけた、卑屈な感じの目鼻立ちの中性的な外見となる。鬚などはえるはずがない。
- 真野(まの)は生涯この鬚を自慢した。自宮が不完全であったとも考えられる。
26 緒陀(おだ)を出て、半月以上
- 豪勢な貴人用の馬車に揺られて旅を続けていた。
- 馬車に真野(まの)も同行し、挙措(きょそ)動作、喋り方に至るまでこまごまと躾をはじめた。
- 真野(まの)は、古典的教養主義者で、道学を修め、宮廷の儀式典礼を諳(そら)んじられるような男だったから、嫌気がさすほどうるさかった。
- 銀河は、新しい王と後宮に臨(のぞ)む宦官真野(まの)の手駒。
28 真野(まの)は、後宮内(内廷)の権力争いに血道をあげる、至って俗な男だった。
- 彼の道学者的風貌は、敵への韜晦(とうかい)であるとともに武器だった。
28 韜晦(とうかい)
28 宦官が宮廷で勢力を拡大するには
- 皇帝の寵を得ること
- 古(いにし)えより、宦官は色々な手管を使ってきた。
- 宮女狩りは一つの機会。己の手駒の宮女が皇帝の寵愛を得ることになれば、非常に有利。
29 新帝の女の好みがわからない
- おそらく童貞。
29 真野は己の経験と美的感覚を総動員して宮女狩りに臨んで、銀河を連れてきた。
- 銀河が皇太子の好みに適うかどうか、真野の生涯最後の博奕(ばくち)。
- 馬車が王都に近づくにつれ、見てくれは悪くないが、中身が頓狂と落胆。
29 頓狂(とんきょう)
30 緒陀(おだ)県から北師(ほくし)の素乾(そかん)城まで
- 健脚の者が歩いて2か月ほどかかった。
- 馬車では、緒陀(おだ)から山北州の境を出るまでに3つの山嶺(さんれい)をこさねばならなず、健脚の2か月のひと月ほどが、山岳地帯で費やされる。馬車の方が旅しにくいので、輿(こし)に乗り人夫を雇う。(歩いた方が早いが、宦官の脆弱な脚では無理。)
- 結局、真野(まの)達一行は、4か月かかって、2つの山は越えた。
30 一行は、祭(さい)という山間の麓の里に宿してる。
- すでに10日も留まっていた。
- 最後の山である瓜祭(かさい)山に流賊の一党が巣くっているという報が入り、真野達は怖気づいている。
- 銀河は、癇癪をおこして、飛び出す。
31 銀河は偶然、衛所を見つける
- 駐在所のようなもので、警察機能を持っている。
- 祭(さい)の衛所は、場所が場所だから、情けないほど小さく、分署の支署的な規模で、所長1人、小間使いがいるのみ。
31 祭(さい)の衛所長
- 赭(あか)ら顔の痩せた老人。
32 「素乾書」によれば、其は銀河の威に打たれ、即座に行動を起こしたことになっているが、嘘であろう。
32 「素乾通鑑(つがん)」では天山遯(てんざんとん)が否定している
- 『其ノ俄カニ容ヲ改メルハ、ソノ御鈴ヲ瞥(べつ)スレバナリ』
- 銀河は真野の持っていた鈴をせがんで、旅の間だけという条件付きで借り受けていた。
- その鈴には、素乾の印が入った見事な銀細工物で、真野が副太監(たいかん)という職に就いた時、下賜(かし)された物。
- 祭(さい)の衛所長は、態度を改めた。
33 祭(さい)の衛所の小間使いの少年
- 衛所の土間に座り込んだ銀河に、少年は平勝(へいしょう)さんに頼まれては、とアドバイスした。
- ならず者のような真似はやめて、まっとうに世のためになろうと組を作ったと、少年は憧れている様子。
33 平勝(へいしょう)
- 極道者
- ならず者のような真似はやめて、まっとうに世のためになろうと組を作った
- 瓜祭(かさい)の里のごろつき。
- 後に幻影逹(げんえいたつ)と称して大乱を起こすことになる男。今は、田舎のごろつきの大将。
- 幻影逹(げんえいたつ)と書いて、”イリューダ”と西方風に訓(よ)ませるようになったのは、この時期の直後。
- 今は、農夫そのままの恰好で、ひどい訛りで喋る陽気な旦那。
34 宿に帰り、真野に平勝(へいしょう)への段どりを話す銀河。
- 出城の嵬崘塞(がんろんさい)から、真野が頼んだ衛兵がやってくる手筈だった。
- あと、12、3日待たないといけないが。
35 ・・・と真野は案外に吝嗇(りんしょく)な本音をを吐いた。・・・
35 吝嗇(りんしょく)
35 厄駘(やくたい)
- 平勝(へいしょう)に兄弟と呼ばれる、坊主頭の男。
- この坊主頭の男が、後に「コントン」と呼ばれ、幻影逹(げんえいたつ)の乱の真の主役と評される男。
- 幻影逹(げんえいたつ)の乱が、別名渾沌(こんとん)の役と呼ばれるのは、この男の重要性から。
- 厄駘(やくたい)は、変わった名前。
35 渾沌(こんとん)
36 平勝(へいしょう)の部下は、総勢56人ほど。
- 真野のもともとの護衛と人夫とお入れると100名近くになり、人数だけで流賊除けに十分。
- 3日後には、瓜祭(かさい)山を越えることができた。
36 謝礼の金子(きんす)を平勝(へいしょう)が、頑として受け取らなかった。
- 真野を驚かせた
- 今までの罪滅ぼしのための義行だからという。
36 真野は、輿を下りないが、銀河は輿の外に出てお礼をいった。
- 初めて見た平勝(へいしょう)を銀河は、面白そうな、おっちゃんと思った。
37 ・・・平勝(へいしょう)は銀河が宮女になることを聞き知っており、こう言った。『宮淫(きゅういん)ニ如(し)カザルノミ』・・・
- 「宮廷の淫妾(いんしょう)にすぎないのだ。」その言には、宮廷に対する侮蔑が漲(みなぎ)っていた。
- 平勝(へいしょう)もともと博奕(ばくち)好きのならず者で、宮廷嫌い。
- 「銀河はなるほど美しい、しかし宮淫(きゅういん)になろうとする、つまらまい女だ。」と言い捨てた。
37 ・・・厄駘(やくたい)は、別なことを言った。『豈ニ至美ナランヤ』平勝(へいしょう)のようなとらわれはなく、単に心の混沌に浮かんだことを口に出した、そんな印象である・・・
- 「美の至りだ」とポツリと言った。
- 厄駘(やくたい)は、平勝(へいしょう)など問題にならぬほどの危険思想を持つが、思想を自分の感覚に少しも関わらせることがない人間。
38 真野(まの)の道中
- 日々、口のきき方からき方から立ち居振舞までしつけようとしている。
- 道中、銀河に合わせた美しい着物を作ってやったりもした。
38 銀河の服装
- 故郷では、姿袍(しほう)と一般に呼ばれる腹を着ていた。
- 緒陀(おだ)の俗(ならわし)としては、女童は姿袍(しほう)を身に着け、成人し人の妻になると都風の衣装にかえる。
- 姿袍(しほう)は、都の人から見れば戎衣(じゅうい)か、と思うほど簡素なもので、狩猟民族時代の名残りだった。
- 現代風に言えばワンピースに似たもので、素材は麻でも獣皮でも絹でもよい。
38戎衣(じゅうい)
38 真野(まの)が作らせた銀河の服
- 王都で流行している裾(すそ)が長く、袖が寛(ゆる)やかな、派手な色調の袍衣(ほうい)。
- 自然に伸ばしたままの髪も公女のように結うと、宦官の身でさえはっとするほどの姫君ができあがった。
- 銀河本人には、不評。
39 ・・・『否(いな)。コノ袍衣便ニアラズ』便利ではないと銀河は言ったようである。『褲子(ずぼん)ハ狭ニシテ且(か)ツ長ク足脚ノ駆動ヲ阻(はば)ミ歩行ヲ害(そこな)フコト甚ダシ。亦(また)、履(くつ)ハ踵部(かかと)高ク、俱(あや)フシ』・・・
- 便利ではなく、実用的でないと、銀河は言った。
- 「邪魔っけで、危なっかしい。これじゃ遊べやしない」というこどもの本音。
- 銀河は美装を嫌ったわけでない。後の銀河がかなりのファッションセンスを発揮しているから。
- この時は、すぐ脱いでしまって、真野(まの)達を失望させた。
39 馬車が北師(ほくし)に入る前日
- ついに真野(まの)が、匙を投げた。
- 後宮はいい服が着れて、三食昼寝付きだと隣りのお姉さんが言っていたと、本気で答える銀河に、後悔する真野(まの)。
40 翌日、北師(ほくし)の町に入った
- 素乾(そかん)の首都
41 この頃の北師(ほくし)
- 世界でも有数の人口をもっていた。300万とも400万とも言われる。
- 当時、ここを訪れた西方諸国の人士は、皆一様にその壮麗さを本国に伝えた。
41 ・・・「宮殿に着いたら、お前は他の宮女候補たちと研修にはいらねばならぬ」・・・
- 真野はあえて宮女候補という言葉を使った。
41 宮女候補の研修
- 後宮入りにあたっての教育期間のこと
- 宮女の学校のようなもの
42 学校に行ったことがない銀河を喜んで、思わず真野ののっぺりとした頬に唇をあてた。
- 接吻は、緒陀(おだ)地方の古俗
- 性的な意味合いのない場合でも用いられる。
- 真野は、同郷だから理解しているが、「そのようなことは皇帝にのみ行え」と引き離して注意した。
- 真っ赤な真野との別れ。
44 双槐樹(そうかいじゅ)
44 槐(えんじゅ)
44 迎えの老女
- 門の脇に待っていた後宮の案内人
- 無反応な対応で手を引いてくれる
- 案内婆(とたると)という役職・・・たると(垂戸)の入口から新しい宮女を導いてくる役目の宮女
- 案内婆(とたると)は水底(みなそこ)の如く静かでなければならないと後宮の儀礼典が定めているから、守っているだけで、啞でも聾でもない
44 後宮の門
- 門というより隧道(とんねる)
- 膣口(ちっこう)を連想させ、実際にそれを意味して建造された。
- 隧道(とんねる)は石造りで、同じ大きさの石が並べられた先が巨大な岩を削り出し穿(うがち)ち抜いき、それを過ぎるとまた石が並べられ、そしてまた岩を削り出した部分がつづき、これを繰り返している。
- ずっと後に欧州の学術調査団がこの隧道(とんねる)を調べて、感嘆し、どういう理由でこのような構造にしたのか悩んだ。
- 石片を重ねる工法で全体を通せば工期は三分の一、費用は五分の一で済んだと推定される
45 アーサー・ドレイク卿
- 民俗学者
- 「素乾城の思い出」に出てくる登場人物
45 リットン・カナリー
- 考古学者
- 「素乾城の思い出」に出てくる登場人物
45 余(よ)ことエリサレム・ジャコメル
- 思想家・哲学者
- 「素乾(そかん)城の思い出」(架空)の著者
45 「素乾(そかん)城の思い出」(架空の資料)
- 素乾(そかん)城宮のトンネルが、かように面倒な作りになった理由を知った時の3人の様子が書かれている資料
47 ・・・『ソノ騒然タルヤ臓躁(ぞうそう)ニ似タリ。叫喚(きょうかん)シ、打擲(ちょうちゃく)コレニ以テ過グ』とある。・・・
- 話さない案内人の老婆に心細くなり、わめきちらしてキレる銀河の様子。
- それはまるでヒステリーを起こしたようであったという。銀河は怒鳴り、老婆の骨っぽい身体(からだ)を渾身(こんしん)の力で打った。
47 臓躁(ぞうそう)
47 ・・・恐慌状態の銀河の内部に雑多な想念が渦巻いて、とめどがない。・・・
47 恐慌状態
48 双槐樹(コリューン)
- 涼やかな声の誰か
- パニックになって一歩も動かなくなった銀河に、話しかけてきて側にいた(隧道(とんねる)の暗闇で見えない)
- 妙な話し方で女であるようだった
- 靴音で踵(かかと)が高く小さな靴を履いていることが分かるし、身軽そうだった
- ふわりと香水の香が漂ってきた
- 自分のことを「わし」という
- 奇麗な音をたてて笑う
- 銀河に名前を尋ねられ、双槐樹(コリューン)と呼ばれることを日頃から好んでいるので、そう呼べと言った
- 母や姉からとくに美しいと言われている、自分自身も時々そう思う。
- 歳は十有七を少し越した
中国の双槐樹遺跡からとった名前なのかな・・・
50 銀河は恐怖で知らぬ間に失禁していたのを、涼やかな声の者に言い当てられる。
50 (涼やかな声の誰か)双槐樹(コリューン)の、後宮の説明
- 門はたると(垂戸)。長くて隧道(とんねる)という方はふさわしい。潜る者は例外なく気味悪く思うが、わしのような人間にはかえって心地よい。本当に独りっきりだと念じるのに役立つ。時にはいいもの。
55 ・・・『極メテ得テ遣テ柔ラカシ』銀河は双槐樹(コリューン)の顔にそういう印象を得たようだ。・・・
- 双槐樹(コリユーン)は銀河よりも頭ひとつ背が高く、ほっそりしていた。
- おそらく腰のあたりまで届くであろう亜麻色の髪を黒い髪巾(はつきん)(ショール)で包み込むようにまとめた頭部に、銀河が讃嘆した柔らかい容貌があった。
- 双槐樹(コリユーン)の服装が変わっていた。漆黒のだぶだぶの姿袍(しほう)を着ているように見えて、銀河は「喪服」かと思った。
- 「柔ラカシ」は、双槐樹(コリユーン)の双眸(そうぼう)のこと。形良く弧を描いた眉の下に輝く眸(ひとみ)は、人に柔らかい印象を与えた。
55 亜麻色(あまいろ)
56 双槐樹(コリユーン)の服
- 姿袍(しほう)は、緒陀(おだ)の女童(めわらわ)の服でありワンピースに似ている。
- 双槐樹(コリユーン)のは、それを黒い厚手の生地で作り、わざと大きめに仕立てていた。大きいのに、だらしなく見えないで不思議な腹の着こなしだった。
- この服は、緞袍(だんぽう)と呼ばれる。当節、都で流行しはじめたもので、姿袍(しほう)とは直接関係ない。
- 双槐樹(コリユーン)は、髪巾(はつきん)(ショール)・緞袍(だんぽう)・長装靴(ちょうそうか)(ブーツのようなもの)まで、全て黒一色で統一していた。彼の好み。
56 緞(だん)
57 双槐樹の伝説
- 双槐樹(コリューン)は漆黒の花をつける。
- 十歳(ととせ)に一度、枝中に黒き花を舞わせ、実に誇らしげであるという。
- 涙が滴(したた)るほど、素晴らしい姿。
- 見たことはないが、遠く隠土(いんど)の森に生え、神仙のみその荘重(そうちょう)を見ることが叶う。
- 双槐樹(コリューン)はあるかもしれない、「コリューン」という学名がつけられているから。
57 荘重(そうちょう)
58 ・・・「おめでたくぞんじまする。あなた様は無事たるとを抜けられました」・・・「月に一度、ここを逆さに行きあそばれる方がおりまする。願わくば、それがあなた様でないように」
- 案内婆(とたると)の棒暗記の、口上の台詞
61 仮宮(かきゅう)
61 素乾(そかん) たかが300年ほどの伝統
62 ・・・後宮の事に限っても、じつに煩瑣(はんさ)な形式が小うるさく守られていた。繁文縟礼(はんぶんじょくれい)という形容がぴったりである。・・・
62 煩瑣(はんさ)
62 繁文縟礼(はんぶんじょくれい)
62 銀河の後宮への期待
- 銀河はこれからすぐにでも夢のような宮殿に通されるものと期待していた。
- 後宮と言葉の語感は、銀河に夢幻のようなイメージを与えており、猥雑な連想は浮かばなかった。(知識不足だった。)
62 現実に通された後宮・仮宮(かりきゅう)
- みすぼらしい下町の下宿屋、ひどく貧乏な学校の寮舎のようなうらぶれた建物だった。
- 壁は黒ずんで、各所にひび割れが生じ、薄気味悪い植物がからんでいる。
- こんな建物は、後宮外でも珍しい。
- 仮宮(かりきゅう)は後宮の一部
65
案内婆(とたると)は、元は狄宗(てきそう)様の後宮の宮女だった。
65 狄宗(てきそう)
- 腹宗(ふくそう)の父親
- 夷狄(いてき)の討伐に力を注いだので、狄宗(てきそう)という諡(おくりな)がついた。
夷狄(いてき)
66 太皇太后 藍氏(あいし)
- 狄宗(てきそう)の正夫人
- 腹宗(ふくそう)の母親
- 今から14年前に死亡
- もともとは、案内婆(とたると)の御婆さんと同僚の宮女
- きつい性格の女。
66 『藍氏(あいし)、扼(やく)シタリ』と不穏な噂が広まった。
- 後宮時代に、狄宗(てきそう)の寵愛を争った宮女がいて、争っている最中に病死した。
67 亥野(いの)
- 娥舎(がしゃ)の宦官
67 娥舎(がしゃ)
- 宮女の宿という意味
- 後宮の一部の、仮宮(かりきゅう)の、そのまた一部という格付け。
- しかし、後宮内の娥局(がきょく)よりも、だいぶ大きい。
- 娥舎(がしゃ)は、宮女候補の仮的な部屋で、宿舎と言った方が当たっている。
- 各地から獲られてきた宮女候補は、研修期間中に一定の数に篩(ふるい)にかけられて、後宮を去ることになっている。当然、宮女よりも宮女候補が、数が多かったので、娥舎(がしゃ)は、娥局(がきょく)より大きかった。
- ひと部屋がたいていは4人部屋。
67 娥(が)
68 世沙明(せさみん)
- 髪をとかしていた同部屋になった女性
- 銀河より身分が高かそう、銀河に西洋風に手の甲にキスをする挨拶を求めた。
- 家族の呼び名は西洋風にセシャーミン
- 凄く香水くさい
74 韃狐(だっこ)
- セシャーミンが激昂して銀河に放った罵言。
- ありていにいえば、「あばずれ」「ばいた」「どぶす」といった意味罵(ののし)り文句。
- 昔、嬋(せん)の召王(しょうおう)は夷狄(いてき)である韃(たつ)を征伐した際、韃(たつ)の王は人質として娘を差し出して和を乞(こ)うた。その姫の容貌がひどく醜く、淫蕩(いんとう)な性格で、また狐のように狡(ずる)かった。召王(しょうおう)は辟易(へきえき)して、『韃狐(だっこ)ノ禍(わざわい)ハ韃兵ノ侵掠(しんりゃく)ヨリ甚大ナルベシ』と早々に送り返してしまった。この故事から韃狐(だっこ)は婦人に対する最大級の罵(ののし)り文句となった。(架空)
74 淫蕩(いんとう)
74 娥局(がきょく)
- 正式の宮女の部屋。
77 紅葉(こうよう)
- 娥舎(がしゃ)の新入りは、叩扉(ノック)して扉の前で行き倒れていた娘。(後で、紅葉(こうよう)の故郷では扉を叩いて、中の人が開けてくれるまで待つというしきたりがあることがわかった。)
- 作業着のような奇妙な服装。都では、床袍(しょうほう)と呼ばれる戎衣(じゅうい)の一つとしてファッション関係者から無視されている代物。
- その民族は、朝起きて床に入るまでずっと床袍(しょうほう)を着ている。その姿で仕事をして寝る。
- 椅子に座り、足を組んで煙管(きせる)に火をつけた。
- 顔は人形のように綺麗。
- 瞳は碧(あお)いのも珍しかった。
- 人形のように表情が乏しく、言葉が短い。何を考えているかわからない相手だが、警戒心を抱かせるような得体の知れなさはなく、無関心な、透明感のある印象。
78 戎衣(じゅうい)
78 床袍(しょうほう)
- 寝衣の意味。パジャマかネグリジェのこと。
79 紅葉(こうよう)の故郷
- 紅葉(こうよう)の故郷では扉を叩いて、中の人が開けてくれるまで待つというしきたりがある。
- この国では珍しく通い婚が行われている。通ってきた男が戸を叩いても女が戸を開けなければ、通い婚は成立しない。
80 紅葉(こうよう)がきてから3日後たった午後、最後の同宿者が現れた。
80 玉遥樹(タミューン)
- 最後の同宿者の娘。
- 双槐樹(コリューン)に似ていた。
- セシャーミンはおそらく自分よりも上等な家門の人間であろうと察し、圧迫感を覚えた様子。
- 双槐樹(コリューン)の姉。
82 銀河と紅葉(こうよう)が、たるとで双槐樹(コリューン)と会ったと聞いて、姉の玉遥樹(タミューン)は、疑うも「ゆゆし」と繰り返した。
- 双槐樹(コリューン)は家にいるはず、ここに来るには早すぎる。
- 銀河のごときと、親しく物を申すはずがない。
83 女大学
83 槐歴(かいれき)元年(1608年) 6月なかば
83 素乾(そかん)朝最後の天子の誕生
- 槐宗(かいそう)
- 皇帝は17歳とは見えぬ押し出しで、威厳がある雰囲気を放射した。
83 栖斗野(せいとの)
- 宦官の長。
- 太監の職。(玉座の左に座す。)
- 尻のようなと評された、品のない顔。
83 飛令郭(ひれいかく)
- 内閣首輔(しゅほ)(宰相のこと。)
- 玉座の右に座す。
83 副太監の真野(まの)は、太監栖斗野(せいとの)のずっと後ろに立つ。
84 ・・・『後宮ノ用、万事我ニ任ゼヨ。継嗣(けいし)ノコト陛下拙速ニコレヲ為スベシ。名華繚乱(りょうらん)、孰(いず)レカコレラヲ選ビタル、豈ニ難ナラザランヤ』・・・
- 追従(ついしょう)のつもりで「後宮の用向きはお任せを。陛下は早々に跡継をつくることに専念してください」と言った。
- 太監栖斗野(せいとの)は、これで成り上がった。
84 追従(ついしょう)
84 『既ニシテ意中ニ在リ。気ヲ用ヰル勿カレ』
- 「相手くらいもう決めてある」(婉曲に「お前の知ったことではないわい」)と皇帝。
- この会話が交わされたとき、新後宮はやっと教練が始まったかどうかという時期だった。
85 銀河たちの日常
- 貴族と庶民の生活感の違いからの摩擦
- 銀河がを感じ始めた頃、退屈亥野(いの)が、女大学の開校の布礼(ふれ)を出した。
85 今までは手弁当だったが、大食堂で食事をすることになった。
- 娥舎(がしゃ)の大食堂
- 最初ここでは、一切の私語を禁ずと言い渡された。通夜のような静けさの中の食事。
- 宦官が人数を見張っていた。
- 配膳は女官がやっている。
- 見渡す限り、千差万別の美女が大部屋をうめていた。
86 【🍴】娥舎(がしゃ)の大食堂でのメニュー
- 食事の内容が激変
- 銀河には見慣れた日常のもの
- 玄米飯が主食
- おかずは、根菜や豆の煮付け、干し魚、漬物、と一椀の汁がついている。庶民のありきたりの食事。
- 汁(スープ)は、変わった味がした。だしは、獣骨や海草でとっていて、具が一切れもない。色は紫に近い、不気味な汁。匂いは殆んど無く、味は渋かったり、苦かったりする。
- この日から、1日2食で耐える。(庶民の出は普通、貴族やそれに準ずる暮らしの女にとっては、耐えがたいもの。)
- 食事のバラエティー・・・玄米の麺ん(ぱん)だったり麺類。野菜は四季の旬の物。変なスープも毎日変わる。
- この食事は後宮教育の一環だった。良き宮女を作るための献立と、健康のため。
- 妙な汁は、宮湯と呼ばれる、薬湯だった。
88 セシャーミンは、貴族の矜持のためハンストを決行。玉遥樹(タミューン)は食事の意味を知っていたので食事した。
88 翌日、早朝に女大学が開講。
- 起家婆(ちーちゃ)という役職の女官が宮女候補を起こしていく。
- 学校にいけるという銀河の喜びを見て、玉遥樹(タミューン)はこれから学ばされることが、普通の学校と同じだと思っている銀河を笑った。
89 劉庵(りゅうあん)
- 銀河の故郷で、私塾を開いていた男。
- 読み書きを教えていた。
- 銀河は一度、劉庵(りゅうあん)学校に交渉にいったが、女の弟子は取らないのが普通なので断られる。
90 女大学
- 巨大後宮主義者の衒宗(げんそう)の治世年間に始まる。
- 衒宗(げんそう)は晩年、仙道(せんどう)術にひどく凝った。鶴隠子(かくいんし)という仙術者を招いて、房内の秘技を習おうと考えた。
- 典医雉角(ちかく)は、内閣首軸を図って、皇帝のために房中教育の書を編纂(へんさん)した。さらに、理屈として、陽男のみを養うのは不合理であるから、同じく陰女を養う法も同時に研究された。これが、女大学のもとになる。
- 「後宮七典」というものが成立。(難解な内容)→銀河たちが受け取った教科書は「女大学」という表題の薄手の三巻本。(抜粋本)
90 鶴隠子(かくいんし)
- 当時、有名な人物で、民衆の声望も高かった。
- 魔除け、病気治しにたいへんな実績を残した。
- 後宮に入った鶴隠子(かくいんし)は、衒宗(げんそう)に房中術の秘伝を伝え、婦女子を制するに卓効あるという秘薬“玄牝丸(げんびがん)"を与えると、いずこともなく立ち去ったという。
- 効き目はなかったかも、翌年、衒宗(げんそう)は崩御。
90 “玄牝丸(げんびがん)"
- 竜の角
- 犬の睾丸
- 未婚女性の月の物
- などを材料にしていて、毎食服用していた。
90 雉角(ちかく)
- 真面目に医理を学んで極めた典医。
- 衒宗(げんそう)の急逝(きゅうせい)は、鶴隠子(かくいんし)の“玄牝丸(げんびがん)"が原因だと思っていたよう。
- 典医雉角(ちかく)は、内閣首軸を図って、皇帝のために房中教育の書を編纂(へんさん)した。さらに、理屈として、陽男のみを養うのは不合理であるから、同じく陰女を養う法も同時に研究された。→「後宮七典」
90 この国の歴代王朝の皇帝は、仙薬好きだった。
- 以前にも黄燕丹(こうえんたん)なる仙薬を愛用して、瘦せ細り、発狂状態で死んだ皇帝がいた。
91 典医雉角(ちかく)よる「後宮七典」
- 難解書
- 二典は失われた。現存するのは五典。
- 素乾(そかん)後宮の奥所に厳重に保管されていたが、幻影逹(げんえいたつ)の乱の時、あばかれ流出した。
- その後(今)再び集めることができたらしいが、今度は先の大戦で、うやむやのうちに散佚(さんいつ)してしまった。専門家の話では、最も重要な二典だけが消えてしまった。
- 七典が整備されたのは、衒宗(げんそう)の典医雉角(ちかく)が志をたててから、2人の王の時代を経てから。狄宗(てきそう)、(腹宗(ふくそう)の父)の時代の少し前の頃。
- 内容・・・第一巻「後宮礼」、第二巻「後宮律」、第三巻「後宮軌」、第四巻「後宮至理(しり)」、第五巻が散失している。、第六巻「陰陽方」、第七巻は散失している。
93 セト・カクート(瀬戸角人・・・漢字を当てた時)
- 女大学の老師
- 西方系の響きの名前
- 目の色が碧(あお)い
- 小柄で、枯れはてたような姿に見えるが、しっかりした足取り。
- 宦官達は、角先生と呼ぶ。本人の前では、老師か学司子と呼ぶ。
- セトが姓。セトという姓は、素乾(そかん)国の版図(はんと)でみれば西の涯(はて)にある小国の姓。西都とも瀬戸とも表記され、その地方の文化は、翠鞭(すいべつ)や隠土(いんど)の文化により近い。
- 狄宗(てきそう)の制服がなければ、角先生は歴とした西都国の主であったはず。
- 角先生は、父親を継ぎ学界に令名を馳せ、腹宗(ふくそう)に招かれて学督をつとめ、老いて後宮学司に専念。
- 「女大学」は、角先生が弱冠20歳の時に書き上げたもの。
- 角先生は、馬鹿丁寧過ぎで、あまりにも遜(へりくだ)り過ぎて大人らしくないというのが評されている。
- ふんわりとした印象で、論敵がいない。声も優しい。
94 セト・カクートの祖父王と碩学(せきがく)瀬戸隆寛
- セト・カクートの祖父王は、素乾(そかん)国に抗戦することの無理を早くに悟り、臣従した。息子を人質のような形で北師に留学させた。
- その留学生が後宮七典の最終的な仕上げを担当した碩学(せきがく)瀬戸隆寛となる。本名はセト・ルーカン、カクートの父親。
102 角先生(セト・カクート)の部屋に呼び出される銀河
- 仮宮を出て、立派な本後宮を抜けて出た所にある。
- 後宮は、新規開店を前に改築中。
- 一つの堅牢(けんろう)な門、乾生門(けんせいもん)をくぐると、そこからは後宮ではなく、外廷(皇帝が政務を執(と)る場所)になる。ここを自由に通過できるのは皇帝と宦官と後宮学司だけ。
- 角先生の部屋に、双槐樹(コリューン)がいた。
- 部屋には山のように書物があった。
105 「女性」と「男性」をどう区別するか・・・の答え
- 「答えは、子宮さ」・・・「そう、子を育む大事なところだ。子を孕(はら)むことのできるものが、すなわち、女なのだ。子のための宮殿を持つものだけを女性とよべるだろう」
105 「哲学とは何ですか」と銀河は角先生にたずねる。
- 「生きることだ。ただし、私の意見にすぎない。お前さんの哲学はまた別なものでなくてはいけないよ。真似していいのはわずかな間だけだ」
106 哲学
107 後宮哲学
107 ・・・宮女が房中術の陰の部分を十分に会得していることが必要であった。・・・
107 房中術(ぼうちゅうじゅつ)
107 後宮に哲学者を入れたのは歴朝の後宮でも素乾(そかん)朝以外に類例がない。
- 「女大学」上巻の冒頭は、『後宮ニ哲学アリ』という文句で始まる。
- 哲学が他の項目より優位にある。
- 後宮七典の最終的編集主幹であった、碩学(せきがく)瀬戸隆寛(本名はセト・ルーカン)が狄宗(てきそう)に気に入られ、瀬戸隆寛(本名はセト・ルーカン)の影響で狄宗(てきそう)は後宮に哲学的根拠を導入した。
- 瀬戸隆寛(本名はセト・ルーカン)を継いだ角先生は、瀬戸隆寛(本名はセト・ルーカン)に輪をかけた思索型の性質を持っていたので、若い勢いで「女大学」を哲学書のような構成にしてしまった。別に害がないので、宦官も皇帝も敢(あ)えて咎めなかった。角先生が後宮学の権威として君臨するようになった腹宗(ふくそう)年間中期から、後宮哲学は素乾(そかん)後宮に定着した。
108 角先生の授業
- 毎日2時間の講義
- 後宮の思想的根拠とか、人体の生理学などについて主に抗議した。
- 性技術の実技指導は自分ではしなかった。
108 菊凶(きくきょう)
- 性技術の実技指導の講義を任せられている。
- 菊凶(きくきょう)は、角先生の一番弟子をみずから任じている。
- 角先生の弟子と称する者は、数十人に上るが、角先生とともに後宮に出入りしたのはこの菊凶(きくきょう)だけ。
- 24、5歳。
- その姿はたおやかで女のような顔立ちをしていたという。
- 巷間(こうかん)の女は、菊凶(きくきょう)を見て、羞じて逃げ出すほどだった。
- 菊凶(きくきょう)は、美しさだけでなく、頭脳も非常に優秀だった。
- 角先生も内心、後継ぎは菊凶(きくきょう)かと思っているふしがあるが、菊凶(きくきょう)は学究に向かなかった。魂を焦がすほどの野心が、その体内に溢れかえっていたからである。
108 ・・・『菊凶(きくきょう)、嫣然(えんぜん)、美少年なり』・・・
108 嫣然(えんぜん)
108 天山遯(てんざんとん)の考察
- 菊凶(きくきょう)は、『角老師ノ恋童(れんどう)』であったろう、と述べている。
110 久塘野(くとうの)
- 菊凶(きくきょう)の性技術の実技指導の講義の時、相手役に選ばれた若い宦官。
- 菊凶(きくきょう)に惚れてしまい、皇帝よりも慕うようになる。
110 菊凶(きくきょう)に惚れてしまった宦官たち
- 菊凶(きくきょう)に惚れてしまった宦官たちは、すでに何人もいる。菊凶(きくきょう)は表面ではそれらを拒まなかった。
- 彼らは後宮における菊凶(きくきょう)の勢力となってしまっている。
110 セシャーミンの断食が4日目。フラフラ。
- 115 銀河が心配して、江葉(こうよう)に相談したら、「わたしの故郷では、よく若い女が食を拒んで死のうとする。これは一種の病であるから寝ている間に、消化の良い物を食べさせる」とアドバイスした。
- 銀河はその日、セシャーミンの皿が片付けられる直前に、パンや木の実を拾い取って懐に隠した。深夜、食べさせ方がわからない銀河が、江葉(こうよう)をたたき起こして、セシャーミンに無理やり嚥下させた。
- 翌朝からセシャーミンは断食を中止した。
- この件で、銀河は江葉(こうよう)が外見に似ず頼りになることを発見した。
118 菊凶(きくきょう)の性感を高める体操の実技
- 「導引」という気を体内に巡らせるための特殊な体操の基本。
- 北師生まれの北師育ちで、都人らしい洗練去れた容儀(ようぎ)を身に着けている。菊凶(きくきょう)に魅入られたようになった娘が多かった。
- 角先生は、菊凶(きくきょう)が宮女候補に与える影響力を知っているのかどうか、知らん振りをしている。
- 若い頃角先生も、菊凶(きくきょう)のように自ら講じたらしいが、30を過ぎるとやらなくなり、実技は助手にまかせた。
- 角先生は、宮女だけでなく、皇帝にも房中の法の男陽の部分を講義する。
- 菊凶(きくきょう)の講義はその性質上、語りが生臭くなり、角先生のは清んでいる。角先生と菊凶(きくきょう)は後宮哲学という同じもの2つの側面を分担して語っている。角先生は自分と菊凶(きくきょう)の間にわざとそういう対比が生まれるようにしていた。
118 容儀(ようぎ)
119・・・「人間とは一面ひどく生臭く描くことができるし、一面無味臭なほどに清く描くことができる。それらを渾然(こんぜん)とすればかなり上手に人間を描くことができるのではなかろうか」・・・
- 角先生が、薗渓(えんけい)に人物描写を問われて答えたこと。
- この方式を女大学の檀上でも示して見せたのかもすれない。
119 薗渓(えんけい)
- 唐州の画家兼文学者
125 卵
125 銀河は妙なことに気づいた。
- 一番前に座っていた、髪が短くて、くりっとした目をした子や背が高くて、ちょっと色が黒くて、海のそばから来たって感じの子たち・・・がいなくなってる。
- セシャーミンは、今頃、馬鹿かと、みんな追い出されたのだと言った。ここにふさわしくない女は、黙ってあのたるとを潜って出ていくのよと言った。
126 セシャーミンは、雑居で貴族ばった態度が落ちてきて、銀河とも話をすようになった。がセシャーミンから見ても玉遥樹(タミューン)はぞっとするほど冷たい差別意識、冒しがたい威厳、気品が備わっていた。玉遥樹(タミューン)だけが変わらない。
- 銀河は物怖じしなく、階級感覚というものにひどく鈍感な性格だったから、玉遥樹(タミューン)の温度の低さに平然としていられたが、セシャーミンは玉遥樹(タミューン)に既に尻尾を巻いていた。
127 ・・・これも一つの儀式なのであろうか。宦官が夜中に宮女を訪ねてこう言うのである。『モハヤ機ヲ逸シタ』と。・・・
- これを言われた宮女は逆らうことができない。その晩のうちに荷物をまとめて、夜明け前までにたるとに入らねばららない。
- たるとまでは、必ず2人の宦官が付き添ってゆく。そしてたるとの前で無言で立っている案内婆(とたると)に渡される。案内婆(とたると)は入宮したときと逆に出口へ向かい手を引いて行く。そして門前で女はかなりの額の金子を渡され世間に帰る。
127 『モハヤ機ヲ逸シタ』
- 決まり文句。形式。
- 後宮七典のうち「後宮礼」に記されている。
- 古典的な用語で、長らく意味不明であった。角先生の父、瀬戸隆寛(本名はセト・ルーカン)が注をつけているが、それとて原義に適っているかわからない。
135 銀河は宦官に見つからないように、質問したいことがあれば、角先生の部屋を訪ねるようになっていた。
- 角先生も熱心な生徒を喜ぶ教師のようにつきあってくれた。発覚すれば、2人とも大変なことになる。
- 『モハヤ機ヲ逸シタ』といわれたら、どうして出ていかないといけないのかという銀河の疑問に、セシャーミンが角先生に聞けと言われて聞きに来た。
- 後宮では娘達を卵であると見て、出て行った娘達は、胎内に留まる機会を逃してしまった。後宮自体を女の生殖器に見立てて、その生理を制度として後宮に機能させている。
138 ・・・「すべてのしまう。真理はどこから生まれてくると思うかね」・・・「それは子宮さ」・・・「そして、後宮は素乾(そかん)国の子宮だ、この国の真理はすべて後宮から生まれる」・・・
- 後宮哲学の奥義を角先は銀河に教えてしまう。
- 菊凶(きくきょう)にすらこの微妙な部分は伝えるのを躊躇っていたのに、うっかり話してしまう角先生。
- 心の底に銀河を自分の後継者にしたいという思いがあったかのかもしれない。
139 後宮子宮説補足
- 『モハヤ機ヲ逸シタ』娘たちが後宮外へ、(膣、産道)を通って排卵されてゆく。
- その娘が機ヲ逸シタことを判断するものは、占いを用いて決められていた。七典に記された由緒ある作法。全宮女候補の名前を書いた紙札を、宮中の占池にざっと投じて、最後まで残った1枚の紙札に名前を記された宮女候補が選ばれる。
- この儀式は、28日に一度、新後宮が完成するまで行われる。
- 古代、紙の無かった頃は木の札に名前を書いて焼いていた。が、素乾(そかん)後宮は紙を水に濡らすやり方のほうがより子宮らしくあると考えてそうした。
141 淫雅語(いんがご)
141 ・・・北師は、晩秋の頃から急に冷え込むようになる。素乾城後宮でも係の宦官が炕(かん)に火を入れ始めた。・・・
141 炕(かん)
141 ・・・妍(けん)を競う、という言葉があるが、宮女候補の部屋割りを四人ずつにしているのもそのような理由からであったろうか。・・・
- そうではないらしい。
- 4人部屋も淫雅語(いんがご)と同じ理屈で、形式。
141 妍(けん)を競う
141 淫雅語(いんがご)とは
- 後宮では「女大学」の本(もと)である後宮七典の定めるところにより、みやびな古語を用いなければならない場面がある。この後宮内でのみ使用されるべき特殊な古典語を普通"淫雅語(いんがご)"と呼ぶ。
- 例えば、「たると」は淫雅語(いんがご)で膣、産道を意味する言葉。玉門、牝戸(ひんこ)などと書くこともあるが、後宮で、口頭ではたると。
142 女大学のテキストも中巻目の半ば、淫雅語(いんがご)の暗記
151 角先生は、70の坂を越した
154 銀正妃
154 後宮の教育期間
154 槐歴(かいれき)元年12月
- 後宮女大学も仕上げの時期
- この半年間の教えを、角先生が直々に考試される。この試験で落とされる宮女候補は、滅多にいない。
- 銀河と相部屋だった4人は、強勢退去のくじに当たらなかった。
156 銀河は、先日髪を切り、ショートカットにして残り髪で後ろに小さな髷(まげ)を作っている。
- それほど女らしくない銀河の身体とその髪型は似合っていた。
158 角先生の部屋へ考試に向かう途中、改装された本後宮、娥局(がきょく)を通り抜けたところで、銀河達4人は、双槐樹(コリューン)にばったり出会う。
- 姉の玉遥樹(タミューン)との会話に、銀河は双槐樹(コリューン)に姉妹喧嘩かと尋ねる。
神出鬼没の双槐樹(コリューン)は、確実に新皇帝。姉の玉遥樹(タミューン)が、宮女候補にまぎれている複雑さのほうが気になります。
165 紅葉(こうよう)が、菊凶(きくきょう)を嫌いな理由
- 菊凶(きくきょう)は、学司補佐の立場を利用し、宮女候補をつまみ食いしていた。紅葉(こうよう)も誘われたことがある。
- 『月ニ誘フコト十数人、内八女ハ拒ムコトナシ』
- 菊凶(きくきょう)の単独犯行ではなく、後宮内に協力者がいる。菊凶(きくきょう)の誼(よし)みを通じた若い宦官達である。
- 紅葉(こうよう)は「否」の一言で菊凶(きくきょう)を片付けたので、テスト中ずうと菊凶(きくきょう)は、紅葉(こうよう)を睨んでいた。屈辱だった。
166 新後宮の官職が発表
- とりあえず、皇帝の寵妃が決まるまでのオーダー。
- 後期の素乾後宮が、歴朝に比べて優れていた点は、広く民衆から宮女候補を集め、身分制度を無視したような仕組みと教育をもって女官の上下を定めたこと。角先生、及び先任者が苦心した点はここだった。
- 歴代、外戚(がいせき)の害禍が国を滅ぼすまではびこっていたが、この方式をとれば外威の害を水食い止めるめるめることができるから。(門地の高い一族の娘を皇帝の妻にし、権勢を拡大することが、歴朝で繰り返されたので制度を作った。)
- しかし外戚とともに二大悪とされる、宦官の禍は、宦官という奇怪な官僚の棲家である後宮が廃止されるまでついになくならなかった。
- 銀河は正妃。(皇帝の第一夫人の職)
167 銀正妃
- 新後宮の官職発表で、銀河が正妃(皇帝の第一夫人の職)になって以降、呼ばれるようになった名。
168 喪服の流行
168 「素乾(そかん)書」年表の槐歴(かいれき)2年の頃
- 『正月、喪服、流行ス』
- 「素乾(そかん)通鑑(つがん)」の説明では、服装から暖色が失われ、百姓(ひゃくせい)皆黒色の物を身につけ始めた。さる占術の大家は、素乾(そかん)の滅亡が近いと言って、その後捕縛され斬首されている。」
- 天山遯(てんざんとん)は、婦人の服装は、全て漆黒に染まり奇妙だった。次第に男子もならうようになって、町の着物店の店先は真っ黒になったという社会現象を記している。
168 ・・・さる占術の大家はこれを観ずるに、社稷(しゃしょく)の危ういことを示していると言った。・・・
168 社稷(しゃしょく)
168 黒という色
- この地において、有史以来亡国の色だった。
- 流行は、無知の属(やから)によりり行われた。
169 後宮外
169 幻影逹(げんえきたつ)
- この小説の前半で出てきた男
- 9か月前は平勝(へいしょう)と本名を名乗り、瓜祭(かさい)で自警団のようなものの頭領をしていた。実際は、数十名の愚連隊の親分。
- 黒が流行した槐歴(かいれき)2年の頃、山北州都司侍郎(じろう)として、3万州兵の実質上の指揮官となっていた。
- もと博奕(ばくち)打ちだった。
169 愚連隊
169 山北州都司侍郎(じろう)
- 山北地方の地方軍司官の次官という意味
- 歴とした将官。
169 平勝(へいしょう)こと幻影逹(げんえきたつ)は、どうして山北州都司侍郎(じろう)になったのか
- 平勝(へいしょう)と厄駘(やくたい)の2人は、9か月前銀河が瓜祭(かさい)を通過した後もまだ道楽で始めた自衛組織を続けていた。ただ働きもなんとなく馬鹿らしくなってきたのでやめようかと考えてきた矢先、出城の嵬崘塞(がんろんさい)から使者がきて、丙濘(へいねい)の農民一揆の鎮圧に助力してもらいたいと頼まれた。山北州都司はその時、北部国境の小競り合いに兵を出していたので人員が不足していて、一揆の鎮圧まで手が回らなかった。
- いつものように渾(こん)兄哥(あにい)に相談して、農民の味方をしたい気持ちもあった平勝だが、助言で農民ではなく山北州都司について一揆をおさめるため嵬崘塞(がんろんさい)に行くと決めた。
- 途中、行き倒れの僧に会い、平勝は助けてやる。そのお礼に骨相を観てくれ、「不吉の相」だと告げられる。「天下大乱の相で、生きているうちに乱に会えば早死にするが、会わずにすめば長生きできる。乱には近づくな」と言われる。(この国の英雄譚にありがちのシチュエーション。)
- その和尚に平勝は、呼び名をつけてほしいと頼む。そして幻影逹(げんえきたつ)、イリューダとつけてもらった。平勝は幻影逹(げんえきたつ)を気に入って、以後そう名乗ると決めた。厄駘(やくたい)も渾沌(こんとん)と名乗ることになった。
169 嵬崘塞(がんろんさい)
- 出城
- 9か月前、瓜祭(かさい)を通過できずにいた真野(まの)が思案して、ここから護衛をだしてもらうよう連絡をしていた出城。
- 山北州都司の本拠
169 厄駘(やくたい)
- 平勝(へいしょう)の兄貴分
- あだなが、渾沌(こんとん)。
- 平勝(へいしょう)は、渾(こん)兄哥(あにい)と呼んでいた。
171 平勝(へいしょう)が、幻影逹(げんえきたつ)・イリューダの呼び名になった理由
- 平勝が助けた和尚が若い頃、西方の砂漠をさすらっていた。そこでこの世のものとは思われぬ幻を見た。
- 土地の者は、鬼神が見せるあやかしだと言った。
- それは、彼方に道心を揺さぶられるような美女を見た。その美女は、馬を自在に駆って、さらに彼方に到達した。(蜃気楼だった)
- それで、旅の僧は西方風に、イリューダと発音して、「幻影逹(げんえきたつ)」とつけた。
172 磁武(じぶ)
- 山北州都司の長
- 中央から派遣されて来ていた。
- 一説では20年前、左遷された。
- 中央復帰の運動を続けていたが、ついに中央から忘れ去られ、諦めて土地の実力者の娘と結婚し、半ば豪族化して嵬崘塞(がんろんさい)を牛耳っている。
- かなりの悪辣をやったらしく、土地のものには嫌われている。兵の信頼もあまりない。
- 今は、寄る年波に勝てず、病がちの日々を送っていた。
172 彿兼(ふつけん)
- 都司侍郎(じろう)(=山北地方の地方軍司官の次官)
- 幻影逹(げんえきたつ)と渾沌(こんとん)を磁武(じぶ)にとりついだ男。
174 幻影逹(げんえきたつ)と渾沌(こんとん)の関係
- 渾沌(こんとん)の幻影逹(げんえきたつ)への影響力。
- 幻影逹(げんえきたつ)があくまで一党の大将で、渾沌(こんとん)は友人にすぎない。
- 人を集めるのはつねに幻影逹(げんえきたつ)の豪放磊落な人柄であった。一方、渾沌(こんとん)には不思議なほど人望がない。
- しかし、幻影逹(げんえきたつ)はなぜか渾沌(こんとん)の意見を建て続けた。この関係は、二人の最後まで続く。
- 幻影逹(げんえきたつ)は、もと博奕(ばくち)打ちで、彼はこれまでずっと渾沌(こんとん)に賭けてきて、ずっと勝ってきた。実際、丙濘(へいねい)の農民一揆の鎮圧も大勝ちする。
- 後に、最後の最後に幻影逹(げんえきたつ)は渾沌(こんとん)以外のものに賭けて、敗亡していくことになる。
174 豪放磊落(ごうほうらいらく)
174 丙濘(へいねい)の農民一揆は、幻影逹(げんえきたつ)が出向いて3日目に収まってしまう。
- 驚いたのは、磁武(じぶ)と彿兼(ふつけん)。
- 預けた部下50数名は、年寄りと怪我人ばかりだった。
- 勝てなくとも、中央の兵部に一応、一揆の鎮撫に兵を出しているということにしたかっただけだった。
175 幻影逹(げんえきたつ)と渾沌(こんとん)はなぜ丙濘(へいねい)の農民一揆に勝てたのか
- 幻影逹(げんえきたつ)と渾沌(こんとん)は、亮成丁(りょうせいてい)の陣所に会いに行って、博奕(ばくち)のような交渉をした。
- 亮成丁(りょうせいてい)は、慣れない一揆指導に疲れていた。
- 渾沌(こんとん)が、我々は嵬崘塞(がんろんさい)から派遣された。武器を持たずに丸腰で来たといい、でまかせに、内密に我々が丙濘(へいねい)の衆の年貢を調達しましょう。と持ち掛けた。嵬崘塞(がんろんさい)の倉庫から調達するので確実だと念を押す。
- 渾沌(こんとん)のはったりに合わせ、幻影逹(げんえきたつ)も、都司侍郎(じろう)のわたしが約束いたすと嘘をついた。(この時はまだ都司侍郎(じろう)ではなかった。)
- 10日後、嵬崘塞(がんろんさい)の倉庫から備蓄された分の穀物、帛(きぬ)を盗み出して一揆の衆に提供するという詐欺を成功させた。亮成丁(りょうせいてい)は、農民を説得し、一揆はとりあえず平定された。首謀者は国境を越えて逃亡したことにした。
- 連れて行ったのが幻影逹(げんえきたつ)の子分だけだったので、真相は漏れない。
175 亮成丁(りょうせいてい)
176 丙濘(へいねい)の農民一揆へ赴く前には会いもしなかった磁武(じぶ)が会見にきてその手並みをほめた。
- そのうち磁武(じぶ)は幻影逹(げんえきたつ)の恰幅を見て惚れこみ、しばらく嘱託としてここにいて欲しいと請うた。
- 娘の磁喬(じよう)が世話をするうちに幻影逹(げんえきたつ)を見染て積極的に通じたので、磁武(じぶ)に娘をもらってくれないかと言い出した。
176 磁喬(じよう)
- 磁武(じぶ)の娘で後家となっていた
- 幻影逹(げんえきたつ)をせわするうちに、彼を見染める。
- 30歳
177 幻影逹(げんえきたつ)は、磁武(じぶ)の義理の息子になる。
- 故郷に女房のいる幻影逹(げんえきたつ)は、磁喬(じきょう)をもらうかどうも、渾沌(こんとん)に相談して、もらうことにする。
177 2か月後
- 娘を片付けて安心したのか、磁武(じぶ)は病を発し先月から床についている。
- 国境の小競り合いがまずいことになったので、婿の幻影逹(げんえきたつ)にむかってほしいと頼み込んだ。この時、無官では具合が悪いので、磁武(じぶ)が勝手に左侍郎を幻影逹(げんえきたつ)に与えた。
177 北部国境
- サンブカン部という異種族との抗争が続いていた。
- 先日、出張している左侍郎の奈浙(なせつ)が戦死したという報が入った。
178 幻影逹(げんえきたつ)は、サンブカン部と講和を結び早々に帰ってきた。
- 素乾(そかん)側に不利な条件で、勝手な講和をしてきたが、また誰も咎めなかった。
- 中央には、磁武(じぶ)がこちらに有利な講和であったと嘘を書き送った。国境に長らく釘付けにされていた兵士たちには感謝された。
178 この幻影逹(げんえきたつ)の早業の裏に渾沌(こんとん)の無責任な意見が反映していたに違いない。
- 渾沌(こんとん)の役(幻影逹(げんえいたつ)の乱)における厄駘(やくたい)の権謀家ぶり、奇略家ぶりをもって彼を稀代の策士のように評する人がいるが誤りかも。
- 天山遯(てんざんとん)などは、無残に、渾沌(こんとん)などは単なる詐欺漢(さぎかん)に過ぎないと断じる。
- 渾沌(こんとん)は行き当たりばったりで、行動方針は勘かその時の気分。勘と気分が動機であり、その2つを含めて厄駘(やくたい)は縁と呼んでいた。(よく幻影逹(げんえきたつ)に言うやつ。)
178 権謀(けんぼう)
178 素乾(そかん)城内部の権力闘争について
- 前代腹英帝に寵愛され宮廷に権力を張った宦官の太監栖斗野(せいとの)が一族とともに誅滅(ちゅうめつ)された。
- 腹英年間には、太監栖斗野(せいとの)は権力を壟断(ろうだん)し、東廠(とうしょう)(秘密警察)を手足のように使い、反栖斗野(せいとの)のわずかな非違(ひい)をあげつらい、讒言(ざんげん)させて次々と政敵を屠っていった。
- また、極端な賄賂政治を行い巨額の資産を得、北師の郊外に豪壮な邸宅を建てて妻子を置いていた。妻は飾りで子は養子だった。
- 失脚直前、自分のための墳墓用6000坪を買い取っていた。
- 内閣首輔(しゅほ)飛令郭(ひれいかく)とその一党は、腹宗(ふくそう)が崩御するまでじっと耐えていたが、崩御後にわかに動きだし、宦官真野(まの)らと手を組み、栖斗野(せいとの)を追い落とし誅殺することに成功。(新帝の意見も反映されている。)
- その後、真野(まの)は太監の地位を手に入れ、栖斗野(せいとの)並みの贅沢を始めようかと思案中。飛令郭(ひれいかく)は、栖斗野(せいとの)のような化け物がまた出てこないように反真野(まの)対策を画策中。
- 宮廷には、外臣、内臣ともに真面目に政務を執(と)ろうという人間がいない。
178 壟断(ろうだん)
178 非違(ひい)
178 讒言(ざんげん)
179 飛令郭(ひれいかく)
- 内閣首輔(しゅほ)
179 真野(まの)
- 太監の地位になる
179 遷化殿(せんかでん)
- 皇太后のいる場所
179 琴氏(きんし)
- 皇太后
- まだ若く齢(よわい)28
- 第二次宮女募集で入宮したので、若い。
- 今上天皇の実の母親ではない。
- 最初の皇后(正妃)乾氏を琴(きん)は栖斗野(せいとの)と計って毒殺している。その後、栖斗野(せいとの)とさらに仲良くより権勢のおこぼれを頂戴していた。今でも廷臣にかなりの影響力を持っている。
180 最近、遷化殿(せんかでん)に通う男が現れた。
- 通っている男は、菊凶(きくきょう)。
- この関係は、腹宗(ふくそう)の在世中からのもので、最近は半ば公然化している。
- 最初は菊凶(きくきょう)から琴(きん)皇太后に近づき閨(ねや)に入ることを許された。この前年に琴(きん)皇太后は、菊凶(きくきょう)の子を生んでいる。
180 後世の歴史家天山遯(てんざんとん)は、俯瞰(ふかん)して見て、喪服が流行していることを亡国の兆しであったと捉えている。
- 黒い服が民間に流行した実例は、約570年前の曾(そう)朝末期にも見ることができる。この時も宮廷は腐敗脱落の極にあり、飢饉が続発し、重税に百姓は怨嗟の声を上げた。
- 歴史家天山遯(てんざんとん)は、素乾(そかん)最後の皇帝に対し、責めずに同情している。むしろその才覚が発揮される前に、国が壊滅してしまったことを嘆いている。無力な正義派官僚の最後の希望は新帝であった。
180 俯瞰(ふかん)
181 前夜の絵巻
181 銀河は娥局(がきょく)のうちで特に豪勢なひと間を与えられた。
- 婢(はしため)が数人つけられた。
- 「銀正妃様」と呼ばれる。
182 太監真野(まの)が銀河に会いに来た。
- 太監は房時を司る、宦官の元締め。今日は真野(まの)が直接、銀河に万歳爺(わんすいいえ)(皇帝)の来駕(らいが)を伝えに来た。
182 万歳爺(わんすいいえ)
- 皇帝陛下のこと
- 内臣は陛下を親しんで万歳爺(わんすいいえ)と呼ぶ。
183 夕刻になると、銀河は友人達に会いたくなった。規則で自分からは会いにいけないので、部屋によんでもらった。
- 紅葉(こうよう)→紅才人
- セシャーミン→世嬪妃
- 玉遥樹(タミューン)→さる理由で官職を得てない。
183 紅葉(こうよう)→紅才人
- 故郷は茅南(ちなん)州
- 通ってきた男は3人くらい
- 誰とも結婚しなかったのは、一度通った者は二度と来なかったから。
- 子供はできなかったから、宮女候補になった。
185 茅南(ちなん)州
- 200年ほど前は、「中華の外」の民族だった。
- 素乾に併合される前の習俗が色濃く残っている。
- 現在でも茅南(ちなん)省獅葉(しよう)県の一部では通い婚が行われている。
- 素乾の道学者たちは、この異習を禽獣(きんじゅう)にも劣る蛮習として毛嫌いしたが、どう教化しても改まる気配がなかったので、ほおっておいた。
- 母系中心社会の遺物。
187 婢(はしため)
- 前の後宮で結局天子のそばに侍れなかった等級低い宮女がやっている。
- 銀河たちの先輩で、歳も食っている。
- 意外な権勢を持っている場合もあるので、正妃や嬪妃に対して、ずけずけ物を言う。
190 銀河の部屋に双槐樹(コリューン)がきた
190 双槐樹(コリューン)
- 元号で呼べば槐歴(かいれき)帝
- 宗廟(そうびょう)号で呼べば槐宗(かいそう)
191 双槐樹(コリューン)が角先生と相談して、正妃を銀河に決めた理由
- 銀河が童女(わらわめ)だから
- 双槐樹(コリューン)が銀河を気に入ったから
- 双槐樹(コリューン)が命を狙われているから
192 双槐樹(コリューン)の多くの反対勢力
- 最右翼が琴(きん)皇太后・・・双槐樹(コリューン)の母后を殺害し、皇后の地位似ついた後、皇太子・双槐樹(コリューン)を暗殺しようとしていたことは一度や二度ではなかった。平徹(へいてつ)を皇太子にしようと企んでいたから。
- 事態を憂慮した、前内閣首輔(しゅほ)・太梁(たいりょう)が腹宗(ふくそう)に進言して平徹(へいてつ)を茅南(ちなん)州の王に封じることにより、とりあえず琴(きん)皇太后の野望を挫(くじ)いた。
- 忠臣太梁(たいりょう)は、後に栖斗野(せいとの)の讒言(ざんげん)により左遷させられる。
- 琴(きん)皇太后は、腹宗(ふくそう)が崩御する前に、菊凶(きくきょう)の子を生み、この子を皇位につかせるべく画策している。
- 後宮の10人に1人は双槐樹(コリューン)の命を狙う琴(きん)皇太后の手の者。それで、政務の後は女装して後宮に隠れていた。
- 内閣首輔(しゅほ)・飛令郭(ひれいかく)と真野(まの)と謀り、栖斗野(せいとの)の誅殺に成功したが、まだ琴(きん)皇太后を斬れずにいる。
- 内閣首輔(しゅほ)・飛令郭(ひれいかく)と太監・真野(まの)も忠臣とは言い難く、信用できない。
- 内閣首輔(しゅほ)・飛令郭(ひれいかく)が、と琴(きん)皇太后と結んだという情報もある。
192 平徹(へいてつ)
- 琴(きん)皇太后の息子
192 太梁(たいりょう)
- 前内閣首輔(しゅほ)
- 忠臣太梁(たいりょう)は、後に栖斗野(せいとの)の讒言(ざんげん)により左遷させられる。
192 姉の玉遥樹(タミューン)が後宮にいた理由
- 命を狙われていたわけでなく、弟の双槐樹(コリューン)と通じたいと願っている。
192 ・・・「姉上はわしと通じることを願っておる」「きょうだいなのに?」「あの方はどうしたことか淫蕩(いんとう)にすぎる」・・・
192 淫蕩(いんとう)
195 幻影逹の乱
196 双槐樹(コリューン)暗殺を、琴(きん)皇太后の何度も失敗しているので菊凶(きくきょう)が望むままにまかせることになった。
197 ・・・「よそへ通えというか。変わったおなごだ。わしの母上がまだ若かったころは父上がよそに通ったりすれば、臓躁(ひす)をおこして気絶していたというぞ、悋気(りんき)を軽視すべきではないと昔の人も言っておる」・・・
197 臓躁(ひす)
197 悋気(りんき)
198 銀河の部屋に寝にきている双槐樹(コリューン)を狙って、覆面の賊が3人。
- その甲高い宦官特有の声から、女大学で菊凶(きくきょう)の相手役だった久塘野(くとうの)たちだとわかる銀河。
- ばれた宦官たちは、銀河にも襲い掛かり後頭部を殴られ気絶したが、目覚めると双槐樹(コリューン)が一人を銃で殺し、二人は気絶させ銀河を寝台に寝かせていた。
198 ・・・優しそうな目をしているくせに人を殺せるらしい。どうやって?と訊くと、短銃を示して見せた。フリントロックと呼ばれる火打ち石発火式の拳銃であった。・・・
198 フリントロック
199 双槐樹(コリューン)が他の女の所に通わない理由
- 信用できないから。寝ている時に縊(くび)られてはかなわない。
- 角先生がお前様なら大丈夫と言った。双槐樹(コリューン)自身も同じ意見だった。
200 双槐樹(コリューン)は生け捕りにした宦官から反皇帝派の情報を得て、腹心の部下に追放させたが、菊凶(きくきょう)の名前だけは出なかった。
200 この事件があったころ、幻影逹(イリューダ)が挙兵している。世にいう幻影逹の乱(渾沌(こんとん)の役)。
- 槐歴(かいれき)2年 3月中旬に勃発
200 今の幻影逹(イリューダ)は嵬崘塞(がんろんさい)から北へ10里も行った所にある仙斜(せんしゃ)という温泉町で遊んでいる。
- 挙兵を宣言した後、約20日ほど仙斜(せんしゃ)に留まり、酒と女と温泉でどろどろになっていた。
- 一方、嵬崘塞(がんろんさい)では幻影逹(イリューダ)の腹心の部下(瓜祭(かさい)から連れてきた、ならず者の一団)たちが、役所の中で、賭場(とば)を開いて付近の住民から喜ばれていた。娯楽が少なかったから。
- もともと、博奕を禁止し取り締まっていたのが嵬崘塞(がんろんさい)。
200 仙斜(せんしゃ)
- 嵬崘塞(がんろんさい)から北へ10里の温泉街
- 有名な妓楼町で、歓楽街
201 本気で幻影逹(イリューダ)は、挙兵の檄文をとばしたのか、どうも疑わしい。
201 「素乾通鑑(そかんつかん)」による挙兵の経緯
- 正史の「素乾書」「乾史」には幻影逹(イリューダ)のことは詳しくない。(無視)
- 幻賊時ニ狂叛(きょうはん)ス
- 歴代政府は幻影逹(イリューダ)と渾沌(こんとん)を忌み嫌い、徹底して貶めているか、無視している。
201 叛(はん)
201 山北州都司侍郎として嵬崘塞(がんろんさい)にいる幻影逹(イリューダ)は、この頃里心がつき、しきりに瓜祭(かさい)に帰りたがった。
- 里の女房が恋しいのかと、こちらの女房の磁喬(じきょう)が責めるので気が憂鬱になっていた。
202 渾沌(こんとん)は退屈しのぎに磁(じ)家の書物庫にいりびたっていた。
- 渾沌(こんとん)は読み書きがかなりできた。
- 彼の書いた詩や文章が少し残っているが、同時代の文人と遜色ない。
202 都司尚書(しょうしょ)の磁武(じぶ)
- 幻影逹(イリューダ)の義理の父親
- 都司尚書(しょうしょ)などは、地獄の門番なみに恐れられている軍事官僚。
- うんざりしている女房の磁喬(じきょう)を捨てて逃げれば、義父を蔑ろにすることになり、ひどい目にあわされるかもしれない。
203 二人とも退屈なので、渾沌(こんとん)の思いつきで挙兵することに決めた。
- 渾沌(こんとん)が檄文を書いた。幻影逹(イリューダ)には天下に反旗を上げる理由がとくにないので、書庫にあった史書から、恰好いい文を抜き出してひとつにしたものを書いた。
- 一部の学者は、退屈の他にも理由があるはずと調べた。彼らの感覚からすれば、幻影逹(イリューダ)は気違いである。
203 幻影逹(イリューダ)当時の素乾の民情はよくない。
- 税が重い
- 何かといえば労役がある
- 腹英帝が崩御し、槐歴(かいれき)帝が践祚(せんそ)したので例年よりも物入りだった
- 飢饉が起こっていないのが救いだったが、国境では異民族の侵入が相次いでいた
- 民衆の暮らしは楽ではなく、朝廷を怨む声も密かに上がっていた。丙濘(へいねい)の一揆のような小規模な武装蜂起も時々発生していたが、調べると、このくらいのことは常のこと。
203 践祚(せんそ)
205 銀河の気づき
- 銀河の立場は滑稽で馬鹿馬鹿しい立場
- 銀河は、新皇帝双槐樹(コリューン)が政権を確固たるものにするまでの世話係のようなもので、妻ではない
- しかし退屈ではなく、この状態を楽しんでいた
205 銀河の部屋に玉遥樹(タミューン)が訪ねてきた
- 玉遥樹(タミューン)は見たことのない服をまとっていた。透き通ったような衣でふわりと身を包み、腰に一帯を巻いて肉体にまといつけていた。腕、耳、胸には宝玉がさらさら揺れて光を放った。(羅衣(らーい))
- 銀河は西市に住む胡人(こじん)を知らないまま後宮入りしたので、羅衣(らーい)も知らない。
- 玉遥樹(タミューン)は今夜も銀河の部屋に来るだろう、弟・双槐樹(コリューン)に抱かれにきたが、銀河がまだ彼とそんな関係ではないと知り帰ることにする。もし、銀河が双槐樹(コリューン)に抱かれるようなことがあれば、殺すと脅していった。
205 羅衣(らーい)
- 胡(こ)の婦人の衣装。
- 膚肌(ふき)を惜しげもなく露出する羅衣(らーい)
205 胡人(こじん)
- 西市
- 紅毛碧眼の桃色の肌
- 胡姫(こき)の舞は、西市の名物で、異国情緒は古来から詩人の詩情を刺激した。
- 多くは、貿易商人が連れてきた家族で、この町に住み生計を立てている。
- 胡(こ)とは、隠土(いんど)のさらにむこうの砂漠の人々をさす言葉。今でいうアラヴィア半島を中心に生活していた。
- 胡姫(こき)の血管が透き通って見えるような白い肌と彫りの深い顔立ちの碧眼、膚肌(ふき)を惜しげもなく露出する羅衣(らーい)は、北師の男子の欲情をそそってやまぬものがあった。そういう効果を、羅衣(らーい)を着て商売する女も多かった。
206 西胡(さいこ)
- 10年ほど前から、西胡(さいこ)の人々もよく見かけるようになってきた。
- 西胡(さいこ)は、胡(こ)のそのさらに向こうの人々をさす。