- アルフレッド・テニスンより
アーサー王物語 Kindle版 アルフレッド テニソン (著), 菅野徳助 (翻訳)
対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2003/4/16
テニスン (著), 西前 美巳 (編集)
- シャロット姫より
シャロットの姫 (日本語) 単行本 – 2009/10/1 ジェヌヴィエーヴ コテ (イラスト), Genevi`eve C^ot´e (原著), Alfred Tennyson (原著), 長井 芳子 (翻訳), & 1 その他
- アーサー王伝説より
アーサー王の死 (ちくま文庫―中世文学集) (日本語) 文庫 – 1986/9/1 トマス・マロリー (著), William Caxton (著), ウィリアム・キャクストン (著), 厨川 圭子 (著), 厨川 文夫 (著)
- ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスより
J W Waterhouse (英語) ペーパーバック – 1994/1/1 Anthony Hobson (著)
ウォーターハウス (ちいさな美術館) (日本語) ペーパーバック – 2014/1/6
ウォーターハウス (著)ウォーターハウス夢幻絵画館 (ToBi selection) (日本語) 大型本 – 2014/1/24
川端 康雄 (著), 加藤 明子 (著)
<場・島>シャロットの島
- カメロット城へ行く途中 にある孤島
<人>シャロット姫
- あやしの姫
- 夜も昼も綾を織る
- 鏡
<人>サー・ランセロット
- 「テラ リラ」と歌う
小舟にシャロット姫はうち臥して、カメロット城に流されていく
<場・城>カメロット城
- シャロット姫が歌う声を城内の人々が聴く
- 死んでしまうシャロット姫
テニスンの詩
- テニスンが語り直した伝説においては、シャロットの女は直接外の世界の現実を見ることを禁じられている。
- かわりに彼女は鏡を通じて世界をみるさだめにあり、そこでみたものを日がなタペストリーに織っている。はるか彼方で恋人たちが連れそい歩く姿を目にすれば、絶望はいっそう深くなる。日ごと夜ごと、彼女はうずく心をおさえて自分を落ち着かせた。
- ある日、ランスロット卿が馬を進める姿を鏡のなかにみつけた彼女は、無謀にもキャメロット城のほうをみてしまい、すぐさま呪いが降りかかった。嵐が吹きすさぶなか、彼女は「シャロットの女」と船首に彫った舟でそこを脱出する。
- 死を目の前に、キャメロット城を目指して舟を出したシャロットは哀歌をうたう。
- シャロットの亡きがらはすぐにキャメロット城の騎士や貴婦人に見つかるが、その中にはあのランスロット卿もいた。彼はその魂をあわれんで神に祈りをささげる。
- テニスンは同じ筋書きをアーサー王伝説を題材にした叙事詩である『国王牧歌』のエレインの章で語り直している。しかしこのバージョンでは、最後の旅において舟をこぐのは家臣の一人である。
その他の翻案
- ウィリアム・ホルマン・ハントによる『シャロットの女』(1905年)
- テニスンの詩は、ラファエル前派の詩人や画家から題材として人気があり、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・マウ・エグリー(英語版)、ウィリアム・ホルマン・ハントからも好んで描かれた。生涯を通じて、ウオーターハウスはテニスンとジョン・キーツの詩に打ち込んだ。1886年から1915年にかけて、ウォーターハウスはキーツの詩である『美しいけれど無慈悲な乙女』(1893年)からも三つの情景を引いて作品にしている。
- 初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson, 1809年8月6日 - 1892年10月6日)
- ヴィクトリア朝時代のイギリスの詩人。
- 美しい措辞と韻律を持ち、日本でも愛読された。
- リンカンシャー州サマズビーに牧師の子として生まれる。
- 1831年までケンブリッジ大学に学び、1827年兄のチャールズやフレデリクとともに詩集『Poems by Two Brothers』を出版したが、単独の詩集『Poems Chiefly Lyrical』(1830年)はジョン・キーツの影響を示している。次いで1833年『シャロットの妖姫』(The Lady of Shalott)を発表したが酷評され、以来10年間沈黙する。
1832年に学友のアーサー・ヘンリー・ハラム(英語版)と大陸を旅行するが、その翌年にハラムが急死し、強い衝撃を受けて彼を弔う長詩『イン・メモリアム』(In Memoriam A.H.H.)を書き始め、十数年にわたる自己の思想の成長をも織りこんで1849年に完成させた。友人の死と進化論によって揺れ動く信仰をうたった詩であり、序詩は「つよき神の子、朽ちぬ愛よ」として讃美歌275番に収録されている。1842年『Poems by Alfred Tennyson』で名をなし1845年に年金を授与された。1847年に叙事詩『The Princess』を発表し、1850年ウィリアム・ワーズワースの後継者として桂冠詩人となった。この年に結婚している。
1855年『Maud』、1859年から1864年にかけてアーサー王伝説に取材した『国王牧歌』や、哀れな水夫の物語詩『イノック・アーデン』(Enoch Arden, 1864年)、『Locksley Hall Sixty Years After』(1886年)を発表し、1884年にはテニスン男爵に叙せられた。1889年の短詩『砂州を越えて』(Crossing the Bar)は辞世の歌として名高い。
1892年に死去し、ウェストミンスター寺院に埋葬された。葬式では愛唱した讃美歌「聖なる、聖なる、聖なるかな」が歌われた。次男ハラム(英語版)(後の第2代オーストラリア総督)が爵位を継いだ。現在、テニスン男爵の爵位は6代目のデイヴィッド・テニスン(英語版)(1960年生まれ)が継承している。
- ウィリアム・ワーズワース(Sir William Wordsworth, 1770年4月7日 - 1850年4月23日)
- イギリスの代表的なロマン派詩人である。
- 湖水地方をこよなく愛し、純朴であると共に情熱を秘めた自然讃美の詩を書いた。
- 同じくロマン派の詩人であるサミュエル・テイラー・コールリッジは親友で、最初の作品集はコールリッジとの共著であった。多くの英国ロマン主義詩人が夭折したのに対し、彼は長命で、1843年に73歳で桂冠詩人となり、1850年に亡くなった。
- キャメロット(英: Camelot)
- アーサー王の王国、ログレスの都
- アーサー王はこの地にキャメロット城を築き、多くの戦いに出陣したという。その正確な位置は失われ(または最初から実在せず)良く分かっていないが、おそらくローマ帝国による支配が終わった後のブリテン島にあったローマ系人の支配地域がフィクション化されたものだと思われる。
- キャメロットという都の名が初めて現れたのは、フランスの吟遊詩人、クレティアン・ド・トロワの詩『荷馬車の騎士ランスロット』からである。但しこの時点では、後のアーサー王物語におけるほど重要な役割を果たす土地としては描写されていなかった。
- エセックスの街、コルチェスターはキャメロットの跡地なのではないかとしばしば指摘される。コルチェスターはローマ帝国によるイギリス支配の最初の拠点でイギリス最古の町であり、そのローマ名「Camulodunum」は先住民のケルト語名カムロドゥノン(英語版)(戦の神カムロスの町)から来ている、というのがその根拠である。
- 13世紀にはウェセックスに位置するウィンチェスター城がキャメロットの名残だと信じられていた。