Corona Borealis

*読書*

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はじめまして。

ようこそいらっしゃいました。

本棚 犬は勘定に入れません…あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎 (日本語) 単行本 – 2004/4/17 コニー・ウィリス (著)、大森望 (翻訳)

 

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I found a book that I want to read.

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犬は勘定に入れません…あるいは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎

(日本語) 単行本 – 2004/4/17

コニー・ウィリス (著)

大森望 (翻訳)

 

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本と作家のリスト
 
  • 関連作品シリーズ
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainブラックアウト (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ) (日本語) ペーパーバック – 2012/8/8 コニー・ウィリス (著), 松尾たいこ (イラスト), 渡邉民人(TYPEFACE)〔カバーデザイン〕 (イラスト), 大森 望 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainオール・クリア 1(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ) 単行本 – 2013/4/10 コニー・ウィリス (著), 松尾たいこ (イラスト), 渡邉民人(TYPEFACE)〔カバーデザイン〕 (イラスト), 大森 望 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainオール・クリア2 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ) (日本語) 単行本 – 2013/6/6 コニー・ウィリス (著), 松尾たいこ (イラスト), 渡邉民人(TYPEFACE)〔カバーデザイン〕 (イラスト), 大森 望 (翻訳)

  • 犬は勘定にいれません あるは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎の姉妹編(登場人物は一部共通するが、直接の続編ではない)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainドゥームズデイ・ブック (夢の文学館) (日本語) 単行本 – 1995/11/1
コニー ウィリス (著), Connie Willis (原著), 大森 望 (翻訳)

  • ウィリスのシリアス作品

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain『航路』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain『最後のウィネベーゴ』

  • ウィリスのコメディ

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain『犬は勘定にいれません あるは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain『Bellwether (1996年)』未訳

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainヴェニスの商人 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1973/1/1 シェイクスピア (著), William Shakespeare (原著), 中野好夫 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainボヴァリー夫人 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 2015/5/28 ギュスターヴ フローベール (著), Gustave Flaubert (原著), 芳川 泰久 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain大宇宙の少年 (創元SF文庫 ハ 1-7) (日本語) 文庫 – 2008/9/1 ロバート A.ハインライン (著), 矢野 徹 (翻訳), 吉川 秀実 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainスターファイター (創元推理文庫) (日本語) 文庫 – 1986/4/1 ロバート・A. ハインライン (著), 矢野 徹 (翻訳), 吉川 秀実 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainボートの三人男 (中公文庫) (日本語) 文庫 – 2010/3/25  ジェローム・K. ジェローム (著), 丸谷 才一 (翻訳)

 

  • この空襲について、イギリス政府は事前にドイツ軍のエニグマ暗号を解読し察知しながら、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、コヴェントリー爆撃隊を見逃したとする陰謀論があり、「小の虫を殺し大の虫を生かす」類の説話としてしばしば語られる。より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainエニグマ アラン・チューリング伝 上 (日本語) 単行本 – 2015/2/20  アンドルー ホッジス (著), Andrew Hodges (原著), 土屋 俊 (翻訳), 土屋 希和子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainエニグマ アラン・チューリング伝 下 (日本語) 単行本 – 2015/8/27  アンドルー ホッジス (著), Andrew Hodges (原著), 土屋 俊 (翻訳), 土屋 希和子 (翻訳), 村上 祐子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain暗号機エニグマへの挑戦 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1996/8/1 ロバート ハリス (著), Robert Harris (原著), 後藤 安彦 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainエニグマ暗号戦―恐るべき英独情報戦 (光人社NF文庫) (日本語) 文庫 – 2004/1/1  広田 厚司 (著)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainエニグマ・コード―史上最大の暗号戦 (INSIDE HISTORIES) (日本語) 単行本 – 2007/12/1  ヒュー シーバッグ=モンティフィオーリ (著), Hugh Sebag‐Montefiore (原著), 小林 朋則 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainドルマーチ1 (光文社古典新訳文庫) (日本語) 文庫 – 2019/1/8 ジョージ エリオット (著), 廣野 由美子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainドルマーチ2 (光文社古典新訳文庫) (日本語) 文庫 – 2019/11/8 George Eliot (原著), ジョージ エリオット (著), 廣野 由美子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainドルマーチ 3 (光文社古典新訳文庫) (日本語) 文庫 – 2020/7/8 ジョージ・エリオット (著), 廣野 由美子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainドルマーチ〈1〉 (講談社文芸文庫) (日本語) 文庫 – 1998/8/1 ジョージ エリオット (著), George Eliot (原著), 工藤 好美 (翻訳), 淀川 郁子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainドルマーチ〈2〉 (講談社文芸文庫) (日本語) 文庫 – 1998/9/1 ジョージ エリオット (著), George Eliot (原著), 工藤 好美 (翻訳), 淀川 郁子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainドルマーチ〈3〉 (講談社文芸文庫) (日本語) 文庫 – 1998/10/1 ジョージ エリオット (著), George Eliot (原著), 工藤 好美 (翻訳), 淀川 郁子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainドルマーチ〈4〉 (講談社文芸文庫) (日本語) 文庫 – 1998/11/1 ジョージ エリオット (著), George Eliot (原著), 工藤 好美 (翻訳), 淀川 郁子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainアダム・ビード

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainサイラス・マーナー

 

  •  「みんなが自分のやることだけ気を付けて、ひとごとに口出ししなけりゃ、この世はいまよりずっとずっとさっさと動くだろうよ」と公爵夫人が、あらっぽいうなり声をあげました。ルイス・キャロル不思議の国のアリス』より 山形浩生 より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain不思議の国のアリス

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain不思議の国のアリス (文春文庫) (日本語) 文庫 – 2012/1/4 ルイス・キャロル (著), Lewis Carroll (原著), 山形浩生 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainブライヅヘッドふたたび (1963年) - – 古書, 1963/1/1 イヴリン・ウォー (著), 吉田健一 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain不思議の国のアリス ⋆ ルイス・キャロル

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainハリー・ポッターシリーズ

 

  • シャーロック・ホームズが濃い霧の中でバスカヴィル家の犬を追跡している最中に橋から転落したあの辻馬車(キャブ)をネットを抜けて持ち帰ったより

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainバスカヴィル家の犬 (創元推理文庫 101-7) (日本語) 文庫 – 1960/7/1 コナン・ドイル (著), 阿部 知二 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainバスカヴィル家の犬 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1954/5/12 コナン・ドイル (著), 延原 謙 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainバスカヴィル家の犬 (角川文庫) (日本語) 文庫 – 2014/2/25 アーサー・コナン ドイル (著), Arthur Conan Doyle (原著), 駒月 雅子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainバスカヴィル家の犬―新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫) (日本語) 文庫 – 2007/7/1 アーサー・コナン ドイル (著), Arthur Conan Doyle (原著), 日暮 雅通 (翻訳)

 

  • ウォーターハウス描くところのニンフ像のようにみえたより
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainウォーターハウス (ちいさな美術館) (日本語) ペーパーバック – 2014/1/6 ウォーターハウス (著)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainサロメウィンダミア卿夫人の扇 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1953/4/10 オスカー ワイルド (著), Oscar Wilde (原著), 西村 孝次 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain四つの署名 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1953/12/28 コナン・ドイル (著), 延原 謙 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain四つの署名 新訳シャーロック・ホームズ全集 (光文社文庫) (日本語) 文庫 – 2007/1/11 アーサー・コナン・ドイル (著), 日暮 雅通 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain四つの署名 (角川文庫) (日本語) 文庫 – 2013/6/21 アーサー・コナン・ドイル (著), 駒月 雅子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain四人の署名 (創元推理文庫 101-6) (日本語) 文庫 – 1960/10/21 コナン・ドイル (著), 阿部 知二 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainじゃじゃ馬馴らし シェイクスピア全集20 (ちくま文庫) (日本語) 文庫 – 2010/8/9

ウィリアム シェイクスピア (著), 松岡 和子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainじゃじゃ馬ならし・空騒ぎ (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1972/1/29 シェイクスピア (著), 福田 恒存 (翻訳)

 

  • ・・・1990年代に上演した古臭いヌード版『リチャード三世』の再演。・・・より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシェイクスピア全集 (7) リチャード三世 (ちくま文庫) (日本語) 文庫 – 1999/4/1

W. シェイクスピア (著), William Shakespeare (原著), 松岡 和子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainリチャード三世 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1974/1/30
ウィリアム シェイクスピア (著), William Shakespeare (原著), 福田 恒存 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain時の娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫 51-1) (日本語) 文庫 – 1977/6/30 ジョセフィン・テイ (著), 小泉 喜美子 (翻訳)

 

  • 「旅路の果ては恋の逢瀬」ウィリアム・シェイクスピア十二夜』二幕三場より 小津次郎訳 岩波文庫より
  • 『石碑の上の忍耐の像のように、ほほえみをもって苦しみにたえて』いるわけさ・・・『十二夜』二幕四場より
  • ・・・「『運命よ。もう駄目、自分で自分がどうにもならないの。きまったことはきまったこと。成り行きにまかせましょう』・・・
    十二夜』一幕五場より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain十二夜 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1960/3/25 シェイクスピア (著), SHAKESPEARE (原著), 小津 次郎 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシェイクスピア全集 (6) 十二夜 (ちくま文庫) (日本語) 文庫 – 1998/9/1 W. シェイクスピア (著), William Shakcpeare (原著), 松岡 和子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain十二夜 (光文社古典新訳文庫) (日本語) 文庫 – 2007/11/8 シェイクスピア (著), 安西 徹雄 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7) (日本語) 単行本 – 2008/5/12 E・M・フォースター (著), 吉田 健一 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainハワーズ・エンド (E.M.フォースター著作集) (日本語) 単行本 – 1994/3/1
E.M. フォースター (著), Edward Morgan Forster (原著), 小池 滋 (翻訳)

 

  • 『足もとに黄ばんだ枯葉が散りはじめ、老いが忍び寄ってくる』
    マクベス』五幕三場より 福田恒存訳 新潮文庫より
  • ・・・もつれた煩(わずら)いの細糸をしっかり撚(よ)りなおしてくれる眠り・・・より
  • 「どこかで声がしたようだった、『もう眠りはないぞ!』と」
    ウィリアム・シェイクスピア 『マクベス』二幕二場より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマクベス (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1969/9/2 シェイクスピア (著), 福田恒存 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマクベス (光文社古典新訳文庫) (日本語) 文庫 – 2008/9/9 ウィリアム シェイクスピア (著), William Shakespeare (原著), 安西 徹雄 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシェイクスピア全集 (3) マクベス (ちくま文庫) (日本語) 文庫 – 1996/12/1 W. シェイクスピア (著), William Shakespeare (原著), 松岡 和子 (翻訳)

 

  • ・・・アミーリア・ブルーマとベッツィ・トロットウッドだ・・・より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainデイヴィッド・コパフィールド(1) (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1967/3/2

チャールズ ディケンズ (著), Charles Dickens (原著), 中野 好夫 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainデイヴィッド・コパフィールド〈1〉 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2002/7/16
チャールズ ディケンズ (著), 石塚 裕子 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain対訳テニスン詩集―イギリス詩人選〈5〉 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2003/4/16

テニスン (著), 西前 美巳 (編集)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainイノック・アーデン (日本語) 単行本 – 2006/10/4 アルフレッド テニスン (著), Alfred Tennyson (原著), 原田 宗典 (翻訳)

 

  • ほら、スピークとバートンみたいにさ。・・・
    スピーク・・・ナイル河の水源を発見した英国の探検家
    バートン・・・『アラビアン・ナイト』の全訳で知られているが、探検家としても著名。タンガニーカ湖を発見した。より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain探検家リチャード・バートン (新潮選書) (日本語) 単行本 – 1986/6/1 藤野幸雄 (著)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainアラブに憑かれた男たち―バートン、プラント、ダウティ (イスラーム文化叢書) (日本語) 単行本 – 2001/10/1 トマス・ジョセフ アサド (著), Thomas Joseph Assad (原著), 田隅恒生 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainバートン版 千夜一夜物語 第1巻 シャーラザットの初夜 (ちくま文庫) (日本語) 文庫 – 2003/10/13 古沢岩美 (イラスト), 大場正史 (翻訳)

 

  • ・・・きみがただゆったり河を漂って、『やさしく呟くせせらぎに満ちた流れ』を楽しむなら・・・『ヴェローナの二紳士』二幕七場より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシェイクスピア全集27 ヴェローナの二紳士 (ちくま文庫) (日本語) 文庫 – 2015/8/6 W. シェイクスピア (著), William Shakespeare (原著), 松岡和子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainヴェローナの二紳士 (白水Uブックス (8)) (日本語) 新書 – 1983/10/1
ウィリアム・シェイクスピア (著), 小田島雄志 (翻訳)

 

  • ・・・「その塔に陽光をあび」る、ジョン・ヘンリー・ニューマン・とルイス・キャロルとトム・ブラウンのオックスフォードだ。・・・より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainニューマン枢機卿の黙想と祈り (日本語) 単行本 – 2013/11/15 ジョン・ヘンリ ニューマン (著), John Henry Newman (原著), 長倉 禮子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain聖母マリア―第二のエバ (日本語) 単行本 – 2013/10/1 ジョン・ヘンリ ニューマン (著), John Henry Newman (原著), 日本ニューマン協会 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain心が心に語りかける―ニューマン説教選 (日本語) 単行本 – 1991/1/3 J.H. ニューマン (著), 日本ニューマン協会 (翻訳)ニューマン (コンパクト評伝シリーズ) (日本語) 大型本 – 1995/1/1

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainO. チャドウィック (著), Owen Chadwick (原著), 川中 なほ子 (翻訳)

 

  • ・・・マシュー・アーノルドとジェラード・マンリー・ホプキンズとH・H・アスキスのベイリアル・カレッジ。あの門の中では、かの偉大なるベンジャミン・ジャウェットが、もじゃもじゃの白髪に風格のある声で、「けっして説明するな。けっして謝罪するな」と学生に教えている。・・・より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain教養と無秩序 (岩波文庫 赤 237-1) (日本語) 文庫 – 1965/7/1 マシュー・アーノルド (著), 多田 英次 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマシュー・アーノルド詩集―二つの世界の間に (日本語) 単行本 – 1990/8/1
マシュー・アーノルド (著), 村松真一 (著)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマシュー・アーノルド詩集 (続編) (日本語) 単行本 – 2001/3/1
マシュー・アーノルド (著), 村松 真一 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainエトナ山上のエンペドクレスその他―マシュー・アーノルド詩集 (1983年) - – 古書, 1983/12/1 マシュー・アーノルド (著), 西原 洋子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマシュー・アーノルド伝 (日本語) 単行本 – 2007/3/1
ニコラス マレー (著), Nicholas Murray (原著), 村松 眞一 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫) (日本語) 文庫 – 2012/9/12

プラトン (著), 納富 信留 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainソクラテスの弁明・クリトン(プラトン) (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1964/1/1
プラトン (著), 久保 勉 (翻訳)

 

  • ・・・壁で囲まれた学生監公館の庭。そこから子供たちの笑い声が聞こえてくる。アリス・リデルと姉妹たち?・・・より
  • アリス・リデルを扱った作品
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain果しなき河よ我を誘え (ハヤカワ文庫 SF 289 リバーワールド 1) (日本語) 単行本 – 1978/4/1 フィリップ・ホセ・ファーマー (著), 岡部 宏之 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainわが夢のリバーボート (ハヤカワ文庫 SF 331 リバーワールド 2) (日本語) 文庫 – 1979/2/1 フィリップ・ホセ・ファーマー (著), 岡部 宏之 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain飛翔せよ、遥かなる空へ 上 (ハヤカワ文庫 SF 516―リバーワールド3) (日本語) 文庫 – 1983/6/1 フィリップ・ホセ・ファーマー (著), 岡部 宏之 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain飛翔せよ、遥かなる空へ 下 (ハヤカワ文庫 SF 517―リバーワールド3) (日本語) 文庫 – 1983/6/1 フィリップ・ホセ・ファーマー (著), 岡部 宏之 (翻訳)

 

  • ・・・ジェイブズは『オリヴァー・ツイスト』から抜け出したようだった。・・・より
  • ・・・『オリヴァー・ツイスト』のビル・サイクスもブルドッグを飼っていたんだっけ?・・・より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainオリヴァー・ツイスト (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 2017/4/28

チャールズ ディケンズ (著), Charles J.H. Dickens (原著), 加賀山 卓朗 (翻訳)

 

  • テニスン「シャロット姫」より

  • ・・・「『飛び散る織物、あちこちに広がり、端から端までひび割れる鏡』」と声に出して暗唱した。「『「あの呪いがわたしに降りかかったのだわ」と叫んだ、シャロットの姫君は』」より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainアーサー王

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシャロットの妖姫 Kindle版 アルフレッド テニソン (著), 坪内 逍遥 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシャロットの姫 (日本語) 単行本 – 2009/10/1
ジェヌヴィエーヴ コテ (イラスト), Genevi`eve C^ot´e (原著), Alfred Tennyson (原著), 長井 芳子 (翻訳), & 1 その他

 

  • ラージャ、二者は交わることなしより
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain東と西のバラッド キプリング

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジャングル・ブック (岩波少年文庫) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2015/5/16

ラドヤード・キプリング (著), 五十嵐 大介 (イラスト), 三辺 律子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジャングル・ブック (文春文庫) (日本語) 文庫 – 2016/6/10
ラドヤード キプリング (著), Rudyard Kipling (原著), 金原 瑞人 (翻訳), 井上 里 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジャングル・ブック (福音館古典童話シリーズ) (日本語) 単行本 – 1979/7/10
ジョセフ・ラドヤード・キップリング (著), 石川 勇 (イラスト), Joseph Rudyard Kipling (原著), 木島 始 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain少年キム(上) (岩波少年文庫) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2015/11/18
ラドヤード・キプリング (著), 三辺 律子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain少年キム(下) (岩波少年文庫) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2015/11/18
ラドヤード・キプリング (著), 三辺 律子 (翻訳)

 

  • 『いと高く浄(きよ)き空から真っ逆様に、凄まじい勢いで炎々とっ燃え盛る焔(ほのお)に包まれて』ミルトン『失楽園』第一巻より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain失楽園 上 (岩波文庫 赤 206-2) (日本語) 文庫 – 1981/1/16

ミルトン (著), John Milton (原著), 平井 正穂 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain失楽園 下 (岩波文庫 赤 206-3) (日本語) 文庫 – 1981/2/16
ミルトン (著), John Milton (原著), 平井 正穂 (翻訳)

 

  • ・・・「時のみがわれらのもの」・・・セネカより
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainローマの哲人 セネカの言葉 (講談社学術文庫) (日本語) 文庫 – 2020/7/10

中野孝次 (著)

 

  • ・・・ヘンリー八世の奥さんのひとりだったキャサリン・ハワードの霊が徘徊してるとこ。・・・より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainヘンリー八世 (ちくま文庫) (日本語) 文庫 – 2019/12/10

William Shakespeare (原著), W. シェイクスピア (著), 松岡 和子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainブーリン家の姉妹 フィリッパ・グレゴリー

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainウルフ・ホール (上) (日本語) 単行本 – 2011/7/8
ヒラリー・マンテル (著), Hilary Mantel (著), 宇佐川 晶子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainウルフ・ホール (下) (日本語) 単行本 – 2011/7/9
ヒラリー・マンテル (著), Hilary Mantel (著), 宇佐川 晶子 (翻訳)

 

  • トマス・グレイ『田園の教会墓地で書かれた悲歌』より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain墓畔の哀歌 (岩波文庫 赤 210-1) (日本語) 文庫 – 1990/10/1 グレイ (著), 福原 麟太郎 (翻訳)

 

  • ・・・「『ギリシャの壺に寄せる詩』」・・・・キーツの「ギリシャの壺に寄する賦」を引用しはじめた。・・・『美は真であり、真は美であると。それこそはきみたちがこの地上で知り』・・・より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainキーツ詩集 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2016/8/18 中村健二 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain対訳 キーツ詩集―イギリス詩人選〈10〉 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2005/3/16
キーツ (著), 宮崎 雄行 (編集)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマザー・グースの唄―イギリスの伝承童謡 (中公新書 (275)) (日本語) 新書 – 1972/1/25 平野 敬一 (著)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマザー・グース1 (講談社文庫) (日本語) 文庫 – 1981/7/13
平野 敬一 (解説, 監修), 和田 誠 (イラスト), 谷川 俊太郎 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマザー・グース2 (講談社文庫) (日本語) 文庫 – 1981/8/10
谷川 俊太郎 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマザー・グース3 (講談社文庫) (日本語) 文庫 – 1981/9/10
谷川 俊太郎 (翻訳), 和田 誠 (著), 平野 敬一 (監修)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマザー・グース4 (講談社文庫) (日本語) 文庫 – 1981/10/13
谷川 俊太郎 (翻訳), 和田 誠 (著), 平野 敬一 (監修)

 
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainワーグナー トリスタンとイゾルデ (オペラ対訳ライブラリー) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2000/9/1

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainトリスタン・イズー物語 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1985/4/16 ベディエ (編集), 佐藤 輝夫 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシェイクスピア全集 (2) ロミオとジュリエット (ちくま文庫) (日本語) 文庫 – 1996/4/1 W. シェイクスピア (著), William Shakespeare (原著), 松岡 和子 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainロミオとジュリエット (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1996/12/1
シェイクスピア (著), 中野 好夫 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainアベラールとエロイーズ 愛の往復書簡 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2009/9/16
沓掛 良彦 (翻訳), 横山 安由美 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainアベラールとエロイーズ―愛と修道の手紙 (岩波文庫 赤 119-1) (日本語) 文庫 – 1939/10/25 アベラール (著), エロイーズ (著), 畠中 尚志 (翻訳)

 

  • ・・・『その瞳は妖精の亜麻袋のごとく青く、その頬は夜明けのごとし』・・・
    ロングフェロー 「ヘスペラス号の難破」より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainワーズワース詩集 (岩波文庫218-1) (日本語) 文庫 – 1957/5/25 田部重治 (著)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainワーズワス詩集(対訳): イギリス詩人選 3 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1998/9/16
ワーズワス (著), 山内 久明 (編集), William Wordsworth (原著)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシェイクスピア全集21 アントニークレオパトラ (ちくま文庫) (日本語) 文庫 – 2011/8/9 W. シェイクスピア (著), William Shakespeare (原著), 松岡 和子 (翻訳)

 

  • ・・・『遥かなる世界の涯、エリュシオンの野、金髪のラダマンテュスの住む所』・・・ホメロス 『オデュッセイア』第四歌より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainホメロス オデュッセイア〈上〉 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1994/9/16

ホメロス (著), 松平 千秋 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainホメロス オデュッセイア〈下〉 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1994/9/16
ホメロス (著), 松平 千秋 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain聖杯の物語、またはペルスヴァルの物語 (1983年) - – 古書, 1983/8/1

Chretien de Troyes (著)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain『ランスロまたは荷車の騎士』クレティアン・ド・トロワ著 神沢栄三 訳 1991年 白水社<フランス中世文学集02 -愛と剣と>

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain『聖杯の探索 : 作者不詳・中世フランス語散文物語』 天沢退二郎 訳 1994年 人文書院、La queste del Saint Graal(フランス語版) (1225-30年)の日本語訳

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainクレティアン・ド・トロワ『獅子の騎士』 - フランスのアーサー王物語』 菊池淑子訳、平凡社、1994年11月

 

  • ・・・「すべての謎の答えは小さな灰色の脳細胞の中にある」エルキュール・ポアロ・・・より
  • ・・・「『万年筆の謎』みたいね」とシリル婦人。・・・

 

  • ・・・「こうやって、ボートにのって、ぶらーりぶらりするくらい、たのしいことなんだよ。まったく、これくらいたのしいことは、なんにも・・・ほかにもなんにも・・・」ケネス・グレーアム 『たのしい川べ』より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainたのしい川べ―ヒキガエルの冒険 (日本語) 単行本 – 1963/11/29

ケネス・グレーアム (著), E.H.シェパード (イラスト), Kenneth Grahame (原著), 石井 桃子 (翻訳)

 

  • ・・・夜鳴鶯(ナイチンゲール)は、『声をかぎりに心ゆくまで』『恍惚としてあたり一帯に自分の魂を迸(ほとばし)らせ』・・・ジョン・キーツ 「夜鳴鶯の賊」より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain対訳 キーツ詩集―イギリス詩人選〈10〉 (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2005/3/16

キーツ (著), 宮崎 雄行 (編集)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain失われた世界

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain毒ガス帯

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainホワイト・カンパニー

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジェラール准将 シリーズ

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシャーロック・ホームズの思い出 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1953/3/12

コナン・ドイル (著), 延原 謙 (翻訳)

 

  • ・・・エリザベス・バレット・ブラウニングが出奔したときのフラッシュみたいに」・・・より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainフラッシュ:或る伝記 (白水Uブックス) (日本語) 新書 – 2020/6/6

ヴァージニア・ウルフ (著), 出淵 敬子 (翻訳)

 

  • ・・・眠り、そは自然のやさしき子守り・・・『ヘンリー四世第二部』三幕一場より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシェイクスピア全集24 ヘンリー四世 全二部 (日本語) 文庫 – 2013/4/10

シェイクスピア (著), 松岡 和子 (翻訳)

 

  • ・・・聖なる休息の甘露、悲嘆を癒す薬・・・
    サー・フィリップ・シドニー 『アストロフェルとステラ』より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainアストロフェルとステラ (日本語) 単行本 – 1979/10/1

サー・フィリップ・シドニー (著), 大塚定徳 (著)

 

  • ・・・この四日間というもの、ドフトエスキー描くところのラスコーリニコフのような心境でございました。・・・より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain白痴

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain悪霊

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainカラマーゾフの兄弟

 

  • ・・・ドロシー・セイヤーズ、E・C・ベンソン、アガサ・クリスティー。・・・より
  • ・・・ピーター卿も昼寝をしたのよ。ハリエットはその寝顔を見て、そのときはじめて自分が彼を愛していることに気づく」・・・「もちろんわたしは、『毒を食らわねば』の二ページめでわかったわよ。・・・より
  • ・・・「ミス・クリンプソンは持ち上げた。『毒をくらわば』で。そうするしかなかったのよ。ピーター卿は時間切れ寸前だった。いまのわたしたちとおなじ」・・・より
  • ・・・ピーター・ウィムジー卿とハリエット・ヴェインも『死体をどうぞ』でリストをつくってる」・・・より
ピーター卿もの長篇 ドロシー・L・ セイヤーズ
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainWhose Body? (1923) 『誰の死体?』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainClouds of Witness (1926) 『雲なす証言』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainUnnatural Death (1927) 『不自然な死』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainThe Unpleasantness at the Bellona Club (1928) 『ベローナ・クラブの不愉快な事件』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainStrong Poison (1930) 『毒を食らわば』*

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainThe Five Red Herrings (1931) 『五匹の赤い鰊』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainHave His Carcase (1932) 『死体をどうぞ』*

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainMurder Must Advertise (1933) 『殺人は広告する』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainThe Nine Tailors (1934) 『ナイン・テイラーズ』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainGaudy Night (1935) 『学寮祭の夜』*

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainBusman's Honeymoon (1937) 『大忙しの蜜月旅行』*(Busman's Honeymoonは『忙しい蜜月旅行』の邦題で早川書房(ハヤカワポケットミステリ、ハヤカワ文庫)から刊行されたが、2020年2月に東京創元社創元推理文庫)から新訳が刊行されたため、全作の邦訳が東京創元社創元推理文庫)刊行となる。 )*印はハリエット・ヴェイン登場作。

 

  • ・・・もっともそれって、ウィルキー・コリンズがとっくの昔に『月長石』で使っている手なんだけど。主人公が犯人なのよ。・・・より
  • ・・・「ええ、パパ」とトシーが口をはさんだ。「『月長石』よ。小説の」・・・より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain1860年 『白衣の女』The Woman in White

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain1868年 『月長石』The Moonstone

 

ウッドハウス・コレクション(森村たまき訳、国書刊行会

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain比類なきジーヴス The Inimitable Jeeves (2005年2月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainよしきた、ジーヴス Right Ho, Jeeves (2005年6月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainそれゆけ、ジーヴス Carry On, Jeeves (2005年10月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainウースター家の掟 The Code of the Woosters (2006年3月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainでかした、ジーヴス Very Good, Jeeves! (2006年7月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainサンキュー、ジーヴス Thank You, Jeeves (2006年11月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジーヴスと朝のよろこび Joy in the Morning (2007年4月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジーヴスと恋の季節 The Mating Season (2007年12月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジーヴスと封建精神 Jeeves and the Feudal Spirit (2008年9月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジーヴスの帰還 Jeeves in the Offing (2009年8月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainがんばれ、ジーヴス Stiff Upper Lip, Jeeves (2010年5月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainお呼びだ、ジーヴス Ring for Jeeves (The Return of Jeeves (2011年1月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain感謝だ、ジーヴス Much Obliged, Jeeves (2011年7月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジーヴスとねこさらい Aunts Aren't Gentleman (2012年1月)

ウッドハウススペシャル(森村たまき訳、国書刊行会

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainブランディングズ城の夏の稲妻 Summer Lightning (2007年9月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainエッグ氏、ビーン氏、クランペット氏 Eggs, Beans and Crumpets (2008年4月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainブランディングズ城は荒れ模様 Heavy Weather (2009年2月)

P・Gウッドハウス選集(岩永正勝 / 小山太一訳、文藝春秋

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジーヴズの事件簿 The Casebook of Jeeves (2005年5月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジーヴズの事件簿 才智縦横の巻/ジーヴズの事件簿 大胆不敵の巻(※文庫分冊、2011年5月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainエムズワース卿の受難録 The Misgivings of Lord Emsworth (2005年12月/文春文庫 2012年8月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマリナー氏の冒険譚 The Exploits of the Mulliners (2007年7月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainユークリッジの商売道 The Enterprises of Ukridge (2008年12月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainドローンズ・クラブの英傑伝 The Heroes of the Drones Club (文春文庫、2011年8月)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainP・Gウッドハウスの笑うゴルファー(2009年4月、岩永正勝 / 坂梨健史郎訳、集英社

 

  • ジョン・グリーンリーフ・ホイッティアーより
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain雪に閉ざされて: 冬の田園詩 (日本語) 単行本 – 2016/2/25

ジョン・グリーンリーフ ホイッティア (著), John Greenleaf Whittier (原著), 根本 泉 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainバーンズ詩集 (岩波文庫 赤 215-1) (日本語) 文庫 – 1995/10/1

バーンズ (著), 中村 為治 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainロバート・バーンズ詩集 (日本語) 単行本 – 2002/11/1
ロバートバーンズ研究会 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain新曲 ダンテ・・・3部作の第1編

 

  • ・・・僕はカバーに染みがついた『昔気質の一少女』の本をとって、・・・より
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain昔気質の一少女 ルイザ・メイ・オルコット

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainレ・ミゼラブル ヴィクトル・ユーゴー・・・第二部コゼット第一編の主題はワーテルロー

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain『勇将ジェラールの回想』、『勇将ジェラールの冒険』の2部作 アーサー・コナン・ドイル

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain逆撃 ナポレオン ワーテルロー会戦 柘植久慶

 

  • ・・・ほら、ポオの『盗まれた手紙』みたいに」・・・より
C・オーギュスト・デュパンが登場する推理シリーズの三作目
f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainモルグ街の殺人

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainマリー・ロジェの謎

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain盗まれた手紙

 
  • ・・・「つまり『緋色の研究』は読みました。・・・より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain緋色の研究 アーサー・コナンドイル

 

  • ・・・「アンナ・カレリーナとおなじ末路をたどるところだったぞ」・・・より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainアンナ・カレーニナ レフ・トルストイ

 

  • ・・・「『汝がさだめは万人に等しきさだめ。たれの人生にも雨は降る、暗く哀しき日がある』」・・・より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain哀詩 エヴァンジェリン (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1930/10/10
H.W. ロングフェロー (著), H.W. Longfellow (原著), 斎藤 悦子 (翻訳)

 

  • ・・・過去の偉人たちの叡智を集めた蔵書を自由に涉猟できる身でありながら、シャーロット・ヤングやエドワード・ブルワー・リットンの愚にもつかぬ小説ばかり読む。・・・より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain世界怪談名作集  貸家 Kindle
エドワード・ジョージ・アール・ブルワー リットン (著), 岡本 綺堂 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain来るべき種族 (叢書・エクリチュールの冒険) (日本語) 単行本 – 2018/8/22
エドワード・ブルワー=リットン (著), 小澤正人 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainポンペイ最後の日 (講談社青い鳥文庫) 新書 – 2001/5/25
エドワード ブルワー‐リットン (著), 河口 峰子 (イラスト), 岡田 好恵 (翻訳)

 

  • 「ボートはこげる?」とヒツジは、編み針を一組こちらに手渡しながらききました。「ええちょっとなら でも地面 の上じゃなくて それと編み針でこぐのも」といいかけたとき、編針が手の中でオールに変わり、気がつくとふたりは小さなボートに乗って、岸辺の間をただよっているのでした。というわけで、アリスとしては精一杯にこぐしかありませんでした。より
  • ・・・『嗚呼! ゆるばしき日かな! 億歳! 兆歳!』・・・

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainルイス・キャロル 『鏡の国のアリス

 

  • ・・・オックスフォード大学でリジーは相当に有名な存在だったに違いない。ズーレイカ・ドブスンのように。・・・
    マックス・ビアボームの長篇
    Zuleika Dobsonのタイトルロールをつとめている美貌のファムファタル
    教授職にある祖父を訪ねてやってきたオックスフォード大学で学生たちを虜にし、自殺者が続出する。より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainズリイカ・ドブソン (20世紀イギリス小説個性派セレクション) (日本語) 単行本 – 2010/10/22 マックス・ビアボーム (著), 横山 茂雄 (編集), 佐々木 徹 (編集, 翻訳)

 

  • ・・・1930何年のブラックウェル書店にどんな本があるんだろう?『指輪物語』?いや、もっとあと。『チップス先生さようなら』?1934年刊行だが、いま何年だろう?・・・より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain文庫 新版 指輪物語 全10巻セット (評論社文庫) (日本語) 文庫 – 2005/12/1
J.R.R. トールキン (著), 瀬田 貞二 (著), 田中 明子 (著)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainホビットの冒険 J.R.R. トールキン

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain新訳チップス先生、さようなら (日本語) 単行本 – 2016/5/13
ジェイムズ・ヒルトン (著), 大島 一彦 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainチップス先生、さようなら (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 2016/1/28
ジェイムズ ヒルトン (著), James Hilton (原著), 白石 朗 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainチップス先生さようなら Good-Bye, Mr. Chips (ラダーシリーズ Level 3) (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2005/7/26

 

  • ・・・『友よ、おーい! さらば! さらばだ!』・・・
    ヘレン・ハント・ジャクソン 「詩 友よ、おーい」より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainラモーナ (アメリカ古典大衆小説コレクション) (日本語) 単行本 – 2007/7/6
ヘレン・ハント・ジャクソン (著), 亀井 俊介 (監修, 監修), 巽 孝之 (監修, 監修), 金澤 淳子 (翻訳), 深谷 素子 (翻訳)

 

  • ・・・「そして真犯人はいつも全員に飲み物をふるまう。シェリーはいかが、ミス・キンドルシェリーはいかが、ヘンリーさん?それともシロ・ド・カシス?エルキュール・ポアロのお気に入りよ。ぞっとする飲み物だけど。一度、アガサ・クリスティーの『三幕の殺人』を読んでるときに試してみたの。咳止めシロップみたいな味だったわ」・・・

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain三幕の殺人 アガサ・クリスティ

 

  • ・・・「あらまあ」ビトナー夫人はうろたえたように屋根裏を見まわして、「これじゃ、『盗まれた手紙』というより『シタフォードの秘密』ね」「アガサ・クリスティ作」とヴェリティが開設する。・・・より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain盗まれた手紙 エドガー・アラン ポー 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainシタフォードの秘密 アガサ・クリスティ

 

  • ・・・「ジーブズもきみを誇りにおもうだろうよ。バンダーはいうまでもなく、それにあっぱれクライトンも」・・・より

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジーヴズの事件簿 才智縦横の巻 (文春文庫) (日本語) 文庫 – 2011/5/10
P.G. ウッドハウス (著), P.G. Wodehouse (原著), 岩永 正勝 (翻訳), 小山 太一 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジーヴズの事件簿 大胆不敵の巻 (文春文庫) (日本語) 文庫 – 2011/6/10
P.G. ウッドハウス (著), P.G. Wodehouse (原著), 岩永 正勝 (翻訳), 小山 太一 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション) (日本語) 単行本 – 2005/2/1
P.G. ウッドハウス (著), Pelham Grenville Wodehouse (原著), 森村 たまき (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainピーター卿の事件簿【新版】 (創元推理文庫) (日本語) 文庫 – 2017/10/29
ドロシー・L・セイヤーズ (著), 宇野 利泰 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainあっぱれクライトン J・M・バリー

 

 

後書きから

  • テイムズ河に生息する魚の名前

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainアイザックウォルトン 『完訳釣魚大全』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain完訳釣魚大全1 (平凡社ライブラリー) (日本語) 文庫 – 1997/1/13
アイザック ウォルトン (著), Izaak Walton (原著), 飯田 操 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain釣魚大全 (地球人ライブラリー) (日本語) 単行本 – 1996/7/1
アイザック ウォルトン (著), Izaak Walton (原著), 立松 和平 (翻訳)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainダニエル・プール 『19世紀のロンドンはどんな匂いがしただろう』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジェニファー・デイヴィーズ 『英国ヴィクトリア朝のキッチン』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain谷田博幸 『図説ヴィクトリア朝百科事典』

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainリチャード・ドイル 『挿絵の中のイギリス』

f:id:coronaborealis:20170512084638g:plain

映像リスト
  • コヴェントリー大聖堂より

    f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainブリテン:戦争レクイエム~コヴェントリー大聖堂、初演50年記念演奏会[Blu-ray] エリン・ウォール (出演), マーク・パドモワ (出演)

 

 
 

 

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memo

 「・・・有益無害の猫・・・」

「神は細部に宿る」

ロバート・A・ハイラインに

ジェローム・K・ジェローム『ボートの三人男 犬は勘定に入れません』という本を初めて知ったのは、ハインラインの『大宇宙の少年』のおかげでした
 
<人>モリーパンター‐ダウンズ
  • ロンドンからの手紙

 

5人

<人>カラサーズ

  • ブリキのヘルメットに、英国陸軍工兵隊の記章がついている

<人>新人生

  • どこかよその戦争用のヘルメット

<人>僕 ネッド・ヘンリー

  • ブリキのヘルメットに、ステンシルでARP(防空監視団)と書いてある

<動物・犬>ミスター・スピヴンズ

  • 1940年の犬

<人>堂守

  • 1940年の人

<時>11月15日の午後も遅い時刻

<場>コヴェントリー大聖堂

  • 僕らは、主教の鳥株をさがしていた
  • カラサーズと堂守は、押し問答中

コヴェントリー大聖堂

  • 《Coventry Cathedral》
  • 英国コベントリーにある大聖堂。
  • 11世紀創建の修道院に起源する。
  • 14世紀に大聖堂が建造されたが、第二次大戦中にドイツ軍の激しい空襲を受けて廃墟となった。
  • 地元では「Ruins(廃墟)」と呼ばれています。
  • 1962年、廃墟となった旧大聖堂の脇に新大聖堂が再建され、戦争の爪痕(つめあと)と戦後の復興のシンボルとして知られる。
  • 住所 Priory Street, Coventry, CV1 5FB
  • コヴェントリーは、19世紀初めには、小説家のジョージ・エリオットの作品『ミドルマーチ』の舞台になった

主教の鳥株

  • "Bishop's bird stump"
  • Bird stump vase・・・鳥の切り株花瓶のこと
  • Bishop's・・・司教、監督、主教、ビショップ
  • タイトルの「ヴィクトリア朝花瓶」のことかな

「・・・焼夷弾の火が消せる?・・・」

「・・・ヒトラーに雇ってもらえといってやったよ」

堂守の会話より

  • 時代は?1940年?

<時>空襲以前

  • コヴェントリー大聖堂の《主教の鳥株》は、鍛冶屋の礼拝堂(スミスズ・チャペル)の内陣ついたて前に置かれた錬鉄製の台座の上にあった

・・・石と焦げた木材が高さ5フィートにわたって堆積し、・・・

  • 1フィート=0.3048メートル
  • 5フィート=1.524メートル

コヴェントリー爆撃

  • 工業都市であったため、第二次世界大戦中の1940年11月14日にはナチス・ドイツによる爆撃「Coventry Blitz」の標的となり、コヴェントリー大聖堂 (Coventry Cathedral) を含む市の中心の大部分が破壊された。
  • 1950年に新しい大聖堂を建てる設計コンペが開催された。
  • 設計を勝ち取ったは、バジル・スペンス (Basil Spence)。
  • 1962年、廃墟となった旧大聖堂の脇に新大聖堂が再建され、戦争の爪痕と戦後の復興のシンボルとして知られる。
  • ジェイコブ・エプスタイン (Jacob Epstein) 作「聖ミカエルと悪魔」の青銅像、ジョン・パイパー (John Piper) 作の色彩豊なステンドグラス及びグレアム・サザランドのキリストの巨大なタペストリーに有名されている。
  • この空襲について、イギリス政府は事前にドイツ軍のエニグマ暗号を解読し察知しながら、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、コヴェントリー爆撃隊を見逃したとする陰謀論があり、「小の虫を殺し大の虫を生かす」類の説話としてしばしば語られる。しかしBBCによれば、真相はイギリスはエニグマ暗号自体の解読には成功したが電文中で標的は「Korn」とコードネームで書かれていたために、それがすなわちコヴェントリーであるということまではわからなかったとされる。 

堂守の「消防隊の人なら、どうしてゆうべのうちに来なかったね。・・・」

いい質問だ。それに僕が戻ったら、レイディ・シェラプネルも当然こう質問するだろう。・・・「ネッド、15日に行ったとはどういうこと?まる一日遅れじゃないの」

僕はあわてて、「エリザベス王妃の命令で派遣されたんですよ」といった

  • エリザベス・アンジェラ・マーガレット・ボーズ=ライアンのこと
  • エリザベス二世のお母さん
  • 国王ジョージ6世の妻

「・・・それにカミラ。在位期間が短すぎて、帽子をかぶるヒマもなかった。・・・」

<人>デイヴィス

  • 1940年にくることさえできなかったメンバー

<人>ピーターズ

  • 1940年にくることさえできなかったメンバー

<人>おれ ハワード

  • 1940年にこんなに近くに来られたのは4回目にしてはじめてだ。
  • 1回目・・・ネットを抜けてみると11月19日
  • 2回目・・・12月中旬
  • 3回目・・・11月14日の空襲開始10分前、しかし場所がコヴェントリーとバーミンガムの中間にあるペポカボチャ(ベジタブル・マロー)畑のど真ん中
  • ここまで来るのに2時間かかった

<人>新人生

  • 3回目・・・1940年に抜けた時間は、ハワードの直前
  • どこに行けばいいのかも知らずに、ウォリック・ロードをぶらぶらしていた

バーミンガム

  • 英語: Birmingham、[ˈbɜːmɪŋəm]
  • イングランドウェスト・ミッドランズ (West Midlands) に属す工業都市である
  • 人口は100万人ほどで、近郊を含む都市的地域の人口は229万人であり、同国第2位である
  • 地元では首都ロンドンに次ぐ第2の大都市とされており、実際にロンドンに次ぐ市域人口・都市圏人口を有するが、イギリスの世論調査では、マンチェスターを第2の都市とする意見のほうが多い

ウォリック・ロード

  • 地図で探すが、見つけられない、ドコダ

<人>ネッド

  • これが、1回目・・・1940年11月15日
  • 《主教の鳥株》が聖堂のがらくた市に出されたかもしれないと、レイディ・シェラプネルが思いついたので、9月からあらえる協会行事と地域行事(がらくた市)に派遣されていた
  • この1週間で降下は、12回
  • もし《主教の鳥株》が火災を生き延びたなら、新大聖堂のどこかに保管されているというのが、レイディ・シェラプネルの考えから、歴代コヴェントリー主教の妻たちのところに派遣した➡ビトナー夫人以外は《主教の鳥株》のことは知らなかった

<人>ビトナー夫人

  • 最後のコヴェントリー主教の奥さん
  • レイディ・シェラプネルの命令で、ネッドは話を聞きに行った(現在の話)
  • 今もコヴェントリーに、まだご存命
  • 記憶・・・新大聖堂を売却する前、所蔵品を全部箱詰めした時には、《主教の鳥株》は見当たらなかった

レイディ・シェラプネルは、コヴェントリー大聖堂の再建にかくも執着するのか?

  • 彼女のひいひいひい祖母がコヴェントリーへ行って、その時の経験が人生を一変させ、その日記を読んだレイディ・シェラプネルの人生も一変したから

時代差ボケ(タイムラグ)の初期症状

  • 涙もろい感傷に浸りがちになること
  • カラサーズ・・・全然寝ていない

時代差ボケ(タイムラグ)症状のチェックリスト

  • 涙もろい感傷
  • 音声の識別困難
  • 疲労
  • 無関係な問題への執着
  • 応答の遅れ
  • 視野のかすみ
  • 短期

ネット運用指針

  • 時代差ボケ(タイムラグ)罹患者はただちに『該当環境から離脱させ』て当直から外すべしと特記されている

本来の予定

  • 1940年11月14日午前8時の大聖堂に降下・・・失敗した
  • レイディ・シェラプネルはずれの存在を信じていないし、タイムラグの実在も信じていない
  • カラサーズの症状を説明し、ネッド自身が本来の予定どおり降下できなかった説明をレイディ・シェラプネルにするのは嫌なので、このまま《主教の鳥株》を見つけ出すことにする

・・・もしかして、役立たずの義弟のこと?いや、エドワードは1940年にはすでに退位してるし、・・・

  • 義兄のエドワード8世でなくて、義弟のエドワードってダレダ?
  • 役立たずの義弟って、堂守の義弟のこと?

ドゥーキー

  • 王妃の愛犬
  • クイーン・マムの愛称で親しまれた晩年のエリザベス皇太后(エリザベス・ボーズ=ライアンのこと)は、ウェルシュコーギーを飼っていた
  • 第二次世界大戦中は、どんな犬を飼っていたのだろう?

ドイツ空軍(ルフトヴァツフェ)

<人>堂守

  • 義弟がいる

<人>ハワード主任司祭

  • 一晩中灼けた崩れた大聖堂ににいた
  • 火事場泥棒を見張っていた
  • 一緒にいた堂守が、お茶を飲むため帰宅した1時間は無人だった

実際には戻ってこなかった。今夜、ドイツ空軍(ルフトヴァツフェ)はかわりにロンドン爆撃することにしたのだ。

  • ザ・ブリッツ(英語: The Blitz、ロンドン大空襲)
  • 第二次世界大戦中にドイツがイギリスに対して1940年9月7日から1941年5月10日まで行った大規模な空襲のことである。
  • 「ブリッツ(ドイツ語: Blitz)」とは、ドイツ語で稲妻を意味する。

瓦礫の下からネッドが発掘した11月10日の日曜礼拝の式次第

  • 「・・・主催壇の赤いカーネーションは、ディヴィッド・ハルバースタム英国空軍大尉の思い出のため捧げる。説教壇のピンクのベゴニアと、主教の鳥株に生けた黄色い菊の花束は、祭壇ギルド婦人会生花委員会の寄付によるもので、同委員会の会長、ロ・・・・・」焼け落ちていた
  • 《主教の鳥株》が、5日前までここにあった証拠が手に入った

<動物・猫>猫

  • 本物の猫
  • もう40年近くも前に絶滅した動物の実物
  • 新入生は初めて猫を見て、感激している・・・狼くらいのサイズかと思っていたらしい

<人>新入生

  • 時代差ボケ(タイムラグ)にかかったような口ぶりだが、多分違うだろう
  • これが初めての降下

<食>こちこちに堅いロックケーキ

  • Rock cake
  • Rock buns(ロックバンズ)とも
  • ハリーポッターにも登場することから日本でも近頃その名が知られるようになりましたが、物語の中のように岩のように固いケーキという訳ではありません。食感はスコーンとクッキーの中間くらい。
  • オーブンの天板に生地をスプーンでポトリとラフに落として作るため、そのごつごつとした岩のような姿から「ロックケーキ」と名づけられました
  • いろいろなバリエーションはありますが、一般的にはバター多めのリッチなスコーン的な生地に、ドライフルーツとミックススパイスなどのスパイス類を加え、上にデメララシュガー(ザラメ糖のようなもの)をふりかけて焼き上げます。
  • 世界中どこにでもありそうなお菓子にもみえますが、一応イギリス生まれと言われています。いつ頃から存在するのかは定かでないのですが、広くイギリス中の一般家庭に広がったのは、第二次世界大戦下の食糧難の時代。厳しい食料配給制の中、他のケーキ類に較べて卵もお砂糖も少なくて済むこのロックケーキを政府が推奨したのです。当時のレシピでは小麦粉にオートミールを加えて嵩増ししていたため、さらに「ロック」に近かったよう。

ペン抜き

ミスター・スピヴンズ<犬>の頭を撫でようとした手が毛皮に触れるより早く、無理やりオックスフォードへと連れ戻され、附属病院に放り込まれた。

  • ネッドは、時代差ボケ(タイムラグ)

 

「みんなが自分のやることだけ気を付けて、ひとごとに口出ししなけりゃ、この世はいまよりずっとずっとさっさと動くだろうよ」と公爵夫人が、あらっぽいうなり声をあげました。

<時>21世紀

<場>オックスフォード 附属病院 (ロンドン)

  • ネッド・ヘンリー、重度の時代差ボケ(タイムラグ)に罹患
  • 2週間の絶対安静
  • タイムトラベル禁止

<人>レイディ・シェラプネル

  • 自分が望むものを必ず手に入れる
  • 彼女はすでに、英国教会とオックスフォード大学を征服し
  • 大聖堂ひとつを6ヶ月で建設するのは不可能だと訴える4000人の建設作業員を制圧
  • 国会からコヴェントリー市議会にいたるまで、《古めかしいシンボル》の再建に反対するあらゆる声を圧倒
  • 500億ポンドの予算
  • アメリカ人
  • 英国貴族と結婚したが、長続きしなかった

500億ポンドの予算

  • 1 イギリス ポンド=134.48 日本 円
  • 500億ポンド=6兆7240億 日本 円

時代差ボケ(タイムラグ)

  • 時代差ボケ(タイムラグ)は病気じゃない、隔離は無理
  • 体内時計と内耳の混乱によって生じる生化学的な不均衡で、医学的な処置は必要なし

抽斗(ひきだし)

ウッドストック・ロードをちょっと行けばすぐベイリアルにつくが、・・・

・・・アデレードまで出てから庭を横切り、ウォルトン・ストリートに出た。サマヴィルの校門があいていれば中庭を抜けてリトル・グランドンに行き、ウスターからブロードを通ってベイリアルの裏門から中へ入れる。

 <場>ベイリアル

<人>ダンワージ先生

  • 静かで人目につかない場所を見つけてくれる

ベイリアル

  •  ベイリアル寮
  • 13世紀にヨーロッパの大学で、貧窮学生を受けいれるために設けられた寮制度。
  • 当初の宿泊所の機能にとどまらず、次第に学問の場として大学の中心的存在となった。
  • 特にパリ、オクスフォードケンブリッジの各大学で発達した。
  • 中世ヨーロッパの各地に設けられた大学は、多くの教師と学生が結成した一種の同業組合(ギルド)であって、ユニベスシタスといわれていたが、その学生になるには教材費や教師への謝礼の他の費用が必要なので貴族や豊かな商人、豊かな農民など「金持ち」の子弟が普通だった。
  • 特に地方から大学に入ろうとするには下宿代などが必要であったので、学生は住居を見つけるのが一苦労だった。それでも向学心に燃えた若者が大学に集まり、彼らは貧窮学生といわれ、共同で一軒の家を借りたり、教授の家に賄い付きで下宿したりしていた。このような貧窮学生を受けいれるために、13世紀の各地の大学で学生の宿泊所として学寮」(college コレッジ)が増加していった。
  • 学寮は最初のうちは主として慈善的なものであり、誰か在俗の金持ち、または聖職にある金持ちの創設になった。一定数の貧窮学生の住居と生計を確保するために、建物と規則的な歳費が与えられたのであった。普通は学士の中から選ばれた「管理人」あるいは「学寮長」が、「監察官」(創設者によって指名され、高位聖職者であることが多かった)の統制のもとに勉学を指導し、規約の尊重を監督していた。<ジャック・ヴェルジュ/大高順雄訳『中世の大学』1979 みすず書房 p.75>
  • パリ大学では12世紀から初期の学寮(1180年に最初の学寮「十八人寮」が創設された)が始まったが、その数は13世紀に増加し、規約も明確にされた。ソルボンヌ学寮(1257年)、アルクール学寮(1280年)、ナヴァール学寮(1304年)などである。オクスフォード大学ではマートン学寮、ベイリアル学寮ケンブリッジ大学ではピーターハウス学寮などが創設された。

ウッドストック・ロード

  • 見つけられなかった

<場>サマヴィルの門

  • サマーヴィル・カレッジ (Somerville College)
  • オックスフォード大学のカレッジの1つ
  • 1879年に女性が高等教育を受けられるように設立された。
  • 1994年までは女性だけのカレッジであったが現在は半数が男子学生となっている。
  • 1878年に女性の高等教育を受けることを認める運動のなかで設立された学校の1つであり、名前はスコットランドの科学者メアリー・サマヴィルにちなんでいる
  • 1878年にレディ・マーガレット・ホールが9人の学生で設立され、翌年12人の学生によってサマーヴィル・ホールで設立された。サマーヴィル・ホールは宗教などを問わずに学生を受け入れた。
  • 1894年にサマーヴィル・カレッジとなった。

<人>フィンチ

  • ダンワージ先生の秘書

<場>マートン

  • マートン
  • ネッド・ヘンリーは間違って、マートン寮へ行こうとしてフィンチに助けてもらう

・・・クライストチャーチ・メドウ、足場と青いビニールシートに包まれたコヴェントリー大聖堂の尖塔が見える。・・・

クライストチャーチ・メドウ

クライストチャーチ

  • クライスト・チャーチ(英:Christ Church、ラテン語:Ædes Christi、「キリストの教会または修道院」の意、"The House" としても知られる)
  • イギリス、オックスフォード大学の最大かつ裕福なカレッジである。
  • 2003年には概算で1億7,500ポンド(370億円)の寄付があった。オックスフォード主教管区(diocese of Oxford)の大聖堂でもある。
  • 伝統あるカレッジとして知られ、全部で13人のイギリス首相を輩出している(大学の卒業生全体では15人になる)。
  • カレッジはイーヴリン・ウォーの「ブライヅヘッドふたたび」(Brideshead Revisited)、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、ハリー・ポッターシリーズなどの舞台となり、カレッジの建築はアイルランド国立大学ゴールウェイ校、シカゴ大学のハッチンソン・ホールを含む多くの大学に模されている。
  • ニュージーランドの南島にあるクライストチャーチも、このカレッジに因んで名づけられた。
  • ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジとは姉妹カレッジである。

・・・ハイ・ストリートを横断させた。・・・フィンチのあとについてセント・メアリー教会に隣接する歩道に・・・

セント・メアリー教会

  • 13世紀後半に建てられたオックスフォードを代表する教会。
  • 約62mの塔は展望台となっています。
  • 天気が良い日はオックスフォードの美しい街並みをぐるりと見渡せる、絶景スポットです。
  • 住所 St. Mary's Church St., Rotherhithe, London SE16

 AFSの事件

  • 大惨事があった
  • ダンワージ先生の史学生の一人が、19世紀で・・・

<場>ベイリアルの正面門

  • 中庭を抜けてビアードへ

<場>教員社交室(シニア・コモン・ルーム)

  • ダンワージ先生が、オフィスに代用する羽目になった
  • レイディ・シェラプネルに押し掛けられるから

<人>ミス・キンドル

  • 大惨事の主
  • シャーロック・ホームズが濃い霧の中でバスカヴィル家の犬を追跡している最中に橋から転落したあの辻馬車(キャブ)をネットを抜けて持ち帰った
  • これまでの人生で見た中でもっとも美しい生きものが顕現した・・・ウォーターハウス描くところのニンフ像のようにみえた。
  • オックスフォード大学の史学生でも最優秀の一人だったのに、レイディ・シェラプネルと6ヶ月つきあって、今はあれだ

ウォーターハウス

  • ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(John William Waterhouse, 1849年4月6日 - 1917年2月10日)
  • イギリスの画家。
  • 神話や文学作品に登場する女性を題材にしたことで知られる
  • ヒュラスとニンフたち

ネット

航時学部

問題

  • うちの史学生の一人が扇を盗み、ネットを抜けて持ち帰った
  • 過去からネットを抜けてなにかを持ち帰ることは不可能だったはずなのに、できてしまった

ウィンダミア卿夫人の母親みたいにみたいに・・・

ウィンダミア卿夫人

  • ウィンダミア卿夫人の扇』(英語: Lady Windermere's Fan, A Play About a Good Woman)
  • オスカー・ワイルドによって書かれた4幕構成の喜劇である。
  • 1892年2月20日土曜日にロンドンのセントジェームズ劇場にて初演された
  • この物語は、夫が他の女性と不倫をしているのではないかと疑っているレディ・ウィンダミアを中心にしている。レディ・ウィンダミアはこのことについて夫と対決し、夫は否定するが、妻の誕生日の舞踏会に不倫相手だと疑われている女性、アーリン夫人を招待しようとする。夫が不実だと考え怒ったレディ・ウィンダミアは、他の恋人を作って夫のもとを去ることに決める。何が起こったか知ったアーリン夫人はレディ・ウィンダミアを追いかけて夫のもとに戻るよう説得するが、このせいでアーリン夫人は自分の名誉に関わるような状況に追い込まれてしまう。実はアーリン夫人は、芝居開始時点より20年前に家族を捨てたレディ・ウィンダミアの母であった。アーリン夫人は自分の身と評判を犠牲にして娘の結婚を救った。

<人>エリザベス・ビトナー(ビトナー夫人)

  • コヴェントリー大聖堂最後の主教の未亡人(老婦人)
  • 現代もコヴェントリーに住んでいる
  • ダンワージ先生は、ネットの最初期の実験をやっていた頃の知り合い・・・エリザベス・ビトナーが娘もころ(美しい女性)
  • ビティ・ビトナーに恋に落ちた

<人>ミス・ジェンキンズ

  • 附属病院で、ネッド・ヘンリーを担当していたナース
  • ネッド・ヘンリーは、今までみたタイムラグ患者の中でも最悪の症例
  • 2週間の安静が必要と言った

<人>ミスター・チズウィック

  •  航時学部の学部長

レイディ・シェラプネルは、過去へ行って《主教の鳥株》を盗んでこられるか、ばかり考えているが・・・

ミスター・チズウィック先生の専門

  • 過去から現在へなにかを持ち込むことは時空連続体の法則に反する
  • 物理法則を破ることは、壊滅的な結果を招くことになる・・・予測不可能
  • ある物体を過去から現在に持ってくるということは、記時錯誤的な齟齬を招く
  • 軽く済んだ場合でも、その齟齬のずれの増大をまねくだろう
  • 最悪の場合、時間旅行が不可能になるかも、あるいは歴史の流れが変わってしまうとか、宇宙が崩壊するとか

ジョン・バーソロミュー」と言ってネッド・ヘンリーの存在をミスター・チズウィック先生にかくす

ジョン・バーソロミュー

記時錯誤(パラクロニズティック・コングルーアティ)

  • 記時錯誤の記録
  • たいしてない
  • 150年以上何も起こってない・・・うちの史学生の一人が扇を盗み、ネットを抜けて過去のもを持ち帰ったのに

 <人>アンドルーズ

  • 1560年に行っていて現在にいない

ヴィクトリア朝

それは黄金の昼下がり、子供時代の夢のつどう地に横たえておくれ、記憶のなぞめいた輪の中・・・

  • 不思議の国のアリス』巻頭詩より
  • それは黄金の昼下がり
    気ままにただようぼくら
    オールは二本ともあぶなげに
    小さな腕で漕がれ
    小さな手がぼくらのただよいを導こうと
    かっこうだけ申し訳につけて
    ああ残酷な三人! こんな時間に
    こんな夢見る天気のもとで
    どんな小さな羽さえもそよがぬ
    弱い息のお話をせがむとは!
    でもこの哀れな声一つ
    三つあわせた舌に逆らえましょうか?
    居丈だかなプリマがまずは唱える
    その宣告は「おはじめなさい」
    すこし優しげに二番手の希望
    「でたらめをいれること」
    そして三番手が語りをさえぎること
    一分に一度以上ではないにせよ
    すぐに、とつぜんの沈黙が勝り
    想像で彼女らが追いかける
    夢の子が奔放で新しい謎の地を
    動き回るのを追って
    鳥や獣と親しく語る――
    そしてそれを半ば真に受け
    そしてやがて、お話が渇えると
    想像の井戸も枯れ
    そして疲れた語り手が
    肩の荷をおろそうとすれば
    「つづきはこんど――」「いまがこんどよ!」
    と声たちがうれしそうにさけぶ。
    かくして不思議の国のお話がそだち
    ゆっくり、そして一つ一つ
    その風変わりなできごとがうちだされ――
    そして今やお話は終わり
    そしてみんなでおうちへと向かう
    楽しい船乗りたちが夕日の下で
    アリス! 子どもじみたおとぎ話をとって
    やさしい手でもって子供時代の
    夢のつどう地に横たえておくれ
    記憶のなぞめいた輪の中
    彼方の地でつみ取られた
    巡礼たちのしおれた花輪のように

 

 「ありえないことを除外していったあと、最後に残れば、どんなにありそうになくても、それが真実だ」シャーロック・ホームズ

<場>研究室

<人>ミス・ウォーダー

  • ネット研究室
  • まるまる太ったブロンドショートヘアーの女性
  • ネット技術者
  • 時代差ボケ(タイムラグ)中のネッド・ヘンリーには大天使に見えているようだ

 SPCCのデモ隊

  • コヴェントリー大聖堂の復元反対派

<人>バードリー・チャウドゥーリー

レイディ・シェラプネルがバードリー・チャウドゥーリーを運転手にして、行方不明の史学生(ネッド・ヘンリー)を捜しにロンドンまで行ったので、研究室にはミス・ウォーダー一人

  • ミス・ウォーダー一人で、衣装部とネットをきりもりしないといけない

『その周りにも内側にも、一面に目があった』

・・・シルフか?いや、それは風の妖精だ、・・・・・・

シルフ

  • シルフ(Sylph)、あるいはシルフィード(sylphid)とは、四大精霊のうち、風を司る精霊・妖精(elementals)である。
  • この言葉の起源はパラケルススであり、その著書の中でシルフについて、空気の要素を持つ目に見えない精霊であるとしている。その姿を現すと、ほっそりした優美な人間の少女に似ている
  • 西洋のパラケルススに由来する錬金術では、錬金術師や、関連する薔薇十字団などの動きによって、ヘルメス主義的な文献の中でたびたびシルフについて言及されている。 西洋の主流派で初めてのシルフに関する議論はアレキサンダー・ポープによってもたらされた。『髪盗人』では、ポープによるシルフについて説明する理論を作り上げ、薔薇十字団や錬金術に関するフランス語の文献を風刺している。英雄詩や、疑似科学的な「暗黒の、神秘的な」文献、とりわけ18世紀のイングランドやフランスの難解な英雄詩のパロディーの中で、ポープは新しい錬金術をでっち上げ、その中でシルフについて神秘的、化学的に凝縮された気難しい女性の体液であるとしている。ポープの詩の中では、かんしゃくや虚栄に満ちた女性は、その魂は天に昇ることのできない暗黒の霧となるために、死後にシルフになるとされた。ポープの詩の中で、ヒロインのベリンダ(Belinda)には小さなシルフの一団が仕えていた。彼らはベリンダの虚栄心を育て、また彼女の美しさを守っていた。これはパラケルススのパロディーであり、ポープは疑似科学的な錬金術を模倣することで、うぬぼれの強い女性が外見を繕うことに関していかに大真面目かを表現した。ジョン・ミルトンの『失楽園』のパロディーを用い、その中で男爵はベリンダの髪を一房切り取ろうとしたとき、シルフたちはその空気の体でハサミの刃の間に入り込み、ベリンダの髪を守ろうとした。物語に登場するシルフたちの隊長は、ウィリアム・シェイクスピアの『テンペスト』に登場するプロスペロー(Prospero)に仕える風の精霊と同じアリエル(Ariel)の名前を付けられている。
  • バレエ作品の『ラ・シルフィード』ではシルフは中世の妖精物語や妖精と関連づけられたことや、またこの他の精霊的な存在との混同(ウィリアム・シェイクスピアの『夏の夜の夢』など)により、細身の女子が「シルフ」と呼ばれることがある。
    「シルフ」の語は小さな精霊や風の妖精全般を表す一般語へと転化していった。ファンタジー作品の著者らはしばしばシルフを作中に登場させている。シルフは空気の羽で空に巨大で芸術的な雲を作り出すことができるとされることもある。

・・・水の精は別の字ではじまる。Nだ。ネメシス?・・・

ネメシス

  • 水の精?ネッド・ヘンリーが混乱しているのかと・・・思われる
  • ネメシス(古希: Νέμεσις, Nemesis)は、ギリシア神話に登場する女神である。人間が神に働く無礼(ヒュブリス)に対する、神の憤りと罰の擬人化である。ネメシスの語は元来は「義憤」の意であるが、よく「復讐」と間違えられる(訳しにくい語である)。擬人化による成立のため、成立は比較的遅く、その神話は少ない。主に有翼の女性として表される。

・・・泉の水を汲もうとしたヒュラースがそれに出くわし、水の中に引きずりこまれた。・・・

ヒュラース

  • ヒュラース(古希: Ὕλας, Hylās)
  • ギリシア神話の人物である。
  • 長母音を省略してヒュラスとも表記される。
  • ドリュオプス人の王テイオダマースと、オーリーオーンの娘でニュムペーのメノディケーの子。あるいはケーウクスの子。
  • ヒュラースはヘーラクレースに仕える美しい少年で、ヘーラクレースに愛された。しかしヘーラクレースに従ってアルゴナウタイに参加したが、美しさゆえに泉のニュムペーにさらわれたという。
  • ヘーラクレースはドリュオプス人が非道な人々だったのでテイオダマースを殺し、館から幼いヒュラースを奪って、従者として育てた。ヒュラースは優れた従者に成長し、ヘーラクレースの弓矢持ちを務めた。 アルゴナウタイがキオス河河口近くのキアノスに上陸したとき、ヘーラクレースは森に木を伐りに行き、ヒュラースは近くの泉に水を汲みに行った。しかしそれは土地のニュムペーたちが歌舞団をつくってアルテミスを祭るときであり、ヒュラースが向かった泉のニュムペーたちも水底から水面に上がって来るところだった。そしてヒュラースを発見して、一目で彼の美しさに魅了され、水を汲もうとするヒュラースの手を取って水底に引き込んでしまった。ヒュラースは驚いて助けを呼んだが、駆けつけたポリュペーモスはヒュラースを発見できず、帰って来たヘーラクレースにそのことを伝えた。ヘーラクレースはポリュペーモスとともにヒュラースの名を呼びながら探したが、ついに発見できず、その間にその他のアルゴナウタイたちは待っていた風が吹いたのでヘーラクレースたちがいないことに気づかずに出航してしまった。ヒュラースは水底でニュムペーの夫となったが、そのことを知らないヘーラクレースは土地の人々を脅迫してヒュラースについて聞き出そうとした。そのため人々は人質を出し、ヘーラクレースの代わりにヒュラースを探し続けることを誓った。そこでヘーラクレースは人質をトラーキスに住まわせ、自分はエウリュステウスの難行を果たすために戻った。またポリュペーモスはこの地にキオス市を創建した。 ヒュギーヌスによると、ヒュラースがさらわれたのはキオスとアスカニオス河の近くで、アルゴナウタイが出航したのはアルゴー船が風に流されたためだった。またウェルギリウスは水夫たちがあまりに大きな声でヒュラースを呼び続けたので、岸全体が「ヒュラー、ヒュラー」と木霊を返したと言っている。テオクリトスによるとヒュラースをさらったニュムペーたちはエウニス、マリス、ニュケイアである。ヘーラクレースはヒュラースを探して大声で3度呼ぶと、ヒュラースも3度呼び返したが、水底から叫ぶため、ヘーラクレースにはまるで遠くから叫ぶように聞こえた。ヘーラクレースは結局発見できず、徒歩でコルキスに向かい、アルゴナウタイたちと再会したという。アントーニーヌス・リーベラーリスによると、ヒュラースが水汲みに向かったのはアスカニオス河である。またヒュラースをさらったニュムペーたちはアスカニオス河の娘で、彼女たちがヒュラースに恋をして泉に引き込んだという。彼女たちはヘーラクレースがヒュラースを探し続けるので、いつか発見されるのではないかと考えて、ヒュラースを木霊に変えてしまった。このためヒュラースはヘーラクレースの呼び声に何度も声を返したが、結局発見されなかった。ヘーラクレースは自分で探すことをあきらめてアルゴナウタイたちとともに出航したが、この地にポリュペーモスを残し、ヒュラースの捜索を頼んだ。しかしポリュペーモスもヒュラースを発見できず、土地の人々は今でもヒュラースに犠牲を捧げ、神官が名前を3度呼ぶと木霊が3度返って来たという。 ストラボンもヒュラースの祭祀が後世まで残っていたと述べているが、それは人々がヒュラースの名を呼びながら山中を歩くという、狂騒の祭礼だった。

『火は光輝き、火から稲妻が出ていた』

<人>T・J・ルイス

  • 航時学部の学部生
  • 黒人
  • ダンワージ先生がチズウィック先生を捜しているときいて、ケンブリッジで求職活動をしている、チズウィック先生は、たった今、退職したことを知らせにきた

<人>ラニフォード先生

  • 航時学部副学部長
  • 1655年で屋根葺(ふ)き用のストレートを調べている

記時錯誤的齟齬(きじさくごてきそご)について

  • T・J・ルイスに調べさせる・・・時間物理学者の大多数は齟齬が可能だと考えてない、例外は藤崎ぐらい
  • 秘書のフィンチにベルリンのエルンスト・ハッゼルマイヤーにたずねさせる・・・伝言をたのんだ

藤崎の仮設

  1. それは齟齬でないというもの・・・時空連続体の中には、統計的に無視できる(ノンシグニフイカント)物質や事象があるという説・・・空気、煤、無害な細菌など、本来属している時代から取り除かれても、連続体の何の影響も与えないもの
  2. 齟齬は確かに存在するが、連続体はそれに対抗する防御手段をあらかじめ備えている・・・ずれがおこる
  3. ありえないが、万一もし現実に齟齬が生じた場合、連続体はその齟齬を修正するような別種の防御システムを発動し、問題の齟齬が生じた現場の周辺エリアでずれを劇的に増大させ、偶然の出来事を増やすことで、周辺の時間エリアにずれの増大させる・・・大半の齟齬は50年の範囲内で修正される(理論的な話で、データの裏付けなし)、もし本当に深刻な場合はネットに障害が発生する(ネットが開かない不具合、行先錯誤、)

藤崎の仮設1より

  • 問題のもの(無視できないもの)は、もとの時間的位置にもどせないだろう
  • 連続体が許さない、戻した状態でも無視できるものなら別
  • ネッド・ヘンリーが1940年に、秋の聖歌隊フェスティバルと募金バザーでカボチャの形をした橙色んのペン抜き1個(無視できないもの)買い、忘れたまま現時代に帰ろうとしたら、ネットは開かなかった
  • ミス・キンドルの場合はなぜネットは開いたのか?
  • 生き物は、無害な細菌なら大丈夫だが、それ以外はダメ
  • 生物が連続体に与える影響は、無性別の場合と比べて大きいから
  • ウィルスや微生物を含め、げんざいや未来に影響を与えるものは、せべてダメ

藤崎の仮設2・・・ずれのメカニズム

  • 時間旅行者を潜在的な危険のあるエリアから動かすことで、齟齬の潜在的可能性のほとんどが未然に防ぐ
  • ずれの大きさは限度があり、記時錯誤を防止できるほど大きなずれを起こせなかった場合齟齬が生じる
  • 齟齬が生じた場合、歴史の流れが変わる、深刻なケースでは宇宙全体が崩壊
  • 現代のネットにはそれら齟齬を防ぐ安全機構がある・・・ずれが危険レベルに達して齟齬の危険性を察知したとたん、ネットは自動的に停止する 

サブミリナル学習テープ

・・・『じゃじゃ馬ならし』の衣装を・・・

じゃじゃ馬ならし

・・・1990年代に上演した古臭いヌード版『リチャード三世』の再演。・・・

リチャード三世

  • 『リチャード三世』( -さんせい、King Richard III)
  • イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピア作の史劇。
  • 正式なタイトルは『リチャード三世の悲劇』(The Tragedy of King Richard the Third)。初演は1591年。
  • タイトルロールのリチャード三世は狡猾、残忍、豪胆な詭弁家であり、シェイクスピア作品の中ではハムレットと並んで演じ甲斐のある役とされている。
  • 前作にあたる『ヘンリー六世』において、父のヨーク公と兄のエドワード四世を支えたリチャード。醜悪不具の肉体を備えた怪物はヘンリー六世と血みどろの戦いを続ける一方で機知と皮肉に満ちた言葉を吐き、内心は王座に就く野心を持っていた。

あの降下の時のずれ9分

彼女の他の降下のずれ2分から30分

帰還降下時のずれはなし

 1880年と1890年代に対して実施した降下の全リストと、その際のずれ(スリッページ)データと通常のパラメーター

ネッド・ヘンリーの任務

  • 行先は、1888年6月7日の午前10時
  • テムズ川・・・(ほとんど聞き取っていない状態)
  • 2週間のうちに残った時間は、自由時間

例の水の妖精の名前はナイアスだ。『ヒュラースとナイアス』。・・・

ナイアス

  • ナーイアス(古希: Ναιάς, Nāïas)
  • ギリシア神話に登場する妖精種族で、泉や川のニュンペーである。
  • ギリシア語のνάειν, naein (流れ)またはνἃμα, nama (流水)に由来する。
  • 英語、フランス語などではナイアド(英: Naiad、仏: Naïad)。
  • 英語ではネイアドとも発音する。
  • ドイツ語などではナヤーデ(Najade)。
  • 複数形はナーイアデス(古希: Ναιάδες, Nāïades)。英語ではナイアズ(Naiades)。
  • 日本語では長母音を省略してナイアス、ナイアデスとも表記される。
  • 海のニュムペーであるネーレーイス(ネレイド)とは別。
  • 各々の泉や川に別のナーイアス(1人または複数)がいる。その泉や川の神の娘とされることが多いが、ホメーロスによればゼウスの娘。オーケアノスの娘とされることもある。
  • ナーイアスがいる泉や川の水を飲むと、病気が治る。しかし、水に入ることは冒涜とみなされ、呪われ病気になったり気が狂ったりする。
  • 地方の伝承には頻繁に現れる。また、人間の妻となることがあり、英雄の先祖や妻として系図に姿を現す。

<人>カラザーズ

  • 1940年コヴェントリー大聖堂へネッド・ヘンリーと一緒に派遣されていたメンバー
  • 回収を2時間待たされた航行者
  • 抜けた先は、前よりあとの時点の前と同じカボチャ畑(バーミンガムとコヴェントリーの中間地点にある)だったので、農夫の女房が何頭もの犬を連れて待ち構えていた・・・マフチフ犬に襲われていた
  • ずれ・・・午後一杯努力したが、一番近くて場所はカボチャ畑(バーミンガムとコヴェントリーの中間地点にある)だったので、15日のコヴェントリー大聖堂へ戻るのに苦労した。
  • 今日だけで4回トライしたけど、一番近くて12月8日
  • ネッドだけが、一番近くまで行った
  • 空襲前の11月14日にどうしても行けない。2週間チャレンジし続けてる
  • 7人の史学生がチャレンジしてるが失敗したので、がらくた市からネッド・ヘンリーが引っ張り出された

<人>キンドル

  • マッチングズ・エンドへ降下していた

マッチングズ・エンド

 

「旅路の果ては恋の逢瀬」

20世紀の連続活劇のパール・ホワイトさながら・・・

パール・ホワイト

  • パール・ホワイト(英: Pearl White、1889年3月4日 - 1938年8月4日)
  • アメリカの舞台、映画女優
  • 本名はパール・フェイ・ホワイト(Pearl Fay White)
  • 6歳のときに舞台作品で女優デビューを果たし、その後サイレント映画に進出して、数々の有名な連続活劇作品に出演した。
  • ホワイトは『ポーリンの危難 (en:The Perils of Pauline (1914 serial))』など、出演した活劇作品で多くのアクションシーンのスタントを自らこなし、「連続活劇の女王」と呼ばれるようになっていった。

タイムトラベル鉄則第一条

  • 『正確な時空位置を確認すること』

<時>季節は夏、線路があるので1804年より後、懐中時計は10時15分過ぎ

  • 予定通り1888年6月7日の午前10時なのか?

<場>線路の上

主教の鳥株がコヴェントリー大聖堂に寄贈されたのは、1852年

セント・マイケル教会が主教管轄になったのは、1908年

<場>オックスフォード 列車の駅

  • どこへ向かうか、ミションを覚えていない
  • 無人のホーム

・・・ハワーズ・エンド?いや、それはE・M・フォスターの小説だ。・・・

ハワーズ・エンド

  •  『ハワーズ・エンド』(Howards End)
  • 1910年に出版されたE・M・フォースターの小説。 
  • 映画化されている

<時>・・・新聞だった。1888年6月7日付けのタイムズ。

  • 正しい時点

スチーマートランク

  •  steamer trunk
  • 主に1870年代から1920年代の長い旅行に使われた、蒸気船や蒸気機関車のベッドの下に入れられるよう、上部が平らになった中型の頑丈なトランク。しかし、ラクダの背のように上部が膨らんでいるものも含まれることがある。また、小型で薄いキャビン・トランクを指す場合もある。

 <人>

  • 汽車から降りてきた老婦人
  • カレッジの仕事をしている弟の迎えをまっている様子
  • 使用人なのにハーバートという人が結婚すると言って、怒っている

<人>モード

  • 老婦人と一緒におりてきた若い婦人
  • 老婦人のことを伯母様と呼ぶ
  • 迎えに来るひとは伯父

<人>ハーバート

  • 使用人
  • 教会で知り合った人と結婚する

・・・1888年に、切り裂きジャックの殺人歴(キャリア)はスタートしてたんだっけ。・・・

切り裂きジャック

  • 切り裂きジャック(きりさきジャック、英: Jack the Ripper、ジャック・ザ・リッパー
  • 1888年イギリスで連続発生した猟奇殺人事件および犯人の通称。世界的に有名な未解決事件であり、現在でも犯人の正体についてはいくつもの説が唱えられている。
  • 切り裂きジャックは、1888年8月31日から11月9日の約2ヶ月間ロンドンのイーストエンド・オブ・ロンドン、ホワイトチャペルで少なくとも売春婦5人をバラバラに切り裂き、殺人を実行したが逮捕には至らなかった。
  • 署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、劇場型犯罪の元祖とされる。
  • 当時の定義づけによる精神病患者から王室関係者まで、その正体については現在まで繰り返し論議がなされているが、1世紀以上経った現在も犯人は不明である。
  • 切り裂きジャックは売春婦を殺人の対象に選んだ。犯行は常に公共の場もしくはそれに近い場所で行われ、被害者はメスのような鋭利な刃物で喉を掻き切られ、その後、特定の臓器を摘出されるなどした。
  • そのような事実から解剖学的知識があるとされ、ジャックの職業は医師だという説が有力視されている。しかし近年、最新のプロファイリングにより肉屋であるという説も有力とされた。
  • このような事件が起きていた間にも、被害者の女性たちが警戒心もなく犯人を迎え入れていた形跡があることから、実は女性による犯行とする説もあった。また、犯行は1年以上続いたなど、様々な異説がある。
  • 「ジャック」とはこの場合特定の人物の名前を示すわけではなく、日本でいう「名無しの権兵衛」のように英語圏で呼び方の定まっていない男性を指す名前である
  • 詳細は「ホワイトチャペル殺人事件」を参照
    一連の事件における被害者の数については、現在でもさまざまな説が唱えられているが、以下の5名は切り裂きジャックによる犯行と確実視されている。
    1888年8月31日(金) - メアリー・アン・ニコルズ(42歳)
    1888年9月8日(土) - アニー・チャップマン(47歳)子宮と膀胱を犯人により持ち去られる。
    1888年9月30日(日) - エリザベス・ストライド(44歳)犯人が目撃された唯一の事件。
    1888年9月30日(日) - キャサリンエドウズ(43歳)左の腎臓と子宮を犯人に持ち去られる。
    1888年11月9日(金) - メアリー・ジェーン・ケリー(25歳)皮膚や内臓を含めほぼ完全にバラバラという最も残忍な殺され方をした。
    犯行は夜、人目につかない隔離されたような場所で行われ、週末・月末・もしくはそのすぐ後に実行されている点が共通しているが、相違点もある。キャサリンエドウズはただ一人、シティ・オブ・ロンドンで殺害された。メアリー・アン・ニコルズはただ一人、開けた通りで発見された。アーニー・チャップマンは他の被害者とは違い、夜明け後に殺害されたと見られている
  • 被害者(推定)「ホワイトチャペル殺人事件」も参照
    先述の5名以外にも、切り裂きジャックによる被害者と推測されている人物は、以下の通りである。
    フェアリー・フェイ
    1887年12月26日、杭で腹部を串刺しにされて殺害された。犯行手口が異なる。
    アニー・ミルウッド
    1888年2月25日、下腹部と足を何度も刺され、一命は取り留めたものの、同年3月に退院後死亡した。
    エイダ・ウィルソン
    1888年3月28日、首を2度刺されるが一命を取り留めた。
    エマ・エリザベス・スミス
    1888年4月3日、局部に鈍器を入れられて重傷を負うが、家まで歩いて帰った。警察には2・3人のギャングに襲われたと話したという。2日後に病院で死亡。
    マーサ・タブラム
    1888年8月7日、全身を39箇所も刺されて殺害された。動機の欠如、犯行の残忍さ、地理的・時期的な点から見ても、切り裂きジャックの被害者である可能性が高いと見られている。ただし、喉を掻き切るのではなく刺されている点で他の被害者と異なる。
    "ホワイトホール・ミステリー"
    1888年10月2日、頭部のない女性の胴体がホワイトホールで発見された。片方の腕はピムリコの近くのテムズ川から発見された。片方の足は遺体発見現場の付近に埋められていたが、他の部分は発見されなかった。
    アニー・ファーマー
    1888年11月21日、首を切られるも、傷は深くなく命に別状はなかった。警察は自傷行為を疑い、捜査は中断された。
    ローズ・ミレット
    1888年12月22日、首に絞められた跡があり窒息死であった。彼女が酔って人事不省の時に、自分のドレスの襟で誤って窒息したのではないかという説もある。
    エリザベス・ジャクソン
    1889年5月31日から同年6月25日までの間に、遺体の各部がテムズ川で見つかった。
    アリス・マッケンジー
    1889年7月17日、頚動脈を切断されて殺害された。
    "ピンチン通りの殺人"
    1889年9月10日、身元不明の女性遺体(胴体)が発見され、リディア・ハートという売春婦ではないかと見られている。"ホワイトホール・ミステリー"との連続殺人とみなされ、犯人には"トルソ・キラー"や"トルソ・マーダー"というニックネームが付けられた。切り裂きジャックが"トルソ・キラー"なのか、他の人物なのかは分かっていない。前述のエリザベス・ジャクソンも"トルソ・キラー"の被害者ではないかという説がある。
    フランシス・コールズ
    1891年1月31日、喉を掻き切られて殺害された。
    キャリー・ブラウン
    1891年4月24日、殺害現場がニューヨークのマンハッタンである。絞殺したのち、ナイフで遺体を切断するという犯行手口。鼠径部に大きな傷があり、足や背中も刺されていたことが判明している。ベッドの上に卵巣が発見されたものの、持ち去られた臓器はなかった。一連の事件と類似するケースであるが、ロンドン警察は「切り裂きジャックとは無関係」と結論づけた。
  • 壁の落書き
    詳細は「ゴールストン・ストリートの落書き」を参照
    2件の殺人が犯された9月30日の早朝、アルフレッド・ロング巡査が犯行現場を捜索中、ゴールストン通りで血のついた布を発見した。後にこの布はキャサリンエドウズのエプロンの一部ということが分かった。
    その近くの壁には白いチョークで書かれた文書があった。その文書は「The Jews are the men That Will not be Blamed for nothing.」もしくは「The Jews are not The men That Will be Blamed for nothing.(ユダヤ人は理由もなく責められる人たちなのではない)」というものであった。
    この文を見たトーマス・アーノルド警視は、夜が明けて人々がそれを目にすることを恐れた。彼はその文章が一般大衆の反ユダヤ主義的感情を煽るのではないかと思ったのである。事実、メアリ・アン・ニコルズの殺害以降、ユダヤ人の犯行ではないかという噂がイースト・エンドで流れていた。そのため、アーノルド警視はこの文書を消すように指示した。
    この文章はスコットランドヤードの区域で見つかり、犯行場所はロンドン市警察の管轄内であったため、2つの異なった警察部隊に分かれることになった。特にロンドン市警察の警察官たちはアーノルドに反対であった。この文章は証拠の可能性があり、せめてその前に写真を撮るべきだと主張したがアーノルドは賛成せず、結局明け方に消されてしまう。
  • 切り裂きジャックから届いた手紙
  • 1888年9月27日、切り裂きジャックを名乗る手紙が、新聞社セントラル・ニューズ・エイジェンシーに届いた。9月25日付けの消印が押された "Dear Boss" (親愛なるボスへ)の書き出しで始まるこの手紙の内容は、切り裂きジャックは売春婦を毛嫌いしており、警察には決して捕まらない、犯行はまだまだ続くと予告する挑発的なものであった。この件が新聞で伝えられると、切り裂きジャックを名乗る手紙が何百通も新聞社などに届いたが、そのほとんどがいたずらかメディアによる自作自演であった。しかし、最初に届いたものを含む以下の3通は、偽物だとは断定できなかった。
  • 1888年9月27日配達(消印25日)セントラル・ニューズ社に届いた手紙。「切り裂きジャック」の署名がある最初のもの。
  • 1888年10月1日配達(消印同日)セントラル・ニューズ社に届いたはがき。「切り裂きジャック」の署名。
  • 1888年10月16日配達(消印15日)ホワイト・チャペル自警団代表ジョージ・ラスクに届いた小包。「切り裂きジャック」の署名はなく、「地獄より」の書き出しで始まっている。アルコール保存された腎臓が同封されており、人間の女性のものであると確認された。医学生によるいたずらだという説もあるが、酒の飲みすぎによりブライト病(英語版)に犯されたものだという主張をする法医学者もいた。
  • 被疑者
    詳細は「en:Jack the Ripper suspects」を参照
    切り裂きジャックの被疑者については、これまで多数の人物が挙げられているが、その中でも以下の7名が有力視されている。
    モンタギュー・ジョン・ドルイト(Montague John Druitt、1857年8月15日 - 1888年12月1日)
    弁護士および教師。事件当時から、風貌が似ているという目撃証言が寄せられていた。最後の事件後、テムズ川に飛び込み自殺をしている。
    第1・2の事件時、所在不明。メルヴィル・マクノートン(当時の英国捜査当局の責任者)のメモにより、20世紀半ばから有力な被疑者と呼ばれるようになった。その内容によると、精神病を患っていたことが示唆されている。ただし、マクノートンの記述に間違いが多く(たとえば、職業を医師としているなど)、信憑性に欠ける。
    マイケル・オストログ(Michael Ostrog、1833年 - 1904年頃?)
    ロシア人。海軍の駐在医(外科医)という経歴を持つ。殺人を含む複数の前科があり、詐欺や窃盗の常習犯。
    警察に逮捕された末、精神病棟に隔離された経験がある。事件時に所在不明だったことから、当時から被疑者の1人として捜査当局内で名前が挙がっていた。
    トマス・ニール・クリーム(Thomas Neill Cream、1850年5月27日 - 1892年11月15日)
    アメリカ人の医師。危険な薬物(ストリキニーネ)を用いて売春婦を毒殺、「ランベスの毒殺魔」と呼ばれていた。
    1892年に死刑執行。その際に絞首台で「俺は切り裂きジャッ…」と言い残した(正確には、"I am Jack the…"まで言った時に床板が外された)とされる。しかし、一連の事件が起こった1888年当時、トマスはアメリカのイリノイ州にある刑務所に投獄されていたため、犯行は不可能である。また、ジャックという発言も「私は射精している(I am ejaculating)」の聞き間違いの可能性が指摘されている[1]。
    アーロン・コスミンスキー(エアラン・コスミンスキ、Aaron Kosminski、1865年9月11日 - 1919年3月24日)
    ポーランド出身。ユダヤ系の理髪師。殺人現場であるイースト・エンド近辺に住み、犯罪歴・精神病の入院歴があり、売春婦を憎んでいた。
    目撃者の証言により当局に逮捕されたが、重い精神の錯乱が見られた。また、切り裂きジャックが書いたとされる手紙と筆跡が一致しなかったとされるなど、証拠不十分を理由に起訴は断念された。証言も後に撤回されている。
    1919年、強制入院先の精神病院で死亡。
    ジェイムズ・メイブリック(James Maybrick、1838年10月24日 - 1889年5月11日)
    木綿職人。事件の3週間前、現場近くにあるミドルセクス・ストリートの部屋を借りていたため(用途不明)、捜査線上に浮上した。
    妻のフローレンス・メイブリックに殺害された「メイブリック事件」の被害者として有名。メイブリックは冤罪であるという意見も根強い。
    1991年に切り裂きジャックと署名のある日記が発見され、メイブリックが書いたものという主張がなされた。一時期話題になり映画化の話も伝えられたが、日記の発見者とされた人物の偽造だった。
    ジェイコブ・リーヴィー(Jacob Levy、1856年 - 1891年7月29日)[2]
    ユダヤ人の精肉業者。「ユダヤ人」「死体の解体に慣れ、血まみれの格好をしていても怪しまれない職種」というプロファイリングにより浮かび上がった。
    1888年9月30日、3件目の殺害現場であるバーナー街の国際労働者会館前では、ユダヤ教社会主義の会合が開かれていた。また、4件目の殺害現場にあった壁に「ユダヤ人は理由もなく責められる人たちではない」という落書きが残されていたことが、ユダヤ人説の根拠として挙げられている。
    さらに、4件目の現場であるシティ・オブ・ロンドンの近所に住む、同じくユダヤ人の精肉業者であるジョゼフ・リーヴィーに目撃されたが、ユダヤ人の迫害を恐れたジョゼフは、捜査陣に犯人像を詳しく語らなかったと言われている。しかし、ジョゼフが口にした「犯人は被害者より3インチ(約8cm)高かった」という身体的特徴は、リーヴィーに当てはまる。
    リーヴィーは梅毒に罹患しており、梅毒からくる精神障害を患い「不道徳な行いをしろ」という幻聴を聞いていたという記録がある。リーヴィーの妻は「夫はノイローゼにかかっていたようで、一晩中街を徘徊していることがあった」と証言している。
    事件当時、リーヴィーはフィールドゲート街からミドルエセックス街に引っ越したが、両地点も犯行現場を結んだ円内にあるため、地理的プロファイリングとも一致する。しかし、5件目の殺人が発生した頃、リーヴィーはすでに梅毒の末期症状で体の自由が利かず、犯行はおろか日常生活すら困難な状況下にあった。
    専門家の間では、「リーヴィーが犯人であった場合、解剖の仕方が異なる点や犯行現場が屋内であったことから、5件目の犯行は模倣犯によるもの」という説が指摘されている。
    ウォルター・シッカート(Walter Richard Sickert, 1860年5月31日 - 1942年1月22日)
    ドイツ人の画家。パトリシア・コーンウェルは、99%の確度を持つミトコンドリアDNAの一致などからシッカートを犯人とした[3]。

ネッド・ヘンリーは任務も連絡相手も思い出せないでいる

『足もとに黄ばんだ枯葉が散りはじめ、老いが忍び寄ってくる』

『ウィリアム父さんお歳をめして』

  • 『不思議な国のアリス』

・・・アミーリア・ブルーマベッツィ・トロットウッドだ・・・

  • アミーリア・ブルーマ・・・アメリカの女性解放運動家
  • ベッツィ・トロットウッド・・・『デイビッド・カッパーフィールド』の登場人物で主人公の大伯母

デイビッド・カッパーフィールド

  • デイヴィッド・コパフィールド』(David Copperfield)
  • チャールズ・ディケンズの長編小説
  • 1849年から1850年にかけて、雑誌に月刊連載された。
  • カタカナ表示では「デイヴィッド・カッパーフィールド」の方が英語発音に近いのでそう表記されることもある。[要出典]
  • デイヴィッドは幼少期に辛酸を嘗めるが、大伯母に助けられ作家として成功する。個性豊かな人物が数多く登場し、また前半部は自伝的要素が強い。

<人>テレンス・セント・トゥルーズ

  • オックスフォードの駅へ老夫人二人を迎えに来たが、誰もいなかった青年がネッド・ヘンリーに話しかけ自己紹介した
  • ネッド・ヘンリーの連絡相手ではない様子

・・・ジャウェッドの影響だね・・・

ネッド・ヘンリーが自己紹介の時、うっかり「ベイリアル」と答えてできた自分設定

  • カレッジは、ベイリアル
  • 今年は病気で休学していたから、この秋から復学する
  • それまで、河を旅して体力を回復しろと医者にいわれた・・・
  • 今朝、医者に言われてコヴェントリーから来た

・・・もつれた煩(わずら)いの細糸をしっかり撚(よ)りなおしてくれる眠り・・・

・・・セント・トマス・ア・ベケットが殺された場所だろ。『かの不逞の僧をだれが厄介払いしてくれる?』

セント・トマス・ア・ベケット

  • トマス・ベケット(Thomas Becket, 1118年12月21日- 1170年12月29日)
  • イングランドの聖職者でカンタベリー大司教(在任:1162年 - 1170年)
  • ノルマン人富裕層の両親の子としてロンドンに生まれた。
  • 1142年ごろ、カンタベリー大司教セオバルドの元に仕え、留学の後1154年に助祭長となる。
  • また、イングランド王ヘンリー2世に大法官として仕えた
  • しかし、大司教に叙階された後は教会の自由をめぐってヘンリー2世と対立するようになり、さらには他の司教の支持も失い1164年、国外へ逃亡した。
  • 逃亡先のポンティニー修道院は、当時追放された他のイングランドの高位聖職者達がトマス・ベケットをはじめ、多数滞在した 。
  • ヘンリー2世との和解は1170年に成ったものの、帰国早々またしても問題が発生した。ヘンリー2世の息がかかった司教に対し、トマス・ベケットが懲戒を行ったものである。ヘンリー2世は当時ノルマンディーに滞在していたがこれに激怒し、その意を汲んだ4人の騎士がカンタベリーに向け渡海、12月29日の夕刻トマス・ベケットカンタベリー大聖堂において暗殺された。目撃者の証言によると最後の言葉は「喜んで私は、イエスの名のために、また教会を守るために死ぬ」であったと伝えられている

<場>コヴェントリー

  • レイディ・ゴダイヴァ
  • ピーピング・トム

レイディ・ゴダイヴァ

  • ゴダイヴァ夫人Lady Godiva、990年頃 - 1067年9月10日?)
  • 11世紀イングランドの女性。
  • 英国伯レオフリックの夫人で、自身も後に領主となった。
  • 夫レオフリックの圧政を諌めるためコヴェントリーの街を裸で馬に乗って行進したという有名な伝説が残っているが、中世を専門とする歴史家の見解は、これは史実ではないことで一致している。
  • 同時代頃(?)の偽イングルフの年代記によれば、ゴダイヴァは「美しいかぎりの、聖い心もちの女性」であったといわれる。
  • ベルギーのチョコレートメーカー「ゴディバ」のブランド名およびそのロゴはゴダイヴァ夫人の伝説に由来する。なおチョコレートブランドの日本語の表記と発音は「ゴディバ」とすることが多い
  • 英米で広く信じられている漠然とした伝説は、領民に対して情けぶかい夫人が、理不尽な夫に難癖をつけられて素裸で長髪をなびかせ馬に乗って町内を横断する羽目になり、町人は夫人に恩義を感じて目をそむけ野次馬を差し控えたのだが、ただ一人、トムという男が盗み見たため、以来、ピーピング・トムといえば覗き見をする人間の代名詞となった、というものであるが、このうちどの部分がどのように成立したかを以下に説明する。
  • この伝説については、ロジャー・オブ・ウェンドーヴァー(1236年没)の年代記、『歴史の花』がもっとも簡素かつ最古とされる典拠であるが、それは次のような記述である:
    伯爵夫人ゴダイヴァは聖母の大そうな敬愛者で、コヴェントリーの町を重税の苦から解放せんと欲し、たびたび夫に対して祈願して(減税を)迫った。…伯爵はいつもきつく叱りつけ、二度とその話はせぬようと嗜めたが、(それでもなお粘るので)ついに「馬にまたがり、民衆の皆がいるまえで、裸で乗りまわせ。町の市場をよぎり、端から端まで渡ったならば、お前の要求はかなえてやろう」と言った。ゴダイヴァは「では私にその意があればお許し頂けますのですね?」念をおしたが、「許す」という。さすれば神に愛されし伯爵夫人は、髪を解きほどき、髪の房を垂らして、全身をヴェールのように覆わせた。そして馬にまたがり二人の騎士を供につけ、市場を駆けてつっきったが、その美しいおみ足以外は誰にも見られなかった。そして道程を完走すると、彼女は喜々として驚愕する夫のところに舞い戻り、先の要求を叶えた。レオフリク伯は、コヴェントリーの町を前述の役から免じ、勅令(憲章)によってこれを認定した。
    ロジャーの『歴史の花』よりも広く書写された中世時代のベストセラーに、同じ僧院の後輩マシュー・パリスによる補訂版ともいうべき『大年代記』があるが、その記述も上と大差はなく、誰にも見られなかったことを伯爵が「奇跡だと感じ入った」という部分のみが誇張である。 
    トマス・パーシー司教のフォリオ写本(1650年頃の写本)所収のバラッドの一篇「レオフリクス」(Leoffricus)では、伯爵はすでに市民に対し免税優遇策を施してはいたが、ただ「馬税」だけがいまだ徴収されていたので、妻のゴダイヴァ (Godiva) が、更にその撤廃を嘆願した。ゴダイヴァは、裸で馬乗りすることを命じられた日を指定して、町内中の役人に通知すると、役人たちは彼女の意を汲み、町民たちに命じて、「その日は家にこもって戸も窓も締め切るように」と言いつけた(町民に屋内に閉じこもれという発令がされるのは、このバラッドが初だという)。
    また、「裸で」という言葉の解釈にも諸説あり、「長い髪が効果的に体を隠していた」「下着のようなものは身に着けていた」「貴族の象徴である装飾や宝石類を外した格好だったことを『裸で』と言い表した」など複数の説がある。ただし、彼女の時代の"naked"という語は「いかなる衣服も身につけず」という文字通りの意味であり、それ以上の比喩的な使い方があったわけではなく、後付的な解釈である感も否めない。また、領民のためではなく自らの懺悔のために行ったという説もある

ピーピング・トム

  • ピーピング・トム伝説
  • 町衆みんなが守った礼儀にさからって、一糸まとわぬゴダイヴァ夫人をただひとり覗き見したというピーピング・トム伝説は、文学作品から広まった形跡はない。
  • これは17世紀以降、コヴェントリー地域の巷に出現した伝説である。
  • 1826 年に投稿された W. Reader という地元通の記事によれば、夫人をのぞき見した仕立屋がいたという伝説はそのころすでに定着しており、町をあげての恒例の祭り (Trinity Great Fair 現今en:Godiva Festival) では、ゴダイヴァ夫人に扮した人が行列に参列し (Godiva processions)、街角には「ピーピング・トム」と呼ばれる木像が置かれるしきたりであった。同記事の筆者は、この木像の甲冑・異称などから、それがチャールズ2世(1685年没)時代頃のものと推定する。また、古物収集家ウィリアム・ダグデール(1686年没)が、その巨著らのなかで「のぞき野郎」のことにひとことも触れていないことから、伝説の発祥はその後と結論した。
  • ゴダイヴァ夫人の行進の行事が初めて開催されたのは1677年であるが、翌1678年にはジェームズ・スウィナートンという男の子がゴダイヴァ夫人役だったという。
  • 文献における「覗き男」登場の経緯はどうかというと、これは『英国人名事典 (DNB 1890) 』に詳しい。まず歴史家ポール・ド・ラパン=トワラ (1732年)がルポタージュする地元事情によれば、戸窓を閉めきって見るな、死罪に処すぞ、ときついお達しがあったのにのぞき見した男がおり、そいつは命で償ったというのが町の言い伝えであり、町ではこの故事を記念し、男の像が一軒の家の窓から外を覗くように飾ってあると報告する。次にトマス・ペナント『チェスターからロンドン』( 1782 年)によれば、 のぞき見したのはとある仕立屋だったとし、ゴダイヴァ夫人の行進では、ゴダイヴァ役が、むろん全裸ではないが、四肢にぴったり合わせた純白の絹衣をまとうとしている。英国人物事典によれば、「ピーピング・トム」が名指しで文書に登場する最古例はコヴェントリー市の公式年代記(1773年6月11日付)で、木偶に新しいかつらと塗料が支給された記録である。
    このほか、覗き男の名がアクティオン(?)(Action) であったという1700年以前の書簡があるという。
  • トム(トーマス)という名はアングロサクソン名ではないので、実在のゴダイヴァ夫人の時代の領民の名としてはありえないことが指摘されている。またトーマスはこののちに天罰がくだって盲目にされた、あるいは住民によって視力を奪われてしまったとも伝えられる。
  • ピーピング・トム (俗語)
    ピーピング・トム (Peeping Tom) は英語の俗語で、覗き魔のこと。ゴダイヴァ夫人の裸身を覗き見た上記の男の名に由来する。日本語の同意の俗語「出歯亀」(でばがめ)に相当。

<人>シリル

  • テレンス・セント・トゥルーズが、河下りを一緒にしようと待たしている相手

<人>ジェイブズ

  • ノインボブ渡しで貸しボートを借りた相手

・・・だからいまの僕は、南のマリアナ・・・

テニスン

石碑の上の忍耐の像のように、ほほえみをもって苦しみにたえて』いるわけさ・・・

  • 十二夜』二幕四場
  • ボート代が足りないと訴えているテレンス・セント・トゥルーズ(文無し学生)

ほら、スピークバートンみたいにさ。・・・

スピーク

  • ジョン・ハニング・スピーク(John Hanning Speke、1827年5月4日 - 1864年9月15日)

  • イギリスの探検家ヴィクトリア湖とリポン滝(英語版)の命名とハム仮説(英語版)の提唱で知られている。

  • デヴォンで生まれたスピークは1844年に17歳で英印軍の前身のイギリス東インド会社の軍に入隊し、コリン・キャンベル(英語版)の元でシク戦争(en:First Anglo-Sikh War)に従軍した。休暇にはヒマラヤを探検し、一度はチベットに渡った。

  • 1854年当時既に有名であったリチャード・フランシス・バートンソマリアを探検した。これはうまくいかず2人とも負傷した。スピークは捕えられ何度か槍で刺されたが逃げ出した。バートンも両頬を投げ槍で傷付けられた。スピークはイギリスに戻るとクリミア戦争に従軍した。

  • 1856年バートンとスピークはヨーロッパ人には確認されていなかったナイル川源流の「発見」を信じて東アフリカからアフリカ大湖沼地域へ探検した。スピークは耳に入った虫をナイフで掻き出してその耳が一時的に難聴になった。またある時は一時的に目が見えなくなった。2人はヨーロッパ人で初めてタンガニーカ湖に達し、ウケレウェ湖(Lake Ukerewe)と呼ばれる別の湖についても聞いたが、バートンの病のためにスピークが一人で冒険し、ヴィクトリア湖命名した。観測機器が故障したため詳細な地理的データは採取できなかった。

  • スピークは1859年5月8日にバートンより先にイギリスに戻り2人の冒険について王立地理学会で講演し、ヴィクトリア湖ナイル川の水源であると主張した。1861年、王立地理学会はヴィクトリア湖の発見などアフリカにおける地理上の発見の功績に対し、スピークに金メダル(創立者メダル)を授与した。1864年、英国学術協会の総会前日に銃の暴発によって死亡。一説では自殺とも言われる。

バートン

  • サー・リチャード・フランシス・バートン(Sir Richard Francis Burton, 1821年3月19日 - 1890年10月20日
  • イギリスの探検家、人類学者、作家、言語学者、翻訳家、軍人、外交官。
  • 千夜一夜物語』(アラビアン・ナイト)の翻訳で知られる。
  • 19世紀の大英帝国を代表する冒険家である。

・・・『ボートの三人男』は昔から僕の愛読書だった。とくにハリスがハンプトン・コートの迷路で迷うくだりが最高だ。

ボートの三人男

  • ボートの三人男(ボートのさんにんおとこ、原題 Three Men in a Boat, To Say Nothing of the Dog!
  • ジェローム・K・ジェロームの代表作。
  • 1889年に出版されたユーモア小説で、イングランド南西部のキングストン・アポン・テムズ区からオックスフォードまでのボートでのテムズ川の旅が記されている。
  • 当初、この本はユーモア小説ではなく歴史的、地理的な展望書として構想されていた。3人の登場人物は、作者のジェローム自身と2人の友人がモデルである(1人はのちにバークレイズ銀行の取締役になる)。3人の旅の供になる犬の存在は創作である。
  • 日本では、大学等での英文講読テキストに用いられている。
    後年ジェロームは、ヨーロッパの自転車旅行を題材に取り上げた『自転車の三人男(Three Men on the Bummel)』(1900年出版)という作品を執筆するが、売上は振るわなかった。

・・・きみがただゆったり河を漂って、『やさしく呟くせせらぎに満ちた流れ』を楽しむなら・・・

ヴェローナの二紳士

  • ヴェローナの二紳士』(ヴェローナのにしんし、The Two Gentlemen of Verona)は、ウィリアム・シェイクスピアの初期の喜劇
  • シェイクスピア劇の中では登場人物の数が最も少なく、ヒロインが少年に変装する最初の作品。テーマは友情と背信。一部で劇の呼び物と言われているのは、プローテュースの道化た召使いラーンスとその犬クラブで、クラブは「シェイクスピア正典中、最も場面をかっさらった喋らない役」とも言われている

・・・のんびりとマッチングズ・エンド・・・

  • マッチングズ・エンド・・・ダンワージ先生が言った地名、「連絡相手は誰某」
  • ネッド・ヘンリーは、マッチングズ・エンドという地名のキーワードで、テレンス・セント・トゥルーズが「連絡相手は誰某」だと確信していく・・・

・・・「それだけあればボートが買える。コイヌールだってね。・・・

  • 英国室所蔵のダイヤ

コイヌール

  • コ・イ・ヌールヒンディー語:कोहि नूर Kōhi Nūra、Koh-i-noor, Kohinoor, Koh-i-Nur)
  • インドで発見されたダイヤモンドである。
  • コーヒ・ヌールと表記されることもある。もともとはペルシア語で「光の山」を意味する「کوه نور」(クーヘ・ヌール)に由来している。
  • かつては世界最大のダイヤモンドと呼ばれ、その歴史において周辺国の幾人もの王侯がその所有を争った。
  • 最終的にインド女帝となったイギリスのヴィクトリア女王のものとなり、現在はロンドン塔で展示されている。大きさは105カラット(21.6g)。

<場>ハイズブリッド・ストリート

  • 待たしてるはずの馬車が居なくなっていたあと、テレンス・セント・トゥルーズが時間を惜しんで歩きだした場所

<場>セント・オールデートとハイ・ストリートの交差点(オックスフォード)

・・・「その塔に陽光をあび」る、ジョン・ヘンリー・ニューマン・とルイス・キャロルトム・ブラウンのオックスフォードだ。・・・

ジョン・ヘンリー・ニューマン

トム・ブラウン

  • どのトム・ブラウンかがわからない・・・
  • トマス・ヒューズの『トム・ブラウンの学校生活』のことか?

<場>クイーンズとモードリンの両カレッジまで曲がりくねりながらつづくハイストリート

<場>旧ボドレアン図書館

<場>ラドクリフ館(カメラ)とシェルドニアン大講堂

  • 旧ボドレアン図書館の隣

<場>ブロード・ストリート沿いの一角には全盛期を誇るベイリアル

・・・マシュー・アーノルドジェラード・マンリー・ホプキンズH・H・アスキスのベイリアル・カレッジ。あの門の中では、かの偉大なるベンジャミン・ジャウェットが、もじゃもじゃの白髪に風格のある声で、「けっして説明するな。けっして謝罪するな」と学生に教えている。・・・

マシュー・アーノルド

  • マシュー・アーノルド(Matthew Arnold, 1822年12月24日 - 1888年4月15日)
  • イギリスの詩人、批評家
  • イングランドのサリー州北部スペルソーン・リールハムにうまれる。
  • 父は名門のラグビー校で規律を重んじる革命を行った校長として有名な聖職者トーマス・アーノルドである。
  • 1837年にはラグビー校に入学し、1847年に奨学金を得てオックスフォード大学のベリオール・カレッジに進学した。
  • 1845年には同大学のオリオル・カレッジのフェローに選任された。
  • イギリスの耽美派詩人の代表であり、文明批評家でもある。
  • ヴィクトリア朝時代における信仰の危機をうたった絶唱の「ドーヴァー・ビーチ」が有名である

ジェラード・マンリー・ホプキンズ

  • ジェラード・マンリ・ホプキンス(Gerard Manley Hopkins、1844年7月28日・イギリス - 1889年6月8日・アイルランド
  • イギリス・ヴィクトリア朝時代の詩人、イエズス会所属の聖職者。
  • 彼は自分の書いた詩に半韻を使用して、半韻を一般的にした。また、スプラング・リズムを確立した。『ドイッチュラント号の遭難』や 『鷹』といった詩がよく知られている。
  • 1844年、エセックスストラトフォードで生まれた。
  • 1863年、オックスフォード大学のベリオール・カレッジに入学した。
  • 在学中にオックスフォード運動 (Oxford Movement) の影響を受けていた。ジョン・ヘンリー・ニューマンにならって彼の心もしだいにカトリック教会のほうに傾き、1866年ニューマンのもとで改宗、翌年オックスフォード大学を古典学科最優秀の成績ででると、その翌年にはイエズス会に入った。
  • 1877年に叙階し、ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン教授となる。

H・H・アスキス

  • 初代オックスフォード=アスキス伯爵ハーバート・ヘンリー・アスキス(Herbert Henry Asquith [ˈæskwɪθ], 1st Earl of Oxford and Asquith, KG, PC, KC、1852年9月12日 - 1928年2月15日)
  • イギリスの政治家、貴族。
  • ヘンリー・キャンベル=バナマンの引退後、代わって自由党党首・首相となった(在職1908年 - 1916年)。
  • さまざまな内政改革を行いつつ、外交では自由帝国主義者として海軍増強に力を入れ、ドイツ帝国との建艦競争を行い、最終的には第一次世界大戦を招いた。
  • 子に映画監督のアンソニー・アスキス、曾孫に女優のヘレナ・ボナム=カーターがいる。
  • 1852年生まれ。
  • 幼い頃に父を亡くし、いろいろな家を転々とする半孤児的な少年時代を送る。
  • 学業優秀だったため、奨学金を得てオックスフォード大学ベリオール・カレッジに入学。

ベンジャミン・ジャウェット

<場>コーンマーケットの塔の時間が11時半の鐘

  • セント・メアリー教会、クライストチャーチのグレートトム、モードリンの銀のピールがハイ・ストリートの先から鐘の唱和が聞こえてくる
  • コーンマーケットに辻馬車を見つけに来た
  • この時代、車もある

・・・オックスフォード。「中世の最後のこだま。」が残る「挫(くじ)かれた大義の街」・・・

  • ピューリタン革命で処刑されたチャールズ一世を支援したことを指してマシュー・アーノルドが言ったとされる言葉

<場>カーファックスを横断し、セント・オールデートを歩いてゆく

<場>ブルドッグ

  • ブルドッグ亭の看板・・・頭から湯気をたてた学生監が学生を追い回す絵が描かれている

頭から湯気をたてた学生監が学生を追い回す絵

  • オックスフォード大学の学生監補佐は、ブルドッグと呼ばれている

<場>クライストチャーチの金色の壁とトム・タワー

  • 壁で囲まれた学生監公館の庭

・・・壁で囲まれた学生監公館の庭。そこから子供たちの笑い声が聞こえてくる。アリス・リデルと姉妹たち?・・・

アリス・リデル

  • アリス・プレザンス・リデル(Alice Pleasance Liddell, 1852年5月4日 - 1934年11月16日)
  • 少女時代にルイス・キャロルの児童小説『不思議の国のアリス』(1865年)および『鏡の国のアリス』(1871年)の成立に関わったイギリスの女性で、一般に両作品の主人公アリスのモデルとされている人物である。
  • 結婚後の名はアリス・ハーグリーヴズ (Alice Hargreaves)

・・・チャールズ・ドジスン不思議の国のアリス』を書いたのはいつだっけ?いや、もっと前、1860年代だ。でも、通りをわたった向こうには、アリスが羊からお菓子を買ったあの店がちゃんとある。・・・

チャールズ・ドジスン

  • ルイス・キャロルLewis Carroll [ˈluːɪs ˈkæɹəł], 1832年1月27日 - 1898年1月14日)
  • イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人である。
  • 本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン (Charles Lutwidge Dodgson [ˈt͡ʃɑːłz ˈlʌtwɪd͡ʒ ˈdɒdsən]) で、作家として活動する時にルイス・キャロルペンネームを用いた。
  • このペンネームは "Charles Lutwidge" をこれに対応するラテン語名 "Carolus Ludovicus" に直し、再び英語名に戻して順序を入れ替えたものである。なお、 "Dodgson" の実際の発音は「ドジソン」ではなく「ドッドソン」に近いという説もある
  • 作家としてのルイス・キャロルは、『不思議の国のアリス』の作者として非常に良く知られている。「かばん語」として知られる複数の語からなる造語など、様々な実験的手法で注目されている。
  • 数学者としては、チャールズ・ドジソン名義で著作を出している。
  • キャロルの作品は出版以来人気を博し続けており、その影響は児童文学の域に止まらず、ジェイムズ・ジョイスホルヘ・ルイス・ボルヘスのような20世紀の作家らにも及んでいる
  • リデル一家がクライストチャーチに移った1855年の4月25日アリスはこの学寮に籍を置くルイス・キャロルこと数学者チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンと知り合った

不思議の国のアリス』を書いたのはいつだっけ?

アリスが羊からお菓子を買ったあの店

  • アリスショップ(Alice's Shop)は、オックスフォード、セント・オルデイツ通り83番地に位置するイギリスの商店である。
  • この店はルイス・キャロルの児童小説『鏡の国のアリス』(1871年)に描かれたことで有名になり、現在も当時の外観を保ったまま、アリスグッズの専門店として開店している
  • アリスショップはオックスフォード大学の学寮クライストチャーチの入り口・トムタワーの真向かいにある、600年の歴史を持つ建物を使用した店で、キャロルが作品を書いた当時はシープショップ」(ヒツジの店)という名の雑貨店であった。
  • 「ヒツジの店」は同学寮に住んでいたキャロルとアリス・リデルの行きつけの店であり、アリスはしばしばキャロルといっしょにこの店を訪れて好物のバーリーシュガーを買っていた。当時の店主は羊の鳴き声のようなしわがれ声の老女であったという。
  • 「アリス」の物語にしばしば自分とアリス・リデルとの共通の知人やなじみの場所をモデルにしたものを登場させていたキャロルは、鏡の国のアリス』の第5章「羊毛と水」の中にこのなじみの店を「The Old Sheep Shop」として登場させた。
  • 物語の中では、この店は本物のヒツジ(前章では「白の女王」であった)が店番をしており、店内には様々な品物が置いてあるが、アリスが品物をよく見ようとすると決まってその棚だけ空っぽになってしまう。『鏡の国のアリス』に挿絵をつけたジョン・テニエルはこの場面を実際の「ヒツジの店」に忠実に描いているが、ただし鏡の国の話であるため左右反転した形にされている。
  • 「アリス」の物語が有名になると間もなくこの店は「アリスショップ」の名で呼ばれるようになった。店は依然として雑貨店のままであったが、1960年代の半ばからアリスグッズの扱いをはじめ、現在は作品ゆかりの名所であるとともにもっとも著名なアリス関連商品の専門店となっている。

・・・『運命が繰り糸を握り、男は子供のごとく操られるままに動く。成功は天よりもたらされる』」・・・

  • ランズタウン侯爵ヘンリー卿の戯曲『高潔な恋』五幕一場より

<場>テムズ河

  • 川岸におんぼろのボート

・・・「『運命よ。もう駄目、自分で自分がどうにもならないの。きまったことはきまったこと。成り行きにまかせましょう』・・・

・・・ジェイブズは『オリヴァー・ツイスト』から抜け出したようだった。・・・

オリヴァー・ツイスト

  • オリヴァー・ツイスト』(Oliver Twist )
  • チャールズ・ディケンズの長編小説
  • 1837年から1839年まで「ベントリーズ・ミセラニー」に月刊分載、単行本は1838年刊。
  • 孤児オリヴァーが様々な困苦にもめげずに立派に成長するまでを描く。ディケンズ出世作である

<人>ジェイブズ

<動物・犬>シリル

・・・『オリヴァー・ツイスト』のビル・サイクスブルドッグを飼っていたんだっけ?・・・

『オリヴァー・ツイスト』のビル・サイクス

  • ビル・サイクス
    フェイギンの仲間。登場時35歳。フェイギンよりも血の気が多く、悪事を密告しようとしたナンシーを容赦なく撲殺する。警察に追われて逃げようとするも、ロープを使い屋根から降下している最中にロープが首に絡まって事故死(ミュージカル映画作品では、警察にピストルで射殺される死に方だった)。

・・・19世紀のブルドッグは牛攻め用(ブル・ペインティング)だったんじゃなかったけ?たしか、そこからファインティング・ブルの名がついたのでは?・・・

19世紀のブルドッグ

  • オールド・イングリッシュ・ブルドッグ(英:Old English Bulldog)
  • イギリス原産のブル・ベイティング(牛かませ)用の犬種である。
  • 現在のイングリッシュ・ブルドッグの原種であるが、19世紀から20世紀にかけて品種改良により姿が大きく変化しているため、区別するためにオールド・イングリッシュ・ブルドッグと呼ぶ。ブル・ベイティング・ドッグ、ブリティッシュブルドッグなどとも呼ばれた。
  • 12世紀頃に、ノルマン人によって犬を鎖に繋がれた牛や熊と闘わせる競技(ブル・ベイティング)がブリテン諸島にもたらされ、人気を得た。
  • 当初はさほど残酷なものではなかったが、苦しんで死んだ雄牛の肉が美味であるとされたところから、牛が死ぬまで攻撃させるものへとなっていった。
  • この娯楽に使われた犬は、原始的なマスティフタイプの犬種と考えられているが、16世紀頃からブル・ベイティングが王室等でも頻繁に催されるようになるなかで、犬種の改良が進んだ。
  • 1835年に残酷なスポーツをすべて禁止する法令が下されると、以後はペットや番犬等に使われることになった。
  • その頃から、ヨーロッパなどではドッグショーが盛んになり、ブルドッグもショードッグとして外見上の特徴を極端に誇張する改良が進められ、1879年にはザ・ケネルクラブの公認犬種となった。その結果、古い姿のブルドッグ(オールド・イングリッシュ・ブルドッグ)は消滅した。なお、アメリカ合衆国では脚が長く、且つ攻撃的な気性になるような改良が進み、アメリカン・ブルドッグとなった。
  • しかし、頭部が極端に大きく、吻部のつぶれた現代のイングリッシュ・ブルドッグは、軟口蓋過長による呼吸困難、よだれ過多、歯や頸椎、脊髄の変形、皮膚のヒダの間に起こる湿疹、体格が原因の難産など、多数の健康上の問題点を持つため、20世紀後半以降、19世紀初頭頃のブルドッグの古い姿を取り戻して犬質を向上させようとする試みが広く行われるようになった。
  • 特徴
    ブル・ベイティングに際して、牛の鼻や耳、舌に喰らいついて放さないための頑丈な口吻部を持つと同時に、その間も呼吸できるよう頭部全体が大きく幅広く、顎が鼻よりも前に出る。また、牛の角につかれないように体躯は小型である。しかし、現代のブルドッグと比べると大型で四肢は長く、マズルもやや短く、それほどつぶれていない。スムースコートで毛色の制限は無く、垂れ耳又は折れ耳(ローズ耳)だが、断耳してドーベルマンのように立たせた。尾は長い垂れ尾だが、時には短めに断尾された。性格は普段は忠実でのんびりしているが、ひとたびブル・べイティングに繰り出されると凶暴な性格に豹変し、情け容赦なく動物を攻撃した。粘り強い性格も持ち合わせている。

・・・「いやあ、84年の対ハロー戦以来の名キャッチだったな」と自画自賛して・・・

84年の対ハロー戦

  • サッカーかな?
  • ハロー校のことかな?

 

ジョージが、「河へゆこうじゃないか」と案を出した。・・・

<動物・犬>シリル
  • ブルドッグ
  • 19世紀のブルドック
  • 血統がいい
  • テレンス・セント・トゥルーズの犬

<時>12時15分

ノインボブ

  • noinbobはnine bob
  • 9シリングの訛り

ファーンセクス

  • farnsecks
  • 5ポンド6シリングの訛り

《ヴィクトリア号》

  • ボートの名前

<人>ドースン

  • 荷造りの天才
  • 連れてくるんだったとテレンス・セント・トゥルーズが言った
  • ネッド・ヘンリーは、ドースンの家の召使だろうと予想する
 ボートに荷物を積み、出発
  • イフリーへ向かう

時間物理学

  • 核エネルギー駆動の微細構造発振器を建設しないかぎり一歩も先へ進めない段階到達した
  • 多国籍企業は、40年も前に過去に手をつけることができないと判明した時点で、タイムトラベルへの関心を失い、資金提供は期待できなくなった
  • レイディ・シェラプネルはどうやって無尽蔵に資金をつくっているのか?
  • レイディ・シェラプネルはどうやってクライストチャーチ・メドウに大聖堂を建てる許可をとったのか?

<場>前方には、学寮の艇庫とチャーウェル河の緑のアーチ、モードリンの灰色の塔とテイムズ河の長いカーブ

「『茶色なる河、金色なる砂』」と引用してから、それが1888年以前に書かれたものであることを祈った。「『右も左も木立にはさまれ、永遠に流れ続ける』」とテレンスが先を続けたので、・・・

茶色なる河、金色なる砂 右も左も木立にはさまれ、永遠に流れ続ける

  • ロバート・L・スティーヴンスンの詩「舟はいずこへ」より

・・・たとえばシャロット姫だ。『姫は小舟の鎖を解き、身を横たえると、幅広き流れにのってはるばると運ばれる。

  • テニスン「シャロット姫」より
  • シャロット姫は小舟に横たわり、キャメロットまで流されてゆくんだが、そんなことはありえない・・・、寝そべっていたんじゃ舵をとれない

かわいそうなプリンセス・アージュマンド・・・

ブライ船長

  • バウンティ号の船長

バウンティ号の反乱

  • バウンティ号の反乱(バウンティごうのはんらん、Mutiny on the Bounty)
  • 18世紀末にイギリス海軍武装船バウンティで起きた艦長に対する反乱事件。
  • 当時の話題となり、その後多くの文学作品、映画などを生んだ。
  • バウンティ号は、タヒチ島から奴隷用の食料品としてパンノキを西インド諸島に運ぶ任務のために、英国海軍が貨物船を買い上げて臨時の軍艦とした徴用船で、小型の船舶であった。したがって、映画の題名などで用いられる「戦艦」という呼称は適切ではない
  • 乗組員は唯一の士官である艦長ウィリアム・ブライと上級准士官3人 ・ 准士官11人 ・ 士官候補生6人 ・ 下士官14人 ・ 水兵11人の計46人だった。ブライは33歳で、以前にジェームズ・クック船長指揮下のレゾリューション号の航海長を務め、その後商船の乗務員として航海しており、この海域に関して経験豊かだったが、艦長になるのは初めてだった。
  • 1787年12月23日にイギリスのポーツマス港を出航、当初は南米ホーン岬を回って太平洋を航行する計画だったが、天候不順のため計画を変更し、喜望峰を周ってインド洋に出て、1788年10月26日タヒチ島に到着した。航海中にブライは航海長のジョン・フライアを降格し、航海士(上級准士官)の1人フレッチャー・クリスチャンを海尉心得に抜擢している。
    1789年4月までパンノキやその他の植物を搭載するためにタヒチ島に滞在し、その期間中、クリスチャンはタヒチの女性と結婚し、多くの船員も現地生活を楽しんだ。3人の船員が脱走の罪で逮捕され、鞭打ち刑を受けた。
  • 1789年4月4日タヒチ島を出航し、喜望峰経由で西インド諸島を目指すため西に向かったが、4月28日トンガのフレンドリー諸島で反乱が起きた。途中の死亡者を除き、当時の乗組員44人のうち反乱者はクリスチャン以下12人だった。ブライ艦長以下19人は救命艇に乗せられて追放され、非反乱者のうち13人は船に残された。
  • ブライの指揮する救命艇は、41日かけてニューギニア島オーストラリア大陸の間の難所トレス海峡を通り、ティモール島にたどり着いた。
  • 一方、反乱者を乗せたバウンティ号は トゥブアイ諸島に3ヶ月滞在したが、その後タヒチ島へ向かった。16人の船員がタヒチ島に残り、クリスチャンと8人の反乱者はタヒチ島の現地人(男6人、女11人、赤子1人)を乗せて、フィジークック諸島を経て、1790年1月15日にイギリスの海図に載っていないピトケアン島にたどり着いた。クリスチャンらはバウンティ号を解体し、その資材を利用して島での生活を始めた。
    なお、タヒチ人の中には自ら志願してバウンティ号に乗り込んだ者のほかに、誘拐同然に連れ去られた者もいた。
  • 1790年3月15日にブライたちはイギリスに戻り、反乱を報告した。1790年11月フリゲート艦パンドラ号(エドワード・エドワーズ艦長)がバウンティ号の捜索のために出航した。1791年3月にパンドラ号はタヒチ島に到着し、14人の元バウンティ号乗組員(大部分は非反乱者)を逮捕、ブライよりもはるかに過酷な取り扱いをした。パンドラ号はその後もバウンティ号の捜索を続けたが、8月30日グレート・バリア・リーフの近くで、暗礁に乗り上げ沈没し、ピトケアン諸島に渡った反乱者たちを見つけることはできなかった。この沈没で31人の船員と4人の囚人が死に、残った89人の船員と10人の囚人が、1792年にイギリスに戻った。10人のうち、4人が無罪、2人が有罪だが恩赦、1人が法的手続の問題で釈放され、3人が絞首刑になった。
    ブライも軍法会議にかけられたが、無罪となり、職務に復帰した。彼の経歴は傷つかず、すぐに別の船プロビデンス号の艦長として、1791年に同様の任務を行い、無事成功した。しかし後に、総督として赴任したオーストラリアで現地の有力者と対立し、配下の治安部隊に反乱を起こされ軟禁されてしまう事件(ラム酒の反乱)を引き起こす。2度目の反乱勃発とあってはさすがに擁護もされず、有罪こそ免れたものの退役同然の扱いとなり、後に提督(中将)にまで昇進はするものの、事件以後は逼塞状態で余生を過ごした。

<!>私は、統計的に無視できない、あれを戻すのは、「猫」のことかもだと気づいてしまいました。

ランスロットを見るがいい・・・

シャーロット姫

イギリス 19世紀 詩人 アルフレッド・テニスン(1809-1892)の作品より
  • 川の中州にシャロット姫は住んでいた。シャロット姫は、外の世界を直接見ると、死ぬ、という呪いをかけられていた。

    川岸には、凛々しいランスロット卿の住む、キャメロット城がある。

    シャロット姫の部屋には、鏡があり、それを通してしか、外の世界を知ることができない。

    シャロット姫は、来る日も、来る日も、織物(タペストリ)を織りつづけている。

    恋愛を楽しむ恋人たちの姿を鏡を通して見るにつけ、シャロット姫は、鏡に映る影の世界に退屈し始める。

    ある日、ランスロット卿が、川のほとりで歌う。その歌声に惹かれ、シャロット姫は、織物の手をとめ、外の世界を覗いてしまう。

    とたんに、呪いが現実となってしまう。

    織物は飛び散り、その糸はシャロット姫に巻きつき、鏡には端から端まで、ひびが入る。

    ランスロット卿を追い、舟に乗り、岸まで行こうとしたシャロット姫だが、キャメロットの岸に舟が着いたときには、息絶えていた。

アーサー王

  • 5世紀ごろ実在したとされるブリトン軍の武将である。1484年にマロニーによって、まとめられ、出版されたアーサーの物語は、中世風騎士物語
  • ピューリタン革命で王権崇拝が崩れ、清教徒は王家にまつわる物語を弾圧

アッピウス・クラウディウスを読むかわりに、・・・『ローマ人は娯楽よりも仕事をよく理解する』・・・

アッピウス・クラウディウス

「プリンセス・アージュマンド」と呼ぶ美しい女

<人>ミス・ブラウン

  • ミス・ミアリングの付き添いの従姉

<人>ミス・ミアリング

  • 呼び名はトシー
  • セント・トゥルーズの恋に落ちた美しい人

<動物・猫>プリンセス・アージュマンド

  • ミス・ミアリングことトシーの探す猫
  • 体は黒で顔と足は白
  • 2日前に居なくなった猫
  • インドの王女さま(マハラニ)の名・・・タージ・マハールはこの女王にちなんで名付けられた

・・・セポイの反乱ラージャ、二者は交わることなし・・・

セポイの反乱

  • セポイ sepoy
  • 一八五七~五九年、英領インドで起こったイギリス東インド会社のインド人傭兵(セポイ)の反乱。
  • 一時デリーを占領、各地に勢力を拡大し、農民も合流したが、イギリス側の反撃によって鎮圧された。この間に、東インド会社は解散。イギリスによるインド直接支配を決定的なものとした事件であるとともに、インド最初の反英独立戦争とも評価されている。インド大反乱

ラージャ、二者は交わることなし

キプリング

  • ジョゼフ・ラドヤード・キップリング (Joseph Rudyard Kipling, 1865年12月30日 - 1936年1月18日)
  • イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ (ムンバイ) 生まれ。
  • 19世紀末から20世紀初頭のイギリスで最も人気のある作家の一人で、代表作に小説『ジャングル・ブック』『少年キム』、詩『マンダレー』など。「短編小説技巧の革新者」とみなされ、児童向け作品は古典として愛され続けており、作品は「多彩で光り輝く物語の贈り物」と言われる。
  • 1907年にノーベル文学賞を、41歳の史上最年少で、イギリス人としては最初に受賞。他にイギリス桂冠詩人爵位などを打診されたが辞退している。
  • キプリングの評価は時代ごとの政治的、社会的環境によって変わり、20世紀中にも対称的な見解が見られ、ジョージ・オーウェルは「イギリス帝国主義の伝道者」と呼んだ。評論家のダグラス・カーは「未だ解決されない、文化と文学の歴史における心情面の距離や彼自身の位置について触発させる作家である。しかしヨーロッパ帝国主義退潮の時代では、帝国の行跡についての議論での好適な通訳者と見なされている。加えて彼の残した作品への評価の高まりが、その再認識を必要とさせている。」と述べている。
  • 東は東、西は西East is East, West is West (「東と西のバラッド」) という言葉を遺したことでも知られる。2度ほど来日し、日本についての研究資料も残している。

<動物・犬>ダーウィン

  • オーヴァーフォース教授から木登りを教えてもらったダーウィンが、木からボートに飛び降りる
  • シリル(犬)がきらっている
  • オーヴァーフォース教授の犬

<人>ペディック教授

  • テレンス・セント・トゥルーズに駅に老桜の親戚を出迎えを頼ん老教授
  • テムズ川で溺れていたのをテレンス・セント・トゥルーズとネッド・ヘンリーが助ける
  • オーヴァーフォース教授に突き落とされた

・・・『かつて人と天使nより姿をみられしもの、咆哮とともに浮上せり』

・・・白いかまつか・・・

かまつか

  • カマツカ鎌柄、䱅 (, Unicode:4C45)、Pseudogobio esocinus)
  • コイ目 コイ科 カマツカ亜科の魚類の一種。
  • 日本では岩手県山形県以南の本州、四国、九州に分布する。国外では朝鮮半島や中国北部などに分布している。
  • 体長15-20cmほどの細長い体と、長く下に尖った吻が特徴。吻の下には1対のヒゲがある。主に河川の中流下流域や湖沼の砂底に生息し、水生昆虫などの底性の小動物や有機物を底砂ごと口から吸い込み、同時に砂だけを鰓蓋から吐き出しながら捕食する。繁殖期は春から初夏にかけてである。
    おとなしく臆病な性質で、驚いたり外敵が現れたりすると、底砂の中に潜り、目だけを出して身を隠す習性があることから「スナホリ」・「スナムグリ」・「スナモグリ」など、また生態が海水魚のキスに似ていることから「カワギス」など、また鰓蓋から勢いよく砂を吐き出す仕草から「スナフキ」という別名もある(尚、本種とは別に、一回り小柄なツチフキという魚も存在する )。

オックスフォードの魅力的な教授たち

ジャウェット

  • Jowett, Benjamin
  • [生]1817.4.15. ロンドン
    [没]1893.10.1. ハンプシャー,ヘドレーパーク
  • イギリスの古典学者,神学者,19世紀有数の教育者。
  • 後進に多大の影響を与え,1870年にはオックスフォード大学バリオール・カレッジの学長にもなった。訳書には『プラトンの対話篇』 The Dialogues of Plato (4巻,1871) ,ツキジデスの『歴史』 (81) などがあり,彼のプラトンの『共和国』についての講座はプラトンに対する関心を喚起した。 30年間の辛苦の末に完成した『共和国』の編訳は,死後 L.キャンベルの手によって公刊 (94) された。

R・W・ローパー

スプーナー

  • オックスフォード大学の哲学・神学教授だったウィリアム・スプーナー
  • スプーナーリズム

スプーナーリズム

  • 語音転換(ごおんてんかん、または頭音転換 (とうおんてんかん)、英語:Spoonerism, スプーナリズム、フランス語:Contrepèterie, ドイツ語:Schüttelreim)
  • 滑稽な効果を狙って、句の中のいくつかの音素、特定の音節を置換して新しい句を作る言葉遊びのこと。いろいろな言語の中に語音転換の例を見つけることが可能である。
  • オックスフォード大学の哲学・神学教授だったウィリアム・スプーナーがこの間違いをよくしたのに由来する。

クロード・ジェンキンズ

  • ネッド・ヘンリーのお気に入り

クック・ウィルソン

  • 論理学教授

チャールズ・ドジスン

バックランド

  • ウィリアム・バックランド(William Buckland、1784年3月12日 - 1856年8月24日)
  • イギリスの聖職者、地質学者、古生物学者である。最初に発見された恐竜の1つであるメガロサウルスについての著作を残した。
  • デヴォン州のアキスミンスター(Axminster)で生まれた。
  • オックスフォード大学のコーパス・クリスティ・カレッジで学び、ジョン・キッド(John Kidd)に鉱物学を学んだ。
  • 1818年に王立協会の会員に選ばれ、1824年から1826年と、1839年から1841年の間、ロンドン地質学会の会長を務めた。1847年に大英博物館の諮問委員に選ばれた。
  • 自然科学の知識と聖書の記述の調和をはかろうとした立場の科学者で、1823年の著書Reliquiae Diluvianaeで、ヨークシャー州のカークデール洞窟で発見された化石の記事と、聖書のノアの洪水との関係を示す仮説を示し、評判を得た。 

・・・『いと高く浄(きよ)き空から真っ逆様に、凄まじい勢いで炎々とっ燃え盛る焔(ほのお)に包まれて』

・・・バックランドは飼っている熊に・・・

  • ティグラト・ピレセル(熊の名)
  • ウィリアム・バックランドがしばしばパーティに同席させた愛熊
  • アッシリア王にちなんで名づけられた

・・・クラレンス公はマデイラワインの大樽で溺れ死んだがな。・・・

クラレンス公

  • 初代クラレンス公ジョージ・プランタジネット(George Plantagenet, 1st Duke of Clarence, 1449年10月21日 - 1478年2月18日)
  • ヨーク家のヨーク公リチャード・プランタジネットの六男。
  • 1461年、兄エドワード4世のイングランド王位継承に貢献したことでクラレンス公に叙された。
  • エドワード4世の後見人ウォリック伯リチャード・ネヴィルは、エドワード4世がエリザベス・ウッドヴィルと密かに結婚したころから、外交政策をめぐりエドワード4世と対立するようになった。
  • 1469年7月11日、ウォリック伯は年長の娘イザベル・ネヴィルとジョージを結婚させてエドワード4世を牽制した。
  • 1470年、ウォリック伯はジョージを誘ってエドワード4世を討伐し、ヘンリー6世を復位させた。
  • 政権を掌握したウォリック伯は、年少の娘アン・ネヴィルをヘンリー6世の世嗣エドワードに嫁がせてネヴィル家の安泰を図った。
  • 1471年、王座への道を絶たれたジョージは弟グロスター公リチャード(後のリチャード3世)の説得を受け入れ、3兄弟結束してウォリック伯を破って敗死させ、ヘンリー6世とエドワード王太子を殺害した。
  • 1472年、王太子未亡人アン・ネヴィルが弟リチャードと結婚すると、ウォリック伯領の相続をめぐって兄弟は対立するようになった。
  • 妻イザベルが1476年に死んだことも災いして、ジョージはウォリック伯領の相続争いに敗れ、エドワード4世への反逆を疑われ、ロンドン塔に送られて処刑された。
  • シェイクスピアの「リチャード三世」では、自身の処刑方法への当人の希望でマームジー(Malmsey)ワインの酒樽で溺死したとされる

ヴィランド・チェア

・・・『進みつづけよ!まだ進めるうちに!』・・・

ナサニエル・パーカー・ウィルス

<場>イフリー

<時>11時5分前

  • テレンス・セント・トゥルーズの約束の時間に間に合う
  • ペディック教授は途中で降りる

・・・「時のみがわれらのもの」・・・

セネカ

  • ルキウス・アンナエウス・セネカラテン語: Lucius Annaeus Seneca、紀元前1年頃 - 65年 4月)

  • ユリウス・クラウディウス朝時代(紀元前27年 - 紀元後68年)のローマ帝国の政治家、哲学者、詩人。

  • 父親の大セネカマルクス・アンナエウス・セネカ)と区別するため小セネカ(Seneca minor)とも呼ばれる

  • 第5代ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師としても知られ、また治世初期にはブレーンとして支えた。ストア派哲学者としても著名で、多くの悲劇・著作を記し、ラテン文学の白銀期を代表する人物と位置付けられる。

・・・恩恵に対する感謝は永遠・・・

 

ものごとはいつも見かけどおりとはかぎらない フェイドロス

フェイドロス

(場)イフリー

  • 橋の上
  • テレンス・セント・トゥルーズと彼女の待ち合わせ場所
  • 行方不明の猫のプリンセス・アージュマンド(ジュジュ)の飼い主

<人>トシー(ミアリング嬢)

  • テレンス・セント・トゥルーズと待ち合わせの彼女
  • 従姉と来ている

<人>ウェリティ・ブラウン嬢

  • トシーの従姉で彼女の付き添い
  • 二人とも、今夜マッチングズ・エンドに帰宅する予定
  • 一度、マダム・イリトスキーの家に戻る

・・・ヘンリー八世の奥さんのひとりだったキャサリン・ハワードの霊が徘徊してるとこ。・・・

キャサリン・ハワード

ヘンリー八世

<人>ノーラ・ライアン

  • 降霊術

カーライル 『フランス革命

  • 執事なのに御者をたのまれた人が読んでいた本

カーライル

  • トーマス・カーライル(Thomas Carlyle, 1795年12月4日 - 1881年2月5日)
  • 19世紀イギリス(大英帝国)の歴史家・評論家。
  • スコットランドのダンフリーズ・アンド・ ガロウェイ、エクルフェカン(英語版)出身。
  • 代表作には、『英雄崇拝論』、『フランス革命』、『オリバー・クロムウェル』、『衣装哲学』、『過去と現在』などがある。ドイツ文学を研究したことでも知られ、ゲーテとの往復書簡がある。〈全集 The works of Thomas Carlyle〉は30巻に達している。
  • 1865年にはエディンバラ大学の学長に任命され、1868年まで務めた。

・・・犬歯飾りが十二世紀のもの・・・「ノルマン建築ですね」・・・

犬歯飾り

  • ドッグトゥース(Dog-tooth)は、模様の一種。
  • 建築においては、中東から十字軍によってヨーロッパへ導入されたと考えられてきた、12世紀初頭の中世建築作品の繰形に見られる装飾(芸術)である。
  • 最古の例は、サーサーン朝ペルシアによって614年モアブでのラバト・アンモーン(現在のヨルダンの首都アンマン)に建設されたホールに見られ、日除けアーケード (建築物)のアーチ造形とそれに沿った路地を装飾していた。
  • 模様は、正方形かダイヤ形を形作る4つの花弁で主に構成されていた。その花弁は尖った円錐形の犬歯、糸切り歯や尖頭歯の形状である
  • ヴェネツィア近くのムラーノにある教会堂のアプスでも、同様に採用されている。
  • 12から13世紀に木彫り彫刻が精微化し、洗練されていない形状は廃れて、最も美しく装飾的な特徴が残った。エルジン大聖堂において飾り迫縁のドッグトゥース装飾は4枚の葉の形となり、そしてケント (イングランド)の石造教会ではもっと華やかに花の形となった。 その用語はdog tooth violet(ユリ目ユリ科カタクリ属の草類)に酷似しているため由来であると考えられるが、元々のアイディアは突き出た歯であるのは十分明らかである。

ノルマン建築

  • ノルマン様式建築(英文名称:Norman Architecture)
  • ノルマン風建築、アングロ・ノルマン建築などとも呼ばれ、ロマネスク建築に属する建築様式に分類され、特に11世紀にイギリスで発達した
  • ノルマン様式建築はノルマン風建築、アングロ・ノルマン建築などとも呼ばれ、ロマネスク建築に属する建築様式に分類され、11世紀に起こったノルマン人のイングランド王国占領ころから発達した建築様式なのでそう呼ばれている。
  • 通常巨大で単純な石造りで、外部の装飾は少なく、重厚さを感じさせる 。 ノルマン様式建築は、壁が厚く、柱が太い円柱であり、入り口や窓の上が半円形のアーチ状な特徴がある。前時代のサクソン様式建築と比べて建物が大きく、ステンドグラスが採用され、明かり窓の数も多く内部の明るさが増している。また、サクソン様式の木造屋根と違い、ノルマン様式では石造の天井が取り入れられており、交叉した半円形のアーチを連続させた支持力の高い構造となっている。ノルマン様式の寺院は城塞の建築様式に近く、武骨な外観の建物が多い。
  • イングランドの多くの大聖堂、修道院、その他建築物は初めこの様式に則って建てられ、いくつかは今もそのまま残り、もともとのフランス北部でもこの様式の建物があり、ノルマン人が進出したイタリア南部でもこの様式が採用された例があり、また日本でも近代になってこれに習って建てられた教会堂もある。

・・・『あっぱれクライトン』と『まじめが肝心』・・・

<人>ヴェリテッィ・ブラウン嬢

  • 実は、キンドルだった(ミス厄災こと主人公のナイアス)
  • ブラウンは時代名
  • 猫(プリンセス・アージュマンド)をネットを抜けて未来に持ち込んだ本人
  • レイディ・シェラプネルの命令で、トシーの日記を読むために派遣された(主教の鳥株のありかに関する手がかりがあるかも)

<人>トシー

  • 実はレイディ・シェラプネルのひいひいひいひい祖母だった

連絡相手はアンドルーズ

<人>ベイン

  • ヴェリテッィ・ブラウン嬢ことキンドルが、ダンワージ先生に報告するためにネットに入ろうとしたとき、ベインの姿が見えた
  • 執事
  • 読書家
  • 6月、プリンセス・アージュマンド(猫)を抱きかかえ、河(テイムズ河のど真ん中)めがけて投げた(キンドルことヴェリテッィ・ブラウン嬢の証言)

<時>1888年の夏

  • 今が問題の夏(6月)

トシー日記

  • 人生を一変させた経験をトシーが最初に記録した巻 1888年の夏に書かれた巻 は、水を吸って損傷がひどいから、キンドルが送り込まれた
  • 現場でキンドルが現物を読むため
  • トシーの保管が厳重で、まだ読めてない
  • 主教の鳥株をだれが教会に寄贈したか知るてがかりがあるかも

ダービーとジェンティラの二人

  • タイムトラベルが発明されたばかりの頃、過去の財宝を略奪する海賊船としてネットを開発
  • 略奪できなかった

・・・ウルトラとの関係があるからよ。・・・

ウルトラ

・・・『櫟(いちい)の木の下の陰、いかつい楡の木の下』・・・『腐葉土の小山が無数にうねり芝生を戴(いただ)くところ』・・・『それぞれの細い臥所(ふしど)に永遠(とわ)に横たわり、ハムレットの粗野な父祖たちが眠るところ』・・・

  • トマス・グレイ『田園の教会墓地で書かれた悲歌』

トマス・グレイ

  • Thomas Gray, 1716年12月26日 - 1771年7月30日
  • イングランドの詩人、古典学者、ケンブリッジ大学教授。
  • グレイが代表作『田舎の墓地で詠んだ挽歌』を書き始めたのは1750年、バッキンガムシャーのストーク・ポージス(Stoke Poges)の教会の墓場においてだとされる。未完のまま数年間放置され、1750年に完成した。1751年2月、ロバート・ドッズリー(Robert Dodsley)によってこの詩が出版されると、文学界にセンセーションを巻き起こした。その思索的で落ち着きのあるストイックな調子は大きな賞賛を受け、また剽窃・模倣・引用され、ラテン語ギリシャ語に翻訳された。現在でも『田舎の墓地で詠んだ挽歌』は人気があり、英詩のなかで、もっとも頻繁に引用される作品のうちの一つである。1759年のアブラハム平原の戦い(Battle of the Plains of Abraham)の後、イギリスの将軍ジェームズ・ウルフは部下の将校たちにこの詩を朗読して聞かせた後、「諸君、私は明日ケベックを落とすよりもこの詩を書きたい」と言ったという。この詩に出てくる「ivy-mantled tow'r(ツタに覆われた塔)」という有名な言葉は、中世初期のアプトン(Upton)のセント・ローレンス教会(Church of St Laurence)のことである。
  • 『田舎の墓地で詠んだ挽歌』は、その美しさ、その技量によってすぐに認められ、この詩の影の中(影響下)で詩を書く詩人たちは「墓場派」と呼ばれた。この詩には多くの優れた文句が含まれていて、それらは一般の英語辞書に加えられ、他の作品でも言及された。具体的には、以下のようなものがある。
    Far from the madding crowd(遙か群衆を離れて) - トーマス・ハーディの小説、およびその映画化タイトル。
    The paths of glory(栄光の道) - スタンリー・キューブリック監督『突撃』の原題でもある。
    Celestial fire(天の火)
    Kindred spirit(気心の合う人)
    他にもグレイは、親友ウォルポールの猫を歌った擬似エレジー『愛猫を弔ううた(Ode on the Death of a Favourite Cat, Drowned in a Tub of Gold Fishes、直訳すれば「金魚鉢で溺れたお気に入りの猫の死に寄せるオード」)』といった軽い詩も書いた。「What female heart can gold despise? What cat's averse to fish?(どんな女性の心が黄金を軽蔑しようか? どんな猫が魚を嫌がろうか?)」と質問してから、「a fav'rite has no friend!(お気に入りは友達を持たない!)」「know one false step is ne'er retrieved(1つのつまづきは決して取り戻せないと知れ)」「nor all, that glisters, gold(輝くものすべてが黄金ではない)」とことわざのような答えを出す。ウォルポールは後にストロベリー・ヒル・ハウスで、その運命の陶器を台座に乗せて展示した。グレイの現存している書簡にも、その鋭い観察眼とユーモア溢れる遊び心が現れている。
    さらに1742年の『イートン学寮遠望のうた』には「where ignorance is bliss, 'tis folly to be wise(無知は喜び、賢いことは愚か)」という名言がある。

・・・「『ギリシャの壺に寄せる詩』」・・・・キーツの「ギリシャの壺に寄する賦」を引用しはじめた。・・・『美は真であり、真は美であると。それこそはきみたちがこの地上で知り』・・・

キーツ

  • ジョン・キーツJohn Keats、1795年10月31日 - 1821年2月23日)
  • イギリスのロマン主義の詩人。
  • 生涯
    ロンドンのムアーゲートにて貸し馬車屋を営んでいた父トマスと母フランセスの長男とし1795年10月に生まれる。幼少期は幸せであったが、1804年の9歳の時、父を落馬事故で頭部骨折により亡くなったのが困難の始まりで、まもなく母は再婚したが、再婚相手とはすぐに別れ、子供たちをつれてキーツの祖母と同居するようになる。1810年に母も結核で死去。祖母の計らいで外科医の徒弟手として奉公に出される。1814年まで徒弟奉公を続けた。期間が満了するとロンドン市内のガイズ・ホスピタルの医学生となる。後に外科医と薬剤師の資格を取るが、医学生のころから、詩作に傾倒しはじめる。
    1817年の春、ジョンはワイト島へ1週間ほどの旅行に出かけた。同年、処女詩集『詩集』(Poems by John Keats)を出版した。1818年、スコットランドを旅行したが、ハムステッドに戻った後ファニー・ブローン(en:Fanny Brawne)と知り合い翌年非公式ながら婚約を交わす。同年これに先立ち、彼はスコットランドに旅立つ前に、巻4千行にも及ぶ寓意叙事詩エンディミオン』(Endymion)を出版したが、評論誌、雑誌から激しく批判される。気落ちした彼は、John Brownに誘われ旅立ち湖水地方からスコットランドに入りアイルランドにも短期間渡り、スコットランドのハイランド地方に入るとマル島やアイオナ島、フィンガルの洞窟で有名なスタッファ島にも渡ったが、この頃から結核の兆候となる喉の不調が目立つ。ブリテン島最高峰のベン・ネヴィス山頂にも立ったが、喉と体調の不調がひどくなりインヴァネスから船でロンドンに戻った。弟ジョンはこの後1818年12月1日に母と同じ結核で死去。
    この後ジョンはミルトン風無韻詩による哲学的叙情詩『ハイペリオン』(Hyperion)を書き出すが、未完に終わる。これをスタイルを変え改稿し『ハイペリオンの没落』(The Fall of Hyperion)として新たに書き始めたが、こちらも未完に終わる。
    1819年には、『秋に寄せて』(To Autumn)、ギリシャの古壺のオード』(Ode on a Grecian Urn)などの代表的オードが次々と発表された。しかしジョンの病状は好転せず、彼はファニーとの結婚を諦める。更に彼の病いは悪化し、医者の勧めでイギリスの冷たい空気をさけ、イタリアで療養することになった。イタリアでの住まいはローマのスペイン広場の近くであった。友人の手厚い看護を受けながら、ジョンは1821年2月23日、25歳で死去。ローマの新教徒墓地に葬られる。彼の遺言により、墓石には「その名を水に書かれし者ここに眠る("Here lies one whose name was writ in water")」と彫られている
<人>デ・ヴェッキオ伯爵
  • 降霊会でトシーがであった金持ちでハンサムでチャーミングな男性
  • 神智学に興味がある
  • トシーに気がある様子だった

・・・哀れを誘うティタニア状態・・・

ティタニア

  • ティタニア【Titania】
  • ヨーロッパ中世の、伝説上の妖精国の王であるオベロンの妃シェークスピアの「真夏の夜の夢」などに登場する。タイタニア
  • シェークスピアの戯曲《真夏の夜の夢》のオベロン王の妃で,どんぐりの殻に入るほどの微小で優美な妖精の女王。人間に似て,取替子(とりかえこ)の所有権をめぐり王とけんかしたり,恋をしたりするが,月の女神に類似した性質を持つ。オウィディウスの《転身物語》にウラノス(〈天〉)とガイア(〈地〉)との間に生まれた巨人神族(ティタン)が登場するが,その一人で太陽神ソルの妹,月の女神ルナおよび彼女と同一視されたディアナを〈ティタンの娘(ティタニア)〉と呼んでいるところにこの名は由来するとされる。

<人>ミスターC

  • トシーの1938年5月6日付けの日記に、『この夏で私達は結婚五十周年。ミスターCなんとかの妻になり、私は思ってもみなかったほど幸せを手に入れた』
  • 結婚相手の名前は、液漏れで消えている
  • デ・ヴェッキオ伯爵、テレンスは頭文字がCでない
  • 日記はこの夏を最後に数年間中断し、再開されたのは1904年から。
  • そのころの二人(トシーとミスターC)は、アメリカで生活していて、ミスターCはバートラム・W・フォーントルロイという芸名でサイレント映画に出ていた
  • 1927年、トーキーの到来とともに芸名をレジナルド・フィッツヒュー・スマイスに変える

<時>1888年6月10日

  • ネッド・ヘンリーは今日の1888年6月7日、午前10時ぴったりに降下したと信じていた
  • ヴェリテッィ・ブラウン嬢ことキンドルが抜けたのは、7日の夜、8日にオックスフォードに行って、今日で3日目

 

「ジャックが たてた いえにあった こむぎをたべた ねずみをころした ねこをいじめた・・・」

マザー・グース

  • マザーグース/マザー・グース(英:Mother Goose ) とは、イギリスで古くから口誦によって伝承されてきた童謡や歌謡の総称で通称
  • 英米で広く親しまれている
  • 元来は「マザーグースの歌(英:Mother Goose's rhymes)」といった
  • 著名な童謡は特に17世紀の大英帝国の植民地化政策によって世界中に広まった
  • 現在ではイギリス発祥のものばかりでなく、アメリカ発祥のものも加わり、600から1000以上の種類があるといわれている。英米では庶民から貴族まで階級の隔てなく親しまれており、聖書やシェイクスピアと並んで英米人の教養の基礎となっているともいわれている
  • 現代の大衆文化においてもマザーグースからの引用や言及は頻繁になされている。
  • なお、「童謡」全般を指す英語としては、「子供部屋の歌」を意味する「ナーサリーライム (nursery rhyme)」[ 語構成:nursery(〈家庭の〉子供部屋)+ rhyme(脚韻)]を用いるのが通例ではある。「ナーサリーライム」が新作も含む包括的語義であるのに対し、「マザーグースの歌」、略して「マザーグース」は、伝承化した童謡のみに用いられる点に違いがあると考えられる。
  • 後述するように「マザーグース」が童謡の総称として用いられるようになったのは18世紀後半からであるが、それに対して「ナーサリーライム」が童謡の総称に用いられるようになったのは1824年のスコットランドのある雑誌においてであり、「ナーサリーライム」のほうが新しい呼称である。

 ・・・エル・アラメイン・・・

エル・アラメインの戦い

・・・トリスタンとイゾルデロミオとジュリエットエロイーズとアベラールのように・・・

トリスタンとイゾルデ

  • トリスタンとイゾルデ』または『トリスタン物語』は、中世に宮廷詩人たちが広く語り伝えた恋愛物語。騎士トリスタン(Tristan)と、主君マルク王の妃となったイゾルデ(Isolde)の悲恋を描く。
  • ゾルデはドイツ語の音訳で、英語では『トリスタン(あるいはトリストラムTristram)とイスールト(Iseult)』、フランス語では『トリスタンとイズー(Iseut または Iseult, Yseut, Yseult)』と表記される

ロミオとジュリエット

  • ロミオとジュリエット』(または『ロメオとジュリエット』、Romeo and Juliet )は、イングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲。初演年度については諸説あるが、おおむね1595年前後と言われている。
  • ロミオとジュリエット』は悲劇とされ、シェイクスピア死後に刊行された全集(後述の「第一・二折本」)の分類も同じである。しかしながら四大悲劇(『ハムレット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』)とは主題が異なるため、同じ恋愛悲劇である『アントニークレオパトラ』などと並べて論じられることが多い。
  • ロミオとジュリエット』は恋愛悲劇であるが、若い恋人たちが社会によって課された障壁をはねのけて愛を成就させようとするという事柄はむしろ伝統的な恋愛喜劇に近いものであり、その話の運びには『夏の夜の夢』などのシェイクスピアによる他のロマンティック・コメディとの類似が認められる。これを反映して全体的に悲劇としては喜劇的に見える表現、ジャンルの境界を曖昧にするような表現が見受けられ、笑劇的でいくぶん粗野とも見えるような冗談、とくに性的な言葉遊びが非常に多く用いられている作品である。
  • イタリアを舞台とし、イタリアに起源を持つ作品のため、Romeo には古くから「ロメオ」の表記が用いられていたが、近年は英語読みで「ロミオ」と表記されることが多い。そのため、映画の邦題では日本公開年によって表記が異なっている。また、クラシック音楽およびバレエの分野では現在でも慣習的に「ロメオ」の表記が用いられている。

エロイーズ

  • アルジャントゥイユのエロイーズ
  • エロイーズ(Héloïse、[ˈɛloʊ.iːz]または[ˈhɛloʊ.iːz]; フランス語: [elɔˈiz]、1090年または1100年 – 1164年5月16日)
  • フランス人修道女(女子修道院長)、作家、学者。ピエール・アベラールとの恋愛関係や手紙のやり取りで知られる

アベラベール

・・・『その瞳は妖精の亜麻袋のごとく青く、その頬は夜明けのごとし』・・・

ロングフェロー

・・・ドルーエの例もある・・・

  • マリー・アントワネットとフランスを脱出したルイ十六世が、ドルーエに道を尋ねてお礼に自分の肖像がかかれた札を1枚わたし、招待に気づかれてしまう

<場>スタンフォード水閘(すいこう)

  • 貸しボートを盗まれ、ここまで歩いて下がる
  • ペディック教授が乗っていった

・・・「アントニークレオパトラみたいに」・・・

アントニークレオパトラ

・・・シリルはバターンの死の行列もかくやというありさま。・・・

バターンの死の行列

  • バターン死の行進(バターンしのこうしん、タガログ語: Martsa ng Kamatayan sa Bataan、英語: Bataan Death March)
  • 第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・アメリカ領フィリピン軍の捕虜が、捕虜収容所に移動する際に多数死亡したとされる行進のことを言う
  • 全長は120kmで、もともとはその半分弱は鉄道とトラックで運ばれる予定であったが、計画を立てた当初の捕虜の予想数と、実際の捕虜の数に多く違いがあり、結局約83kmの距離を3日間、1日平均14kmを難民と捕虜と監視の日本兵が歩いた。
  • フィリピンでは、日本がアメリカ軍を破ってバターン半島を陥落させた4月9日を2009年から勇者の日 (タガログ語: Araw ng Kagitingan) としてフィリピン・アメリカの戦士を称える休日として定めている。

・・・『遥かなる世界の涯、エリュシオンの野、金髪のラダマンテュスの住む所』・・・

・・・ネルソン卿とエマ・ハミルトンヘンリー八世とアン・ブリンワトソンとクリックジョン・レノンポール・マッカートニー。・・・

ネルソン卿

  • 初代ネルソン子爵ホレーショ・ネルソン(英: Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson KB, 1758年9月29日 - 1805年10月21日)
  • アメリカ独立戦争ナポレオン戦争などで活躍したイギリス海軍提督。
  • ナイルの海戦でフランス艦隊を壊滅させる武功を挙げた。さらにトラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊に対して戦史上稀に見る大勝利を収めてナポレオンによる制海権獲得・イギリス本土侵攻を阻止したが、自身は同海戦で戦死した。イギリス最大の英雄とされる

エマ・ハミルトン

  • エマ・ハミルトン(Emma, Lady Hamilton,1765年4月26日 - 1815年1月16日)は、イギリスの絵画モデル、舞踏家。ホレーショ・ネルソン提督の愛人として知られている。

ヘンリー八世

  • ヘンリー8世(Henry VIII, 1491年6月28日 - 1547年1月28日)
  • テューダー朝第2代のイングランド王(在位:1509年4月22日(戴冠は6月24日) - 1547年1月28日)、アイルランド卿、のちアイルランド王(在位:1541年 - 1547年)。イングランド王ヘンリー7世の次男。百年戦争以来の慣例に従い、フランス王位の要求も継続した。
  • 6度の結婚に加えて、ローマ・カトリック教会からのイングランド国教会の分離によって知られる。ローマと対立し、修道院を解散し、自ら国教会の首長となった。だがローマによる破門のあとも、カトリックの教義への信仰は失わなかった。また、ウェールズ法諸法によって、イングランドおよびウェールズの統合を指導した。
  • 1513年には神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と連合して、1544年には神聖ローマ皇帝スペイン王カール5世と連合してフランスを攻めるが、どちらもハプスブルク家からの援助は最小限であり、膨大な戦費に堪えられず失敗に終わった。
  • 絶頂期においては、魅力的で教養があり老練な王だと同時代人から見られ、ブリテンの王位についた人物の中で最もカリスマ性のあった統治者であると描かれている。権力をふるいながら、文筆家および作曲家としても活動した。薔薇戦争の後の危うい平和のもとで女性君主にテューダー朝をまとめることは無理だと考え、男子の世継ぎを渇望した。そのため6度結婚し、イングランドにおける宗教改革を招いた。次第に肥満して健康を害し、1547年に薨去した。晩年には好色、利己的、無慈悲かつ不安定な王であったとされている。後継者は息子のエドワード6世であった。
  • アン・ブーリンとの結婚

    ヘンリーの2番目の王妃アン・ブーリン、1534年に描かれた肖像画の模写
    1533年にアン・ブーリンはヘンリーと結婚し、その年にエリザベス王女をもうけた。

  • キャサリン・オブ・アラゴンは、以前にヘンリーの兄アーサーと結婚していたため、ヘンリーの意を受けたカンタベリー大司教トマス・クランマーによってヘンリーとの結婚は無効であるとされた。キャサリンは故王太子の未亡人の地位に落とされ、宮廷から追放された。エリザベス王女がヘンリーの世継ぎとされ、キャサリンの娘であるメアリー王女は庶子の身分となり、王位継承順でエリザベスの次位に下げられ、エリザベスの侍女とされた。
    その後のアンは流産や想像妊娠を経るも、男子の誕生を求めるヘンリーの期待に応えることが出来ず、その強い性格と優れた知性で政治に介入し、多くの敵を作った

アン・ブリン

  • アン・ブーリン(英語: Anne Boleyn,1501年頃 - 1536年5月19日)
  • イングランドヘンリー8世の2番目の王妃(1533年結婚、1536年離婚)、エリザベス1世の生母である。父の代で名字の綴りを Bullen から Boleyn に変更したが、アン自身も Nan Bullen と呼ばれることがあった。 Nan はアンという名前の当時の愛称であり、日本語でもアン・ブリンと表記されることもある。
  • 父は駐仏大使、のちウィルトシャー及びオーモンド伯爵となったトマス・ブーリン、母は第2代ノーフォーク公トマス・ハワードの娘エリザベス・ハワード。 ヘンリー8世の3番目の王妃ジェーン・シーモアははとこ、5番目の王妃キャサリン・ハワードは従妹に当たる。

ワトソン

  • ジェームズ・デューイ・ワトソン(James Dewey Watson, 1928年4月6日 - )

  • アメリカ出身の分子生物学者である。DNAの分子構造における共同発見者の一人として知られる。ワトソン及び、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスらは、「核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見」に対して、1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。

クリック

  • フランシス・ハリー・コンプトン・クリック(Francis Harry Compton Crick, 1916年6月8日 - 2004年7月28日)
  • イギリスの科学者。DNAの二重螺旋構造の発見者。

ジョン・レノン

  • ジョン・ウィンストン・オノ・レノン (英語: John Winston Ono Lennon、1940年10月9日 - 1980年12月8日)
  • イギリス出身のシンガーソングライター・ギタリスト。ビートルズにおいてボーカル・ギターなどを担当しレノン=マッカートニー名義で作詞作曲をした。ビートルズ解散後はソロとして主に小野洋子と活動した。
  • シンシア・レノンとの間に生まれた長男ジュリアン・レノン小野洋子との間に生まれた次男ショーン・レノンがいる。
  • 出生名はジョン・ウィンストン・レノン。小野洋子との結婚に際しジョン・ウィンストン・オノ・レノンに改名。
  • 1965年にMBE・大英帝国第5級勲位を受賞したが、のちに英国のベトナム戦争支持を理由に返上した。

ポール・マッカートニー

  • ジェームズ・ポール・マッカートニー(英語: Sir James Paul McCartney、1942年6月18日 - )
  • イギリスのミュージシャン、シンガーソングライター。マルチプレイヤー。『ギネス世界記録』に「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として掲載。
  • 1960年代にはロックバンドのビートルズのメンバーとしてジョン・レノンと共に多くの楽曲を作詞作曲してヴォーカルと演奏を担当(レノン=マッカートニーを参照)。
  • ビートルズ解散後はウイングス(ポール・マッカートニー&ウイングス)のメンバーまたはソロ・ミュージシャン名義で活動。
  • 左利き。ベジタリアン
  • デビューから半世紀以上が過ぎた現在も第一線で活躍を続けている。制作した楽曲は2019年までで500曲以上。
  • ファーストネームはジェイムズだが、父のファーストネームも同じジェイムズである為、ミドルネームであるポールを主に用いている。
  • 弟はマイク・マクギア(マイク・マッカートニー)で、ミュージシャンである。

<食>ありあわせの食事・・・アウトドア

  • ポークパイ
  • 子牛肉のパイ
  • 冷製ローストビーフ
  • ハム
  • ピクルス
  • 塩漬け卵
  • ビートの酢漬け
  • チーズ
  • バターつきパン
  • ジンジャービール
  • ポテトひと瓶
  • 桃缶、パイナップル缶・・・缶切りがない

<動物・猫>プリンセス・アージュマンド

  • ネッド・ヘンリーの持ってきたバスケットの中に入っていた・・・シッテタ。

 

 メタファー

  • 英語:metaphor
  • メタファーとは、あからさまな比喩表現を使わない喩えのことである。英語の metaphor は暗喩や隠喩と呼ばれており、修辞技法の表現として知られている。

  • メタファーの語は、心理学や哲学の分野では、精神分析の考え方に基づき、「行動や夢のイメージの置き換え」という意味で使われる。

  • メタファーは、比喩の表現を使わない洗練された修辞技法の表現と考えられている。メタファーを使うときは、言葉でイメージを喚起させることで相手に暗に意味を伝えるため、スマートな印象を与えることが多い。

堰(いせき)

  • せき。いせき。水流をせきとめるために土を積んでつくったもの。

ボーア戦争

  • ボーア戦争(ボーアせんそう、英語: Boer Wars、アフリカーンス語: Anglo-Boereoorloë)
  • イギリスとオランダ系アフリカーナーボーア人あるいはブール人とも呼ばれる)が南アフリカの植民地化を争った、2回にわたる戦争南アフリカ戦争、南阿戦争、ブール戦争ともいう。
  • イギリスはシネマトグラフにより、世界で初めてこの戦争を動画で記録した。イギリスは戦果をふまえ、オランダの背後にあるドイツ帝国を脅威と受け止めた。そして三国協商日英同盟・日仏協商・日露協約による包囲網を急ピッチで完成させた(三国同盟も参照)。それまでイギリスが栄光ある孤立を維持できたのは、ユグノー資本が民間レベルで列強の国際関係に干渉できたからである。しかしドイツの飛躍的な国力増大を前に、政治を利用した総力戦で伸張を阻む作戦が立った。

・・・『宵の涼風のなか、夜の翳りゆく広間に黄金の裳裾(もすそ)たなびかせ』・・・

  • トマス・ムーア 「夏祭り」とサラ・ヘレン・ホイットマン 「夏の呼び声」をちゃんぽんにした引用

裳裾(もすそ)

  • 裳のすそ。衣服のすそ。

トマス・ムーア?

  • トーマス・ムーア(Thomas Moore、1821年5月21日 - 1887年1月1日)
  • イギリスの園芸家、植物学者である。

トマス・ムーア?

サラ・ヘレン・ホイットマン

・・・ランスロットグイネヴィアのように・・・

ランスロット

  • ランスロット(Sir Lancelot、ラーンスロット、ランスロ、ランスローとも)
  • アーサー王物語等に登場する伝説の人物で、円卓の騎士の成員。主君アーサー王の王妃グィネヴィアとの不義の恋と、それにより円卓の騎士の分裂の一因となった人物である。
  • 現存する文献の中ではクレチアン・ド・トロワの『ランスロまたは荷車の騎士』で、初めて彼の詳しい冒険が語られるが、クレチアンのそれ以前の作品である『エレックとエニード』や『クリジェス』にもすでに登場している。ウルリヒ・フォン・ツァツィクホーフェン(ドイツ語版)による翻案本『ランツェレト』では彼とグィネヴィアとの関係が言及されないため、より初期の物に近い形で伝説が残されていると考えられている。
  • ガラハッドは息子であるが、同時にランスロットの本名もガラハッドである

グイネヴィア

  • グィネヴィア(Guinevere)
  • 伝説的な人物で、アーサー王の王妃
  • グニエーヴル、ギネヴィア、グェネヴィア、グィナヴィーア、グウィニヴィア、グインネヴィア、グウィネヴィアなど多数の表記がある。
  • グィネヴィアで最も有名な話は、円卓の騎士長ランスロットとの不倫で、その話が最初に出てくるのは、フランスの吟遊詩人クレティアン・ド・トロワの『ランスロまたは荷車の騎士』(1165-1195年頃)の中である。この題材は、13世紀初期のランスロ=聖杯サイクルにはじまって、後期流布本サイクル、トマス・マロリーの『アーサー王の死』まで、アーサー王物語の中で繰り返し取り上げられた。2人のアーサー王への裏切りが王国を滅亡させるという筋である。

・・・ラミニード・・・

マグナカルタ

  • マグナ・カルタまたは大憲章(だいけんしょう)(羅: Magna Carta、羅: Magna Carta Libertatum、英: Great Charter of the Liberties、直訳では「自由の大憲章」)
  • イギリス(連合王国)の不成典憲法を構成する法律の1つであり、イングランド王国においてジョン王の時代に制定された憲章である。イングランド国王の権限を制限したことで憲法史の草分けとなった。また世界に先駆け敵性資産の保護を成文化した。
  • 成立から800年が経過した21世紀の現在でも現行法となっている。

・・・明日の正午にはマッチングズ・エンドに着ける。顔を洗って身だしなみを整える時間もある。バーリー・モウで休憩すればいい」と『ボートの三人男』にでてきた宿屋の名前をひっぱりだした。・・・

・・・『労働が終わり、恋しい胸、安眠の幕に集うはいと愉し』・・・

ジェイムズ・モンゴメリー

  • ジェームズ・モントゴメリ(James Montgomery、1771年11月4日 - 1854年4月30日)
  • イギリスの賛美歌作家、詩人。
  • 生涯
    1771年モラヴィア派の伝道者の子として、アーヴィンに生まれた。ヨークシャーのフルネックの学校を中退して、商店に勤めて、仕事の傍ら詩を作った。1792年シェフィールドの印刷所に入り、1794年から、そこの印刷所の新聞を改題して31年間主宰して、編集に携わった。新聞を編集しながら、詩や賛美歌を作り、各所で講演をして、海外伝道や聖書事業をして、有意義な一生を送った。晩年、王室年金を受け、1854年の死去に際しては、市で公葬をされた。讃美歌集を10篇出版して、400以上の賛美歌を創作した

・・・アレクサンダー大王の軍馬、プケパロス・・・

プケパロス

  • ブケパロス / ブーケパロス(古希: Βουκέφαλος、紀元前355年? - 紀元前326年6月)
  • アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)が愛馬とした1頭の軍馬。その名はラテン語形では Bucephalas(ブーケパラース/現羅:ブケファラス)もしくは Bucephalus(ブーケパルス/現羅:ブケファルス)と表記される。日本語ではブケファロスとの表記も多い。
  • 概要
    大きな黒い馬で、額の星(ウマの額にある毛模様)が牛の角の形であったことから「ブーケパロス(雄牛の頭)」(古希: βούς[ブース、意:牡牛〈古希: βούになると「牝牛」の意〉]+古希: κεφαλή[ケパレー、意:頭])と呼ばれた。牡馬であったとされているが、語尾変化を論拠に牝馬であったという説もある。また、伝説では星ではなく角が生えていたともいわれ、ポンペイ遺跡から出土した壁画にも角が描かれている。また、偽カリステネスの『マケドニアアレクサンドロスの生涯』系統伝説は、人食い馬であったと記している。
    プルタルコスの『プルターク英雄伝』によると、ブケパロスはペラスギティス産(テッサリアの馬の産地)でアレクサンドロスの父ピリッポス2世への貢物であったが、暴れ馬で誰も乗りこなすことはできなかったという。若きアレクサンドロス王子(のち、アレクサンドロス3世)はブケパロスが彼自身の影に怯えていることに気付き、父と賭けをし、馬の視線を太陽の方向へ向かせることで落ち着かせ、見事に騎乗馴致してみせたという。以来、ブケパロスはアレクサンドロスの愛馬となる。なお、ブケパロスの血統はトルキスタン産のアハルテキン種であるとする説がある。
    紀元前326年、アレクサンドロス3世軍とポロス王の軍がぶつかったヒュダスペス河畔の戦いにて、ブケパロスは戦死した。戦いに勝利したアレクサンドロス3世は、愛馬を丁寧に埋葬し、この地に築いた新都市(アレクサンドリア都市)をブケパロスにちなんで「アレクサンドリア・ブケパロス(英語版)(異称:アレクサンドリア・ブケパラ、ブケパラ、ブケパリア等)」と名付けた。
  • 伝説
    アレクサンドロス・ロマンスのうち、偽カリステネスの『マケドニアアレクサンドロスの生涯』系統伝説によれば、ブケパロスは人を食べ、乗りこなせれば世界を支配できると神託されていたという。アレクサンドロスはブケパロスとともに4頭のチャリオットで古代オリンピックに出場し、アレクサンドロスを侮辱したうえで挑戦してきたニコラオスを轢殺し、優勝したとされる。シリア語の系統伝説によれば、アレクサンドロス伝説では死んだときに30歳であったという。
    マルコ・ポーロの口述をルスティケロ・ダ・ピサが著した『東方見聞録』をヘンリー・ユールが1871年に英語訳した"The Travels of Marco Polo" 1巻29章[1]に、バラシャン国(現在のアフガニスタンのバダフシャーン州相当地域にあった。『東方見聞録』の英訳以外のイタリア語・フランス語訳でもアレクサンドロス大王(および、ダレイオス3世の娘。イタリア語・英語版)の子孫と記述される。ただし、ブケパロスやその伝説の記述はない)の馬は足が速く、蹄鉄なしに山を走る。そこにかつてブケパロスの子孫である一本角をもつ馬種を国王の伯父が飼育していたが、国王に譲らなかったがために殺され、伯父の妻はそれを恨んで係る馬種を皆殺しにしたという記述がある。

・・・ウィリアム三世の馬はモグラの穴に足をとられてご主人さまを放り出したにで、“黒い毛皮のコートを着た小さな紳士”がウィリアム三世を殺したと言われた。・・・

ウィリアム三世

ジャコバイト

・・・リチャード三世ボズワースの戦場に立ち、「馬一頭よこしたら国をやる!」と叫んだ。・・・

リチャード三世

  • リチャード3世(英語: Richard III, 1452年10月2日 - 1485年8月22日)
  • ヨーク朝最後のイングランド(在位:1483年 - 1485年)。薔薇戦争の最後を飾る王である。
  • エドワード3世の曾孫であるヨーク公リチャード・プランタジネットとセシリー・ネヴィルの八男で、エドワード4世とラトランド伯エドムンド、クラレンス公ジョージの弟。即位前はグロスター公に叙されていた(在位:1461年 - 1483年)。護国卿でもあった(在位:1483年)。
  • 戦死した最後のイングランド王であるが、他に戦死した王は1066年にヘイスティングズの戦いで敗死したハロルド2世と、1199年に矢傷がもとで死亡したリチャード1世がいるのみである。
  • 1484年1月に王直属の機関として紋章院を創設したことでも知られる。旗印は白い猪、銘は“Loyaulté Me Lie”(ロワイオテ・ム・リ)で、意味は古フランス語で「忠誠がわれを縛る」。

ボズワース

  • ボズワースの戦い(Battle of Bosworth)もしくはボズワース・フィールドの戦い(Battle of Bosworth Field)
  • 15世紀イングランド王国薔薇戦争中の重要な戦闘である。この戦いは1485年8月22日に、ヨーク派の国王リチャード3世と、対抗して王位を争ったランカスター派のリッチモンド伯ヘンリー・テューダー(後のイングランド王ヘンリー7世)の間で行われた。この戦いは、リチャード3世の戦死による敗北と、ヘンリーによるテューダー朝樹立という結果で幕を閉じる。
    実際にはその数年の後に、ヨーク派を自称して王位奪還を目論む勢力との戦闘はあったが、歴史的にはこの戦闘をもって「薔薇戦争終結」としている(厳密にはこの時点のヘンリー・テューダーは、これ以前の反逆罪によってリッチモンド伯の称号を剥奪されている。この状態は、即位後に自ら再叙勲するまで続く)。
  • 大衆文化
    この戦闘は、シェイクスピアの戯曲「リチャード三世」の見せ場である。しかしこのシーンは、多分にシェイクスピアの創作(さもなくば戯曲以外に記録がないか)と思われる。劇中で、リチャードは突撃の後に落馬して叫ぶ。「馬を! 馬をよこせ! 代わりに我が王国をくれてやる!」と。そして彼の王冠はサンザシの茂みから取り上げられ、ヘンリーの許に届く。だが実際のリチャードは、兵士が王を見分けるための頭飾りを兜に着けたかも知れないが、王冠は着けてなかったであろう。

・・・オリアリー夫人の雌牛を見よ。・・・

オリアリー夫人の雌牛

シカゴ大火

  • シカゴ大火(シカゴたいか:Great Chicago Fire)とは、1871年10月8日夜にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴ市内で発生した大規模火災のこと。
  • 出火原因
    真の出火原因は不明。
    なお、よく知られる伝説として、シカゴ市南西部居住のキャサリン・オレアリー(後にギャンブラーとして成功する、ジェームズ・オレアリーの母)が牛舎で牛の搾乳をしようとした際にランタンが牛に蹴られて倒れ出火したとされるが、これは当時の新聞記者(シカゴ・リパブリカン紙 (Republican newspaper in Chicago))による捏造であったことを、同紙記者であったマイケル・アハーンが1893年に認めている。
    キャサリンは、貧しいアイルランド系移民のカトリック教徒だったため、反アイルランド感情が強かった当時のシカゴにおいてスケープゴートにされた格好であった。マイケル・アハーン記者の告白をもってしても疑惑を払拭することはできず、オレアリー家には以後も噂がつきまとい、キャサリン・オレアリーは1895年に死去した。シカゴ市議会がオレアリー家と牛を正式に無罪としたのは、1997年になってのことだった

  • 被害拡大
    被害拡大の理由としては、異常乾燥、強風のほか、消防機関の連絡ミスなどが重なったためと見られている。
  • 被害
    死者250人以上、17,400以上の建造物が全焼。鎮火した10月10日早朝までに2,000エーカー(約800ヘクタール)以上を焼き尽くした。被害額は当時にして約2億ドル、家を失った人は10万人に上ったという。 
  • 火災の余波
    19世紀を通してアメリカ史上最大の災害であり、多くの被害を出したと同時に、シカゴ市の再開発を進展させた契機として知られている。古い建物が軒並み焼け落ちたため、大規模な建築を可能とする広い空間が出来た。また被災後、市は木造住宅を禁止し、煉瓦、石造、鉄製を推奨したため、多くの建築家の手により、後に摩天楼といわれる高層建築物の建設ラッシュが始まった。

・・・ディック・ホイッティントンの猫を見よ。・・・

ディック・ホイッティントンの猫

  • ウィッティントンと猫」または「ディック・ウィッティントンと猫
  • 14世紀の3期歴任ロンドン市長リチャード・ウィッティントン(1354年頃–1423年)にまつわるイギリス民話・民間伝説
  • 無一文の孤児である主人公の飼猫が外国でネズミ取りをして高値で売れ、一財を築いたと語る、架空の立身伝である。
    皿洗い奉公から逃亡しかけたが、故郷に向かう途中、ロンドンの鐘の音に「帰っておいでよ」と説得され思いとどまる場面もこの伝説の重大不可欠な要素となっている。後の脚色でホロウェイでボウ教会の鐘を聞いたとされ、一般に定着している。
    邦訳では、「ウィッティントンのお話」の題名で『ラングあおいろの童話集』に所収されるほか、再話「ウィティントンとウィティントンのねこ」がジョセフ・ジェイコブス の童話集に所収される
  • 概要
    ウィッティントンが猫で巨富を得た伝説が文学として成立したのは1600年代頃。存在が知られる最初の劇作(1604–5年)やバラッド(1605年)は散逸しており、現存最古はリチャード・ジョンソン作の1612年のバラッドである。
    この17世紀初頭のバラッドには既に、鐘の音が「帰ってこい」「いずれロンドン市長」と聞こえて奉公からの逃亡を考え直す要素が含まれる。
    散文版が1656年頃に大衆本(チャップ・ブック)として出版され、セント・メアリー・ル・ボウ教会の鐘の音を、少し北のバンヒル(バンヒル・フィールズ埋葬地)で聞いたと特定される。
    後年の稿本では、より北に遠いホロウェイで鐘を聞いたと変更されたが、この伝承が大衆化され、一般にはホロウェイ辺境のハイゲイト・ヒルのウィッティントン・ストーンが、ディック少年の逃亡跡と認識されている。
    18世紀初頭、マーティン・パウエルが人形劇を上演。のちに英国パントマイム劇や、児童劇として主にクリスマスシーズンに演じられている。ヴィクトリア時代から、童話に仕立てられ、以後、数々の再話や絵本が出版されて現在に至る。
    主人公がネズミ駆除の猫を売って褒美を得る要素がみられる説話は、世界各国に、そして古代・中世時代にも類例が見られる。民話学では、この要素を「ウィッティントンの猫」モチーフ(N411.2)に指定する。話型としてはアールネ=トンプソン(AT)1651「ウィッティントンの猫」に分類される。

・・・「『捜査開始(ザ・ゲーム・イズ・アフット)だ、ワトソン』・・・

  • ホームズの決まり文句
  • 原典は『ヘンリー五世』三幕一場

ハロルド王

ポリー・ヴォーン

  • 同名の伝統的な英国民謡

 

「すべての謎の答えは小さな灰色の脳細胞の中にある」

<時>ヴィクトリア朝で過ごす第一夜

  • ラグに<犬>シリルと<猫>プリンセス・アージュマンドと一緒に寝ることになる
  • しかも雨

・・・13世紀に日本を侵略しようとしたフビライの艦隊は、神風によってかいめつした。・・・

  • 誤植か?

・・・スペインの無敵艦隊は強風でちりぢりになり、タウトンの戦いの帰趨はブリザードが決した。ルシタニア号が針路をそれてドイツのUボートと遭遇することになったのは霧のせいだったし、アルデンヌの森に達した低気圧前線のおかげで、第二次大戦の連合軍はあやうくバルジの戦いに敗北するところだった。

タウトンの戦い

  • タウトンの戦い(Battle of Towton)
  • 薔薇戦争中の戦いで、1461年3月29日雪の日に行なわれた。
  • 死傷者2万を超える(恐らく約3万人)英国内の戦闘としては最も血なまぐさい戦いであった。
  • 戦闘はヨークシャーのタウトン(Towton)村サクストン(Saxton)村の間の高原(ヨークの南西約19km、タッドキャスターの南約3km)で行われた。
  • これほど多くの人が死傷した理由の一つは、戦闘の前段階で両軍は戦力が互角であり、なおかつ両陣営から誘われない諸侯がいないほど国内を広く二分した戦いであったからだろう。
  • 内戦のこの時点でランカスター派は、ウェイクフィールドの戦いでヨーク公リチャードとソールズベリー伯を倒し、そしてセント・オールバーンズの戦いで勝利を収めており、ヨーク派との対等な条件にあった。しかしキングメーカー」と呼ばれた ウォリック伯はロンドンをコントロールして、ヨーク公の長男をエドワード4世として国王とすることを公布した。エドワード4世はランカスター派との決戦のために北進を開始した。イングランドでの主導権を得るため、ライバルであるヘンリー6世にとどめの一撃を加える事を決めたのは、エドワード4世自身だったと言われる。ヘンリー6世(信心深くて平和主義であり、精神的に弱かったとも言われる)は、軍議には一切参加しなかったが、王妃マーガレット・オブ・アンジューが代理として、彼女の戦闘部隊(その長がサマセット公ヘンリー・ボーフォート)を使う自由を完全に認めた
    この戦闘では、28の貴族(貴族のおよそ半分)を含む50,000あるいは100,000人の兵が戦ったと思われる。残された数字によると、ランカスター派が42,000人、ヨーク派が36,000人の兵力だった。この戦いは熾烈を極め、前線に押し寄せる両軍の兵によってしばしば前線の兵士が押しのけられたという程の、イギリス史上めずらしい(恐らく唯一の)戦いであった。

ルシタニア号

  • ルシタニア(RMS Lusitania)
  • イギリス船籍、キュナード・ライン所有のオーシャン・ライナーで、ジョン・ブラウン・アンド・カンパニーによって建造された商船。進水は1906年6月7日木曜日で、当時最大の旅客船であった。
  • 第一次世界大戦中の1915年5月7日ドイツ海軍の潜水艦U-20より、南部アイルランド沖15 kmの地点で雷撃を受け、わずか18分で沈没した。乗客1,198名が死亡した。
  • 犠牲者の中には128名のアメリカ人が含まれており、アメリカが孤立主義政策を一転し第一次世界大戦へ参戦するきっかけとなった。

ドイツのUボート

  • U19型潜水艦(U-19)はドイツ帝国海軍によって建造された潜水艦
  • 同系艦はU-19からU-22まで。本項ではU-19についても記述する。
  • ルシタニア号を沈没させたのは、U-20.

バルジの戦い

  • バルジの戦い(バルジのたたかい、英語: Battle of the Bulge(バトル・オブ・ザ・バルジ)、その他の呼称は「バルジの戦い#名称」を参照)
  • 第二次世界大戦における西部戦線において1944年12月から1945年1月の間アルデンヌ高地で行われたナチス・ドイツドイツ国防軍(以下ドイツ軍)とアメリカ軍を主体とする連合軍との戦闘の名称。

・・・ルフトヴァッフェのコヴェントリー空襲が成功したのは、気温が低く晴れた天気と“爆撃機におあつらえ向きの満月”のおかげだった。

コヴェントリー爆撃

  • 工業都市であったため第二次世界大戦中の1940年11月14日にはナチス・ドイツによる爆撃Coventry Blitz」の標的となり、コヴェントリー大聖堂 (Coventry Cathedral) を含む市の中心の大部分が破壊された
  • 1950年に新しい大聖堂を建てる設計コンペが開催された。設計を勝ち取ったは、バジル・スペンス (Basil Spence)。
  • 1962年、廃墟となった旧大聖堂の脇に新大聖堂が再建され、戦争の爪痕と戦後の復興のシンボルとして知られる。ジェイコブ・エプスタイン (Jacob Epstein) 作「聖ミカエルと悪魔」の青銅像、ジョン・パイパー (John Piper) 作の色彩豊なステンドグラス及びグレアム・サザランドのキリストの巨大なタペストリーに有名されている。
  • この空襲について、イギリス政府は事前にドイツ軍のエニグマ暗号を解読し察知しながら、その後の迎撃戦を有利に運ぶため、コヴェントリー爆撃隊を見逃したとする陰謀論があり、「小の虫を殺し大の虫を生かす」類の説話としてしばしば語られる。しかしBBCによれば、真相はイギリスはエニグマ暗号自体の解読には成功したが電文中で標的は「Korn」とコードネームで書かれていたために、それがすなわちコヴェントリーであるということまではわからなかったとされる

・・・合衆国大統領ウィリアム・ヘンリー・ハリソンは就任式で雨中に立っていたせいで風邪を引き、その一ヵ月後、肺炎で死去した。・・・

合衆国大統領ウィリアム・ヘンリー・ハリソン

  • ウィリアム・ヘンリー・ハリソン(英語: William Henry Harrison, 1773年2月9日 - 1841年4月4日)
  • アメリカ合衆国の軍人、政治家で、第9代アメリカ合衆国大統領である。
  • 1811年のティピカヌーの戦いでの勝利で名声を獲得したため、「ティピカヌー」あるいは「オールド・ティピカヌー」の愛称で呼ばれた。
  • 他の多くの初期の大統領と同様に、バージニアプランテーション所有者だった
  • 当時としては高齢の68歳で大統領に就任したものの、在任期間わずか1か月で死去した。また、アメリカ独立宣言の前に生まれた(つまり生まれながらの合衆国市民でない)最後の大統領であった。
  • 大統領就任と死去
    ハリソンが大統領就任宣誓を行なった1841年3月4日非常に寒く風の強い日だった。ハリソンはコートを着用せず、ほぼ2時間近いアメリカ史上で最長の就任演説を行った
    3月26日、ハリソンは風邪を引いて体調を崩し、やがて肺炎を発症して4月4日に死去した。しばしば「ハリソンは就任演説で風邪を引いて死去した」と語られるが、ハリソンが風邪を引いたのは実際には就任演説から3週間以上も後のことであり、風邪を引いた直接の原因を就任演説だとするのは医学的に正しくないとの指摘がある
    在職中に死去した初の大統領であり、わずか31日という在任期間は歴代大統領でも最短記録である(次点はジェームズ・ガーフィールドの199日)。また、68歳という高齢での大統領就任はロナルド・レーガンが第40代大統領に就任するまで、最高齢記録として破られることがなかった(レーガンは69歳349日での就任。なおこの記録は、ドナルド・トランプが70歳7か月で第45代大統領に就任したことで破られた)。
    最後の言葉は、その場に不在のジョン・タイラー副大統領に宛てたものと思われるが、「貴方が政府の原則を理解し、実行してもらいたい。望みはそれだけです」というものだった。
    ハリソンの死去に伴い副大統領のジョン・タイラーが大統領に昇格した。 

・・・ピョートル大帝は船を見ているあいだに風邪を引き、一週間後に死んだ。・・・

ピョートル大帝

・・・ヘンリー五世赤痢で死に、その結果英国人はアジャンクールの戦いで得たものすべてを失った。・・・

ヘンリー五世

  • ヘンリー5世(Henry V, 1387年9月16日 - 1422年8月31日)
  • ランカスター朝イングランド王(在位:1413年 - 1422年)
  • ヘンリー4世と最初の妻メアリー・ド・ブーンの子クラレンス公トマス、ベッドフォード公ジョン、グロスター公ハンフリーの兄。ヘンリー6世の父。
    若年の時から戦いに参加し、父を助けてランカスター朝成立期の国内平定に貢献した。
  • 1413年3月20日に即位すると積極的な大陸経営を目指し、1415年、フランス国内のブルゴーニュ派とアルマニャック派の内紛に乗じて休戦中であった百年戦争を再開して、同年10月25日のアジャンクールの戦いで大勝し、フランス軍主力を壊滅させた。
  • 1420年6月2日、フランス王シャルル6世の娘キャサリン(カトリーヌ)と結婚、トロワ条約を締結して自らのフランス王位継承権を認めさせ、ランカスター朝の絶頂期を築いたが、2年後に急死した。

アジャンクールの戦い

  • アジャンクールの戦い(仏: Bataille d'Azincourt、英: Battle of Agincourt)
  • 百年戦争中の1415年10月25日フランスのアジャンクールで行われた戦い。アザンクールの戦いとも、アジャンクールの英語読みからアジンコートの戦いとも呼ばれる。
  • ヘンリー5世の率いるイングランド軍(7千名)が長弓隊を駆使して、数に勝るフランス諸侯軍(2万名)の重装騎兵を破った戦いとして有名である

・・・無敗のアレクサンダー大王マラリアに敗北し、アジア大陸全土の運命が一変した。黒死病のことはいうまでもない。・・・

アレクサンダー大王

  • アレクサンドロス3世(ギリシア語: Ἀλέξανδρος Γ'、紀元前356年7月20日 - 紀元前323年6月10日)、通称アレクサンドロス大王ギリシア語: Ἀλέξανδρος ὁ Μέγας)
  • 古代ギリシャのアルゲアス朝マケドニア王国のバシレウス(王)(在位:紀元前336年 - 紀元前323年)である。また、コリントス同盟(ヘラス同盟)の盟主、エジプトのファラオも兼ねた。
  • ヘーラクレースとアキレウスを祖に持つとされ、ギリシアにおける最高の家系的栄誉と共に生まれた。ギリシア語ではアレクサンドロス大王であるが、英語風に読んでアレクサンダー大王またはアレキサンダー大王とすることも多い。アラビア語やペルシア語ではイスカンダルと呼ばれている。
  • 死因
    アレクサンドロスの死因は毒殺説、熱病(マラリア)説、祝宴中にてんかん発作により突然倒れたという説もある。精神医ロンブローゾはプルタルコスを引用して、「ヘラクレスの大盃を十数杯飲みほして死んだ」と伝え、酒の飲み過ぎという説を唱えるものもいる。
  • 感染症
    アレクサンドロス3世の高熱という症状やインドからの帰還での死という地理的要素から死因はマラリアとも考えられてきたが、2003年に死因は西ナイルウイルスによるウエストナイル脳炎という学説が登場した。その根拠は、古代のバビロンが現代の西ナイルウイルスの流行する分布域に属していることのほか、1世紀から2世紀にかけて活躍したギリシア人著述家プルタルコスの『対比列伝』(「プルターク英雄伝」) のなかの以下のような記述である。
    アレクサンドロスがバビュローンに入ろうとしている時に、(中略) 城壁のところまで行くと、多くのカラスが喧嘩をして互いにつつきあい、その内幾羽かが大王の足元に落ちた。
    公的な記録によれば、アレクサンドロス大王は高熱を発してずっと熱が下がらず、そのあいだ激しくのどが渇いて葡萄酒を飲み、うわごとがはじまって、発熱後10日目に亡くなったといわれる。これらの症状は、ウエストナイル熱やウエストナイル脳炎の症状と矛盾しない。
  • 暗殺説
    東方遠征中、酒に毒が盛られているのにアレクサンドロスが気付いたことにより、若手将校らによるアレクサンドロス暗殺計画が発覚したとされるが、記録によって事態経過の記述が全くバラバラかつ曖昧である。首謀者の1人として司令官の1人フィロタスの名前が挙がった。フィロタスは無実を主張するが、彼の義兄弟らが拷問の末に自白したため、有罪の判決が下りフィロタスは処刑された。パルメニオンを筆頭とする旧臣とアレクサンドロスの亀裂により近衛兵を率いるフィロタスの粛清劇を招いたという説が有力である

・・・「『循環(めぐ)りくる「時刻」に呼び起された「曙」が、その薔薇色の手で「光」の門をあけた』・・・

  • ミルトン 『失楽園』第六巻より

ヘイスティングズの戦い

<時>ヴィクトリア朝にきて2日目 10時

  • 11時近くまで用事にかかる

<場>アビンドン

  • ペディック教授は電報を打ちにいく
  • テレンスはボートの上で昼食をすませるため、パンとハム」を買いに出る
  • プリンセス・アージュマンドはカーペッドバッグで寝たまま

・・・「オウィディウス。『怠惰を望まぬ者に恋を与えよ』だ」・・・

オウィディウス

  • プーブリウス・オウィディウス・ナーソー(ラテン語: Publius Ovidius Naso, ラテン語発音: [ˈpʊː.blɪ.ʊs ɔˈwɪ.dɪ.ʊs ˈnaː.soː]; 紀元前43年3月20日 - 紀元後17年または18年)は、帝政ローマ時代最初期の詩人の一人
  • 共和政末期に生まれ、アウグストゥス帝治下で平和を享受し繁栄するローマにて詩作を行った。エレギーア形式で詠まれた『愛の歌』や『恋の技法』などの恋愛詩集や、叙事詩の形式で詠まれた『変身物語』などがよく知られている。
  • 『変身物語』は15巻12000行あまりの大作で、韻律としてヘクサメトロスを用い、神話伝説上の数々の変身譚を語る。一般にギリシアローマ神話の集大成と受け取られている。
  • 存命中から絶大な人気を博したオウィディウスであったが、紀元後8年にアウグストゥス帝の命により黒海に面した僻地に追放され、そこで生涯を閉じた。
  • 追放の理由はよくわかっておらず、文学史上最も不可解な事件の一つである。オウィディウス自身は追放の原因を「一つの詩歌と一つの過誤(carmen et error)に帰す」とだけ書いた。その言葉の選びようが意味深長であるからかえって、その意図するところをめぐって、後代の学者たちが膨大な議論を積み重ねることになった。
  • ラテン文学史上は「黄金の時代」の掉尾を飾る詩人とされる。オウィディウスの詩作品は後期古代から中世にかけての時代に多くの詩人に模倣され、西洋美術と西洋文学に絶大な影響を与えた。ウェルギリウスホラティウスよりは一世代若い世代に属する。彼らの時代から下ること数十年後の修辞学者クインティリアヌスはオウィディウスを最後のラテン恋愛悲劇作家と評した

 

10

 ・・・「こうやって、ボートにのって、ぶらーりぶらりするくらい、たのしいことなんだよ。まったく、これくらいたのしいことは、なんにも・・・ほかにもなんにも・・・」

  • ケネス・グレーアム 『たのしい川べ』

<時>ヴィクトリア朝にきて2日目 正午

<場>クリフトン

  • クリフトン・ハムデンの白亜層の崖

画竜点睛(がりょうてんせい)

  • 《中国、梁の張僧繇(ちょうそうよう)が、金陵の安楽寺の壁にかいた竜に睛(ひとみ)を入れたら、たちまち雲に乗って昇天したという「歴代名画記」七の故事から》最後の大事な仕上げ。また、ほんの少し手を加えることで全体が引き立つこと。

<人>ハリス

<人>ジェイ

<人>ジョージ

<動物・犬>モンモランシー

『英国海軍の支配者』

  • ギルバート&サリバンのオペレッタ『軍艦ピナフォタ』より 

『ボートの三人男』の登場人物達

<時>2時前

<場>デイズ

・・・ヘンリー・レガッタよりひどいな・・・

ヘンリー・レガッタ

  • ヘンリー・ロイヤル・レガッタ(英: Henley Royal Regatta、ロイヤル・ヘンリー・レガッタ、また単にヘンリー・レガッタともいう)
  • イングランドの初夏の風物詩として行われているレガッタの大会である。
  • 1839年に発足した同大会は、イギリスを中心とした世界各国のレガッタチームが多数参加し、男子一般、女子一般、学生、ジュニアなど、全19の部門によって対抗戦が展開される。 会場はロンドンから西へ60Km離れたテムズ川の上流にある小さな田舎町ヘンリー・オン・テムズである。ボート競技コースは全長1マイル550ヤード(約2112m)の距離を、「バッキンガムシャー」側と「バークシャー」側の2つのレーンで1対1によって争うものである。大会はトーナメント方式であり、レース全体の走破タイムのほか、2か所の中間点の通過タイム、ゴールでの着差などを争う。
  • イギリスにおいてはウィンブルドン選手権(テニス)、ロイヤルアスコット開催(競馬)、全英オープン(ゴルフ)と並ぶ、夏の社交界、スポーツ界最大のイベントとされている。

・・・キャサリン・ハワードさながら、不安な目をしじゅう背後になげていた。・・・

キャサリン・ハワード

・・・「ハンニバルの象を思い出すな、ティキヌスの戦いの」・・・

ティキヌスの戦い

ハンニバル

  • ハンニバル・バルカ(Hannibal Barca, ポエニ語: 𐤇𐤍𐤁𐤏𐤋𐤟𐤁𐤓𐤒, 紀元前247年 - 紀元前183年/紀元前182年)
  • カルタゴの将軍。ハミルカル・バルカの長子。ハンニバルは「バアルの恵み」や「慈悲深きバアル」、「バアルは我が主」を意味すると考えられ、バルカとは「雷光」という意味である。
  • 第二次ポエニ戦争を開始した人物とされており、連戦連勝を重ねた戦歴から、カルタゴが滅びた後もローマ史上最強の敵として後世まで語り伝えられていた。2000年以上経た現在でも、その戦術は研究対象として各国の軍隊組織から参考にされるなど、戦術家としての評価は非常に高い。
  • チュニジアで流通している5ディナール紙幣に肖像が使用されている

<時>3時ごろ

<場>ウォリングフォード

・・・ナポレオンワーテルローの戦いに敗北した・・・

ナポレオン

ワーテルローの戦い

<時>とっぷり日が暮れて

<場>ストリートリー到着

  • ミアリング嬢の家の近く

・・・夜鳴鶯(ナイチンゲール)は、『声をかぎりに心ゆくまで』『恍惚としてあたり一帯に自分の魂を迸(ほとばし)らせ』・・・

ジョン・キーツ

ボート転覆

・・・「『真夜中の暗黒と陰鬱をはやて疾く抜け』」と引用する。「『経帷子の亡霊おとく、船は行く ノーマンズ・ウォーの岩礁に向かって』・・・

「人はみな人それぞれの難破をなす」 ルカヌス

ルカヌス

  • ルカヌス(英語表記)Lucanus, Marcus Annaeus
  • [生]39. コルドバ[没]65
  • ローマの詩人
  • セネカ (大)の孫で,セネカ (小)の甥。
  • ペルシウスと同じストアの門に学ぶ。ネロ帝の寵愛を受けて,若くして財務官職についたが,文学上の問題で帝の嫉妬を買い,以後一切の文学活動を禁じられた。憤慨した彼はピソの陰謀に加担,発覚して自殺を命じられた。現存する叙事詩『内乱記』 De Bello Civili (10巻) は誤って『ファルサリア』 Pharsaliaとも呼ばれているが,ポンペイウスカエサルの争いをテーマに,滅びゆく共和政の末路を暗い悲観主義の目で描いたもの。

<場>ミアリング嬢のおうち

<人>トシー・ミアリング嬢

<人>ヴェリティ

<人>ミアリング夫人

  • トシー・ミアリング嬢の母親

<人>聖職者用カラーを着た恍惚たる表情の色白の若い男

 

 

11

「どこかで声がしたようだった、『もう眠りはないぞ!』と」

<人>マルヴィニア・ミアリング夫人

  • 気絶

<人>ベイン

  • 使用人

<人>コリーン・・・本人はジェインだと訂正する

<人>ミアリング大佐

  • マルヴィニア・ミアリング夫人の夫で、トシー・ミアリングの父親
  • ミアリング夫人は、ミージェルと呼んでいる

・・・著名な物理学者のサー・ウィリアム・クルックスはこのテーマに関する権威ある論文を発表していますし、アーサー・コナンドイルは・・・

サー・ウィリアム・クルックス

  • サー・ウィリアム・クルックス(Sir William Crookes, 1832年6月17日 - 1919年4月4日(86歳没))
  • イギリスの化学者、物理学者である。タリウムの発見、陰極線の研究に業績を残している
  • 人物
    1832年にロンドンで生まれた。1848年に王立化学大学(Royal College of Chemistry)に入学し、ドイツから来たアウグスト・ホフマンの下で有機化学を学んだ。
    グスタフ・キルヒホフの分光学研究に刺激を受け、自らも分光学に転じた。1861年には、分光分析により、硫酸工場の残留物からタリウムを発見した。
    1875年ころから、陰極線(放電現象)に興味を持ち、従来より真空度の高い放電管を作って、研究を行った。クルックス管を発明し、この中に羽根車をおいて、陰極線をあてて回転させた実験は有名である。この実験により、陰極線は帯電した微粒子からなることを明らかにした。この微粒子は、その後電子と名づけられ、ジョゼフ・ジョン・トムソン、ロバート・ミリカンらによって、その性質が明らかにされていった。
    クルックスはクルックス管で実験を行うと、周囲の写真乾板を露光させる現象があることを認識していたが、それを深く追求はしなかったため、X線発見の機会を逸してしまった。15年後、同様の現象を見出したレントゲンにより、X線が発見された。
    物理学に留まらず、様々な分野における研究を行った。例えば、テンサイからの砂糖製造の研究、フェノールの防腐作用の発見(1866年)、ダイヤモンドの起源に関する研究、都市排水に関する研究といったものである。1860年代の後半から心霊現象の研究をはじめた。「心霊現象研究協会」(SPR:Society for Psychical Research)の創設メンバーに加わり、1896年には会長に就任した。
  • 心霊研究
    1871年、信奉者の間で「霊媒の王者」と呼ばれていたダニエル・ダングラス・ホーム(ヒューム)という霊媒について研究し、「ホーム(ヒューム)の心霊現象にはトリックの片鱗すら見出せなかった」との結果を発表した。 また、1872年からその真偽をめぐり論争が起っていたロンドンのフローレンス・クックという17歳の女性霊媒についても研究を始めた。クックが自身のエクトプラズムを使って物質化させたというケイティ・キングと名乗る霊の脈拍を測ったり、何十枚もの写真撮影を行なった。そして、クルックスはクックの起こす現象は本物であると発表した。多くの科学者はクルックスは騙されたか、発狂したのだと考えた。それらに対し、クルックスは「私はそれが可能だと言ったのではなく、事実だと言ったのだ」と反論した。クルックスは妻と共にクックが1904年に他界するまで面倒を見続けた

アーサー・コナンドイル

  • サー・アーサー・イグナティウス・コナン・ドイル(英語: Sir Arthur Ignatius Conan Doyle, KStJ, DL, [ˈɑːrθər ɪgˈneɪʃ(i)əs ˈkoʊnən / ˈkɑnən ˈdɔɪl]発音例1 発音例2, 1859年5月22日 – 1930年7月7日)

  • イギリスの作家、医師、政治活動家

  • 推理小説歴史小説SF小説などを多数著した。とりわけシャーロック・ホームズ』シリーズの著者として知られる。SF分野では『失われた世界』『毒ガス帯』などチャレンジャー教授が活躍する作品群を、また歴史小説でも『ホワイト・カンパニー(英語版)』やジェラール准将(英語版)シリーズなどを著している。

  • 1902年にナイトに叙せられ、「サー」の称号を得た

<人>マダム・イリトスキー

<霊>ギチーワザ酋長

マダム・イリトスキーの監督霊

<人>アービテイジ

  • 聖職者用カラーを着た恍惚たる表情の色白の若い男
  • 副牧師

・・・「いえ、奥さま、古い姓なんです。ノルマン征服にまで遡るもので。リチャード師子心王に率いられて十字軍で戦った騎士に由来します」・・・

リチャード師子心王

  • リチャード1世(Richard I, 1157年9月8日 - 1199年4月6日)
  • プランタジネット朝アンジュー朝)第2代のイングランド王(在位:1189年 - 1199年)
  • ヘンリー2世の三男(第4子)。母はアリエノール・ダキテーヌ。妃はベレンガリア・オブ・ナヴァール(ナバラ王サンチョ6世の娘)。
  • 生涯の大部分を戦闘の中で過ごし、その勇猛さから獅子心王(Richard the Lionheart、フランス語ではCœur de Lion)と称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範とたたえられたが、10年の在位中イングランドに滞在することわずか6か月で、その統治期間のほとんどは戦争と冒険に明け暮れた
  • 第3回十字軍

・・・“少ないほど豊か(レス・イズ・モア)”という装飾上のコンセプトはどうやらまだ発明されてないらしい(ドイツ生まれの建築家、ミース・ファン・デル・ローエが“less is more”を唱えたのは1923年)・・・

ミース・ファン・デル・ローエ

  • ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe、1886年3月27日 – 1969年8月17日)
  • 20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家
  • ル・コルビュジエフランク・ロイド・ライトと共に、近代建築の三大巨匠、あるいは、ヴァルター・グロピウスを加えて、四大巨匠とみなされる。
  • 「Less is more.」(より少ないことは、より豊かなこと)「God is in the detail」(神は細部に宿る)という標語で知られ、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献した建築家である。柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体が、その内部にあらゆる機能を許容するという意味のユニヴァーサル・スペースという概念を提示した。

 

12

「あの晩の、犬の不思議な行動に、ご注意なさるといいでしょう」

「犬は全然なにもしなかったはずですよ」

「そこが不思議な行動だと申すのです」

・・・『親友よ、荒野に湧くわが泉よ!』・・・

ジョージ・エリオット

・・・エリザベス・バレット・ブラウニングが出奔したときのフラッシュみたいに」・・・

エリザベス・バレット・ブラウニング

フラッシュ

  • ヴァージニア・ウルフ『フラッシュ:或る伝記』
  • イングランド南部の村で生まれた由緒正しきコッカー・スパニエルのフラッシュは、女性詩人エリザベス・バレットへの贈り物として、ロンドンへやってきた

・・・眠り、そは自然のやさしき子守り・・・

  • ヘンリー四世第二部』三幕一場

ヘンリー四世

・・・聖なる休息の甘露、悲嘆を癒す薬・・・

  • サー・フィリップ・シドニー 『アストロフェルとステラ』より

サー・フィリップ・シドニー

  • サー・フィリップ・シドニー(Sir Philip Sidney, 1554年11月30日 - 1586年10月17日)
  • エリザベス朝のイングランドの詩人、廷臣、軍人
  • アストロフェルとステラ』、『詩の弁護』、『アーケイディア』の著者として知られている。

アストロフェルとステラ

  • 原題『Astrophel and Stella』
  • 英語で書かれた有名なソネット連作の最初期のもの。おそらく1580年代初頭に、妹メアリのウィルトン屋敷に寄寓中に作られたと思われる。ソネットは、シドニーの没後1591年に初版(明らかに著作権を侵害されている)が出るまで、写本として回覧されていた。1598年に正当な版が出された。この作品はイギリス・ルネサンス詩の転換点だった。詩集の中でシドニーは手本としたイタリアの詩人ペトラルカの特徴を変換して使った。詩から詩への感情の変化、曖昧な部分もあるが繋がった物語という付随的な感覚、詩作行為それ自体の熟考、など。押韻構成の実験も注目に値する。この作品が厳格な押韻を要求するイタリア風ソネットから、英語詩のソネットを解放する貢献をした。詳細は en:Astrophel and Stellaを参照

<もとの時代>2057年

・・・この四日間というもの、ドフトエスキー描くところのラスコーリニコフのような心境でございました。・・・

ドフトエスキー

ラスコーリニコフ

  • 罪と罰
  • 頭脳明晰ではあるが貧しい元大学生ラスコーリニコフが、「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という独自の犯罪理論をもとに、金貸しの強欲狡猾な老婆を殺害し、奪った金で世の中のために善行をしようと企てるも、殺害の現場に偶然居合わせたその妹まで殺害してしまう。この思いがけぬ殺人に、ラスコーリニコフの罪の意識が増長し、苦悩する。しかし、ラスコーリニコフよりも惨憺たる生活を送る娼婦ソーニャの、家族のためにつくす徹底された自己犠牲の生き方に心をうたれ、最後には自首する。人間回復への強烈な願望を訴えたヒューマニズムが描かれた小説である。
    一般には、正当化された殺人、貧困に喘ぐ民衆、有神論と無神論の対決などの普遍的かつ哲学的なテーマを扱い、現実と理想との乖離や論理の矛盾・崩壊などを描いた(すなわち、当時広まった社会主義思想への批判でもある)思想小説の類に属するとされる。一方で、老婆殺しの事件を追及する予審判事ポルフィーリィに追いつめられたラスコーリニコフが鬼気迫る勢いで反論する、彼との三度に渡る論戦はさながら推理小説であり、翻訳を手がけたロシア文学者の江川卓は『刑事コロンボ』のような倒叙ミステリーの様相を呈していると語っている。なお刑事コロンボの脚本を担当したウィリアム・リンクは、コロンボのキャラクターはポルフィーリィがモデルだと発言している

・・・「死の谷めがけて六百の騎馬が突っ込んだ・・・

<時>2018年 4月 オックスフォード

  • ずれの増大

シュレーディンガーの箱

  • シュレーディンガーの猫シュレーディンガーのねこ、シュレディンガーの猫とも、英: Schrödinger's cat)
  • 1935年にオーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが発表した物理学的実在の量子力学的記述が不完全であると説明するために用いた思考実験。シュレーディンガーは、EPR論文を補足する論文の中で、観測されない限り重ね合わせであるとして記述すると巨視系の状態が状態見分けの原理(巨視的な観測をすれば区別できる巨視系の諸状態は観測の有無にかかわらず区別できるとする原理)を満たさないことを示す具体例としてこの思考実験を用いた。
    本来は量子力学を批判するために用いられたものであったが、むしろ量子の世界の特異さを説明する例示として逆用され、後にエヴェレットの多世界解釈が生まれるきっかけの1つにもなった。量子論におけるいくつかの解釈や理論をシュレーディンガーの猫を使って説明するという例もよくある。
  • 猫の生死に関する思考実験

    ジョン・フォン・ノイマンは自著「量子力学の数学的基礎」において、隠れた変数理論の否定的証明を行い(ノイマンのNO-GO定理)、計算上で観測時に観測結果を選びとる射影公準を提唱し、観測する側とされる側の境界をどこにでも設定できるとした。 1935年、シュレディンガーはドイツ科学誌上で論文『量子力学の現状について』を発表し、射影公準における収縮がどの段階で起きるのかが明確でないことによって引き起こされる矛盾を示した。 一方で、佐藤勝彦は、その中で猫を使った思考実験を用いて、ミクロの世界の特有だという確率解釈の矛盾を突くことで、量子力学が未だ不完全な学問であることを証明しようとしたとしている。実験の内容は以下のとおりである。
    猫と放射性元素のある密閉した鋼鉄の箱の中で、放射性元素の1時間あたりの原子崩壊確率を50%とし、ガイガー計数管が原子崩壊を検知すると電気的に猫が殺される仕掛けにすると、1時間経過時点における原子の状態を表す関数は
    |原子の状態|=|放射線を放出した|+|放射線を放出していない|
    という二つの状態の50%ずつの重ね合わせによって表される。その結果、猫の生死は、
    |箱の中の状態|=|(放射線が放出されたので)猫が死んでいる|+|(放射線が放出されていないので)猫は生きている|
    という50%ずつの重ね合わせの状態になる。つまり、箱の中では、箱を開けてそれを確認するまで、猫が死んでいる状態と生きている状態の重ね合わせになる。これは量子力学的にはなにもおかしなことではなくて、観測による波束の収縮の結果が相互に排他的で両立し得ない性質を持つ2つの状態の間の選択になっているだけである。もしもこれが現実を記述しているとすれば、「巨視的な観測をする場合には、明確に区別して認識される巨視的な系の諸状態は、観測がされていてもいなくても区別される」という“状態見分けの原理”と矛盾する。シュレーディンガーはこのことをもって、量子力学的記述は未完成であると主張した。
    このような重ね合わせの不思議さは、シュレーディンガー以前から考えられていたことであるが、M.ヤンマーはこの例が他の例と違うところは、観測という過程によって行き着く先が猫の生と死という互いに排他的な性質を持つ二つの状態間の選択になっているということである、と指摘している。[独自研究?]
    同様に確率解釈の問題点をEPRパラドックスにより指摘することを試みたアインシュタインは、猫の生死という非常な身近な事柄で問題点を指摘したことに非常に感銘し、シュレディンガーに対して1950年に称賛する手紙を送っている。

・・・謎をとくのに必要なのは“小さな灰色の脳細胞”だけだって、ポアロも言ってるじゃない」「ポアロポアロって誰?教会区の牧師?」「違う。エルキュール・ポアロアガサ・クリスティーの。・・・・

エルキュール・ポアロ

  • エルキュール・ポアロ(Hercule Poirot, ポワロとも日本語表記)
  • アガサ・クリスティ作の推理小説に登場する架空の名探偵。ベルギー人。
  • シャーロック・ホームズなどと同様、時代を越え現在にまで至る支持を得た名探偵の一人。ホームズ以来のそれまでの推理小説の主人公から一線を画した探偵であり、滑稽ともいえるほどの独特の魅力で高い人気を誇る。クリスティが生み出した代表的な探偵と同時に、一般的にも著名な名探偵の一人である。
  • 33の長編・54の短編・1つの戯曲に登場し、ミス・マープルシリーズと並んでクリスティが生涯書き継ぐ代表シリーズとなった。しかし、クリスティ自身は自伝の中で「初めの3、4作で彼を見捨て、もっと若い誰かで再出発すべきであった」と述べている。孫のマシュー・プリチャードの証言では、クリスティはポアロにうんざりしていたが、出版社などに半ば強制される形でシリーズを書きついでいた。
  • 日本では第二次世界大戦前から紹介されており、現在でも日本語でほぼ全てのポアロ作品を読める

<時>1930年

  • ヴェリティの前の担当だった時代

・・・ドロシー・セイヤーズE・C・ベンソンアガサ・クリスティー。・・・

ドロシー・セイヤーズ

  • ドロシー・L・セイヤーズ (Dorothy Leigh Sayers、1893年6月13日 - 1957年12月17日)
  • オックスフォードに生まれウィッタムに没した英国の作家、翻訳家、現代/古典言語学者キリスト教人道主義である。
  • ディテクションクラブ三代会長を務めた。
  • ドロシー・L.・セイヤーズ (常にこのL.にこだわった)が最も知られているのは、恐らく「ピーター・ウィムジイ卿」ものの推理小説を通してであろう。ウィムジイはセイヤーズのシリーズ探偵で、英国の貴族である。アガサ・クリスティと並ぶ英国女性推理作家であるが、黄金期の作家としては日本では比較的紹介が遅かった。早川書房東京創元社が訳本を出版している。特に後者は創元推理文庫でピーター卿もの長篇を数多く出版(2020年2月に全作刊行)、日本でのセイヤーズ受容に大きく貢献した。この項目での固有名詞は、主に創元推理文庫版(浅羽莢子訳)に従う。

E・C・ベンソン

・・・もっともそれって、ウィルキー・コリンズがとっくの昔に『月長石』で使っている手なんだけど。主人公が犯人なのよ。・・・

ウィルキー・コリンズ

  • ウィリアム・ウィルキー・コリンズ(William Wilkie Collins, 1824年1月8日 - 1889年9月23日)
  • イギリスの小説家、推理作家、劇作家である。
  • ヴィクトリア朝の人気作家であり、初期の長編推理小説作家として重要である。
  • 代表作に『白衣の女』(1860年、発表と同時に一大ブームを巻き起こした)、『月長石』(1868年)などがある。

 

13

「・・・社会に出ようとする若者にとって、カントリーハウスに偽りの身分で滞在することほど教育的にすぐれた経験はない」 P・Gウッドハウス

P・Gウッドハウス

  • ペルハム・グレンヴィル・ウッドハウス(Pelham Grenville Wodehouse, 1881年10月15日 - 1975年2月14日)
  • イギリスの小説家。ユーモア小説の大家として知られる

・・・「トインビー氏の『産業革命は・・・

トインビー氏の『産業革命

  • アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee、1852年8月23日 - 1883年3月9日)
  • イギリスの経済学者
  • 産業革命」を学術用語として広めた歴史家であり、世界最初のセツルメント「トインビー・ホール」を興したセツルメント運動の発起人の1人。時に「セツルメントの父」とも呼ばれる。
  • イギリスの歴史家アーノルド・J・トインビーの叔父。20世紀最大の歴史家の1人に数えられるアーノルド・J・トインビーと区別するため、甥のほうにはミドルネームのジョセフが入れられることが多い

<食>ミアリング家での朝食

  • ケジャリー
  • デビルド・キドニー・・・チャツネとマスタードで牛の腎臓を蒸し煮したもの
  • 雷鳥の冷製
  • 燻製ニシン
  • お粥(ポリッジ)

ケジャリー

  • ケジャリーまたはケージャリー(英語: Kedgeree、時にkitcherie、kitchari、kidgeree、kedgaree、kitchiri、khichuriと表記されることもある)
  • インド料理に由来をもつイギリス料理である。ほぐした魚の身(伝統的にはコダラの燻製を用いる)、炊いた米、パセリ、ゆで卵、カレー粉、バターもしくはクリーム、場合によってはサルタナを加えて作る。
  • 由来となった料理はインドではキチュリ(英語圏ではkhichariと表記)と呼ばれ、インドではこの単語は通常広く豆と米の料理を指す単語として用いられている。キチュリにはスパイスをあまり用いず水分を多く含むもの(geela khichari)からスパイスを多用し水分をほとんど含まないもの(sookha khichari)まで様々な種類がある。また、インドのキチュリはケジャリーとは材料が異なり、他種類の野菜を用いる他にもナッツや果物を入れることもある。また、インドのキチュリではカレー粉を用いず、料理のレシピに合わせ個々のスパイスを組みあわせ、事前に煎るもしくは油で炒めた後に調理する
  • 歴史

    ケジャリーはインドで1340年以前に生まれた、ムーング豆もしくはレンズ豆と米を使用した料理キチュリに起源を持つと考えられている。ケジャリーはイギリス領インド帝国から帰ってきた植民によりイギリスに持ち込まれた後、ヴィクトリア朝時代に朝食としてイギリスに紹介されアングロ・インド料理として定着したと広く信じられている。ケジャリーは、バブル・アンド・スクイークを筆頭とする、昨夜の夕食の残り物を冷蔵庫に眠らせることなく、魅力的な朝食へと変えるレシピの一つとしてよく知られている。
    ホブソン・ジョブソンではイブン・バットゥータ(1340年完成)のキチュリと呼ばれる米とリョクトウ(ムーング豆)を共に炊いた料理への言及を引用し、アイニ・アクバリー(1590年完成)からキチュリのレシピを引用している。キチュリが未だ一般的に食されているグジャラート州では、この料理は通常香辛料入りのヨーグルト飲料、カーディーとともに供される。グジャラート州ではキチュリは通常魚を用いて調理することはないが、海沿いの村など魚介類が豊富にとれる地域では魚を用いて調理することもある。ホブソン・ジョブソンによれば、魚をケジャリーにして食するときは、再調理した魚を食しているということは些細な事に感じられる。
    ケジャリーは温かい状態でも冷めた状態でも食する事ができる。また、伝統的な調理法とは異なるものの、コダラの代わりにマグロやサケを用いて調理することもできる

デビルド・キドニー

  • デビルド・キドニー (Devilled kidneys)
  • 18世紀および19世紀に、上流階級ではケジャリー (Kedgeree) やデビルド・キドニー (Devilled kidneys) のような料理の手の込んだ朝食を食べた。現在のたっぷりの量の朝食はフル・イングリッシュ・ブレックファストであり、「フライ・アップ」と呼ばれる

<人>ミセス ポージー

  • ミアリング家の料理女
  • 料理女は婚姻状況にかかわらず、全員ミセスと呼ばれる

<人>コリーン(ジェイン)

  • 本名はコリーンだが、ミアリング夫人は召使の名前としてはアイルランド風で流行遅れだかりら、流行のイングランド生まれの召使のように、ジェインと名前を変えさせた
  • ミアリング家の小間使い(パーラー・メイド)
  • 召使いはファーストネームで呼ばれる

<人>ベイン

  • ミアリング家の執事
  • 執事の呼び方は例外で、ミスター・ベインかベインと呼ばれる

ミアリング家にはほかに、洗い場女中(スカラリー・メイド)、料理人(クック)、下男(フットマン)、馬丁(グルーム)、執事(バトラー)、庭師(ガードナー)がそれぞれ一人ずついる

<人>教会区牧師

<人>アービテイジ副牧師

<人>トスリン・ミアリング(トシー)

<人>ミアリング夫人(夫はマルヴァニアと呼ぶ)

<人>ヴェリティ

<人>テレンス・セント・トゥルーズ

  • ケント出身

<人>ミアリング大佐(奥さんはミージェルと呼ぶ)

<人>ペディック教授

<動物・猫>プリンセス・アージュマンド

<動物・犬>シリル

<人>マダム・イリトスキー

<人>フォクス姉妹

  • マーガレット嬢とケイト嬢の姉妹
  • 降霊術団体の創設者

・・・「『完璧な至福の夢 美しすぎて長くは続かない』・・・

  • トマス・ヘインズ・ベイリー 「夢なりき

トマス・ヘインズ・ベイリー

  • Bayly, Thomas Haynes トマス・ヘインズ・ベイリー
  • 英 1797-1837
  • 作曲家、詩人。
  • 歌曲「吟遊詩人は楽しげに Gaily the Troubadour」、歌曲「久しい昔 Long Long Ago」がよく知られる。

<曲>「久しい昔 Long Long Ago」

  • 「ロング・ロング・アゴー」(Long, Long Ago) は、ノスタルジアを歌う内容で、イングランドの作曲家トマス・ヘインズ・ベイリーが1833年に書いた曲。当初は、「ザ・ロング・アゴー」(The Long Ago) という曲名であったが、ベイリーの死後、彼が遺した詩や歌がフィラデルフィアで発行されていた雑誌に掲載された際に、編集者のルーファス・ウィルモット・グリスウォルドが、曲名に手を加えたと考えられている。この曲は好評を得、1844年当時のアメリカ合衆国において、最も人気の高い曲のひとつとなった。
    日本語では、「久しき昔」、「思い出」など、日本語の歌詞による題名でも呼ばれるほか、「久しい昔」として言及されることがある

・・・庭はケイパビリティ・ブラウン・・・

英国貴族名鑑(デブレット)

 

14

「ひとつとしておなじ試合はない。毎度、まったく違う試合になる、それが問題だ」

ダリル・F・ザナック

  • ダリル・フランシス・ザナック(Darryl Francis Zanuck, 1902年9月5日 - 1979年12月22日)
  • アメリカ合衆国の映画プロデューサー・脚本家。
  • 息子のリチャード・D・ザナックもプロデューサーとなった

<場>チャティボーン家

  • ベインが以前勤めていた家

<人>フィンチ

  • ダンワージ先生の秘書
  • チャティボーン家で執事

<人>チャティボーン夫人

<人>ローズ

  • チャティボーン夫人の娘

<人>アイリス

  • チャティボーン夫人の娘

<人>パンジー

  • チャティボーン夫人の娘

<人>エグランティー

  • チャティボーン夫人の娘
  • 10歳くらい

<人>エリオット

<動物・猫>ミセス・マーマレード

  • チャティボーン家の猫
  • 太った猫

2004年に地球上の猫を一掃したジステンパーの初期型は、ヴィクトリア朝には存在しなかった

<場>ウォーレス未亡人の家

<場>ミス・スティギンスの家

<人>モード・ペディック

  • テレンスの未来の結婚相手
  • ペディック教授の姪で、本当ならヘンリーではなくテレンスが、ペディック教授に頼まれて妹と姪を迎えに駅に行ったとき、出会うはずだった
  • テレンスとモードの孫の一人がバトル・オブ・ブリテンで戦った英国空軍パイロットとなるらしい

・・・「『さらば!なぜならこの宿命の言葉には われらがいかに誓おうと 願おうと 信じようと 諦めが息づくのだから』」・・・

1940年9月バトル・オブ・ブリテン

  • ヒトラーは、敵の爆弾が祖父の地(ファーザーランド)に落ちることはないと天に誓っていたが、それが落ちた時ロンドン絨緞爆撃を命じた

1940年11月コヴェントリー大空襲

絨緞爆撃(じゅうたんばくげき)

  • 絨緞を敷きつめたようにすきまなく無差別に爆弾を落とすこと。
  • 一定の地域のすべてに対して、集中的に爆撃すること

 

15

一本の糸を引き抜けば、織物は台なし。千のくさびのひとつを壊せば、傷んだ壺からすべてが流れ出す。

  • ジョン・グリーンリーフ・ホイッティアー 「わが心とわたし」

ジョン・グリーンリーフ・ホイッティアー

<時>マッチングズ・エンド第二夜

・・・「産業資本家のアンドル・カーネギー炭坑夫の息子だったというのはほんとうですか」・・・

アンドル・カーネギー

  • アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie[2] [ˈændruː kɑːrˈneɪɡi]、俗に[ˈkɑːrnᵻɡi, kɑːrˈnɛɡi]とも, 1835年11月25日 - 1919年8月11日)
  • スコットランド生まれのアメリカの実業家
  • 崩れ行く橋を見て着想を得てカーネギー鉄鋼会社を創業し、成功を収めて「鋼鉄王」と称された
  • 立志伝中の人物であり、ジョン・ロックフェラーに次ぐ史上2番目の富豪とされることが多い。
  • 事業で成功を収めた後、教育や文化の分野へ多くの寄付を行ったことから、慈善活動家(フィランソロピー)としてよく知られている1889年の『富の福音』はフィランソロピーを志す人々への啓蒙書となっている。
  • スコットランドのダンファームリンで生まれ、1848年には両親と共にアメリカに移住した。アメリカではまず織物工場で作業員として働き、後に同社オーナー専属の計算書記となった。間もなく電信配達夫となり、電信会社で昇進。1860年代には鉄道、寝台車、鉄橋、油井やぐらなどの事業を行った。最初の資産は、当時花形事業だった鉄道への投資で築いた。
  • 1870年代にはピッツバーグカーネギー鉄鋼会社を創業。
  • 1890年代には同社が世界最大で最も高収益な会社となった。事業で得た富でカーネギー・ホールなどを建てている。引退した従業員のための年金基金も創設した
  • 1901年、J・P・モルガンに4億8000万ドルで同社を売却。エルバート・H・ゲイリーのフェデラル鉄鋼会社と合併してUSスチールとなった。
    カーネギーは残りの人生を慈善活動に捧げ、図書館建設、世界平和、教育、科学研究などに多額の寄付をした。アッパーアイオワ大学のキャンパスに図書館を建設するため、下院議長デイビッド・B・ヘンダーソンに2万5千ドルを寄贈している。ニューヨーク・カーネギー財団、カーネギー国際平和基金カーネギー研究所、カーネギーメロン大学カーネギー教育振興財団、カーネギー博物館などの創設に資金を提供した。最も金をつぎ込んだのはアメリカ各地やイギリスおよびカナダなどでのカーネギー図書館、学校、大学の創設である。

産業資本家のアンドル・カーネギーが炭坑夫の息子だったというのはほんとうですか

  • 1835年、カーネギースコットランドのダンファームリンで手織り職人の長男として生まれた。生家の一階の半分を占める部屋は隣の手織り職人一家と共有で、居間としてもダイニングルームとしても寝室としても使われた。アンドリューという名前は祖父にちなんでつけられた。1836年、父ウィリアム・カーネギーがダマスク織りで儲けたため、やや広い家に移り住んだ。叔父のジョージ・ローダーは彼にロバート・バーンズの作品やロバート1世やウィリアム・ウォレスやロブ・ロイ・マグレガーといったスコットランドの歴史上の偉人について教えた。

1940年8月24日の夜 分岐点

  • ドイツの爆撃機2機が偶発的にロンドンを爆撃したときのこと
  • ロチェスターの飛行機工場とテムズ港の石油貯蔵タンクを爆撃する大規模な作戦に加わっていたが、先導機群はレーダーを装備していたが、他の機にはレーダーがなく、2機は本体からはぐれて対空砲火の中に突っ込んだ。そこで抱えていた爆弾を急遽投下し、機体を軽くして帰投しようと決断したのが、不幸にもロンドン上空だった。投下した爆弾はセントジャイルズ教会とクリップルゲートを破壊し、民間人の死者をだした。
  • この報復として、チャーチルはベルリン空襲を命じ、ベルリン空襲の報復としてヒトラーはロンドンを空襲した

・・・ルフトヴァッフェを追撃するとかね」・・・

ルフトヴァッフェ

2018年のズレ

  • いまだ原因不明のまま
  • ズレの増大が見られるのは4月

<人>ミスターC

  • トシーの運命のひと
  • 謎のまま

ラオコーン

  • トロイヤの神官
  • 木馬がギリシャ軍の計略だと見抜き、城内に入れることを強く反対したが、大海蛇に殺された

『関連プロジェクト』

<食>朝食

  • うなぎのパイ
  • トシーがわがままを言って食べたがった鱈

・・・『露に濡れた乳色のいばらのように甘く、身震いする喜びの恍惚より愛しい』」・・・

ロバート・バーンズ

<食>バザー用のロックケーキ

・・・『ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解尽くせよう』・・・

  • 「ローマ信徒への手紙」十一章三十三節

・・・『園生(そのう)に入っておいで、モード、この門辺に立つは僕ひとり』・・・

・・・ピーター卿も昼寝をしたのよ。ハリエットはその寝顔を見て、そのときはじめて自分が彼を愛していることに気づく」・・・「もちろんわたしは、『毒を食らわねば』の二ページめでわかったわよ。・・・

  • Strong Poison (1930) 『毒を食らわば』

・・・「残念ね。プロポーズのとき、ピーター卿は『お心に叶いますか(プラケトラネ)、先生(マギスチラ)?』って訊ねて、ハリエットは『叶います(プラケト)』って答える・・・

  • 『学寮祭の夜』より ラテン語のプロポーズシーン

「美と知恵はめったに結合しない」

・・・「『この姫の顔の何という美しさ』・・・

  • 「シャーロット姫」より

トシーとセント・トゥルーズの婚約

 

 

16

「それにルールがぜんぜんないみたいなの。あったとしても、だれもそんなのまもってないわ それに、なんでもかんでも生きてるから、もうすっごくややこしいのよ」

<時>次の朝 (ヴィクトリア朝3日目)

<場>バザー

・・・ パオロとフランチェスカ(これまた不幸な末路をたどったカップル)の・・・

パオロとフランチェスカ

  • 『パオロとフランチェスカ』(英: Francesca da Rimini and Paolo Malatesta Appraised by Dante and Virgil)
  • アリ・シェフェール1855年に描いた絵画。
  • ラヴェンナに生まれ育ったグイード・ダ・ポレンタの娘であるフランチェスカ・ダ・リミニは、ジョヴァンニ・マラテスタに嫁いだが、義弟である眉目秀麗なパオロ・マラテスタと恋に落ちる。口づけをする2人を目撃したジョヴァンニは、2人を剣で刺す。
  • これは歴史的なドラマであり、ダンテ・アリギエーリの『神曲』3部作の第1編の中にある、第2圏5歌のテーマを構成している。『アエネーイス』を著した人物であって、ダンテの師であり、また象徴的なナビゲーターでもあるウェルギリウスに伴われ、地獄の嵐の中で、詩人は、理性を省みることなく自らの情熱に身を委ねて報いを受ける恋人たちと会う。
    パオロが、顔をヴェールで覆って、フランチェスカの悲痛な話に打ちのめされている一方で、より弱い彼女が、愛しい者の絶望に苦しんでいることを打ち明け、心を揺さぶられるのである。
  • 複雑な状況がシンプルに表現されている。画面左側では、明るい対角線と絡まり合った曲線が、裸身の恋人たちと白色のドレープを背景の単色画(グリザイユ)から浮かび上がらせており、画面右側では、赤い帽子のダンテと月桂冠をかぶったウェルギリウスが、沈鬱な表情で影の中に佇んでいる[1][2]。フランチェスカの左肩甲骨のあたりと、パオロの右胸に、剣の傷跡が微かに見える

ハーレクインとコロンビーナ

アルルカン

  • 〈フランス〉arlequin
  • イタリア語ではアルレッキーノ
  • コメディア・デラルテの下男役アルレッキーノのフランス名。派手な菱形模様のタイツ姿で,小さなマスクをかぶる。
  • イギリスではハーレクィン Harlequinと呼ばれ,道化芝居 (→ハーレクィネード ) に出てくる若い男の恋人役で,コランバイン (コロンビーナ) の求婚者。

・・・僕はカバーに染みがついた『昔気質の一少女』の本をとって、・・・

昔気質の一少女

  • 原題:"An Old Fashioned Girl"
  • ルイザ・メイ・オルコット

『地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする』

  • 「マタイによる福音書」六章十九節

<人>農夫のビルトン

  • フィンチが会いに行った

フィンチがストウスターや農夫のビルトンに行った本当の目的は?

・・・「『最高のバターだったんだぜ』」・・・

  • 『不思議な国のアリス』のバターで時計を修理するエピソードより

 

17

死の谷へ・・・・」

<人>マダム・イリトスキー

<人>デ・ヴィッキオ伯爵

<♪>夜の帳が下りてくる 

・・・「ミス・クリンプソンは持ち上げた。『毒をくらわば』で。そうするしかなかったのよ。ピーター卿は時間切れ寸前だった。いまのわたしたちとおなじ」・・・

6月15日

  • カトルプラの戦いの前日・・・ワーテルローの悲劇に繋がる運命のあやまちの前日。ナポレオンは、ネー元帥カトルブラを占領すると信じるというまちがいをおかした。運命の一日。

ネー元帥

  • ミシェル・ネイ(フランス語: Michel Ney, 1769年1月10日 - 1815年12月7日)
  • フランス革命戦争およびナポレオン戦争期に活躍したフランスの軍人(フランス元帥)。
  • ナポレオン・ボナパルトの側近の一人で、彼をしてle Brave des Braves(勇者の中の勇者)と言わしめた。 なお、姓のNeyは二重母音「ネイ」ではなく、フランス語発音: [ˈnɛ]と読む。
  • 百日天下と最期
    王政復古後はルイ18世に忠誠を誓い、ナポレオンがエルバ島を脱出した際、「ナポレオンを鉄の檻に入れて、引っ立てて来る。」と豪語したが、ナポレオンから親書を受け取ると3月15日にロン=ル=ソニーエでナポレオンに帰順、3月18日にオセールで合流した。
    リニーの戦いに先立ち、イギリス軍がプロイセン軍への援軍に来られないよう、ブリュッセルナミュールの間のカトル・ブラに派遣されたカトル・ブラの戦い)。一時的に彼はウェリントンを窮地に追い詰めたが、デルロンが援軍として到着しなかった為、彼の努力は灰塵に帰した。

    ワーテルローの戦いでは前衛で事実上の総指揮を執り、ラ・エー・サントへのデルロンの第1軍団による攻撃を命じた。この際、砲兵による支援を命じ忘れたため、フランス軍の突撃はことごとく粉砕された。15時30分、騎兵による総突撃を敢行したが、味方砲兵の支援がなかった為イギリス歩兵の方陣を効果的に崩すことができなかったものの、イギリス軍の歩兵陣地をしばらくの間蹂躙した。さらにイギリス軍左翼にプロイセン軍が到着したことによりウェリントンはイギリス軍近衛騎兵連隊を増援として差し向けたため、ネイは攻めきれず遂に退却し、勝利の機会を逃した。こののちブリュッヘル率いるプロイセン軍が続々と到着したため、フランス軍は戦列を維持し得なくなりついに敗走、ワーテルロー戦役は終結した。
    敗戦後、フーシェは、彼にパスポートを与えて亡命を提案したが、ネイはそれを断り、8月3日に身柄を拘束された。再び権力の座に戻ったルイ18世の政府によって反逆罪に問われ、1815年12月6日に銃殺刑に処せられた。ネイやミュラの銃殺は、ルイ18世の個人的な復讐であると言われているが、ネイ自身はこの時、同僚将官による軍法会議で裁かれるのを拒み、フランスの上院議員の資格を盾にとって、王党派で占められた上院による裁判を受けている。貴族院では、161票中139票の賛成で有罪となり、賛成票を投じた中にはケレルマン、マルモン、ペリニョン、セリュリエ、ヴィクトルらも含まれた。

ワーテルロー

<食>正餐のメニュー ディナー

  • 舌平目のグリル
  • 仔羊の肋(あばら)肉ロースト

・・・「ええ、パパ」とトシーが口をはさんだ。「『月長石』よ。小説の」・・・

月長石

  • 『月長石』(げっちょうせき、The Moonstone
  • イギリスのヴィクトリア朝の小説家ウィルキー・コリンズの長編探偵小説
  • 1868年出版。
  • T・S・エリオットは「最初の、最長の、最上の探偵小説」、「最大にして最良の推理小説」と称えている。
  • 19世紀後半にイギリス小説界で絶大な人気を得た大ヒット作であり、コリンズの代表作である。盗難を主題とした推理小説は、のちに怪盗ものが流行するものの、捜査視点で一貫している点、長大さの点で今なお隔絶した孤峰となっている
  • あらすじ
    1799年にインドに進出したイギリス軍の将校が、バラモン教徒の寺院に長く秘蔵されてきた秘宝・黄色いダイヤモンドの月長石を奪う。その後、「月長石」はイギリスに渡るが、その行くところ行くところに謎のインド人が影のように現れる。

 

18

「・・・私の経験からして、まだ、とるにたりない些細なことというものにお目にかかったことはありませんよ」

<人>ジミー・スランキン

  • デ・ヴィッキオ伯爵のパスポートの名前

・・・ピーター・ウィムジー卿とハリエット・ヴェインも『死体をどうぞ』でリストをつくってる」・・・

  • Have His Carcase (1932) 『死体をどうぞ』 ドロシー・L・ セイヤーズ

・・・ほら、ポオの『盗まれた手紙』みたいに」・・・

ポオの『盗まれた手紙』

  • 「盗まれた手紙」(ぬすまれたてがみ、The Purloined Letter)
  • エドガー・アラン・ポーの短編小説。
  • 「モルグ街の殺人」「マリー・ロジェの謎」に続き、C・オーギュスト・デュパンが登場する推理シリーズの三作目にあたる。
  • ある大臣が政治的な陰謀から「とある貴婦人」の私的な手紙を盗み出し隠匿するが、依頼を受けた警察がいくら捜索しても見つけることができない、という事件をデュパンが鮮やかに解決する。
  • しばしば「デュパンもの」三作中で最も完成度が高いとされる作品である
  • ザ・ギフト』1845年号(1844年発行)初出。1845年に作品集『エドガー・A・ポーの物語集』に収録された。

<食>朝食

  • ブラッド・ソーセージ
  • ケジャリー
  • チキンのレバー巻き

・・・「そこのクリッペン(妻を毒殺して逮捕された医師)は?」・・・

クリッペン(妻を毒殺して逮捕された医師)

  • 妻を殺害し死体を切断、自宅地下に埋めたとして1910年にイギリスで死刑となったホメオパシー医師Hawley Harvey Crippen、通称「Dr. Crippen(クリッペン博士)」。
  • カナダへ逃走するために乗った客船で、船長に正体を見破られての「世界初の無線を使った逮捕劇」も有名で、小説や映画のモデルとなったり、ろう人形がマダム・タッソー館に展示されたりもしている有名殺人犯

<場>コヴェントリー

<場>コヴェントリー教会

  • セント・マイケル教会の尖塔は改修中
  • 改修工事のため、6月1日より7月31日まで閉鎖の看板

 

19

「心はそれ自身の定め」

  • フィリップ・ジェイムズ・ベイリー

フィリップ・ジェイムズ・ベイリー

  • イギリスの詩人

<人>副牧師 ドールト

  • 職人たちのあだ名は、ぎょろ目

<人>シャープ嬢 デルフィニウム・シャープ

  • 小間物屋台

・・・「つまり『緋色の研究』は読みました。・・・

・・・「ジャーヴェス・スクロープの墓碑だ。『飛ばされた(トスト)哀れなテニスボール、ここに眠る ひっぱたかれ(ラケット)、跳ねて落っこちた(スプリング フォール)』」

  • 原文は「春から秋まで浮かれ暮らした哀れな酔っ払い」とも読める
  • この碑文は、スクロープ本人の次作で、さらに18行つづく

ジャーヴェス・スクロープ

主教の鳥株の謎

  • 1926年 最高に凶悪な祭壇ギルド婦人会の集まりがあって、そこで誰かが鳥株飾壺(バード・スタンプ)一個の購入を提案した。当時、身廊に花を飾るのに翼」使われていた、背の高い花瓶。(木の切り株とその上にとまる小鳥をかたどった器)
  • 直前に、主教が大聖堂運営コストの削減案をだしていたから、無用の出費だという理由で購入動議は否決された。
  • 代わりに使えるものがあるはずだと、二十年前から地下室にしまわれたままだった鋳鉄脚付台付人獣装飾壺が使用された
  • それ以降、半分皮肉をこめて、この壺は、『主教が考える鳥株装飾壺』と呼ばれるようになり、それが省略され主教の鳥株(ビショップズ・バード・スタンプ)になった。

主教の鳥株が1888年には工事中の身廊に存在していた

<人>ウィッジとバゲッド

  • トシーに色目をつかった職人の名前

<人>エミリー・ジェイン・トラプジョー

  • エミリー・ジェイン・トラプジョーの死去にともない、トラプジョー家から主教の鳥株が寄贈された
  • 故人は、大博覧会で購入して家宝として愛蔵していたもの

<人>J・O・スコット

  • 大聖堂の鉄桁(てつげた)を埋め込んだ人

 

20

 「どんな人間も最後は自らのワーテルローと出会う」

  • ウェンデル・フィリップス

 ウェンデル・フィリップス

  • ウェンデル・フィリップスが参加しましたハーバード大学教育を受けた弁護士と裕福なボストニアン死刑廃止運動をし、その最も顕著な支持者の一人となりました。彼の雄弁のために尊敬、フィリップスは上広く話しライシーアム回路と、1840年代と1850年代の間に多くのコミュニティでの死刑廃止のメッセージを広める。

  • 南北戦争フィリップスを通して、多くの場合、彼は奴隷制度を終了するには、あまりにも慎重に移動していたと信じリンカーン政権の批判的でした。1864年リンカーンの融和と寛大な計画に失望復興、フィリップスは、第二項のために実行するために指名リンカーンだった共和党、反対運動を展開しました。

    南北戦争後、フィリップスは、によって擁護復興のプログラムのために提唱した急進派共和党などタデウス・スティーブンス。

  • フィリップスは、他の主要な奴隷解放、と分けウィリアム・ロイド・ガリソン反奴隷協会は南北戦争の終わりにシャットダウンする必要があると信じ、。フィリップスは13日改正は、アフリカ系アメリカ人のための真の市民権を確保していないと信じていた、と彼は彼の人生の最後まで黒人のための完全な平等のために十字軍を続けました。

 ・・・「アンナ・カレリーナとおなじ末路をたどるところだったぞ」・・・

 アンナ・カレリーナ

  • アンナ・カレーニナ』(露: Анна Каренина)
  • 帝政ロシアの作家レフ・トルストイの長編小説
  • 1873年から執筆を開始し、1875年から雑誌『ロシア報知』(露: Русскій Вѣстникъ)に連載した。1877年に単行本初版が刊行された。『戦争と平和』と並ぶ作者の代表作であり、現代に至るまで極めて高い評価を受けている。

・・・「『汝がさだめは万人に等しきさだめ。たれの人生にも雨は降る、暗く哀しき日がある』」・・・

ロングフェロー

「雨の日」

  • 原題 The Rainy Day
  • 暗くうそ寒くうっとうしい一日
    雨は降りしきり風は止まない
    朽ちかけた壁にしがみつく蔓草は
    風の吹くたびに枯葉を散らす
     暗くうっとうしい一日

    暗くうそ寒くうっとうしいわが人生
    雨は降りしきり風は止まない
    朽ちかけた過去にしがみつくわが想いは
    風吹くたびに青春の希望を散らす
     暗くうっとうしい日々

    静まれ、悲しむ心よ、嘆いてはいけない
    雲の裏には陽が輝いている
    お前の定めはだれしもの定め
    だれの人生にも雨の降る日はある
     暗くうっとうしい日々がある

<人>アービテイジ副牧師

  • マッチングズ・エンドの副牧師
  • 未来・・・1898年エグランティーン・チャティスボーンと結婚する
  • 未来・・・ノリッジのセント・オーバンズ教会区牧師になる

・・・ベインはトインビーの『産業革命ダーウィンの『人間の系統』に没頭しているだろうと・・・

トインビーの『産業革命

  • アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee、1852年8月23日 - 1883年3月9日)
  • イギリスの経済学者である。
  • 産業革命」を学術用語として広めた歴史家であり、世界最初のセツルメント「トインビー・ホール」を興したセツルメント運動の発起人の1人。時に「セツルメントの父」とも呼ばれる。
  • イギリスの歴史家アーノルド・J・トインビーの叔父。20世紀最大の歴史家の1人に数えられるアーノルド・J・トインビーと区別するため、甥のほうにはミドルネームのジョセフが入れられることが多い。

ダーウィンの『人間の系統』

  • 『チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin ([tʃɑːlz 'dɑː.wɪn]), 1809年2月12日 - 1882年4月19日)
  • イギリスの自然科学者
  • 卓越した地質学者・生物学者で、種の形成理論を構築し進化生物学を発表した。全ての生物種が共通の祖先から長い時間をかけて、彼が自然選択と呼んだプロセスを通して進化したことを明らかにした。進化の事実は存命中に科学界と一般大衆に受け入れられた一方で、自然選択の理論が進化の主要な原動力と見なされるようになったのは1930年代であり、自然選択説は現在でも進化生物学の基盤の一つである。また彼の科学的な発見は修正を施されながら生物多様性に一貫した理論的説明を与え、現代生物学の基盤をなしている。
  • 進化論の提唱の功績から今日では生物学者と一般的に見なされる傾向にあるが、自身は存命中に地質学者を名乗っており、現代の学界でも地質学者であるという認識が確立している

・・・「『飛び散る織物、あちこちに広がり、端から端までひび割れる鏡』」と声に出して暗唱した。「『「あの呪いがわたしに降りかかったのだわ」と叫んだ、シャロットの姫君は』」

<人>アーサー・T・ミッドフォード

・・・ウェリントンを見ろ。オルレアンのジャンヌ・ダルクを見ろ。それにジョン・ポール・ジョーンズ。だれもが負けだと思ったときに、彼らは成功をおさめた。・・・

ウェリントン

ジャンヌ・ダルク

  • ジャンヌ・ダルク(フランス語: Jeanne d'Arc、古綴:Jehanne Darc、IPA: [ʒan daʁk]、英: Joan of Arc、ユリウス暦1412年ごろ1月6日 - 1431年5月30日)
  • 15世紀のフランス王国の軍人
  • フランスの国民的ヒロインで、カトリック教会における聖人でもある。「オルレアンの乙女」(フランス語: la Pucelle d'Orléans[4]/英: The Maid of Orléans)とも呼ばれる。

ジョン・ポール・ジョーンズ

<人>サンフランシスコのユーサピア男爵夫人

  • アポーツで有名

ユーサピア男爵夫人

アポーツ

  • アポート(apport)
  • 超能力の一種で、別の場所にある物体を取り寄せたり、物体をどこからともなく登場させることである。取り寄せ、引き寄せなどと訳されることもある。アポーツとも呼ばれる
  • アポートに対しアスポート(asport)は、物体を別の場所に送ったり、どこへともなく消し去ることである。こちらはアスポーツとも呼ばれる。

・・・『短剣ではないか、そこに見えるのは』・・・

<人>アーサー・ペディック歴史学教授

  • テムズ河水難事故で死去
  • オックスフォード・クロニクルの記事

 

21

 「『あの呪いがわたしに降りかかったのだわ』と叫んだ、シャーロット姫君は」

・・・「『しあわせな運命、そして幸運のスカートをつかむ』・・・

・・・『おお、このあまりに堅固なる肉体!』」・・・

<食>ペディック教授のお葬式記事さわぎで図書室にうつったとき、ベインが用意してくれたおやつ

  • お茶、スコーン、バターつきマフィンをのせた銀の盆を運んできた

・・・「・・・殺人があやつの歴史理論において意味をもつわけではない」電報をにぎりしめ、「マラーの暗殺も、塔の王子ふたり(少年エドワード五世と弟のヨーク公リチャード)の殺害も、ダーンリー暗殺も、オーヴァーフォースの説では、どれひとつとして歴史の流れに影響を与えないのだからな。個人の行動は歴史の流れに無関係だという。オーヴァーフォースの説では、名誉も、嫉妬も、愚かさも、運も関係ない。どれひとつとして出来事に影響しない。サー・トマス・モアも、リチャード獅子子心王も、マルティン・ルターも」・・・

マラー

  • ジャン=ポール・マラー(フランス語: Jean-Paul Marat、1743年5月24日 - 1793年7月13日)
  • フランスの革命指導者、医師
  • 生涯
    革命まで
    1743年、スイスのヌーシャテル中流家庭に6人兄弟の長男として生まれる。脆弱で勉強好きな少年だった。ヨーロッパ各地を遊学した後、ロンドンで開業医となる。1777年にフランス王国に招聘され1783年まで王弟アルトワ伯(後のシャルル10世)のもとで働いた。その頃から反体制運動を始めている。
    革命指導者としての活躍
    1789年のフランス革命勃発後は、新聞『人民の友』を発行し過激な政府攻撃をして下層民から支持された。そのことがもとで1790年1月にグレートブリテン王国に亡命。4月に戻ってからコルドリエ・クラブ(Club des Cordeliers)に入り、8月10日のテュイルリー王宮襲撃事件や反革命派への九月虐殺を引き起こしたといわれている。1792年、国民公会の議員に選出されて山岳派ジャコバン派)に所属した。議会を主導するジロンド派を攻撃し、一時、逮捕されたがすぐに釈放されパリ民衆を蜂起させて最終的に国民公会から追放した。
    暗殺と死後

    この頃、持病の皮膚病が悪化。活動不能となり、自宅(現在のパリ6区エコール=ド=メドゥシーヌ通り (fr) 20番地)にこもって1日中入浴して療養していた。1793年、面会に来たジロンド派支持者のシャルロット・コルデーに暗殺された
    暗殺後、現場で画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが有名な『マラーの死』を描いている。ジャコバン派の盟友マクシミリアン・ロベスピエールによって神格化され、ジロンド派への弾圧強化の口実となった。遺体は「革命の殉教者」としてパンテオンに埋葬されたがテルミドールのクーデター後に取り除かれた。

塔の王子ふたり(少年エドワード五世と弟のヨーク公リチャード)

  • エドワード5世(英語: Edward V, 1470年11月4日 - 1483年9月3日?[1])
  • ヨーク朝イングランド王(在位:1483年4月10日 - 6月25日)
  • エドワード4世と王妃エリザベス・ウッドヴィルの長男。
  • 戴冠式挙行前に退位させられた
  • 生涯
    1483年4月9日、フランス討伐の準備中に死去した父の跡を継いで、12歳で王位を継承した。
    エドワード5世が居城のラドロー城からロンドンへ急行中、摂政に就任した父方の叔父のグロスター公リチャード(後のリチャード3世)は、母方の叔父でエドワード4世の側近でもあったリヴァーズ伯アンソニー・ウッドヴィルを逮捕し処刑した。その後、エドワード5世は弟のヨーク公リチャードと共にロンドン塔に幽閉された(2人は「塔の中の王子たち」 (Princes in the Tower) と呼ばれることになる)。2ヵ月後の6月25日、議会はエドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの婚姻は無効であり、エドワード5世とヨーク公エドワード4世の庶子であるとして、王位継承の無効を議決した。そしてグロスター公が推戴され、リチャード3世としてイングランド王に即位した。
    1485年、リチャード3世はボズワースの戦いで王位請求者リッチモンド伯ヘンリー・テューダーに討たれた。リッチモンド伯はヘンリー7世として即位し、エドワード5世の姉エリザベス・オブ・ヨークと結婚した。
    ロンドン塔に幽閉された後のエドワード5世と弟リチャードの消息は、現在に至るまで判明していない。 1483年の夏ごろまではロンドン塔の庭で遊ぶ兄弟の姿が見られたが、次第にその姿を見ることは少なくなり、1484年の春には兄弟は既に殺されたという噂が市内に広く囁かれるようになったと『ロンドン年代記』(1512年頃)にある。
    当時は2人がリチャード3世によって暗殺されたと考えられていた。1513年にトマス・モアが『リチャード3世伝』において、リチャードが腹心ジェイムズ・ティレルに指示し、その配下の2名の男によって窒息死させられたという見解を示した。モアによれば、1502年にティレルが反逆罪で処刑される前に、事件における役割を自白したという。
    1768年にホレス・ウォルポールが『リチャード3世の生涯と治世への歴史上の懐疑』を出版し、リチャード3世主犯説は濡れ衣であるとして彼の潔白を主張した。現在の研究ではヘンリー7世が2人の運命に深く関わったとする説も有力である。リチャード3世、そしてヘンリー7世、いずれの王位簒奪者にとってもエドワード5世と弟リチャードの存在は障害でしかなかったのは確かである。
    1674年、ロンドン塔の改修に携わった作業員が、子供の遺骨とみられる大小の頭蓋骨や骨片が入った木箱を発見した。初めは放置されたが、1678年にチャールズ2世の命によりウェストミンスター寺院に安置された。1933年、専門家によってその遺骨が鑑定されたが、性別・年齢が特定されることはなかった。

ダーンリー

  • ダーンリー卿ヘンリー・ステュアート(Henry Stuart, Lord Darnley、1545年12月7日 - 1567年2月10日)
  • スコットランド女王メアリーの2人目の夫、王配(King Consort)。
  • 初代オールバニ公、ロス伯。スコットランド王ジェームズ6世(イングランドジェームズ1世)の父。
  • 生涯
    生い立ち、メアリーとの出会い
    ヘンリーは1545年にイングランドのヨークシャーで、第4代レノックス伯マシュー・ステュアートとヘンリー8世の姪マーガレット・ダグラスとの間に生まれた。父レノックス伯は、父系では王家の先祖でもある第4代王室執事長(Lord High Steward)アレグザンダー・ステュアートの末裔でステュアート家の一員であり、また父方の祖母エリザベス・ハミルトンがスコットランドジェームズ2世の外孫であるため有力な王位継承権も持っていた。しかし、1544年にイングランド軍を率いてダンバートン城を占領しようとしたため、スコットランドから追放されていた。イングランドへ逃れたレノックス伯はヘンリー8世に快く迎えられ、姪のマーガレットとの結婚を許された。
    母マーガレットはヘンリー8世の姉マーガレットとアンガス伯アーチボルド・ダグラスの娘で、女王メアリーの父ジェームズ5世の異父妹であった。マーガレット・ダグラスは野心家の女性で、息子ダーンリー卿と女王を接近させようと、1560年に、メアリーの夫であったフランソワ2世の弔問にダーンリー卿を赴かせた。メアリーがスコットランドに戻ってくると、レノックス伯一家は復権を許され、帰国も認められた。先にスコットランドへ帰国していたレノックス伯は、息子のダーンリー卿を故郷に呼び寄せた。
    1565年2月18日、ウェミース城でメアリーとダーンリーは再会した。メアリーは従弟ダーンリーに一目惚れした。メアリーは彼の、自分より長身で均整のとれたすらっとした体つき、ロンドン宮廷仕込みの洗練された優雅な物腰が気に入った。またダーンリーは陽気で、メアリーと同じく狩猟好きでリュートや詩やダンスが得意であり、このような所も2人は共通しており、メアリーの好みに合っていた。さらに、彼はステュアート家の血を引くカトリックであり、しかもヘンリー7世の曾孫で強力なイングランド王位継承権を持っているのも好都合だった。
    結婚の反対者たち
    早速メアリーは、ダーンリーとの結婚を考えるようになる。当時、メアリーの再婚相手について様々な相手が検討されていたが、いずれの結婚もエリザベス1世やカトリーヌ・ド・メディシスの妨害などにより実現していなかった。このダーンリーとの結婚も、内外からの多くの反対にあった。まず、カトリックの国王が誕生する事に、多くのプロテスタント貴族や国民達が反対した。組合貴族達の宗教改革により、スコットランドの国教はプロテスタントになっていたためである。また貴族達の中には、レノックス伯に宿怨を抱いている者が多かった
    だが、メアリーとダーンリーの結婚について先頭に立って反対したのは、マリ伯ジェームズ・ステュアートだった。彼は元々はメアリーの異母兄というだけで、王位に対して何の正当な権利もない、ただの私生児に過ぎなかったが、メアリーがスコットランドに帰国して以来、信頼できる肉親として修道院長から伯爵にまで出世し、絶大な権力をふるっていた。マリ伯は自分の権力が失墜するのを恐れ、イングランドエリザベス1世に結婚の阻止を頼んだ。マリ伯は、ダーンリー父子が自分を殺そうと狙っているとも主張し、メアリーと激しい口論になった。マリ伯はメアリーとダーンリーを誘拐した上でダーンリーをイングランドへ追放し、メアリーを退位させて自分が政権を握る事を計画していたという説もある。エリザベス1世にとっても、それでなくともイングランド王位継承権を持ち、自分の要求通り王位継承権を放棄しなかったメアリーは忌々しい存在だったが、強力なイングランド王位継承権を持つダーンリーと彼女が結婚することはさらに大きな脅威だった。
    エリザベス1世の妨害
    まだ先代のイングランド女王メアリー1世が存命であり、メアリーがフランス王太子妃だった時に、メアリーは2通の結婚契約書にサインしていた。1つは、
    フランソワをスコットランド王として即位させる事、そしてアンリ2世の死後は両国を統合する事。したがって、メアリーとフランソワの間に生まれる最初の王子も引き続き両国を統治するが、仮に生まれたのが女子のみならサリカ法典により、その王女はスコットランドを統治するにとどまる。その場合はフランソワの兄弟、またはフランソワの子孫がフランス国王になる。
    と書かれていた。そしてもう1通、こちらの方は極秘であったが後に内容が明らかになってしまった契約書があった。そこには
    もしもメアリーが子供を産まずに死去した場合、スコットランドの他に、イングランドの王位継承権もフランスに譲渡する。
    と書かれてあった。この結婚契約書が明らかになった時から、メアリーとエリザベスとの間に、生涯に渡る深い確執が引き起こされる事になった。エリザベス1世はダーンリーにロンドン帰還を命じ、命令に従わなければ反逆罪と見なすという厳しい態度を見せ、さらにまだイングランドに残っていたダーンリーの母マーガレットをロンドン塔に幽閉した。
    エリザベス1世は王位継承権について弱みを持っていた。ヘンリー8世はキャサリン・オブ・アラゴンと離婚し、エリザベスの母アン・ブーリンと結婚したが、しかし依然として前王妃のとの離婚はローマ教皇に認められておらず、ローマ教皇カトリックの国々の王から見れば、エリザベスは非嫡出子であり、メアリーこそが正当なイングランド王位継承権の持ち主であった。ヘンリー8世も、遺言状には「エリザベスにイングランド王位を継がせる」と書いていたが、その前に自ら「エリザベスは嫡出子ではない」と宣言していた。
    結婚、マリ伯の反乱、不和
    勝利を確信したレノックス伯とダーンリー卿父子は、厳しい女王エリザベス1世の命令に対して聞く耳を持たなかった。メアリーはローマ教皇に結婚許可を求める手紙を書く前に、ダーンリーをロス伯に叙した。7月22日にはダーンリーが熱望していたオールバニ公の地位も与え、7月28日にはスコットランド王の称号も与えた。周囲の反対を押しきり、2人は1565年7月29日にホリルード宮殿で結婚式を挙げた。8月1日にマリ伯がエリザベス1世の援助を得て反乱を起こし、メアリーとダーンリーも戦場に向かったが、ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンにより鎮圧された。マリ伯一味はイングランドに亡命した。
    しかし間もなくメアリーは、夫のダーンリーが、両親から甘やかされて育った非常なエゴイストで、野心家である事がわかった。彼はメアリーが議会で許可する前から、盛んに共同統治者との地位と完全な実権を与えるよう妻に要求した。またダーンリー卿は美しい女性に目がなく、浮気にも走るようになった。メアリーは、自分の軽率な結婚を後悔するようになっていった。ダーンリー卿は傲慢な態度を露わにするようになり、メアリーや周囲の者の怒りを招いた。11月後半にメアリーが病気になっても、ほんの数分姿を見せただけで、ファイフへ狩猟に行ったまま9日間も帰ってこなかった。メアリーは12月には、ダーンリー卿から国王の称号を取り上げ、2人の顔を彫らせた銀貨も回収してしまった。
    リッチオ殺害事件
    一方ダーンリー卿は、メアリーが冷たくなったのは、メアリーが信頼する秘書官デイヴィッド・リッチオと不倫しているからに違いないと、寵臣とはいえメアリーの秘書に過ぎない男と妻との関係を邪推するようになっていった。リッチオはピエモンテ生まれで、初めはサヴォイア大使モレタ伯の供として1561年にスコットランドにやってきた。カトリックである事もあり、メアリーに気に入られたリッチオは、初めは音楽家として仕えていたが、利害しだいでたやすく背くスコットランド貴族より忠実で信頼できると思ったメアリーによって侍従に取り立て、その後に秘書官となっていた。大勢の者がメアリーとダーンリーの結婚に反対したが、ダーンリーの友人だったリッチオだけは祝福した。しかしダーンリーは、そんな友人のリッチオにさえ不信感を抱くようになった。
    そんなダーンリーに、リッチオの権勢に反感と危機感を抱いていた貴族達が接近し、リッチオ殺害の企みに署名させた。リッチオを殺害したあかつきには、ダーンリーに国王としての実権を与え、見返りにプロテスタントの信仰を保護し、さらにマリ伯一味の復帰を認めるという条件であり、他にマリ伯、アーガイル伯、グレンケアン、ルースヴェン卿、モートン伯、リンゼー、アラン伯の非嫡出子ジョージ・ダグラスが署名した。
    1566年3月9日、ホリルード宮殿で数人の親しい人々とメアリーが談笑していた時、突然暗殺者一味が部屋に押し入り、リッチオをメアリーの目の前でめった刺しにして殺害してしまった。
    この時、一味はメアリーをお腹の子供もろとも殺害するつもりだったという説もある。この事件の前の2月13日に、イングランド大使ランドルフは、レスター伯ロバート・ダドリーに宛てて
    ダーンリー父子の間では女王の意に反した王位獲得の陰謀が進められています。うまくいけば、国王(ダーンリー)の同意を得て、10日以内にデイヴィッドの喉はかき切られる事になるでしょう。いえ、これよりもひどい災いが他ならぬ女王の身にも及ぶという噂も、私の耳に入っております。
    と、この事件を予測するような手紙を書いている。
    暗殺者達はメアリーをホリルード宮殿に幽閉し、ダーンリーに完全な王位を与える事を迫ったが、メアリーは断った。その後、彼女はダーンリーに、反乱貴族達は彼にとっても信用できない相手である事を説明し、説得する事に成功した。近衛隊長アースキンの助けによりメアリーは宮殿を脱出し、ボスウェル伯、ハントリー伯、アソール伯、フレミング伯らと合流し、8000人の兵が集結した。不利と見たマリ伯一派は再びイングランドへ逃亡した。
    王子誕生とさらなる不和、和解、不審な死
    1566年6月19日、メアリーは難産だったが無事ジェームズ(後のスコットランド王・イングランドジェームズ1世)を出産した。しかし、これでイングランドスコットランド両国の国王になる夢が完全に絶たれたダーンリーは、息子の誕生を喜ばなかった。それどころか、自分の子か疑わしいとさえメアリーに対して言った。ルースベンにより頭に銃を突きつけられ、動いたら殺すと脅迫された上に、目前で寵臣のリッチオを殺されるという恐怖を味わわされたメアリーは、夫への愛情が完全に冷めてしまった。夫婦の修復は困難になっていた。
    1567年、ダーンリーは病気にかかった。梅毒だったという説もある。この頃のメアリーは、夫がまたしても陰謀を企み、今度こそ自分を退位に追い込もうとしている事に気づいていたという説があり、パリでも同様の噂が広がっていたという。またこの時期、ビートン大司教も、メアリーに安全のために一刻も早く国王と和解するべきだという手紙を送っている。
    メアリーは形だけでも夫と和解する事にし、1月20日グラスゴーのレノックス伯の館にいるダーンリーに会いに行った。久しぶりに顔を合わせた夫婦は、周囲が驚くほど親しげな様子を見せた。メアリーはダーンリーに、初めはホリルード宮殿への帰還を提案したが、断られたためクレイグミラー城に共に行く事を勧めた。しかしダーンリーは、エディンバラにある旧司祭館のカーク・オ・フィールドで療養したいと言った。彼の要望通り、メアリー一行はカーク・オ・フィールドへと向かい、一行は2月1日にカーク・オ・フィールドに到着した。メアリーはこの館で何時間も病気の夫に付き添い、久しぶりに夫婦は和やかに話をした。
    2月9日の夜にはダーンリーの体調も回復したという事で、翌日にはホリルード宮殿に戻れるため、ダーンリーのために送別の宴が開かれた。大勢が飲んだり歌ったりと、誰もが上機嫌だった。そんな時、メアリーがふと急用を思い出した。この日、メアリーは寵臣のバスチアン・パージュと女官のクリスチアーナ・ホッグの結婚式に出席しており、パージュ達とこの後の結婚祝いの舞踏会にも出席すると約束していたのだった。途端にダーンリーは不機嫌になり、約束が違う、今夜はここに泊まってくれと言い始めた。メアリーはそんな夫をなんとかなだめ、新婚夫婦の舞踏会に向かった。ダーンリーの機嫌は直らず、彼は延々とメアリーの悪口を並べ立てた後、近侍のウィリアム・テイラーとワインを飲み干すと就寝した。しかしその日の夜中、何者かによって館は爆破され、1567年2月10日に彼とテイラーの、損傷のない遺体が発見された。
  • ダーンリー卿殺害の首謀者と動機に関する疑問
    この暗殺はメアリーとボスウェルが共謀し、ボスウェルが実行犯だったという説がある。しかし、ボスウェルほどの熟練した軍人が、なぜわざわざこのような大がかりで目立つ方法を選んだのかという反論もある。ダーンリーは自分を残して舞踏会に行ったメアリーに対して相当腹を立てていたため、この爆破事件はカトリック国王としての単独統治を狙ったダーンリーが仕組んだものであり、彼はほんの少しの手違いから自分の陰謀により命を落としたのではないかという説もある。
    不倫説への反論
    ダーンリー殺害の動機に関しては、メアリーがボスウェルとの不倫の恋に盲目になっていたため、邪魔な夫を殺害したのだという説が根強いが、この説にはいくつか疑問点が残る。まず、ダーンリーの生前からのメアリーとボスウェルの不倫を主張しているジョージ・ブキャナンは、初めはメアリーに仕えていたが、後にメアリーの敵対者たちに寝返り、彼らの依頼を受けてメアリーに関する数々の誹謗文書を作成し、さらにメアリーの息子ジェームズの教育係を務めることになった人物であり。彼は明らかにメアリーに関して史実と異なると思われる記述もしているため、その記述の信憑性には疑問が残る。
    また、ダーンリーやマリ伯にとっては格好の攻撃材料になると思われる2人の不倫だが、メアリーとボスウェルの不倫を彼らが非難したような記録は全く残っていない。またメアリーは、よく自分の宮廷に洗練されたフランスやイタリア人の芸術家たちを好んで招き、彼らとの会話を楽しんでいた。このことやダーンリーを結婚相手に選んだことからもわかる通り、メアリーが好むのは、かつて彼女がいたフランス宮廷の雰囲気を思わせる優雅な男性であり、そういった男性像からボスウェルはかけ離れているように思われる。現に、メアリーがボスウェルに男性として魅力を感じている発言をしたという記録も残っていない。
    1567年5月14日に行なわれたメアリーとボスウェルの結婚式の様子を記した記録によると、式はプロテスタント式で行なわれ、メアリーはどこか取り乱した様子であり、ごく内輪の祝宴が始まってもほとんど口を開かなかったという。また、新郎新婦のメアリーとボスウェルは、それぞれ遠く離れた長テーブルの端に座っていた。メアリーの忠実な顧問であったレスリー・ロス司教の記述によると、プロテスタントの結婚の儀式を終えたメアリーは涙を流し、ロス司教を呼ぶと、「神聖なカトリック教会に背くような真似は、もう二度としません」と固く誓ったという。このように当時の彼らの結婚式の記録からは、虜になっていたボスウェルとの結婚がようやくかなって幸せでたまらないというメアリーの様子は見当たらない。
    メアリーの敵対者の一人であったカーコーディによると、メアリーはダーンリーが死去した後「女王はボスウェルと離れるくらいなら、フランスやイングランド、それにスコットランドを失ってもかまいません。ボスウェルと引き離されるくらいなら、そまつなペチコート1枚となって、この世界の果てまで行った方がましです」と語ったという。しかし、後にイングランドで虜囚になったメアリーは、「ボスウェルから初めて結婚の申し込みを切り出された時、私は彼の期待を裏切るような発言をしました」と供述している。
    「秘密の小箱」について
    また、メアリーとボスウェルのダーンリー暗殺に関する証拠として有名な「小箱の手紙」についても偽造説が出ている。まず、このメアリーの手紙の中のソネットの出来が、メアリーが作ったものとしては平凡な感じがするというのである。メアリーはフランス宮廷にいた頃、メアリーに対して多くの詩を捧げ、かつての彼女の詩の教師でもあり、当時詩聖と呼ばれたピエール・ド・ロンサールからも賞賛されるほど、詩の才能に恵まれていた。また、このソネットの中のすがりつくような調子が、女王らしからぬ調子で腑に落ちないとも言われる。
    この小箱は1567年6月20日、ボスウェルからマリ伯側が押収したとされているが、この中の手紙は英語とラテン語で書かれている。原本はフランス語で書かれたらしいが、肝心のフランス語で書かれた手紙は4通だけである。そもそも小箱の中に何通の文章が入っていたのか、それさえもはっきりとはわかっていない。しかもどの書類にも日付がなく、適当と思われる順番に並べ替える事も可能になる。最も疑問を感じるのが「長い手紙」と呼ばれる書簡で、病気のダーンリーを迎えに行ったメアリーがグラスゴーで書いたと言われている。手紙を読むと、目前に迫ったダーンリーの暗殺について、メアリーが密かに連絡を受け、承知していた事がわかる。しかし大きな疑問点として、メアリーが手紙のなかで、そのような危険極まりない暗殺計画について、とうとうと自分の考えを述べている点が残る。数日後には共犯者のボスウェルと再会するはずであった。それに、メアリーが手紙の中で何度も頼んでいるにもかかわらず、なぜボスウェルは文字通り爆発的な危険を孕んだこの手紙を処分しなかったのかという点も、大きな疑問として残っている。そもそもこの小箱の中の書類の原本の存在さえ疑問視する意見もある。
    一方で、小西章子のように、メアリを陥れるために長い手紙や詩を書く必要はなく(一片の手紙で事が足りる)、フランス語で詩を書ける人間がスコットランドには限られていたことから、やはりメアリーが書いたものではないかと主張する歴史家もいる。もっとも、その小西でさえも、全てがメアリーの書いたものではなく、偽造が含まれていただろうと書いている。また、小西はメアリーの息子のジェームズ1世が手紙を破棄していることから、ジェームズは本物であることを知っていたのだとしている。

サー・トマス・モア

  • トマス・モア(英語: Thomas More, 1478年2月7日 - 1535年7月6日)
  • イングランドの法律家、思想家、人文主義者。政治・社会を風刺した『ユートピア』の著述で知られる。
  • 大法官までのぼりつめたがヘンリー8世により反逆罪で処刑された。
  • 没後400年の1935年にカトリック教会と聖公会で聖人となる。
  • 生涯
    ロンドンの法律家の家に生まれた。聖アントニー校で学んだ後、カンタベリー大司教・大法官のジョン・モートンの家で従僕として教育を受け、1492年からオックスフォード大学で2年間ラテン語を学んだが中退し、1494年にニュー法学院へ入学、1496年からは、政界への近道であり人文主義教育の中心でもあったリンカーン法曹院で学び、1501年に法廷弁護士の資格を得る。
    1504年、下院議員選出。1510年にイタリアの人文主義者ピコ・デラ・ミランドラの伝記『ピコ伝』を、1516年には『ユートピア』を上梓するなど、著述活動も盛んになる。1515年からイングランドヘンリー8世に仕え、ネーデルラント使節などを務めた。ヘンリー8世の信任は厚く、地位は次第に進み、1521年にはナイトの爵位を授けられ、1529年、官僚で最高位の大法官に就任した。
    離婚問題を巡ってヘンリー8世ローマ教皇クレメンス7世と反目し、ヘンリー8世はモアに助言を求めた。3年間で6名の異端者を処刑するほどの熱心なカトリック信徒であるモアは王に対し、離婚を正当化するいかなる根拠も無いことを告げた。一方、カトリックによる支配からの離脱を求める王の主張は力を増し、1532年5月15日にはカンタベリーの宗教会議でヘンリー8世を「唯一最高の首長」とすることを承認した。モアは翌日に大法官を辞職した。
    やがてヘンリー8世によるモアへの復讐が始まった。ヘンリー8世の側近トマス・クロムウェルが主導した1534年の国王至上法(国王をイングランド国教会の首長とする)にカトリック信徒の立場から反対したことにより査問委員会にかけられ、反逆罪とされて同年4月17日にロンドン塔に幽閉され、翌1535年7月6日に斬首刑に処された。この処刑は「法の名のもとに行われたイギリス史上最も暗黒な犯罪」と言われている。遺体の首はロンドン橋に晒された。
    列聖
    1935年にカトリック教会の殉教者としてモアと同じ1535年の6月22日に処刑されたジョン・フィッシャーとともに死後400年で列聖されており、記念日は6月22日である。政治家と弁護士の守護聖人となっている。

リチャード獅子子心王

  • リチャード1世(Richard I, 1157年9月8日 - 1199年4月6日)
  • プランタジネット朝アンジュー朝)第2代のイングランド王(在位:1189年 - 1199年)
  • ヘンリー2世の三男(第4子)
  • 母はアリエノール・ダキテーヌ。妃はベレンガリア・オブ・ナヴァール(ナバラ王サンチョ6世の娘)。
  • 生涯の大部分を戦闘の中で過ごし、その勇猛さから獅子心王(Richard the Lionheart、フランス語ではCœur de Lion)と称され、中世ヨーロッパにおいて騎士の模範とたたえられたが、10年の在位中イングランドに滞在することわずか6か月で、その統治期間のほとんどは戦争と冒険に明け暮れた。
  • 生涯
    父、兄弟との争い
    父ヘンリー2世には若ヘンリー、リチャード、ジェフリー、ジョンの4人の男子がいたが(長兄ウィリアムは夭折)、ヘンリー2世のジョンへの偏愛やフランス王の介入、さらに母アリエノールの息子たちへの助力もあり、フランス王、支配下諸侯を巻き込んだ父子兄弟間の争いが絶えなかった。リチャードは母の所領のアキテーヌを分配され、1183年に若ヘンリーが亡くなるとヘンリー2世の後継者となったが、代わりにそれまで統治していたアキテーヌをジョンに譲渡するよう父に命じられると、兄のように実権がない名目だけの共同君主とされることを嫌がったリチャードは、これを拒絶し反抗した。
    その後、一旦父と和解したが、支配権をめぐる不満は残り、1188年、ヘンリー2世とフランス王フィリップ2世の争いのさなかの和平交渉中、フィリップ2世がヘンリー2世に、リチャードに大陸側のすべてのプランタジネット家領を相続させ、かねてから婚約していたフィリップ2世の異母姉アリス(兄若ヘンリーの妃マルグリットの同母妹)とすぐにでも結婚させるよう求めると、ヘンリー2世はこれを拒否した。するとリチャードは、「以前から有り得ないと思っていたことが、今ようやく事実なのだと分かった」と言い、父の前でフィリップ2世に臣従の誓い(オマージュ)をし、公然と父を否定し敵対した。1189年に力尽きた父がシノンで病死すると、イングランド王に即位した。
    第3回十字軍

    リチャード1世
    即位するや、王庫の金やサラディン税、軍役代納金だけでは足りないため、城、所領、官職等を売却して十字軍遠征のための資金を集めた。父が得たスコットランドの臣従をスコットランドウィリアム1世が1万マルクを支払う事を条件に解除し、「もし適当な買い手があればロンドンでも売る」と言ったとされる。資金が集まると、イングランドにはほとんど滞在せず、1190年の夏に遠征に出発した。フランス王フィリップ2世や神聖ローマ皇帝ドイツ王)フリードリヒ1世(バルバロッサ)もリチャードとともに十字軍を指揮した。
    聖地へ向かう途中、シチリアで先代の王グリエルモ2世の未亡人である妹ジョーンの扱いを巡ってシチリアタンクレーディと争い、メッシーナを占領しこれを屈服させた。この時のシチリア王との協定の中では、リチャードは後継者を甥で弟ジェフリーの遺子アーサー(アルテュール)と明記している。
    1191年春、母アリエノールがはるばるシチリアまで連れてきた婚約者のベレンガリアと妹のジョーンと共にエルサレムへと向かったが、途中キプロスベレンガリアとジョーンが乗った船が難破し、東ローマ帝国から独立していたキプロス太守が身代金目当てで彼女らを捕らえたため、リチャードはこれと戦ってキプロスを占領し、5月12日にキプロスのリマソルでベレンガリアと結婚した。
    第3回十字軍はフィリップ2世や神聖ローマ皇帝のフリードリヒ1世というヨーロッパを代表する大国の王が参加したが、たがいに反目しあったため、相互の連携は不首尾に終わった。フリードリヒ1世は一足先に出発し、すでにキリキアで溺死していた。フィリップ2世とは途中まで同行し、シチリア島でも合流したが、フィリップ2世の異母姉アリスとの婚約を正式に取り消し、ナバラ王サンチョ6世の娘ベレンガリアと婚約したことなどにより互いに対立が顕著になって、その後は別行動を採るにいたった。以降、フィリップ2世はリチャードに対してあからさまに敵対するようになった。
    1191年7月、フィリップ2世、オーストリア公レオポルト5世と共にアッコンを攻め落としたが(アッコン包囲戦)、その際、レオポルト5世が自身の功績を誇示し旗を掲げたのをリチャードの側近が叩き落としたため、レオポルト5世は激怒し帰国している。後述するように、この出来事に遺恨をもったレオポルト5世は後に帰国途次のリチャードを捕らえることになる。アッコン降伏時には停戦の条件として、イスラム教徒の市民(捕虜)の身代金の支払い、キリスト教旧司教座に安置されていた大十字架の返還およびキリスト教徒の捕虜の解放などが協約として結ばれていた。だがイスラム側はこれを延期し続けた。8月20日、リチャードはアイユーブ朝のスルタン・サラーフッディーンサラディン)の弟との会合に赴くが、そこには誰の姿もなく、捕虜の食費と監視の費用の支出など我慢の限界に達したリチャードは、イスラム教徒の捕虜2700人あまりを処刑した。この時の様子は絵画「アッカーの処刑」に描かれている。
    エルサレム王国の次期国王を巡っては、前国王でリチャードにとっては旧知のギー・ド・リュジニャンが王位を主張していた。しかしエルサレム王女イザベルと結婚したモンフェラート侯コンラート1世が諸侯の支持も得て対立しており、リチャードもコンラート1世の即位を承認した。ところが1192年、即位直前のコンラート1世が暗殺され、最終的にフランス王、イングランド王両方の甥に当たるシャンパーニュ伯アンリ2世がイザベルと結婚して王位についた。ギーはリチャードからキプロス島を譲渡され、キプロス王として統治することになった。
    フィリップ2世はアッコンを占領してまもなく、1191年7月31日には病気を理由に自国へと帰っていた。このため単独で十字軍を指揮し、1年以上イスラム軍と戦ったが、エルサレムに達することはできず、1192年9月2日、「非武装キリスト教徒の巡礼者がエルサレムを訪れることを許可する」旨の休戦条約を結び、自らはエルサレムに詣でることを辞して、帰路についた。しかしエルサレム王国はこの後1世紀にわたって存続し、サラディンからはキリスト教徒一の騎士と称えられた。
    ドイツでの捕囚
    フランスに帰国したフィリップ2世は、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世やジョンと結託し、ジョンの王位簒奪を支援していた。リチャードはその陰謀を母から知らされており、帰路を急いだが、途中で船が遭難したため、変装して陸路をたどった。しかし、オーストリアを通過中に見破られ、アッコンでの屈辱を忘れていなかったレオポルト5世(フィリップ2世同様すでに帰国していた)に捕らえられ、デュルンシュタイン城に幽閉された。この時ジョンはリチャードが死んだとして王位に即こうとしたが、諸侯の支持を得られず断念した。
    1193年にレオポルト5世からハインリヒ6世に引き渡されたが、イングランド側が15万マルク(10万ポンド)もの多額の身代金を支払うことで決着した。ジョンやフィリップ2世は、リチャードの解放を遅らせようとハインリヒ6世と交渉したが、身代金が支払われると、リチャードは1194年2月に解放された。この時、フィリップ2世は手紙でジョンに「気をつけろ、悪魔は解き放たれた」と知らせたといわれる。
    帰国後
    解放後はイングランドに戻り、ジョンを屈服させ王位を回復するが、イングランドカンタベリー大司教で大法官のヒューバート・ウォルターにまかせ、その後はフランスでフィリップ2世と争い、各地を転戦する。この時期にノルマンディー防衛のために、中東の先進の要塞構築技術を取り入れたことで有名なガイヤール城を築く。
    1199年3月25日、アキテーヌ公領シャリュでシャリュ城を攻撃中、鎧を脱いでいた時に肩にクロスボウの矢を受け、その傷からの壊疽によって10日ほど苦しんだのち、4月6日に死亡した。41歳であった。リチャードは十字軍中には後継者を甥のアーサーと考えていたが、その後アーサーがフィリップ2世に臣従したことから、ジョンを後継者にしたといわれる。
    第3回十字軍の英雄であり、中世騎士道の鑑と謳われたリチャード1世は、その在位中イングランドに滞在することわずか6ヶ月で、国王としてその能力を発揮することはなかった。
    子女
    リチャード1世は王妃ベレンガリアとの間には嫡子はいなっかたが、母親が不明の庶子が一人いる。
    ・フィリップ・オブ・コニャック(1180年頃 - 1230年)

マルティン・ルター

<人>チチェスター尊師

  • 少なくとも90歳

・・・「『神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を想像した方を礼拝しなさい』ヨハネの黙示録、十四章七節」・・・

<人>ユースタス・ハイアラニマス・アービテイジ

  • アービテイジ副牧師のフルネーム

・・・レイディ・チャペルに飾る油彩画を一枚買うことさえできるかもしれません。おそらくホールマン・ハントを」・・・

ホールマン・ハント

  • ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt、1827年4月2日 - 1910年9月7日)
  • 19世紀から20世紀のイギリスの画家。
  • ラファエル前派の一員に数えられる。
  • 生涯
    1848年、ロンドンのロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生であったハントは、学友のジョン・エヴァレット・ミレー、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティらとともに「ラファエル前派」(Pre-Raphaelite Brotherhood)を結成した。「ラファエル」とはイタリア・ルネサンスの巨匠であり、西洋古典絵画の代名詞とも言える画家ラファエロのことを指す。「ラファエロ以前」という言葉には、19世紀当時のアカデミーにおける古典偏重の美術教育に異を唱える意味があった。ラファエル前派に思想的な面で影響を与えたのは、同時代の思想家であり美術批評家であったジョン・ラスキンであった。ラスキンの美術に対する考えは、一言で言えば「自然をありのままに再現すべきだ」ということであった。この思想の根幹には、神の創造物である自然に完全さを見出すというラスキンの信仰がある。しかし、明確な理論をもった芸術運動ではなかったラファエル前派は長続きせず、1853年にミレーがロイヤル・アカデミーの準会員になったことなどをきっかけとして、数年後にはグループは解散した。
    ラファエル前派の主要メンバーであった上記3人のうち、ミレーとロセッティは徐々に芸術的方向性を変えていった。そうした中で、ラファエル前派の画家としての特色を最後まで保っていたのがハントであった。その特色とは、聖書、伝説などに主題を求めることと、画面のすみずみまで徹底的に描き込んだ細密描写であり、ラスキンの「自然の忠実な再現」という思想をもっとも忠実に実行した画家であったといえよう。徹底した写実主義者であったハントは、聖書の物語を絵画化するためには、物語の起きた現場を見なければ描けないと考え、パレスチナを3度も訪れている

・・・「『見よ、わたしは戸口に立って、たたいている・・・』ヨハネの黙示録、三章二十節・・・

 

22

「おい、接吻しておくれ、ケイト、さ、日曜日に結婚だ」

<時>朝

  • ヴェリティとネッドがネットに入れなくなる

・・・過去の偉人たちの叡智を集めた蔵書を自由に涉猟できる身でありながら、シャーロット・ヤングエドワード・ブルワー・リットンの愚にもつかぬ小説ばかり読む。・・・

涉猟(しょうりょう) 

  • あちこちを歩き、広い範囲で探し回ること。
    シカの生息地を、シカ笛を吹きながらゆっくりと渉猟する。出現したシカを、射止める。(農林水産省『野生鳥獣被害防止マニュアル-イノシシ、シカ、サル、カラス(捕獲編)』)〔2009年〕
  • (語義1から転じて)たくさんの書物を読みあさること。
    私は詞藻の才が乏しかったから、初めから文人になれようともまたなろうとも思わなかった。が、小説雑著は児供の時から好きでかなり広く渉猟していた。(内田魯庵『二葉亭余談』)〔1916年〕

シャーロット・ヤング

  • シャーロット・メアリー・ヤング(Charlotte Mary Yonge、1823年8月11日 - 1901年5月24日)
  • 近代イギリスの小説家、文学者。ヴィクトリア朝のイギリスで活躍した女流作家の一人であり、神話や歴史・恋愛など多岐にわたる分野で創作活動に従事した。

エドワード・ブルワー・リットン

  • 初代リットン男爵エドワード・ジョージ・アール・リットン・ブルワー=リットン(英: Edward George Earle Lytton Bulwer-Lytton, 1st Baron Lytton, PC、1803年5月25日 - 1873年1月18日)
  • イギリスの小説家、劇作家、政治家、貴族。
  • 小説『ポンペイ最後の日』(The Last Days of Pompeii )が代表作として知られ、戯曲『リシュリュー』(Richelieu; Or the Conspiracy)に登場する文句「ペンは剣よりも強し」(“The pen is mightier than the sword”)」は名高い。
  • 政治家としては1858年から1859年にかけて保守党政権の植民地大臣を務めたことが特筆される。

・・・『すこしくらい大きな音をたてられたからといって、すぐひびの入る耳ではありませんぞ。大地をゆるがす大砲の響き、天空に轟く雷(いかづち)の音、何でもかんでも聞いている』」・・・

T・J・ルイス氏のワーテルロー・モデルが、齟齬によりネットが逸脱動作を起こすことを示した

  • 解放不全と行き先錯誤
  • 行き先錯誤・・・航時者は帰還降下の際に別の場所に送られた。空間的なずれだけではなく、まったく違う時空位置に。

・・・「『まあ、待ってくれ、ケイト』とベイン。「『そんなしかめ面するものじゃない』」

・・・「『そうでもしなければ、あの気違いじみた強情はなおせるものではない・・・』」とベインの声。「『ほかにじゃじゃ馬ならしの名案を御存知の方がおいででしたら、どうぞ名のりをあげていただきたい』」

 

23

「ボートはこげる?」とヒツジは、編み針を一組こちらに手渡しながらききました。「ええちょっとなら でも地面 の上じゃなくて それと編み針でこぐのも」といいかけたとき、編針が手の中でオールに変わり、気がつくとふたりは小さなボートに乗って、岸辺の間をただよっているのでした。というわけで、アリスとしては精一杯にこぐしかありませんでした。

 <場>ネットをぬけたネッドは2057年のベイリアルの研究室に到着しなかった。

  • 2013年~2020年の間(予想)

<人>ジム

  • ダンワージ先生

<人>昌司(ショージ)

  • 藤崎昌司(ふじさきしょうじ)

<人>ビディ

  • ビトニー主教

<人>リジー

  • エリザベス・ビトナー
  • ビディと結婚して退職した
  • コヴェントリー最後の主教の妻

<人>ミスター・アーノルド・P・ラシター

  • 新任の史学部の学部長
  • 慎重な性格で降下をさせさい

<人>プルーデン氏

・・・オックスフォード大学でリジーは相当に有名な存在だったに違いない。ズーレイカ・ドブスンのように。・・・

  • マックス・ビアボームの長篇
  • Zuleika Dobsonのタイトルロールをつとめている美貌のファムファタル
  • 教授職にある祖父を訪ねてやってきたオックスフォード大学で学生たちを虜にし、自殺者が続出する。

ファムファタル

  • ファム・ファタール(仏: Femme fatale)(或いはファム・ファタル

  • 男にとっての「運命の女」(運命的な恋愛の相手、もしくは赤い糸で結ばれた相手)というのが元々の意味であるが、同時に「男を破滅させる魔性の女」のことを指す場合が多い。

  • 相手が魅惑的であることを示す言葉に英語では「チャーミング (英語: charming)」という言い回しがあるが、ここには魔法や呪いに通じる意味合いがある。日本語においても「魅」の漢字は「魑魅魍魎」といった怪物の意味合いでも用いられている。フランス語であるファム・ファタールも同様に両義性が含まれている。

  • 代表的なファム・ファタールとしては、サロメが挙げられる。

  • 単なる「運命の相手」であったり、単なる「悪女」であるだけではファム・ファタールと呼ばれることはなく、それらを満たしながら「男を破滅させる魔性性」のある女性を指す。

  • 多くの場合、彼女たちに男性を破滅させようとする意図などはなく、複数人との恋愛をしたりお金を際限なく使ったりする自由奔放な生き方により、男性が振り回されることになる。

  • 多くの場合、妖艶かつ魅惑的な容姿や性格をしており、色仕掛けや性行為などを駆使して、男を意のままに操る手腕に長けている。
    新約聖書』「福音書」などに伝わるサロメは、イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネの首を求めた代表的な悪女として、古来キリスト教世界で名が知られ、19世紀末から20世紀初め頃の世紀末芸術において好んで取り上げられたモチーフである

 

・・・1930何年のブラックウェル書店にどんな本があるんだろう?『指輪物語』?いや、もっとあと。『チップス先生さようなら』?1934年刊行だが、いま何年だろう?・・・

ブラックウェル書店

  • Blackwell's Bookshop

指輪物語

  • 指輪物語』(ゆびわものがたり、原題:The Lord of the Rings
  • イギリスのJ・R・R・トールキンによる長編小説
  • エルフや人間が国家を築き、戦争を繰り広げる架空の世界を舞台としたハイ・ファンタジー作品である。
  • 初期作品『ホビットの冒険』の続編として始まるが、より大きな物語になった
  • 1937年から1949年にかけて少しずつ書かれたが、執筆期間の大部分は第二次世界大戦中であった。最初の版は1954年から1955年にかけて3巻本として出版された。以来多くの言語に翻訳され、増刷を重ね、20世紀の文学で最もポピュラーな作品の一つになった。

チップス先生さようなら

  • チップス先生さようなら』(チップスせんせいさようなら、Goodbye, Mr. Chips)
  • ジェームズ・ヒルトンが1934年に発表したイギリスの小説
  • これまでに何度も舞台化による上演や映像化がなされた名作文学の1つである。
  • 19世紀の末から20世紀の初頭にかけて、全寮制男子校のパブリックスクールで教育に携わった1人の男性教師の半生を描いた作品。チップスは退職後も学生たちとの交流を続けている。かつては理想に燃えていたが、必ずしも学生には好かれなかったようだ。チップスが変ったのは娘ほどの年が離れたキャサリンと結婚してからだったが、二人の幸せは長くは続かなかった。それでもチップスはウィットに富む教師となった。昔を思い出しながら、亡くなる。

・・・「『ローマ帝国の崩壊』」と安全策をとった。「ギボンの」・・・

ギボン

  • エドワード・ギボン(Edward Gibbon, 1737年5月8日[1] - 1794年1月16日)
  • イギリスの歴史家で、『ローマ帝国衰亡史』の著者である

・・・「『万年筆の謎』みたいね」とシリル婦人。・・・

『万年筆の謎』

ネッドは不規則な跳躍をし続ける

  • 2013年~2020年の間(予想)のオックスフォード大学の実験室・・・2018年
  • 1930何年のブラックウェル書店・・・1933年
  • 中世の真っ暗な塔・・・コヴェントリー大聖堂の塔、建築された1395年
  • 研究室へダイブ・・・2057年

<人>ごーだだーむ・ぼーてねーあ

  • ボトナー夫人
  • ごーだだーむ・まーりー・・・メアリー・ボトナーのこと
  • ビトナー主教のご先祖様

<人>グルーウェンズ

  • 職人の男

 

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<場>2057年 研究室

<人>ウォーダー

<人>カラザーズ

<人>ミス・シャープ

  • 1940年の銀髪の老嬢
  • 生花委員会会長
  • 空襲の日の午後5時に主教の鳥株を目撃しているが、がれきの下にはなかった
  • 空襲警報がなりはじめてすぐ聖堂にやってきて、それからずっと番をしていたから、5時から8時前までのあいだに、あの日空襲があると知っていた者にぬすまれたと言っている

・・・「フィックスは出た?」・・・

フィックス
  • fix
  • 固定すること。定着させること。
  • 日時・場所などを決めること。「次回打ち合わせを明後日の二時でフィックスする」

ヴェリティの所在

  • 1940年11月14日 コヴェントリー 大聖堂 午後8時5分・・・空襲さなか
  • 主教の鳥株は1940年11月14日コヴェントリー大聖堂にはなかった

 

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・・・そしてハリスは自説を述べた。「駄目だよ。休息と気分転換のためなら、海へゆくのが一番だね」

<場・時>1940年11月14日コヴェントリー大聖堂 空襲中
ヴェリティとネッド二人でネットに跳びこむ
  • 1888年 ミアリング家のワイン蔵・・・6月18日

・・・『またたく間に、一瞬にしてかえられる』・・・

  • 「コリント人への手紙」 十五章五十一節

・・・そして鏡は端から端までひび割れる。ほんとにそうなんだ。真っ二つにね」テレンスは哀し気に首を振った。「どうしてキャメロットまで舟を漕いでいって、愛しているとランスロットに告げようとしなかったのか、おれにはまるでわかっていなかった」水面をむっつりと見つめたまま、「いまはわかるよ。ランスロットがすでグイネヴィアと誓い合った中だったからだ」まあ正確に言うと誓い合っていたわけじゃない。グイネヴィアはもうアーサー王と結婚していたし、・・・

グイネヴィア

  • グィネヴィア(Guinevere)
  • 伝説的な人物で、アーサー王の王妃。
  • グニエーヴル、ギネヴィア、グェネヴィア、グィナヴィーア、グウィニヴィア、グインネヴィア、グウィネヴィアなど多数の表記がある。
  • グィネヴィアで最も有名な話は、円卓の騎士長ランスロットとの不倫で、その話が最初に出てくるのは、フランスの吟遊詩人クレティアン・ド・トロワの『ランスロまたは荷車の騎士』(1165-1195年頃)の中である。この題材は、13世紀初期のランスロ=聖杯サイクルにはじまって、後期流布本サイクル、トマス・マロリーの『アーサー王の死』まで、アーサー王物語の中で繰り返し取り上げられた。2人のアーサー王への裏切りが王国を滅亡させるという筋である。

・・・『俺の心は今まで恋をしたなどといえるだろうか? 眼よ、否と言え! まことの美しさを眼に見るのは、今宵がはじめてだからな』」

・・・「『古くしかも新しい美よ、わたしがあなたを愛したのはあまりにおそかった。わたしがあなたを愛したのはあまりにおそかった』・・・

・・・『あすが来、あすが去り、そして一日一日とこきざみに、時の階(きざはし)を滑り落ちて行く・・・いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ』・・・

・・・「『「あの呪いがわたしに降りかかったのだわ」と叫んだ』」テレンスが引用する。「『シャロットの姫君は』」・・・

  • シャロットの妖姫 アルフレッド・テニソン

ベインとトシーが結婚してアメリカへ駆け落ちした・・・ソウダトオモッテタ。

  • 手紙のトシーの宛名・・・ミセス・ウィリアム・パトリック・キャラハン

 

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「そうか!僕らはこの一件を最初からずっとあべこべにかんがえてたんじゃないかな」

  • ピーター・ウィムジー

・・・『嗚呼! ゆるばしき日かな! 億歳! 兆歳!』・・・

・・・『友よ、おーい! さらば! さらばだ!』・・・

  • レン・ハント・ジャクソン 「詩 友よ、おーい」

ヘレン・ハント・ジャクソン

  • ジャクソン,ヘレン・ハント
  • 1830‐1885。アメリカの女流作家詩人
  • マサチューセッツ州アマースト出身。
  • インディアンに対する合衆国政府の不当な処置を調査したA Century of Dishonor(1881)の他、小説、旅行記、児童書などが多数出版されている。
  • 同郷で幼馴染みのエミリ・ディキンソンの詩を評価した数少ない同時代人でもある。
  • 1884年に出版されたRamonaは約100年の間に300種以上の英語版が出版された
  • 1910年にはD・W・グリフィス(1875‐1948)監督により映画化されている

・・・バーバリーがレインコートの製造をはじめるのは1903年、いまから15年も先だ。・・・

 

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 「急げ、ヘイスティングズ。わたしは盲目、大莫迦だった。急げ、タクシーを」

<人>ペギー・ウォーダー

<人>カラザーズ

  • 1940年に取り残されてた人・・・12月12日まで居た
  • 男性

<人>レイディ・シェラプネル

  • コヴェントリー大聖堂の完璧な再現を手掛けている教授
  • 主教の鳥株をさがいている
  • 女性

<人>ダンワージ先生

  • 男性
  • オックスフォード大学の教授

<人>ヴェリティ

  • 女性
  • 本来は1930年に降下していた
  • ネッドと同じ1888年ヴィクトリア朝に降下していた
  • 猫のプリンセス・アージュマンドを2057年に連れてきてしまう人

<人>ネッド

  • 男性
  • 主役

<人>TJ

  • 齟齬のシュミレーションをしていた人・・・ワーテルロー・モデル
  • ミスター・ルイスとフィンチは呼ぶ

<時>コヴェントリー大聖堂の献堂式の当日・・・2057年

  • ネッドとヴェリティは
  • 献堂式の2日前に戻る予定だったのに、当日にもどった

齟齬シュミレーション結果

  • 二つのモデルが一致した
  • 1888年6月18日・・・ずれがだんだん小さくなり、それが0になるポイント

カラザーズに先週(2057年)にもどってもらう

  • 先週のカラザーズは1940年に足止めされているから、戻れる。

<人>フィンチ

群衆

  • コヴェントリー大聖堂再建反対のガイア党の団体
  • ビィクトリア女王がレディングからロンドンに向かっているのでお迎えに来た群衆
  • コヴェントリー行の電車は、抗議集会へ向かう群衆・・・コヴェントリー市民が大聖堂を盗んだオックスフォードの恥ずべき行いに抗議する決起集会を開いている

・・・「『神は御業は測りがたく』」と僕は引用した。「『不可思議に振る舞う』」乳子はそろって僕をにらみつけた。「ウィリアム・クーパー、『神の御業は測りがたく』」・・・

ウィリアム・クーパー

  • ウィリアム・クーパー(William Cowper, 1731年 - 1800年
  • イギリスのロマン主義の先駆者的な詩人
  • 1731年にイングランド南部のハートフォードシャーのバーカムステッドの牧師の子として生まれた。子ども時代に3人の兄弟と2人の姉妹を失い、6歳になる前に弟ジョンの出産と共に母親を失った。
  • 1748年にウェストミンスター学校を卒業し、同年ミドルテンプル法曹学院に入学し、ロンドンの法律事務所で書記として2年間年年季奉公をする。その後、英国国会下院の記録係の仕事を紹介されるが、口答試験に恐れをなし、アヘンにより自殺未遂を起こす。
  • うつ病を発症し精神病院に入院し、福音主義の教えに触れる。しかし、病状は回復せず、弟の家に逗留したのち、ケンブリッジャーのハンティンドンに転居した。そこで、敬虔な福音主義キリスト教徒であったアンウィン一家と出会い、アンウィンの家に同居することになった。
    まもなく、アンウィン家の父モーリーが落馬事故で亡くなる。丁度その頃、地方に伝道に来ていた牧師ジョン・ニュートンが駅伝馬車が故障し、偶然モーリーを訪ねることになった。そこで、モーリーの死亡を知り、残された家族とクーパーの援助を申し出た。
    そこで、クーパー達はオウルニィに住むことになった。クーパーとニュートンは意気投合して、賛美歌を創ることになった。ニュートンが280、クーパーが68の賛美歌を作り、それが『オウルニィの讃美歌集』として出版された。
    モーリーの未亡人メアリーは2人の子どもが独立すると、クーパーと婚約することになる。しかし、この婚約でうつ病が再発し、婚約を解消した。再び、クーパーは自殺を図った。自責の念から、教会に行かず、自室に引きこもってしまった。
  • 1769年にメアリー・アンウィンが病に倒れたときに、「神と共に生きて」(Oh! for a closer walk with God)を書いた。
  • 1779年ニュートンが、クーパーを離れロンドンに転居した。
  • 1781年クーパーはオースティンという女性に出会い、創作の刺激を受けた。しかし、メアリー・アンウィンを気遣って交際を突然やめてしまった。
    その後、いくつかの詩集を出版し、イギリスを代表するロマン主義の詩人として認められた。また、ギリシア語のホメロスの詩、ラテン語のミルトンの死を英訳するという業績も残している。
  • 1800年に死去する。ニュートンがクーパーの死に際して弔辞を残している。

<場>コヴェントリー ビトナー夫人の家

・・・「そして真犯人はいつも全員に飲み物をふるまう。シェリーはいかが、ミス・キンドルシェリーはいかが、ヘンリーさん?それともシロ・ド・カシス?エルキュール・ポアロのお気に入りよ。ぞっとする飲み物だけど。一度、アガサ・クリスティーの『三幕の殺人』を読んでるときに試してみたの。咳止めシロップみたいな味だったわ」・・・

シロ・ド・カシス

シロ・ド・カシス 40個分
  • 材料・・・カシスピューレ200g、グラニュー糖150g、水50g
  • 作り方・・・グラニュー糖と水を沸騰させ、カシスピューレを混ぜ合わせる。
<人>ラシター
  • 1888年当時の史学部長
  • 研究室の鍵を新しいものに変えさせたから、ビトナー夫人が入れなくなってしまった

<人>ボトナー氏

  • ボトナー婦人の夫
  • 最初にあの教会を建てたボトナー一族の子孫(夫人も多分ボトナー一族の血脈)
  • コヴェントリー大聖堂を愛していた

・・・「あらまあ」ビトナー夫人はうろたえたように屋根裏を見まわして、「これじゃ、『盗まれた手紙』というより『シタフォードの秘密』ね」「アガサ・クリスティ作」とヴェリティが開設する。・・・

・・・「『仮面の殺人』」・・・

  • 仮面の殺人 ?

・・・燃え盛る蘆の中のシャデラクメシャクアデネゴを見つめながら、・・・

シャデラク

  • 『旧約​聖書』の​中​の​人物
  • シャデラク,メシャク,アベデネゴ​の​3人​の​イスラエル​の​若者​は,ダニエル​と​ともに​バビロン​の​王​ネブカデネザル​の​宮廷​に​召された。シャデラク​の​ヘブライ語​名​は,ハナニヤ​で​ある。この​4人​の​若者​は,王​の​食物​と​酒​を​口​に​して​自ら​を​汚す​の​を​拒んだ(ダニ​1章)。シャデラク,メシャク,アベデネゴ​は​王​に​よって​火​の​燃える​炉​の​中​に​投げ込まれた​が,神​の​御子​に​よって​守られた(ダニ​3章)。

メシャク

  • メシャク(ミシャエル、英語:Meshach、ヘブライ語:מִישָׁאֵל)
  • 旧約聖書のダニエル書に登場するユダヤ
  • ユダヤ名がミシャエルで、メシャクはバビロンの宮廷でつけられた名前である
  • ダニエル書の伝えるメシャクの物語は以下のようなものである。
    紀元前6世紀、エルサレムを陥落させたバビロンのネブカドネツァル王は、自分の占領行政の官吏を養成するため、ユダヤ人の「王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力にとみ、宮廷に仕える能力のある」 (ダニエル1:4) 少年たちを選び出して連れてこさせ、カルデア語を学ばせた。
    メシャクと呼ばれることになったミシャエルはその一人であった。彼はベルテシャツァルと呼ばれたダニエルをリーダーとする四人組の一人で、四人は異邦人の地にあっても唯一の神への信仰を守りぬき、「異邦人の肉類と酒で自分を汚すまい」 (ダニエル1:8) と誓っていた。彼ら四人はぬきんでて優秀であったため、王に仕えて重用された。
    メシャクはダニエルが王の見た夢の謎を解き明かしたことでバビロン州の行政官に任命された。
    ネブカドネツァル王が金の像をたてて、これを拝むよう命令を出したとき、唯一の神を信じていたメシャクはそれに従わなかった。そのため、同じように像を拝まなかった仲間のシャドラク(ハナンヤ)、アベド・ネゴ(アザルヤ)と共に燃え盛る炉の中に縛られて生きたまま投げ込まれた。しかし三人は焼け死ぬことなく、火の中を自由に歩いた。やがて王に呼ばれると髪の毛も燃えることなく火の中から出てきた。これに驚いた王は彼らの信じる神をたたえ、三人を元の地位に戻した。

 

28

ハリスは、あれは自分の判定によれば非常に巧妙な迷路だ、と言った。一つ、帰りにジョージを誘ってはいってみようということに意見が一致した。

汎流行病の時代

コヴェントリーでトシーとドールト尊師のいちゃつくところをミス・デルフィニウム・シャープにみせるためだった。

  • あの後プロポーズして、ドールト尊師とミス・デルフィニウム・シャープとの結婚
  • ドールト尊師が大聖堂食を離れて、どこか田舎の牧師館の聖職禄禄にありついた・・・だから聖職禄が必要だった
  • 1891年 ミス・デルフィニウム・シャープと結婚
  • 1892年 ノーサンバーランドの教会区を与えられる・・・だからミス・シャープは1940年11月14日の夜、コヴェントリー周辺にいなかった。教会区のがらくた市渦鉄回収運動に忙しくて、主教の鳥株の消失に気づくどころでなかった・・・だから新聞に投書することなく、ほかの全員は鳥株が火災で焼失したと思いこんだ
  • かくしてウルトラの秘密が守られた・・・ドイツが戦争に勝つ未来からの自己修復

トシーとベインの駆け落ち・・・1888年6月16日

・・・「ジーブズもきみを誇りにおもうだろうよ。バンダーはいうまでもなく、それにあっぱれクライトンも」・・・

  • ジーブズ・・・イギリスのユーモア作家P・Gウッドハウスの作品にでてくる執事
  • バンダー・・・バンダー&ピーター卿、イギリスの小説家ドロシー・L・セイヤーズ推理小説シリーズかな?
  • クライトン・・・イギリスの劇作家J・M・バリー作の四幕喜劇。1902年初演。ローム伯爵とその家族や友人たちが難破して無人島に漂着すると、日ごろは伯爵家の執事にすぎないクライトンが、一行のうちでもっとも頼りがいのある人物となり、そこでの生活の主導権は彼の手に移る。しかし、救助船が到来するとともに元どおりの社会秩序に返るという物語で、当時のイギリスの階級社会と民主主義思想を軽く風刺している。

比類なきジーヴス

  • 『比類なきジーヴス』(ひるいなきジーヴス、原題:The Inimitable Jeeves )
  • イギリスのユーモア作家P・Gウッドハウスによる短編小説集。
  • 1919年に出版された"My Man Jeeves" に続き、ジーヴスシリーズの2作目の短編集である。イギリスでは、ロンドンのハーバート・ジェンキンス社から1923年5月に、アメリカではニューヨークのジョージ・H・ドラン社から同年9月に出版された。
  • 11編の短編を時系列順に構成し直した作品で、長編として扱われることもある。前半の6編と最後の1編は2章に別れており、全18章から構成されている。
  • 日本では2005年に国書刊行会で『比類なきジーヴス』が、2011年に文藝春秋〈文春文庫 全2巻〉で『ジーヴズの事件簿』が刊行。『比類なきジーヴス』は完訳本であるが、『ジーヴズの事件簿』は主人公バーティージーヴズの出会いを描く「ジーヴズの初仕事」やシリーズ第1弾の短編「ガッシー救出作戦」など数編が追加収録されている。
  • 2018年、上皇后美智子が自身の誕生日に合わせて発表した文書において、「読み出すとつい夢中になるため、これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も、もう安心して手許に置けます。ジーヴスも2、3冊待機しています」と言及したため、国書刊行会に注文や問い合わせが殺到するなど話題となった

・・・「『われわれの仕事はなぜかと問うことはできない』」と少年が答えた。「『行動するか、さもなくば死ぬかだ』・・・

 あたらしい焦点・・・ワーテルロー・モデルとピッタリ一致した

  • 2678年6月15日 場所はオックスフォード、コヴェントリー大聖堂
  • 600年以上も未来
  • 新しい焦点が齟齬の焦点だった場合、ビトナー夫人が主教の鳥株やほかの宝物を持ち帰えったのは齟齬のではなかったということになる
  • 自己修復の一部だったかも

<人>レイディ・シェラプネル

  • トシーはレイディ・シェラプネルの曾々々々祖母

ネットを通して過去のものをもってくることが可能だとわかった

  • 主教の鳥株や破宝・・・歴史上破壊されると決まったもの
  • 仔猫たち・・・歴史上殺されると決まったもの

レイディ・シェラプネルの新しいプロジェクト(過去から物がもちかえれるとわかったから)

  • サンフランシスコ大地震
  • MGM野外撮影用地(バックロット)
  • ネロが火を放つ以前のローマ
  • ロンドン大空襲で焼失したクリストファー・レン建設の十四の教会

<動物・猫>ペン抜き(ペンワイパー)

  • フィンチが秘密裏に遂行していた、2057年にはパンデミックで絶滅してしまった仔猫たちを、主教の鳥株の功労でネッドとヴェリティに一番最初に選ぶ顕現をもらったので、二人で1っ匹の仔猫をヴェリティが選んだ

 

訳者あとがき

ドゥームズデイ・ブック

  • 犬は勘定にいれません あるは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎の姉妹編
  • 登場人物は一部共通するが、直接の続編ではない

2057年 『ドゥームズデイ・ブック』未来パートの3年後

ネット

  • 据え置き型タイムマシン

21世紀初頭 死亡率の極めて高い新型インフルエンザ(汎流行病(パンデミック))が世界的に大流行して人工が激減し、文明が停滞した

ウィリスのシリアス作品

ウィリスのコメディ

  • 『犬は勘定にいれません あるは、消えたヴィクトリア朝花瓶の謎』
  • 『Bellwether (1996年)』未訳

テイムズ河に生息する魚の名前

ヴィクトリア朝の事物に関して

  • ダニエル・プール 『19世紀のロンドンはどんな匂いがしただろう』
  • ジェニファー・デイヴィーズ 『英国ヴィクトリア朝のキッチン』
  • 谷田博幸 『図説ヴィクトリア朝百科事典』
  • リチャード・ドイル 『挿絵の中のイギリス』