Corona Borealis

*読書*

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はじめまして。

ようこそいらっしゃいました。

本棚 四畳半タイムマシンブルース (角川文庫) 文庫 – 2022/6/10 森見 登美彦 (著), 上田 誠 (企画・原案)

 

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I found a book that I want to read.

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四畳半タイムマシンブルース
(角川文庫) 文庫
2022/6/10
森見 登美彦  (著)
上田 誠 (企画・原案)

 

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本と作家のリスト
 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainアーサー王ここに眠る (創元推理文庫 F リ 4-1) 文庫 – 2021/8/12 フィリップ・リーヴ  (著), 井辻 朱美 (翻訳)

アーサー王の死 (ちくま文庫―中世文学集) 文庫 – 1986/9/1 トマス・マロリー (著), William Caxton (著), ウィリアム・キャクストン (著), 厨川 圭子 (著), 厨川 文夫 (著)

四畳半神話大系 (角川文庫) 文庫 – 2008/3/25 森見 登美彦

バルザック

ゴリオ爺さん バルザック

H・P・ラヴクラフト

タイムマシン H・G・ウェルズ

 

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映像リスト

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain四畳半神話大系

 

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memo

8月12日

下宿生活3度目

京都 下鴨泉川町

学生アパート209号室 下鴨水荘

 

タクラマカン砂漠タクラマカンさばく、[ˌtæk.lə.məˈkæn]ウイグル語تەكلىماكان قۇملۇقى小児経تَاكْلامَاقًا شَاموْドンガン語:Такәламаган Шамә中国語塔克拉瑪干沙漠英語Taklamakan Desert)は、中央アジアタリム盆地の大部分を占める砂漠である。南は崑崙山脈、西はパミール高原、北は天山山脈、東はゴビ砂漠に囲まれている。一帯は現在中国新疆ウイグル自治区に属している。

タクラマカン砂漠
Taklamakan desert.jpg

タクラマカン」は中国では「塔克拉瑪干」と表記するが、これは漢字による現地名の音写に過ぎないので、この文字に特段の意味はない。名称の由来については諸説ある。

  • スウェーデンの探検家スヴェン・ヘディン旅行記[1]には、その昔この砂漠の中に「タクラ・マカン(大戈壁)」と呼ばれる大都市があったという言い伝えが残されていることが紹介されており、こうした伝説が元となっている。
  • ウイグル語の「タッキリ(死)」「マカン(無限)」の合成語と言われ、「死の世界」「永遠に生命が存在し得ない場所」といったニュアンスとされる。[要出典]
  • Wikipedia英語版には次のようにあるが、出典についてはネット上で読めるもの以外は未確認。
    ウイグル語で、ペルシア語の語義を借用したtark(放棄する)とmakan(場所)の合成語と言われる[2][3]。それを「帰れない場所」、より一般的には「一度入ったら絶対に出られない場所」と解釈している情報源もある[4][5][6]。また、「遺跡の場所」を意味するチャガタイ語taqlar makanに由来するとする説もある[7]
  • 世界大百科事典(平凡社・ジャパンナレッジ版)は、ウイグル語で「入ると出られない」の意味であるとする(タクラマカン砂漠/小野菊雄)。

 

小津(おづ)

同学年

工学部電気電子工学科

 

樋口 清太郎(ひぐちせいたろう)

210号室の万年学生

 

アヴァロンAvalon、またはアヴァロン島)は、ブリテン島にあるとされる伝説の

アヴァロンはアーサー王物語の舞台として知られ、戦で致命傷を負ったアーサー王が癒しを求めて渡り最期を迎えたとされる。また、イエス・キリストアリマタヤのヨセフとともにブリテン島を訪れた際の上陸地で、後にそこがイギリス最初のキリスト教会となったという伝説の場所としても語られる。この場合のアヴァロンの場所は、今日のグラストンベリーではないかと考えられている。

アヴァロンは美しいリンゴで名高い楽園であったとされ、名もケルト語リンゴを意味する「abal」に由来すると考えられている。このような「恵みの島(Isle of the Blessed)」、「林檎の島」や「幸福の島」という概念は、インド=ヨーロッパ系の神話には同様の例が多くあり、たとえばアイルランド神話ティル・ナ・ノーグ(Tír na nÓg)やギリシア神話ヘスペリデスの園(Hesperides、同様に黄金の林檎で知られる)などが有名である。

アーサー王のアヴァロンでの最後の眠り』(エドワード・バーン=ジョーンズ画、1881年 - 1898年)
瀕死の重傷を負ったアーサー王とアヴァロンを守護する9人の姉妹とタリエシンたち。

アヴァロンはアーサー王物語と特に強く結びついている。アヴァロンはアーサー王の遺体が眠る場所とされる。モードレッドとの戦い(カムランの戦い)で深い傷を負った彼は、アヴァロン島での癒しを求めて三人の生地の乙女(あるいは三人の湖の乙女や三人のうちの一人はアーサー王の異父姉であるモーガン・ル・フェイとする説もある)によって舟で運ばれ、この島で最期を迎えた。いくつかの異説によれば、アーサー王は未来のいつかに目覚めて人々を救うために帰ってくるため、ここで眠っているだけだという(アーサー王帰還伝説英語版)。

アーサー王とアヴァロン島は、12世紀の歴史著作家であるジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』において初めて結び付けられ、それによるとアーサーはモードレッドとの戦いで致命傷を負い、その傷を癒すためにアヴァロン島に運ばれたとある。

ジェフリー・オブ・モンマスの別の著作『マーリンの生涯』によれば、アヴァロン島を統べる九人姉妹の名前は、

  1. モルゲン(Morgen)
  2. モーロノエー(Moronoe)
  3. マゾエー(Mazoe)
  4. グリーテン(Gliten)
  5. グリートーネア(Glitonea)
  6. グリートン(Gliton)
  7. ティーロノエー(Tyronoe)
  8. ティーテン(Thiten)
  9. ティートン(Thiton)

であるとされる。モルゲンは九人姉妹の筆頭女性で、医術と変形術に長ける。ティティス(Thitis)[注釈 1]シターンの名手である。

アーサー王の死(アーサー王と三人の湖の乙女)』(ジェームズ・アーチャー画、1860年
真っ黒な頭巾を覆い包むモーガン・ル・フェイは魔導書を探り、アーサー王の命を救う方法を探している。モーガン・ル・フェイはアーサー王の臨終時の守護者のような役割も果たした。
リチャード獅子心王の治世の1191年グラストンベリー修道院の墓地でアーサー王の古墓が発見されたとの発表がされた。ギラルドゥス・カンブレンシス英語版ウェールズのジェラルド)の同時代の著述(1193年頃)によれば、当時のグラストンベリー修道院長英語版をつとめるヘンリー・ド・サリー英語版の指導のもとに墓の探索が行われ、5メートルの深さから楢の木でできた巨大な棺のようなものと二体の骸骨を発見。また、そこには通常の習慣どおりの石蓋ではなく敷石がおかれ、石の裏側に貼りつけるようになって密接した鉛製の十字架には:

「ここにアヴァロンの島に有名なるアーサー王横たわる。第二の妻ウェネヴェレイアとともに」
(ラテン語Hic jacet sepultus inclitus rex Arthurus cum Weneuereia vxore sua secunda in insula Auallonia)

と刻印されていた[1][2][3][注釈 2]。王墓の探索に着手したそもそもの理由については、リチャードの父ヘンリー2世がまだ存命の頃、年老いたブリトン人歌人[注釈 3]から、墓がそのくらいの深さから発見されるはずだ、という暗示を受けたからだとギラルドゥスは釈明している[4][3]。 しかし、ある僧侶が、とりわけその場所にこだわって埋葬されることを切に望み、その遺志の場所を掘り起す作業に当たっているとき、単なる偶然で発見されたものだという、やや後年のラドルフス(ラルフ・オヴ・コッゲスホール英語版)の記述もある[5][6]。ギラルドゥスもラドルフスも、発見された場所は、2基のピラミッド状建造物の間としている。 ウィリアム・オヴ・マームズベリは、アーサーの墓には触れないが、修道院に建っていた高さの異なるピラミッドには詳述しており、それらには人物の立像があり、"Her Sexi"や"Bliserh"等々の刻名がされていたという[7]

アーサー王と王妃の遺骸は、1191年当時、立派な大理石の石棺に移していったん安置されているが、1278年エドワード1世夫妻臨席の元、検分が行われ、グラストンベリー修道院の主祭壇の前の地下に、大掛かりな儀式とともに再埋葬された。宗教改革でこの修道院が破壊され廃墟と化す前は、主祭壇下の埋葬地は巡礼たちの目的地になっていたという。

墓碑銘十字架。
ウィリアム・キャムデン著『ブリタニア』挿絵より。
しかし、グラストンベリーの伝説は有名ではあるが眉唾物だと受けとめられていることが多い。中でも、棺にあった刻印は、6世紀の出来事とされるアーサー王伝説より時代が後にずれていると見られており、棺を発見した修道院による秘められた動機があるものと考えられる。これは当時のグラストンベリー修道院長が、他の修道院と競い自分の修道院の格を上げるため、様々な伝説を利用したと見られている。その結果、アーサー、聖杯、ヨセフが一つの物語の中で結び付けられることとなった。
早ければ11世紀初頭には、アーサー王グラストンベリー近郊に突き出た円錐形の丘、「グラストンベリー・トー」に埋葬されたという伝説が形成された[要出典]。周辺のサマセット低地に広がっていた湿地帯が乾燥するまでの頃、一面の沼地の中で高く丸く隆起していたグラストンベリー・トーの巨体はまるで島のように見えたことであろう。
その他の説
その他、アヴァロンと考えられている場所はフランスブルターニュ半島沿岸にあるリル・ダヴァル(l'Île d'Aval)またはダヴァル(Daval)という島だという説や、あるいはかつてハドリアヌスの長城沿いにアバラヴァ(Aballava)という砦のあったイングランド最北部カンブリア州の村、ブラフ・バイ・サンズ(Burgh by Sands)という説もある。また、コーンウォール半島沿岸のセント・マイケルズ・マウント[注釈 4]という島だという説もある。ここは他のアーサー王伝説の地に近く、干潮の時のみ浅瀬を渡ってたどり着ける島である。
語源
アーサー王伝説を紹介したジェフリー・オブ・モンマスによれば、アヴァロンとは「リンゴの島」と訳されている。リンゴ(アップル)はブルトン語およびコーンウォール語では「aval(アヴァル)」であり、ウェールズ語では「afal(アヴァル、「f」は「v」と発音する)」となる。
 
明石(あかし)
1年後輩の女の子
学内映画サークル「みそぎ」所属
 

オノレ・ド・バルザックフランス語Honoré de Balzac 発音例1799年5月20日 - 1850年8月18日)は、19世紀フランスを代表する小説家

イギリスの作家サマセット・モームは、『世界の十大小説』のなかで、バルザックを「確実に天才とよぶにふさわしい人物」と述べている。バルザックは90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆した。これは19世紀ロシア文学ドストエフスキートルストイ)のさきがけとなった写実的小説群である。

レ・ミゼラブル』で著名なヴィクトル・ユーゴーや、アレクサンドル・デュマの親友でもある。

ド・バルザックの「ド」は、貴族を気取った自称である。

オノレ・ド・バルザック
Honoré de Balzac
Nadar-paul-tournachon-1856-193-honore-de-balzac-reproduction.jpg
誕生 1799年5月20日
 フランス共和国トゥール
死没 1850年8月18日(51歳没)
フランスの旗 フランス共和国パリ
職業 小説家
文学活動 ロマン主義
写実主義
代表作 ウジェニー・グランデ』(1833年
ゴリオ爺さん』(1835年)
谷間の百合』(1836年)
幻滅』(1843年)
娼婦たちの栄光と悲惨』(1847年)
サイン

 

古色蒼然(こしょくしょうぜん)

ひどく古びたさま。いかにも古めかしいさま。また、古めかしく趣のあるさま。▽「古色」は年を経た物の古びた色合い。古風な趣。「蒼然」は古びた色のさま。

 

8月16日 五山の送り火

五山送り火(ござんのおくりび)(京都五山送り火とも言う)は、毎年8月16日京都府京都市左京区にある如意ヶ嶽大文字山)などで行われるかがり火。宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」と呼ばれることがある。

京都の名物行事・伝統行事。葵祭祇園祭時代祭とともに京都四大行事の一つとされる[1][2]

毎年8月16日に

以上の五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者のあの世へ送り届けるとされる。

点火時間は1962年までまちまちだったが、1963年から観光業界からの要請により、大文字が20時ちょうどの点火となり、反時計回りに20時10分から松ヶ崎妙法、20時15分から船形万灯籠および左大文字、20時20分から鳥居形松明と固定化した。

2014年に51年ぶりに点火時間が変更され、松ケ崎妙法および船形万灯籠がそれぞれ5分点火時間が早まった。この変更により5山が5分おきに点火されていくことになる。[3][4]

なお、近年では「大文字」が最初に点火されているが、1956年頃までは「大文字」は最後に点火されていた、とする文献がある。これは大文字が五山の中でも横綱格であるから、という理由からであるという[5]

また、日本の太陽暦移行後は20時よりの点火となっているが、それ以前のいわゆる旧暦の時代は、1時間程度早かった、と言う説が2014年、在野の歴史研究者である青木博彦により打ち出された。これは本居宣長 1756年 『在京日記』などの資料を分析した結果であるという。詳しくは、如意ケ嶽#送り火を参照。[6]

大文字法妙舟形

 

昨日8月11日

新作映画撮影

 

城ケ崎(じょうがさき)

映画サークルのボス

 

大家さんの庭の河童様の像

 

相島(あいじま)

「銀河進」役の映画サークル「みそぎ」上級生

 

リュミエール兄弟(frères Lumière、リュミエールきょうだい)は、トーマス・エジソンと並び称せられるフランス映画発明者。「映画の父」と呼ばれる。世界初の実用カラー写真の開発者でもある。

リュミエール兄弟(左が兄のオーギュスト、右が弟のルイ)

 

ケチャ

大家さんの愛犬

 

11月学園祭

 

羽貫(はぬき)さん

近所の窪塚歯科医院に勤める歯科衛生士

樋口氏、城ケ崎氏、羽貫さんは、古くからの友人

 

ショーペンハウエル

アルトゥール・ショーペンハウアーArthur Schopenhauer,1788年2月22日 - 1860年9月21日)は、ドイツ哲学者[1]。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)[1]ショーペンハウエル、ショウペンハウエルとも

アルトゥール・ショーペンハウアー
Arthur Schopenhauer
アルトゥール・ショーペンハウアー
『意志と表象としての世界』完成の三年前、27歳頃の肖像。L・S・ルール画

 

もっさり君 田村

25年未来から来た25年後の一回生

25年後の鴨幽水荘209号室の住人

25年後の5月、鴨幽水荘のみんなでタイムマシンを作った➡3ヶ月後の8月12日完成

最初のパイロットが、田村君

8月12日 今朝午前11時 当アパートに到着

25年後も大家さんは健在、樋口さんも鴨幽水荘にいる

 

昨日8月11日

新作映画撮影➡銭湯「オアシス」➡「下鴨納涼古本まつり」

 

今年の2月、節分の翌日 初めて明石さんと会う

 

高野川(たかのがわ)は、京都府京都市左京区を流れる淀川水系の一級河川である

高野川
高野川(御蔭通の橋上より)
高野川(御蔭通の橋上より)
左京区の北東部、途中越付近の山中を源とし左京区出町柳で鴨川と合流する川。全長19キロ。上流部を大原川、中流部を八瀬川。古名は祭器の原料赤土(はに)が流域で産したので埴(はに)川と呼ぶ。上流部は農業用水源で、下流部は京友禅の染色に利用されてきた。京阪電車出町柳下車すぐ。
 
タイムマシン
8月12日➡8月11日へ 小津
 
第一次探検隊 8月12日➡8月11日 樋口・羽貫・小津
 
時空連続体(じくうれんぞくたい)とは、時空4次元多様体としてとらえることを指す。連続体という考え方は古典的であるので、時空の量子論を論じる際には多様体という幾何学的物体を量子化して考えなければならない。しかしどのように量子化するのかまだよくわかっていない。その候補として非可換幾何学が挙げられる。
 
8月11日 午後6時過ぎ コーラがこぼれる時刻
 
第二次探検隊 8月12日➡8月11日 私・明石
 
8月11日 午後3時過ぎ 映画「幕末軟弱者列伝」の撮影が終る頃