『ジョナサンと宇宙クジラ』 (Jonathan and the Space Whale) ロバート・F・ヤング
『いかなる海の洞に』 (In what Cavern of the Deep) ロバート・F・ヤング
『盗まれた街』 ジャック・フィニイ
『国王牧歌』(Idylls of the King) アルフレッド・テニスン
リー・ハント
『海潮音』
「春の朝」(『海潮音』) ロバート・ブラウニング
ミルトン
イェーツ
パーシー・ビツシュ・シェリー
『ロックスリー・ホール』 アルフレッド・テニスン
『アーサー王の死』 アルフレッド・テニスン
『夢喰い人(ロータスイーター)』 アルフレッド・テニスン
『モード』
『ウォールデンの森の生活』Walden; or, Life in the Woods ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
『タイムマシン』 ウエルズ
『いばら姫』 グリム
『白鯨』ハーマン・メルヴィル
ボディ・スナッチャー/恐怖の街
ロバート・F・ヤング(Robert Franklin Young、1915年6月8日 - 1986年6月22日)
- アメリカ合衆国の小説家、SF作家。叙情的で優しい、気恥ずかしいほどストレートに愛を語るロマンティックな作風が特徴。作風はジャック・フィニイ、レイ・ブラッドベリやシオドア・スタージョンと類比されることもある。
- 1953年に「スタートリング・ストーリーズ」誌からデビュー。以降、各誌に多くの短編を寄稿した。『リトル・ドッグ・ゴーン』(Little Dog Gone)は1965年のヒューゴー賞 短編小説部門にノミネートされた。生涯に発表した長編は"Starfinder"(1980年)、"The Last Yggdrasill"(1982年)、"Eridahn"(1983年 邦訳『時が新しかったころ』)、"The Vizier's Second Daughter"(1985年 邦訳『宰相の二番目の娘』)の4作、および短編 "The Quest of the Holy Grille"(日本語訳未刊)の加筆版で、フランスでのみ刊行された "La Quete de la Sainte Grille"(1975年)の計5冊のみである。
- 代表作は短編の『たんぽぽ娘』、『ジョナサンと宇宙クジラ』 (Jonathan and the Space Whale) 、『いかなる海の洞に』 (In what Cavern of the Deep) など。
- 第二次世界大戦で3年半の間、陸軍に従軍した。戦後は進駐軍のMPとして名古屋にいたことがある。
- 『ビブリア古書堂の事件手帖』(三上延)3巻で短編「たんぽぽ娘」を収録し表題作とした集英社コバルト文庫の短編集『たんぽぽ娘 海外ロマンチックSF傑作選2』(1980年刊、風見潤編)が採り上げられ、これを原作とする剛力彩芽主演のテレビドラマ『ビブリア古書堂の事件手帖』が2013年に放映されたことで、該当の古書価格が急騰した。またこのドラマ化を機に、「たんぽぽ娘」を含む短編集が刊行されることになった。
初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson, 1809年8月6日 - 1892年10月6日)
『国王牧歌』(こくおうぼっか、Idylls of the King)
- イギリスの詩人アルフレッド・テニスンによる詩。12の物語詩からなる。アルバート公に献捧され、1856年から1885年の間に出版された。アーサー王伝説を題材にしており、アーサー王や円卓の騎士たちが登場する。
- トマス・マロリー『アーサー王の死』、『マビノギオン』を基調とした形で展開するが、テニスン自身による脚色もかなり加えられている。その顕著な例としては、アーサー王の妻・グィネヴィアである。マロリー版ではグィネヴィアは不貞が発覚すると火刑台にかけられ、処刑されるところをランスロット卿に助けられている。だが、『国王牧歌』ではグィネヴィアは修道院に逃げ込み、悔い改めるとアーサーに許され、以後は死ぬまで修道院で暮らすことになる。また、テニスンは登場人物について、それまで使われていた名前の綴りを韻律に合うように改めたりもしている。形式として、基本的にはブランクヴァースを採用している。
ロバート・ブラウニング(Robert Browning, 1812年5月7日 - 1889年12月12日)
- イギリスの詩人。エリザベス・バレット・ブラウニングの夫であり、彫刻家ロバート・バレット・ブラウニングの父。
- ロンドン郊外の裕福な家庭に生まれ、蔵書家の父と音楽家の母の薫陶を受け、当時の上流階級の慣習から正規の学校教育を受ける機会はわずかであった。12歳で詩集を作り、14歳でギリシア語・ラテン語をマスターし、古典を耽読した。21歳から詩や戯曲を発表したが、あまりにも難解だった。1846年、34歳のとき6歳年上の女性詩人エリザベス・バレットと結婚するも、岳父の反対によってフィレンツェに移住する。愛妻の死後にロンドンに戻る。55歳のとき、17世紀ローマで起きた現実の殺人事件をめぐって、10人の異なる証言で構成した壮大な物語詩『指輪と本』を発表、ようやく当代一流の詩人と認められるに至った。晩年にヨーロッパを渡り歩いた末にイタリアに戻り、最後の詩集が刊行された日にヴェネツィアで客死。ウェストミンスター寺院南翼廊の、アルフレッド・テニスンの隣に埋葬されている。
- 代表作としては劇詩「ピッパが通る Pippa Passes」(1841年)が挙げられ、特にその一節「"God's in his heaven. All's right with the world.(神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し)」が広く知られる。
リー・ハント (Leigh Hunt, 1784-1859)
- 1784年10月19日、ロンドンで貧しい牧師の子として生まれたイングランドの詩人、随筆家、ジャーナリストで批評家。
- クライスツホスピタル (Christ’s Hospital) で教育を受け、キーツ (John Keats) と同じく多読により力をつけていく。この頃、好きだった詩人トムソン (James Thomson) やスペンサー (Edmund Spenser) を模倣して “Winter”、“The Fairy King” などの詩を書き、卒業後1801年に出版したJuvenilia に収められた。またMorning Chronicle など多くの雑誌に詩を発表した。 1808年には兄と共に雑誌The Examiner を 創刊し、編集を務めた。この進歩的な雑誌によりシェリー (P. B. Shelley) やキーツなど若い詩人たちが世に紹介された一方で、摂政皇太子を嘲る記事により投獄された。バイロン (George Gordon Byron)、シェリー、キーツとの交友が知られている。 The Story of Rimini (1816) など多くの詩や小説を残しており、随筆家としても軽妙な語り口で知られている。Autobiography (1850) はカーライル (Thomas Carlyle) から絶賛された。彼はロビン・フッドをモチーフにしたバラッドを書いており、自由主義の雑誌編集者らしいアウトローに対する共感が読み取れる。
ビル・シェークスピア
ウィリアム・カウパー(ウィリアム・クーパー、英: William Cowper、1666年 - 1709年3月8日)
- イギリスの外科医・解剖学者である。尿道球腺について初めて詳細な解剖図を描いた功績により、カウパー腺とカウパーの名前が付けられていることで知られる。苗字の発音にはカウパー /ˈkaʊ̯pɝ/、クーパー /ˈkuːpɝ/、クパー /ˈkʊpɝ/ の3種類がある。
- ウマル・ハイヤーム『ルバーイヤート』の発見
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この詩集はウマルの死後公表されたが、それまで彼は詩人としてはほとんど知られていなかったという。しかし数学、天文学、史学など数々の分野における多くの偉業を遺した学者としては著名であった。(近年、イランの文学者タバータバーイーらは、天文学者のウマル・ハイヤームと『ルバーイヤート』の作者ウマル・ハイヤームとは同名の別人であるとの説を唱えている)
19世紀イギリスの詩人、エドワード・フィッツジェラルド(Edward FitzGerald)による英語訳で一躍名が知れるようになった。その英訳版は近代イギリス文学に大きな影響を与えた。
岩波版の訳者小川亮作は解説で、ペルシアのレオナルド・ダ・ヴィンチと評している。
エドナ・セント・ヴィンセント・ミレー
- エドナ・ミレイ(Edna St. Vincent Millay, 1892年2月22日 - 1950年10月19日)は、アメリカ合衆国メイン州ロックランド生まれの詩人。
- ニューヨークのヴァッサー大学に在学中に最初の詩集を出版。当時、芸術家や作家のたまり場として最盛期にあったグリニッジ・ヴィレッジに居を移し、「あざみの果」を出版。その中の“私のろうそくは両端が燃える”という詩の1行が、若いときの逸脱性をよく示している。1923年に「竪琴をつくる者」でピュリッツァー賞 詩部門を受賞。ほかにも3つの詩劇を含む多くの作品を出版し、成功したアメリカ・オペラ「王の家来」の台本も書いた。
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau、1817年7月12日 - 1862年5月6日)
『ウォールデン 森の生活』(ウォールデン もりのせいかつ、原題 Walden; or, Life in the Woods)
- ヘンリー・デイヴィッド・ソローによる著作である。1854年にティックナー・アンド・フィールズ社から出版された。
- 作者がウォールデン池のほとりで、1845年7月4日から2年2ヶ月2日に渡って小屋で送った自給自足の生活を描いた回想録である。自然や湖、動物などの描写だけではなく、人間精神、哲学、労働、社会など幅広い範囲への言及を含む。
- 作者の死後に評価が高まり、1930年代から40年代に至るころには、アメリカノンフィクション文学の最高傑作の一つと称されるようになった。
1961年
「荒寥の地より」
1930年
ジャック・ベニー(Jack Benny、本名:Benjamin Kubelsky、1894年2月14日 - 1974年12月26日)
- アメリカ合衆国の コメディアン、ヴォードヴィリアン、俳優。主にラジオ番組やテレビ番組、映画などで活躍した。
- 20世紀のアメリカ合衆国の芸能界をリードした人物として知られるベニーは、comic timingや"Well!" といった短い言葉だけでも人を笑わせる能力で知られている。
- 彼が1930年代から1950年代にかけて出演して人気を博したラジオ番組やテレビ番組は後のシチュエーション・コメディに影響を与えている。
フレッド・アレン
「主従問題」
1962年
<動物・犬>ツァラトゥストラ
- 本名 シデノン・フェンフォンダーリル
- 325歳
「11世紀エネルギー補給ステーションのロマンス」
ガリア時代
26世紀
11世紀
いばら姫
「眠れる森の美女」(ねむれるもりのびじょ、仏: La Belle au bois dormant)
- ヨーロッパの古い民話・童話。AT分類では、410に分類されている。ペロー童話集にも取り上げられ、グリム童話集では、「茨姫」(いばらひめ、独: Dornröschen;KHM 50)として類話が取り上げられている。また、ジャンバティスタ・バジーレの『ペンタメローネ』所収の「太陽と月とターリア」も類話として知られている。「眠りの森の美女」「眠り姫」の訳題もある。“Sleeping Beauty”(スリーピング・ビューティー)の英語題で呼ばれることもあり、同タイトルの小説も発行されている。
- 日本語の表題からは、文法的に、眠っているのは美女とも森ともとれるが、これはフランス語の原題も同様である。しかし、La Belle au bois dormantは代換法(形容詞転移)という修辞が使われており、文法的に「眠っている」が修飾するのは「森」であるが、意味的に眠っているのは美女と考えるのが正しいとされる[1]。
- バレエの演目や、ディズニー映画としても有名である。また日本では、劇団東少によってミュージカル化されている。
「スターファインダー」
『モビー・ディック』
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『白鯨』 (、英: Moby-Dick; or, The Whale)は、アメリカの小説家・ハーマン・メルヴィルの長編小説。本作は実際に捕鯨船に乗船して捕鯨に従事したメルヴィルの体験をもとに創作され、1851年に発表された。アメリカ文学を代表する名作、世界の十大小説の一つとも称される。たびたび映画化されている。原題は初版(1851年)の英国版が『The Whale』、米国版が『Moby-Dick; or, The Whale』であるが、その後『Moby-Dick; or The White Whale』とする普及版が多く刊行されており、日本では『白鯨』の題が定着している