【🔎】寺田寅彦
【🔎】池内了
11 Ⅰ
12 瀬戸内海の潮と潮流
- 1918年5月に書かれたもの
12 瀬戸内海
- 景色が美しい
- 詩人や画家の題目になる
12 科学者の眼(め)から見た瀬戸内海
- あのように込み入った面白い地形がどうしてできたか・・・地質学者の議論の種
- 瀬戸内海沿岸・・・雨が少ない、夏になると夕方風が凪いでしまい蒸し暑い(夕凪)→理由:この地方が北と南に山と陸地を控えているために起こる・・・気象学者の研究問題
12 瀬戸内海の水の運動について話す
12 【🔎】一体
12 潮の満干(みちひ)
- 一昼夜に2度ずつ、上がり下がりする
12 月と太陽の引力
- 月と太陽が絶えず東→西にめぐると、地球上の海面の高く膨れた満潮の部分と、低くなった干潮(ひきしお)の部分もまただいたい東→西へ向かい大洋(おおうみ)の上を進んでいく
13 潮の満干(みちひ)波が内海に入っていくと変化がある
13 ことに瀬戸内海のような
- 外洋(そとうみ)との通路がいくつもある
- 内海の中に瀬戸がたくさんある
- いくつもの灘(なだ)に分かれている
潮の満干も込み入ってきて、詳しく調べるのが難しい。
13 【🔎】瀬戸(せと)
13 【🔎】灘(なだ)
13 航海の頻繫なところでは、潮の調査が必要
- 海軍の水路部では、たくさんな費用と時日を費やして調査している
13 潮の調査
- 東京あたりと四国の南側の海岸では:満潮時刻は1時間くらいしか違わない・満潮の高さもそんなに違わない
- 四国の南側と北側の海岸では:満潮時刻は大変違う(場所によっては6時間違う)、一方が満潮の時他方は干潮になることもある。・内海では満潮の高さが外海の倍になる所がある。
理由:潮の流れが狭い海峡を入るために遅れ、方々の入口から入り乱れ、重なりあう為。
13 広い灘と灘を連絡する海峡の両側の海面の高さが、時刻により著しく違う所もでてくる
- 水面の高い方から低い方へ海水が流れ込むので、強い潮のながれができる。
- 瀬戸内海にはこういう場所が多くある。
- 速吸(はやすい)の瀬戸:神武天皇の東征(とうせい)の時通ったというので歴史に名高く、その名も潮流の速いことを示していて面白い名(【🚩】豊後海峡のこと)
14 【🔎】速吸(はやすい)の瀬戸
14 伊予の西の端佐田岬(さだみさき)半島と豊後の佐賀の関半島
- 大昔には四国から九州に繋がった一つの山脈があったが、海峡のほとりの大地が落ち込んだため、伊予(いよ)の西の端に指のように突き出したような形の佐田岬(さだみさき)半島と豊後海峡ができた。
- 豊後海峡の底・・・狭い敷居のような浅いところが連なり、その両側はそれより百尋(ひろ)(1尋は約1852m、だから1852㎞)以上も深く掘れ窪んでいる。
- この海峡が大洋(おおうみ)から瀬戸内海に通ずる入口の中で一番広いから、内海に出入りする海水も主にここから出入りするので、潮流も速い。通例、1時間に3、4海里(1海里は約1852m)
- このような速い潮流が海底の敷居を越える時には、橋くいなどの下流が掘れくぼむと同じように、敷居の下がだんだん深くなった。
14 【🔎】豊後海峡
14 【🔎】佐田の岬
14 【🔎】豊後の佐賀の関半島
14 鳴戸(鳴門)海峡
- 阿波(あわ)と淡路(あわじ)の間
- 海峡の幅がわずか15町(1町は約109m)くらいで、その内に浅瀬の部分があるので、深いところは幅5町くらい
- この瀬戸の両側では潮の満干(みちひ)がちょうど反対になるので、両側の海面が一番食い違う時は、高さが5尺(1尺は約30㎝)ほど違う。
- 流れの最も強い下流の方には、ほうぼう直径7、8間(けん)(1間は約1.8m)ほどの漏斗形の大渦巻ができる。
- 漁船が巻き込まれると容易にでられなくなる。汽船でも急でない時を見計らってでなければ通れない。
- 上げ潮の時と下げ潮の時、それぞれに流れの下流に渦巻ができる。
17 茶碗の湯
- 1922年5月に書かれたもの
17 茶碗に熱湯を入れて観察
- 湯面から白い湯気が立つ