8-48
9-2
40 『宝の小箱』の「ツュンデルハイナーとツュンデルフリーダー」
84 訳注
- 『宝の小箱』・・・正式名称は『ラインの家庭の友の宝の小箱』
- ドイツの教育者、詩人、ヨハン・ペーター・ヘーベル(1760~1826)が編集した農民歴・逸話集
- 「ツュンデルハイナーとツュンデルフリーダー」はその中の一編
45 ・・・彼は『ドン・カルロス』やエマーヌエル・ガイベルの詩や、ビーァナッツキーの『難船物語』を読み、日記をつけはじめた。
- 『ドン・カルロス』 フリードリヒ・シラー
- エマーヌエル・ガイベル
- 『難船物語』 ビーァナッツキー
84 訳注
『ドン・カルロス』
- ドイツの劇作家フリードリヒ・シラー(1759~1805)の4作目の戯曲
- スペインの皇太子ドン・カルロスを主人公とする
85 訳注
エマーヌエル・ガイベル
- ドイツの詩人(1815~1884)
- ロマン主義時代に活躍した抒情詩人、叙情詩人
- 一般に広く歌われた歌の作詞家として有名
85 訳注
- ヨハン・クリストフ・ビーァナツキー(1795~1840)
- ドイツ
- 『難船物語』(原題『ハリヒ』)は、高潮時に水没する北海のハリヒで起こった難船物語
96 ・・・上の方でも赤い帯状の砂岩の岩棚に遮断されているこの草地の島に、私はかつてロビンソン・クルーソー気取りで住んだことがあった。・・・
96 『ローザ・フォン・タンネンベルク』
- 『ローザ・フォン・タンネンベルク』 クリストフ・フォン・シュミート
120 訳注
- ドイツ作家クリストフ・フォン・シュミート(1767~1854)
- 1832年に発表した少年少女小説
- 幼くして母親を亡くした貴族の娘が、城を奪われて獄舎につながれている父をさなざまな苦労の後に救う物語。
- このl作品はほとんどすべてのヨーロッパの言葉に翻訳され、何度も刊行された。
137 ・・・そこには書籍商があった。その老主人は何年か前に、私がハイネの作品を注文したので、私の悪評を立てたけれど、・・・
151 私たちの家のサロンの本棚と子供のころの読書について
- 『ロビンソン・クルーソー』 ダニエル・デフォー
- 『ガリヴァー旅行記』 ジョナサン・スウィフト
- 『ジークヴァルト、ある修道院物語』 ヨハン・マルティーン・ミラー
- 『新アマディス』 クリストフ・マルティーン・ヴィーラント
- 『ヴェルテルの悩み』(『若きウェルテルの悩み』) ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
- オシアン
- ジャン・パウル
- シュティリング(ユング-シュティリング)
- ウォルター・スコット
- プラーテン(アウグスト・フォン・プラーテン)
- バルザック(オノレ・ド・バルザック)
- ヴィクトル・ユゴー
- ラーヴァータ(カスパル・ラーヴァータ)
- 民間歴の古いのにはコドヴィエツキ(ダニエル・ニコラウス・コドヴィエツキ)の銅版画がついていた
- 民間歴の新しいのにはルートヴィッヒ・リヒターの挿画
- 民間歴のスイス版にはディステリ(マルティーン・ディステリ)の木版画の挿絵がついていた
194 訳注
- ドイツの詩人ヨハン・マルティーン・ミラー(1750~1814)
- 長編小説全第二巻(1776)
151 『新アマディス』
194 訳注
- ドイツの小説家クリストフ・マルティーン・ヴィーラント(1733~1813)
- 長編小説全二巻(1771)
151 『ヴェルテルの悩み』
- 『若きウェルテルの悩み』
151 オシアン
194 訳注
- ケルト人の古歌
- 3世紀
- スコットランド北部を支配していたフィンガル王の最後の王子オシアン(Ossian)が、一族の戦士たちの思い出を歌ったものといわれている。
- 1760年代にスコットランドの詩人マクファーソンが英訳したことによって、広く知られるようになり、英・仏ロマン主義文学運動が大きな影響を受けた。
- ドイツでは、ヘルダーの『オシアン書簡』やゲーテの『若きヴェルテルの悩み』に引用されて有名になった。
151 ジャン・パウル
195 訳注
- ドイツの作家(1763~1825)
- 古典主義とロマン主義の中間に孤立する作家
- 全著作は、65巻に達する
- ヘッセが特に愛読した作家のひとり。
- 152ページの『巨人』は代表作のひとつ。
151 シュティリング
195 訳注
151 ウォルター・スコット
151 プラーテン
195 訳注
- アウグスト・フォン・プラーテン(1796~1835)
- ロマン主義の詩人に属するが、古典的形式美を尊重した。
- 『ガゼール集』
- 『ヴィネツィアのソネット』
- 晩年イタリアを永住の地と定め、シチリア島でコレラにかかって没した。
151 バルザック
151 ヴィクトル・ユゴー
151 ラーヴァータ
195 訳注
151 コドヴィエツキ
195 訳注
151 ルートヴィッヒ・リヒター
195 訳注
- ルートヴィッヒ・リヒター(1803~1884)
- 画家、図案化、挿絵画家
- ビーダーマイヤー期の代表的挿絵画家
151 ディステリ
196 訳注
- マルティーン・ディステリ(1802~1844)
- スイスの図案家、挿絵画家
- 政治風刺画でも知られる。
・・・ジャン・パウルの『巨人』の一冊は、花火をつくるために弟が中身を取り出して、使っていまっていた。私がはじめの二巻を読んで第三巻めをさがしていると、彼はそのことを白状し、あの巻はそれでなくても落丁があったと言い訳をした。
- 『巨人』 ジャン・パウル
162 ・・・私はゲーテを読み、ヤコブセンを読んだ。・・・(休暇の過ごし方のひとつ)
164 ・・・寝る前に、雁(がん)首に草を食べている二頭のシカの描かれている美しいパイプをふかしながら、十一時過ぎまで『ヴェルヘルム・マイスター』を読んだ。
196 訳注
- ゲーテの長編小説『ヴェルヘルム・マイスターの修業時代』か『ヴェルヘルム・マイスターの遍歴時代』のこと。
197 ヘッセの初期の作品(訳者あとがきから)
204 (訳者あとがきから)
5 少年の日の思い出
7 私
7 私の客
7 私の末息子
9 私の客の思い出話
9 蝶の採集
- 僕が8~9歳の時に始めた
- 流行っていたから
- 10歳くないになった2年目の夏 趣味のとりこになった
11 コムラサキ採取
11 隣の少年
- 学校の先生の息子
- どこから見ても完璧な奴
- 子供たちのあいだでも人一倍気味悪がれていた
- 彼の標本はわずかだけれども、美しいこととゆきとどいた手入れのために宝石のようにすばらしいもの
- 傷ついたりちぎれたりした蝶の羽をにかわでもとにつぎ合わせるという、技術を知っていた
- あらえる点で模範少年
- ぼくはねたみと感嘆の思いで、彼を憎んでいた
- エーミール
12 20ペニヒ
21 訳注より
- ユーロ/セント(ヨーロッパ連合共通通貨単位)が導入される2001年まで流通していたドイツの通貨単位
- 1マルクの1/100
- ヘッセが10歳の1887年の1マルクは、現在の6.8ユーロ相当
- 6.8ユーロ = 1074.67円
12 ・・・さらにもうひとつのもっともな欠陥を発見した。この蝶には脚が二本欠けていたのだ。
21 訳注より
- コムラサキなどタテハチョウ科の蝶には、眼に見える脚は4本しかない。
- 2本は退化している
- 昆虫が6本脚だという常識からすると、脚が欠けていなくとも2本欠けているように見える。本当に2本欠けていたら、脚が2本しかなくなる。
- ・・・実際は脚は欠けていなかったのかも。
12 2年たって
- ぼくの情熱はまだ全盛期
- エーミールが一頭のクジャクヤママユを蛹から羽化させたという噂
21 訳注
12 ・・・ぼくの友人のひとりが百万マルクを遺産相続したとか、歴史家リウィウスの行方不明になっていた本を見つけ出したとかいうニュースを聞くよりもはるかに刺激的なことだった。
12 100万マルク
22 訳注
- 当時の100万マルクは、数億円に相当する
12 リウィウス
22 訳注
- Titus Livius
- 紀元前59~17年
- 古代ローマの歴史家
- ローマ建国からアウグストゥスの世界統一までの編年体の歴史記述『ローマ建国史』全142巻を著した
- 現存するのは35巻分
- 残りの107巻は行方不明
13 ・・・「このとび色の蛾が・・・
22 訳注
- 文章中の蛾はクジャクヤママユではなく、ユーロウチスズメではないか
- 色と眼状紋が異なる
- ヘッセが混乱したのでは
- ユーロウチスズメ Abendpfauenauge 夕暮れの孔雀の眼
- クジャクヤママユ Nachtpfauenauge 夜の孔雀の眼
15 階下から上がってきたメイド
16 僕の母親
- 僕は事の次第を母親にうちあける
- 母からのアドバイス
19 初稿
- 『クジャクヤママユ』1911年
- 改稿1931年
23 ラテン語学生
25 若いカール・バウアー
25 ひどく古い商店
- 校舎からあまり離れていない場所
- 暗くじめじめした階段
- 真っ暗な玄関横の廊下では、アルコールや石油やチーズのにおい
- 同じ建物の一番上に自分の部屋
25 店主の母親
- ひどく古い商店の店主の母親に、カール・バウアーは賄い付きで下宿していた
- クステラーおばさん
- クステラーおばさんの賄いはお粗末
- クステラーおばさんは、カール・バウアーととても仲良く暮らしていた
26 籠の中の2匹のシジュウカラ
- カール・バウアーが部屋で飼っていた
26・・・夏になると箱の中にアシナシトカゲや普通のトカゲを飼ったりした
アシナシトカゲ
26 カール・バウアーの趣味
- 指輪細工
- 鋳物
- 小動物を飼う
- ヴァイオリン
- 読書・・・童話、伝説、韻文の悲劇が好き
27 空腹
- 階下の店の手伝いのふりをして食べ物を盗む
- チーズの残り、中身が半分入っているニシンの小樽
- 空腹な者の無邪気な気持ち
- 恐れを知らず誇りをもって、危険に立ち向かう高潔な盗賊の気持ち
- 老母が欲張って彼にけちけちしたものを、その息子のありあまる宝庫から奪い取るのは、道徳的な世界秩序に完全にかなうものだと彼には思われた
28 恋愛
- 町で一番美しい少女に思いを寄せた
28 カール・バウアーが思いを寄せた少女
- 町で一番美しい少女
- 裕福な家の子
- 服装の立派なところからも、同じ年ごろの少女たちをはるかにしのいでいた
28 秋の終わりに近いある晩
- カール・バウアーは空腹で。オランダチーズと梨を盗む
29 メイドのバベッド
- 老女
- カール・バウアーの盗みをとがめたが、空腹のカール・バウアーに食べ物を譲ってくれる
- 後で、たっぷりとバターをぬったパンを部屋に運んできてくれた
- 年は40歳前後
- カール・バウアーは母親のように甘えるようになる
- クステラー家でかけがいのない人として尊重され、近所では立派な人と評判な人物
31 ・・・帰宅時に階段のところで「黄金の夕日」を口笛で吹く、すると彼女が食べ物を持ってくる、という申し合わせになった
31 「黄金の夕日」
84 訳注
- ドイツ民謡
- ベルリーンのカール-ハインツ・ムシャ作詞
- 当時流行した歌
32 ・・・このときからギムナージムの生徒カールは、
32ギムナージム
84 訳注
35 植木屋のアンナ
- 小娘のころにはじめての奉公先で、ふと盗みを働いて一ヵ月ほど臭い飯を食ったことがある
- 以来何年も忠実に勤めて、律義者でとおっていた
- 大きなとび色の眼、きつい口元
- 警察沙汰の当時、彼女の恋人は裏切って結婚してしまったけれど、また独身になっていた
- 彼は再び彼女を手に入れようとしていたが、以前のように密かに彼を愛していたのに、彼女の方がつれない態度をとっていた
35 花屋のマルグレート
- いつも陽気、赤味がかったブロンドのちぢれ毛で歌ったに、はしゃいだりしていた
- こざっぱりした服装、青いリボン、花飾りなど、何かしら綺麗な身なりえお引き立てるものをつけていた
- 決してお金を使わず、わずかなお金でも里の義父に送っていた
- 義父は送金をみんな飲んでしまって、お礼もいわなかった
- 彼女はその後不幸な生涯をおくることになる・・・うまくいかない結婚など
37 ビショッフ通りの角のグレート
- 特に不幸な娘
- 生活が苦しい
- 靴下いっぱいにためたターラー銀貨を数える度に泣きはじめる、二度ほど親方と結婚できる機会があったのに、2度とも断った
- 一人は軽薄な男でもう一人はあまりにも正直で高尚だったから
37 ターラー銀貨
84 訳注
- 15世紀末~19世紀まで、地域によっては20世紀初頭まで流通したドイツの銀貨
38 薬屋のレーネ
40 【本】『宝の小箱』の「ツュンデルハイナーとツュンデルフリーダー」
40 ・・・また娘たちの夜の集まりもだんだん短くなった。というのは、もう冬のさなかになっていたので、まだおだやかな天気であったけれども、毎日毎日、初雪が降る覚悟をしなければならなかったからである。
41 ・・・クリスマス休暇
41 ・・・1月は寒く、晴天が続いた。
41 彼女とアイススケート
- くどくが、彼女とその友人たちに笑われる
- もともと本気でなっかった恋心を振り捨てた
42 乱暴な仲間達
- 夕方繰り出していたずらをする
43 ちょっとした事件
- ブリュエール小路
- 少年4人
- 通りすがりのメイドにいたずらして、カール・バウアーが平手打ちにあう
43 若いメイド
- 篭から垂れ下がった黒いリボンをカール・バウアーにつかまられいたずらされた娘
- 美しい、若い、金髪の少女
- いたずらしたカール・バウアーにびんたをする
- 後日、招待された結婚式で再開する
- ザルツ小路の角の商人のコルデラーさんのところで勤めている
- 金髪の若いメイドのティーネ
44 ・・・彼は故郷の姉や、カスターニエの木や、ヴェランダの赤いキンレンカのことや、母のことを思い出した。
44 カスターニエ
84 訳注
- マリニエのドイツ語名。
- 「セイヨウトチノキ」「ウマグリ」の和名もあるが、ドイツ名を選んだ。
44 キンレンカ
47 下の角のリースちゃん
- 明日、職人と結婚式
- バベッドはカール・バウアーも結婚の祝いにさそった
48 ・・・昨日から雪どけ模様になっていたので・・・
- 結婚式当日
- ブリュエール小路で彼にびんたした若いメイドが招待されていて驚くカール・バウアー
53 ・・・日が長くなった。日増しに暖かくなり、青空が見えるようになった。またどんな隅っこの掘割や庭の片隅に長く残っていた汚れた雪も溶けて、明るい午後には吹く風の中にも早春の予感が感じられた。
- 夕方の庭の集いを再開
- カール・バウアーはそれをさけて、恋する人の夢想にふけりながら歩きまわっていた
- 小動物を飼うのもやめた
- 彫刻も指輪細工もやめた
- ヴァイオリンを弾いてもなんの助けにもならないときには、重いバーベルを持ってへとへとになるまで部屋のあちこち体操してまわった
- 2,3度金髪の若いメイドと路地であったが、かわいいと思っただけで話はしなかったし、見込みもなかった
53 ・・・ある日曜日の午後、それは三月の最初の日曜日であったけれど、
- 夕方の庭の集いに金髪の若いメイドのティーネをみつけた
59 3日目の晩にばったり会う
60 ・・・「きみが大好きだ」と彼は蚊の鳴くような声で言って、すぐに、彼女を断りもなく「きみ(du)」と呼んだことに驚いた。
60 「きみ(du)」
85 訳注
- ドイツ語には相手を呼ぶ代名詞に親称du(きみ、おまえ)と敬称Sie(あなた)の区別がある
- 身内の者・親友・子供に対しては親称を用い、大人同士は敬称を使うが、最初Sie(あなた)で呼び合っていた恋人同士は敬称から親称に移行する
63 ・・・次に二人が会ったのは、ようやく日曜日になってからで、バベッドのところであった。
63 ・・・ところが2、3日後、ティーネはとうとう少年とはっきり話をつけることになった。
- 午後の放課後
66 ・・・春が次第に近づいてきたと思ったら、突然春のさなかになっていた。
67 九柱戯 きゅうきゅうぎ
85 訳注
- ボウリングに似たゲーム
- 当時は野外でおこなわれた
67 ティーネは女友達とエマーヌエンスベルクに行こうとしていた
- 郊外に出たばかりのところで、1軒の楽しげな料理店の前をとおりかかると楽し気な音楽が鳴り響き、芝生のうえでワルツの民族舞踊が踊られていた
- ティーネと友人は庭園の中へ
- 夕方、町へ戻って来たときは、たくましい大工職人に大切に送りとどけられた
68 ティーネのいいひと
- 大工職人で、親方になり、結婚できるようになるまでそんなに長く待たなくてもよいいひと
- 愛情についてはそれとなく、口ごもりながら話したけれど、自分の境遇や将来の見込みについては、はっきりとよどみなく話した
- 以前からティーネを知っていて、好ましく思っていたこと
- 一時的な恋の満足を問題にしているのではないことがわかった
- 一週間毎日会い、婚約者になる
- カール・バウアーも忘れてしまった
71 別れ話とキス
78 卒業試験
85 訳注
- ギムナージウムには「アビトゥーァ」と称する厳しい全科目試験があり、これに合格すると、大学入学資格が得られる。
- ドイツには大学入学試験はない
- ただし、人気のある大学は、空席ができるまで待たねばならない
78 あと一週間すると夏休み
79 ある日の午後
- ティーネとばったり出会う
- 婚約者が新築の家から落ちて昨日から意識がない
- 病院までおくるカール
87 大旋風
89 1890年なかばごろ
- 日本は明治23年
89 私
- ふるさとの町のある小さな工場で無給の見習いの奉公をしていた(1890年当時を振り返って)
- その年のうちに、町をでて、二度と帰らなかった
- 18歳くらい
89 ・・・私たちの地方が後にも先にも見舞われたことがないほどの大旋風、もしくは大暴風雨に見舞われた年・・・
89 それがくる2、3日前
- 私は左手に鋼鉄のノミを打ち込んでしまった
- 手に穴があいて腫れてしまい、包帯を巻いて吊っていた
- 工場へは行けない
90 思えば、あの夏の終わりの時期
- 狭い谷間に未曾有の蒸し暑さがすわりこんでいた
- 何日間も次々と雷雨がやってきた
90 ・・・自然界には、ほてった不穏な雰囲気がみなぎっていた。
- 夕方、釣りに行くと、雷雨をはらんだ蒸し暑い空気のために魚が奇妙に興奮していて、はねあがり、やたら釣り針にかかった
90 ・・・それでもとうとう少し涼しく、気象がおだやかになり、雷雨が来るのもややまれになって、朝の早い時間には、はやくもちょっぴり秋らしい気配がしてきた
90 ある朝
- 私は1冊の本と、一切れのパンを持ち散歩
- 少年時代にいつもそうしたように、私はまず家の裏庭へ入った
91 少年時代の家の裏庭の母親の花壇に咲く花の話
- そこには小さな花が朱色の束になって咲く植物があって、「燃える恋」と呼ばれていた
- 細い茎にハート型の赤と白の花をたくさんぶら下げる、ひと株もやわらかな多年草があって、これは「女性のハート」と呼ばれていた
- もう一つの一年草の株は「鼻持ちならないうぬぼれ」と呼ばれていた
- 背の高いアスターがはえていたが、花の咲く時期でなかった
- やわらかい棘をもった肉厚のクモノスバンダイソウ
- 愛くるしいマツバボタン
91 「燃える恋」
120 訳注
91 「女性のハート」
120 訳注
91「鼻持ちならないうぬぼれ」
120 訳注
クジャクソウ 映像
91 アスター
91 グラジオラス
91 ヘリオトロープ
120 訳注
- ムラサキ科の小低木
- 夏から秋に芳香性のある青紫色の花を咲かせる
- 香水の原料となる
91 アキノキリンソウ
91 青いフロックス
フロックス
91 アラセイトウ
ホウジャク
スカシバ
ホウジャク
96 ハリエンジュ
96 静かな小さな荒れ地
- 私が12歳の時ノミで岩に自分の名前を刻んだ
- ロビンソン・クルーソーごっこの場所
- 読書したりした(『ローザ・フォン・タンネンベルク』)
- 戯曲をつくったりした
98 ようやく先週
- ノミで怪我する直前
- 最初のはっきりした恋の呼びかけを受け取った
- それ以来、将来の目的がはっきろしない
99 工場の二番目の徒弟
99 工場の二番目の徒弟の報告
- 私の恋人うぃ知っている
- 彼女は恋人をもったことがない
- 君いがいの誰も望んでいない
- 彼女は絹の財布を編んでいて、それを君にプレゼントするつもりでいる
- 彼女の名前を明かそうとしない
99 ルベタ・フェークトリン
- 綿糸紡績工場のひとりの若い女の子
- 堅信礼(けんしんれい)の授業のときから知っている
- 二度話した
- 可愛いブロンドの、私よりも少し背の高い女の子
99 堅信礼(けんしんれい)
121 訳注
- キリスト教への入信を完成させるために、洗礼後に行われる儀式
- ヘッセは1891年、14歳の時に堅信礼(けんしんれい)を受けた
101 ヒメアカハテハ
102 ノコギリソウ
104 イラクサの中でクジャクチョウの黒い棘さらけの幼虫を・・・
104 セダン陥落記念日
121 訳注
ふるさとの町のある小さな工場で無給の見習いの奉公をしていたのが1890年ぐらいだから、それより19年前の戦争という感覚
105 ・・・たびたび軽いまぢろみに中断されながら、ハルトゥームの英雄ゴードン将軍の物語を読んだ。
105ハルトゥームの英雄ゴードン将軍
121 訳注
- イギリスの将軍チャールズ・ジョージ・ゴードン(1833~1885)
- クリミヤ戦争、天津条約、北京条約、太平天国の乱などで活躍
- エジプト太守を務め、1884年からハルトゥーム(現スーダン共和国の首都)でイスラム軍と戦い、10ヶ月の戦闘ののち、悲劇的最後をとげた。
107 ・・・釣り道具をほどくやいなや、工場の階段の窓にベルタが姿を現し、こちらを見て、私に合図した。が、私は目に入らないようなふりをして、釣り糸の上に身をかがめた。
- 名前を呼ばれたが、ふりかえらず釣りをした
110 雹(ひょう)が降る
- ベルタとのキス
115 ・・・ターラー銀貨ほどのものや、もっと大きな雹(ひょう)の粒・・・
115 ターラー銀貨
121 訳注
- ここでは、プロイセン・ターラーであろうと思われる。
- これは、直径約3.4センチ、重さ約29グラムあった
- 84ページ参照
117 カスターニエの老木
- Kastanie
- 栗の木
123 美しきかな青春
125 マテーウス叔父
- 父母の弟
125 ・・・200マルク以上の貯金と、秋に外国でよい勤め口を保証されている手紙を縫い込んできた。
125 200マルク
193 訳注
- この小説は1899年の夏を描いたと思われる。
- 当時の1マルクは、6.6ユーロに相当するので、200マルクは1320ユーロ。
- 1320ユーロ = 211173.59円
126 私
- かなり長い遍歴時代のあと、ひとりの紳士となって、かつて内気な問題児として出て行った故郷に戻ってきた
- ヘルマン・・・184ページではじめて、「いけないわ、ヘルマン・・・とアンナ・アンベルクが話しかけている。
127 ・・・駅では、ひげのある年寄りの赤帽が、・・・
193 赤帽
193 訳注
- 駅で旅客の荷物を運ぶ人
- 赤い帽子をかぶっていた
127 弟のフリッツ
- 手押し車に私の荷物をのせてくれた
- 背丈も私と同じくらいになり、体格も立派になっていた
127 妹のロッテ
128【鳥】オウム
- あけ放たれた窓から私たちのオウムがさえずっているのが聞こえた
- ポリー
- ポリーという女性の名前を付けられているのに、雄とみなされ、デア・ポリーと男性名で呼ばれていた
- いろいろな言葉を話し、私たちの声や笑い声のまねして、私たちひとりひとりの親しさの特別な段階を厳格に守って交わった
- 妹に対してはある種の不信感をいだいていた
- 20年このかたまるで子供のように、家族の一員になっていた
128 父
128 母
128 女中のクリティーネ
129 ・・・私のカップにはモクセイソウの小さな花束がさしてあった。私はそれを取って、ボタンにさした。
129 モクセイソウ
130 ・・・そこには、オオババイカウツギの大きな半透明の葉を通してさしこむ日光が、・・・
130 オオババイカウツギ
193 訳注
132 ・・・私たちはシューベルトやシューマンの歌曲をうたい、次いでズィルヒャーの楽譜を取り出して、ドイツや外国の民謡を歌い続けた。
132 ズィルヒャー
193 訳注
- フィリップ・フリードリヒ・ズィルヒャー(1789~1860)
- ドイツの作曲家
- テュビンゲン大学音楽部長
- 民謡の収集家・編集者としても有名
- ハイネ作詞「ローレライ」の作曲家
133 ・・・このオウムは、ポリーという女性の名前を付けられているのに、雄とみなされ、デア・ポリーと男性名で呼ばれていた。
133 デア・ポリーと男性名で呼ばれていた
193 訳注
- デア・ポリー(der Polly)
- derは男性名詞の定冠詞
- 「ポリー君」というところか
- 女性名詞なら、ディー・ポリー(die Polly)となる
134 ヘレーネ・クルツ
- 妹の友達
- リラ色の服を着て、つばの広い麦藁帽子をかぶったひとりの背の高い美しい女性
- 私が一度恋したことがある少女・・・私が堅信礼の年に彼女に恋をしていた
- 時々家に遊びにくる
137 ・・・そこには書籍商があった。その老主人は何年か前に、私がハイネの作品を注文したので、私の悪評を立てたけれど、・・・
137 悪評をたてた
193 訳注
- ハインリヒ・ハイネ(1797~1856)
- ユダヤ系ドイツ詩人であり、ドイツの反動と俗物性を痛烈に批判する評論を書き、民衆の解放を目指す革命詩人として活躍、パリに亡命した。
- このよなことから、ハイネの本を買うだけで、一部保守的な人たちから悪評をたてられる時代もあった。
138 マナーハウス叔父
- 冒頭ででてきた人の家へ
- 事務所に出たあとだった
138 ベルタ叔母と二人の娘
- 縫物をしていた
- 娘たちはよい音楽をたしなむ時間をもっていた。二人ともピアノを弾き、歌をうたった。そして近代の作曲家こそしらないけれど、それだけいっそうヘンデルやバッハやハイドンやモーツァルトに深くなじんでいた。
139 ・・・10年前に亡くなったある高僧をともに悼(いた)んだ。もしその人がまだ生きていたら、私はシュトゥットガルトでその説教を聴くことができたであろう。
140 ・・・ちょうどそんなにいい勤め口についているというのに?月に二百マルク近くになるなんて、若い人にしてはすばらしいじゃないの」・・・
140 月に二百マルク近くになる
194 訳注
- 当時の200マルクは現在の1320ユーロ
- 1900年頃の多くの労働者、下級官吏、下級サラリーマンは、もっと低い賃金で生活しなければならなかったという。
- 125ページ、195ページ参照
- 1320ユーロ = 211173.59円
140 リュディア大伯母さん
- ベルタ叔母さんの階上にすんでいる
- 80歳
- 古風
- ごく簡単な仕立ての濃いむらさき色の服
- 近視で、頭がかすかにふるえる他は、驚くほど元気で若々しい
- 魅力的な会話術
142 マテーウス叔父の事務所へ挨拶へ
143 【🍴】・・・私は食事に家に帰った。家では私に敬意を表してライスと子牛の焼肉のご馳走が出た。
143 弟のフリッツのわきの自分の部屋へ
- 私が昔採集した蝶がガラス箱に入れて壁にかかっていた。
- 秘密の話
- ベッドの下の箱から、火薬、木炭、ほくち、火縄、硫黄のかたまり、硝石とヤスリ屑→花火の材料・・・親に内緒
145 ・・・「1ターラーやるよ」
- 花火の材料費に弟へお小遣い
145 1ターラー
194 訳注
- 20世紀初頭まで使われていた銀貨
- 3マルクに相当した。
146 父と妹との散歩
146 ムギナデシコ
- アグロステンマのこと
146 ・・・「ウルムの人よ。私より二つ年上なの。兄さんどう思う?・・・
146 ウルムの人
194 訳注
- バーデンヴェルテンブルク州
- ドーナウ湖畔の都市
Ulm ウルムの場所
149 私の思い
- ヘレーネ・クルツのことをもっと聞きたかったが、見すかされるのを恐れて、思いきって切り出す勇気がなかった。
- 私の若い心は、芽生え始めた女性へのあこがれとさまざまな恋への熱望でいっぱいになっていた。
- 都合のいいきっかけがない
- 美しい少女のことが知りたい
152 小さな甥たち
- 私の父親が窓辺で小さな甥たちのために熱心に絵本を読んでやっている
164 ・・・弟のフリッツと一緒にホーホーシュタインに登った。・・・
- ホーホーシュタイン 場所? 架空か?
- たくさんの花火を持って登った
- 165 ・・・最後のネズミ花火は、帰る途中、シンデルホーフの屋敷の猛犬めがけて投げ込んだ。・・・(近所みたい・・・)
ホーエンシュタインとは違うのか?
166 ・・・「たぶん二等でくるわよ」とロッテが言った。
166 二等で
196 訳注
- 一等、二等、三等の区別があった。
- 我が国ににも1960年まで一等~三等までの区別があった。
170 ヘレーネ・クルツとアンナ・アンベルクの違い
171 うわさ
- クルツ嬢が近頃しきりにしかじかの家に出入りしているから、たぶん間もなく婚約がととのうだろう、という話を聞いた。
176 興行
- ブリューエル広場
- サーカス
179 ・・・その夜なお、私は明かりをつけて、チョッキのポケットからアンナが今日、冗談にくれた一ペニヒ銅貨を探し出して、しみじみとそれを眺めた。それには1877年という年号が刻まれていた。ちょうど私の生まれた年と同じであった。
179 私の生まれた年
196 訳注
- ヘルマン・ヘッセの生まれた年は、1877年である。
186 休暇の終わりと別れが近い
186 ・・・茎の長いロウソク花が・・・
186 ロウソク花
196 訳注
- ビロードモウズイカ
- 南独地方名
- ヨーロッパ北中部からアジアにかけて分布。
- 葉や花茎は白色の細毛に覆われて白緑色を呈し、長い花茎の上に黄色の花をつけるので、ロウソク花と呼ばれたと思われる。
- 我が国では外来植物で、中部地方を中心に分布を広げている。
186 「さすらいの歌」
196 訳注
- 「おお、はるかな谷よ、おお、頂よ」
- ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ(1788~1857)
- 作詞(1810)
- フェーリクス・メンデルスゾーン-バルトルディ(1809~1847)
- 作曲(1843)
197 訳者あとがき
197 ヘルマン・ヘッセの小品『クジャクヤママユ』(1911)の改稿は、『少年の日の思い出』(高橋健二 訳)として、1947年(昭和22年)に文部省の『中等國語』に採用された
- 1947年から現在まで、64年(76年) 中学国語の教科書に掲載
- ほかに例がない
197 ヘッセの初期の作品
- 『ペーター・カーメンツィント』(『青春彷徨』『郷愁』)
- 『車輪の下』
- 『青春は美わし』
198 『クジャクヤママユ』(1911)の改稿は、『少年の日の思い出』はドイツでは『全集』に収録されていない
- ヘッセの最も詳しい文献にも題名さえ出ていない
- ドイツ圏ではほとんどしられていない