Corona Borealis

*読書*

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はじめまして。

ようこそいらっしゃいました。

本棚 ティファニーで朝食を 単行本 – 2008/2/29 トルーマン・カポーティ (著), 村上春樹 (翻訳) №1/2

 

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I found a book that I want to read.

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ティファニーで朝食を

単行本 – 2008/2/29

トルーマン・カポーティ (著)

村上春樹 (翻訳)

 

№1/2

 

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本と作家のリスト
 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainジュール・メグレ警部(Jules Maigret, 後に警視)シリーズ ジョルジュ・シムノン

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainインサイド・ニューヨーク (インサイドシリーズ―時代を物語るインテリア発見の旅) 大型本 – 1995/7/1 ジョー フリードマン (著), Joe Friedman (原著), Richard Berenholtz (原著), 黒川 直樹 (翻訳)

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain嵐が丘』 エミリー・ブロンテ

 

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映像リスト

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainMAIGRET/メグレ

 ローワン・アトキンソン (出演), エイダン・マクアードル (出演), アシュレイ・ピアース (監督)

 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainMAIGRET/メグレ2

 ローワン・アトキンソン (出演), ショーン・ディング・ウォール (出演), サディウス・オサリヴァン (監督) 

嵐が丘

 ローレンス・オリヴィエ (出演), マール・オベロン (出演), ウィリアム・ワイラー (監督) 

嵐が丘

 ジュリエット・ビノシュ (出演), レイフ・ファインズ (出演), ピーター・コズミンスキー (監督)

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memo

 トルーマン・カポーティ

 ティファニーで朝食を

ニューヨーク

  • 「僕」が戦争のころ住んでいた

  • 作家志望の青年

ブラウンストーンの建物

  • ニューヨーク市においては1835年に発生したニューヨーク大火により建築物に木材を仕様することを大幅に規制したため、1870年までに石とレンガが建築素材としての地位を確固たるものとしていた。何世紀にも渡り独自の石灰石の岩盤から採掘された石で建築を行っていたパリと違い、ニューヨークでは市内から遠く離れた採掘場から建築に必要な石を運んでいた。このため建築物により使用した石の採掘場所が違うことも多く、石造りの建築物は様々な色合いをしている。鉄道が完成するまでは石はニューイングランド採石場からハドソン川あるいは大西洋を利用し船で運搬していた。鉄道が完成すると貨物列車がバーモント州の大理石やミネソタ州花崗岩などをニューヨークまで運搬した。中でも人気であったのがコネチカット州で採掘された赤褐色の砂岩で、19世紀後半にはブラウンストーンと呼ばれる赤褐色砂岩は、ニューヨーク市テラスハウスと同義とまで言われるほどに多くの住宅が赤褐色砂岩を用いて建設された。

    市内の居住用(および多くの商業用)建築物の屋上には給水塔が設置されている。これは、19世紀の都市条例において6階建て以上の建物に給水塔を設置することが義務付けられていた名残である。これは、地表付近での建物内の水道管の水圧が必要以上に高くなり地下水道管が破裂する事態を防ぐために定められた条例であった

Brownstone-BK-Heights

スタッコ塗りぬり

外壁の塗装方法として、昔からよく使われてきたのが「スタッコ仕上げ」です。

ホリー・ゴライトリー

  • ブラウンストーンのアパートの「僕」の真下に住んでいた女性
  • 年齢不詳に見えるが、当時あと2ヶ月で19歳の誕生日を迎えるところ
  • よく鍵を無くす
  • 14歳で家を飛び出す

ジョー・ベル

  • 「僕」はジョー・ベルと語り、ホリー・ゴライトリーについて書こうと思いついた
  • 彼女の思い出がよみがえった
  • レキシントン・アヴェニューの角でバーを経営していた
  • 気難しい独身男
  • 胃が弱い
  • この1月10日で67歳になる

「僕」とジョー・ベルとの会話デッキ

  • それぞれに友人だったホリー・ゴライトリー
  • アイス・ホッケー
  • ワイマナー犬
  • 『アワ・ギャル・サンデー』(彼が15年もの間聴き続けてるラジオの連続メロドラマ)
  • 作家

ワイマナー犬

Weimaraner wb.jpg
断尾されたオスのワイマラナー

 

 
「シルバー・ゴースト」
 
ロングヘアー種

『アワ・ギャル・サンデー』

Stella&Laurel.jpg

アン・エルストナーとヴィヴィアン・スモレン

youtu.be

 ギルバートとサリヴァンの音楽

<食>ホワイトエンジェル カクテル🍸

I・Y・ユニホシ

  • 日本から来た男
  • カルフォルニアの出身
  • 写真誌専用カメラマン
  • 当時は同じブラウンストーンのアパートの最上階の一間にすんでいた
  • アフリカ

ウィンチェル(ウォルター・ウィンチェル。高名なコアムニスト)

ウォルター・ウィンチェル

  • …著名な文人,筆力のあるベテランの記者の書くエッセー・コラムは,どこの新聞でも古くからの慣行としてあったが,コラムを新聞の目玉商品として発達させたのは,アメリカである。1920年代のタブロイド新聞の全盛期,ニューヨーク《グラフィックGraphic》(1924創刊)に〈ブロードウェー風のたよりBroadway Hearsay〉と題する芸能界内幕ニュース,ゴシップのコラムを書いたウィンチェルWalter Winchellらが,その典型である。彼のコラムはシンジケートによりアメリカ各地の165紙に配給,転載され,コラムニストcolumnistとして全国的な著名人となる。…

Walter Winchell 1960.JPG

Winchell in 1960

マニラ封筒

ブリミティブ

  • プリミティブ (英語primitive): 原始的、素朴な、幼稚な、などといった意味。

写真3枚

1956年クリスマス

  • I・Y・ユニホシはアフリカのトコクルという村を通りかかった
  • S族の彫刻をしていた黒人が、ホリー・ゴライトリーそっくりの娘の頭の彫刻を見せた

ピジン・イングリッシュ

ピジン

  • ピジン言語ピジンげんご、pidgin language、または単にpidgin)とは、現地語を話す現地人と、現地語を話せず外国語を話す貿易商人などとの間で異言語間の意思疎通のために互換性のある代替単語で自然に作られた接触言語。共通言語をもたない複数の集団が接触して、集団間コミュニケーションの手段として形成される。

    英語と現地の言語が混合した言語を「ピジン英語」といい、英語の“business”が中国語的に発音されて“pidgin”の語源となったとされている。フランス語をベースにそれ以外の言語と混成したものは、「ピジンフランス語」。

    例えば、“Long time no see.”(「お久しぶり」)は明らかに英語の構造を持っていないが、それなりに意味が伝わる(中国語の很 (very) 久 (long time) 不 (not) 見 (see) から来たとされる説もしくはインディアン・ピジンAmerican Indian Pidgin Englishの一例)ので多用されている。

マダム・サフィア・スパネッラ

  • ハスキーな声のコロラトゥーラの歌手
  • 毎日午後にローラースケートをやりにセントラル・パークへ出かけた
  • まだ郵便受けに名前があった

コロラトゥーラ

シド・アーバック

  • 当時ホリー・ゴライトリーをアパートに送ってきた男

20セント

  • アメリカ合衆国20セント硬貨は、かつて流通したアメリカ合衆国の20セント硬貨である。1875年から1878年まで製造されたが、最後の2年間はコレクター向けのみの製造であった。同時期に流通していた25セント硬貨デザインサイズが酷似していたことから、流通地域を大混乱に陥れた。

    少額貨幣の不足対策と経済の流動性改善の為、1874年にネバダ上院議員ジョン・P・ジョーンズによって「20セント硬貨製造の提案」が行われた。この議案は議会を通過し、造幣局ディレクターHenry Lindermanに任せることとなった。

    フィラデルフィア造幣局局長であるジェームズ・ポロックは25セントに似てる事からデザインに反対したが、Lindermanはデザインを気に入っていた事から、「法律上、一定額以上の銀貨裏面にはハクトウワシが必要で、鷲の顔の向きを逆向きにして、側面も平坦にすれば問題ない。大丈夫だ。」と強行した

    結果、流通地域は大混乱に陥った。1878年5月2日、議会は流通していた20セント硬貨を廃止し、溶融することとした

表面
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デザイン 座したリバティ女神
デザイナー Christian Gobrecht
デザイン時期 1836年(1875年にWilliam Barberが重刻)
裏面
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デザイン ハクトウワシ
デザイナー William Barber
デザイン時期 1875年

「トゥエンティー・ワン」

 
21クラブ
P・J・クラーク
  • P. J. Clarke’s(PJクラークス)
  • P. J. Clarke’sは1884年創業の老舗アメリカンダイニング
  • オールドファッションを売りにしているP. J. Clarke’sの歴史は、1884年まで遡ります。
  • COME IN ONCE, WE’LL KNOW YOUR NAME. TWICE, WE’LL KNOW YOUR ORDER. THREE TIMES, AND YOU’RE FAMILY. 初めての来店で、お客様の名前を覚えます。 二回目の来店で、お客様のオーダーを覚えます。 三回目の来店で、お客様は我々の家族になります。 をモットーに、地元に愛されるダイニングとして経営を続けています。
  • P.J.クラークの は サルーン1884年に設立されました。915にある建物を占めています。 サードアベニュー 東の北東の角に 55thストリート に マンハッタン。 44Westに2番目の場所があります 63番街 の南東の角に コロンブスアベニュー.
P.J.クラークの.jpg
レストラン 情報
設立 1884; 136年前[1]
食品の種類 ハンバーガー、パブフード[1]
住所 915 サードアベニュー (イースト55thストリートの北東の角)

『ワルツィング・マティルダ

  • ワルチング・マチルダ」(Waltzing Matilda)は、オーストラリアの歌。「非公式の国歌」と表現されるほど同国を代表する曲として世界的に広く知られている。
『ワルチング・マチルダ
英語Waltzing Matilda
Original Waltzing Matilda manuscript.jpg
クリスティーナ・マクファーソンによる原曲手書き原稿

youtu.be

ピカユーン

  • 手巻たばこ
  • ホリー・ゴライトリーが吸っている煙草

Vメール(海外にいる兵士からの郵便)

Vメール

  • V郵便V-mail, Victory Mail)は、第二次世界大戦中の1942年6月から1945年11月までアメリカ合衆国によって運用された軍事郵便の一種である。本国と海外の戦地間で輸送される郵便物の量を減らし、サービスを迅速化するため、V郵便ではマイクロフィルムが活用された。専用の用紙に書かれた手紙は、引き受け地でマイクロフィルムに転写され、フィルムの状態で輸送された後、到着地で印刷されてから配達された。

 
V郵便のポスター
 
V郵便のポスター
 
プリントされたV郵便の手紙
 
V郵便の写真プリントを入れる封筒
コール・ポーター
Coleporter.jpg
基本情報
出生名 Cole Albert Porter
別名 Cole Porter
生誕 1891年6月9日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 インディアナ州
死没 1964年10月15日(73歳没)
学歴 イェール大学ハーバード大学
ジャンル ミュージカル映画音楽
職業 作曲家
クルト・ワイル
クルト・ヴァイル
Kurt Weill
Bundesarchiv Bild 146-2005-0119, Kurt Weill.jpg
基本情報
出生名 Kurt Julian Weill
生誕 1900年3月2日
出身地 ドイツの旗 ドイツ帝国 アンハルト公国デッサウ
死没 1950年4月3日(50歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家

オクラホマ!』

 
主な登場人物

youtu.be

  • 作品では当時、その夏ヒット・ミュージカルで、ホリー・ゴライトリーがギターを弾いて歌っているのが聞かれた

バーボンのナイトキャップ

  • ナイト・キャップとは、カクテルに用いられる用語や名称である。特定のレシピのカクテル名。また、カクテルの分類の一つで、寝酒として薦められるカクテル群をさすこともある。
  • 就寝前に酒を飲む習慣やそのときに飲む自体をナイトキャップ (寝酒) という。カクテルの分類のうち、寝酒として相応しいとされているカクテルを「ナイト・キャップ・カクテル」として分類することがある。また、「ナイト・キャップ」という名前で呼ばれる、特定のレシピのカクテルも存在する。

    カクテル「ナイト・キャップ」はその名の通り、ナイト・キャップ・カクテルに分類されているカクテル群の中の1種であり、ナイト・キャップ・カクテルに分類されるカクテル中でも代表的なカクテルとされる。実際のところ、寝酒として飲まれるだけはないものの、寝酒としても飲まれている。

シムノンの最新刊

兄のフレッド

  • ホリー・ゴライトリーがバスローブ1枚で非常階段から「僕」の部屋に滑り込んだ時に口からでた兄の名前
  • 「僕」を兄のフレッドに似ているという

サロイヤン

ウィリアム・サローヤン
(William Saroyan)
William Saroyan.jpg
誕生 1908年8月31日
フレズノ
死没 1981年5月18日
フレズノ
職業 作家、劇作家、
国籍 アメリカ合衆国の旗
活動期間 1934年 - 1980年
代表作 『わが名はアラム』
主な受賞歴 ピューリッツァー賞(戯曲部門)(本人は辞退)
デビュー作 空中ブランコに乗った若者』
  • 作品では、ホリー・ゴライトリーがパーティーで会ったことがあると、「僕」に語っている

ヘミングウェイ

アーネスト・ヘミングウェイ
Ernest Hemingway
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サマセット・モーム

ウィリアム・サマセット・モーム
William Somerset Maugham
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ペニー・シャクレット

  • ホリー・ゴライトリーが知っているラジオの脚本をいっぱい書いている人

シンシン刑務所

  • シンシン刑務所 (Sing Sing Correctional Facility)とはアメリカ合衆国ニューヨーク州オシニングにある刑務所。警備レベルは最高度であるという。場所はニューヨーク市から北へ48km、ハドソン川に面した場所にある。「シンシン」という名前の由来は刑務所が立てられている地区の名前オシニング(Ossining)からきており、1828年に同地で開設された時は、「マウントプレザント(Mount Pleasant)」という名称だった。 現在、刑務所内には1,700名を越える囚人が服役しており、また、刑務所が建設された頃の1,825の古い独居房博物館へと改装する計画が持ち上がっている。

 
シンシン刑務所
  • ホリー・ゴライトリーが木曜日の午前に出かけなければならないシンシン刑務所

サリー・トマト

  • 英語がへたなやさしいおじさん
  • 7か月の間毎週木曜日に刑務所に会いにいって話してる人
  • お金(週に100ドル)をもらっているが、貰えなくなっても会いに行くとホリー・ゴライトリーは言う
  • 5年の実刑

イディッシュ語

『ハンバーグ・ヘブン』

バーガーヘブン
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  • ホリー・ゴライトリーが事務所の持たないデブの弁護士(依頼人はサリー・トマト)に呼ばれて会う店

オショーネシーさん

  • 事務所の持たないデブの弁護士(依頼人はサリー・トマト)
  • ホリー・ゴライトリーが天気予報を伝えると、郵便でキャッシュを送ってくれる

チャールズ・アンド・カンパニーの豪華な花バスケット

クニーシェのコロン

  • Knize / クニーシェ
  • 1858年、Josef Knizeが創設したウィーンの老舗高級紳士服ブランド。19世紀にはハプスブルグ家の面々も顧客だったという歴しあるテイラー。1902年に銀行家のAlbert Wolffの手に渡り、その後奥さんのGisela Wolffの手に渡ります。この時、有名な建築家Adolf Loosに内装を依頼したことでも有名になっています。アート学校でクリムトと一緒に学んだというErnst Drydenの代になると動きは更に活発となり、1920年代の雰囲気というものがこのブランドの核となっていったようです。流行とは全く無縁のクラシカルテイスト満載な老舗テイラー。

ホリーの茶色い猫

  • ホリー・ゴライトリーの猫
  • 名前はない

ペニー・ポーラン

  • ホリーの部屋にいた男から聞いた話にでてきた男
  • 過去にホリーとの結婚も考え、彼女を多くの精神科医にみせていた
  • 映画界の上の大物

ルイーゼ・ライナー

  • ホリーの部屋にいた男から聞いた話にでてきた女
  • スターだった
  • O・J・バーマンが後押ししてスターダムにのせようとしていた時雲隠れした
  • =ホリー・ゴライトリー

O・J・バーマン

  • 「僕」がホリー・ゴライトリーに部屋に招待されたとき、ドアを開け、ホリーはシャワーを浴びていると言った男
  • ハリウッドで俳優エージェントをしている
  • ルイーゼ・ライナーこと、ホリー・ゴライトリーを掘り出した(ホリーが15歳の時)
  • ホリーのことをキッド(あの子)と呼ぶ

サンタ・アニタ

サンタアニタパーク競馬場
サンタアニタパーク競馬場

マーガレット・サラバン

マーガレット・サラヴァン
Margaret Sullavan
Margaret Sullavan

『軍医ワッセル大佐』

セシル・B・デミル

セシル・B・デミル
Cecil B. DeMille
Cecil B. DeMille

ゲーリー・クーパー

Gary Cooper
ゲーリー・クーパー
ゲーリー・クーパー

ラスティー・トローラー

  • O・J・バーマンが言うには、彼とホリー・ゴライトリーが結婚するとのこと

デヴィッド・O・セルズニック

デヴィッド・O・セルズニック
David O. Selznick
David O. Selznick
  • 本書中では、ホリー・ゴライトリーがO・J・バーマンに、「僕」(ホリーは彼のことをフレッドと呼ぶ)の小説の才能について教えるために電話をかけて欲しいという

ラザフォード・ラスティ・トローラー

  • ホリー・ゴライトリーのパーティーの招待客の一人
  • ホリーに顎でつかわれていた
  • 5歳で両親を失って莫大な財産を引きついだ以来、様々なことでタブロイド紙を騒がしている男

「ファーザー・ディヴィアン」(アメリカで戦前に人気のあった新興宗教の教祖)

ファーザー・ディヴィアン

ドライ・トルトゥーガス諸島(キー・ウェストの西方にある)

ドライ・トルトゥーガス諸島

 
ガーデン・キー島のジェファーソン砦
ユニティー・ミッドフォード(カナダ人の女性。ヒトラーと交際していたことで有名)
ユニティー・ミッドフォード
ユニティ・ミットフォード
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ヨークヴィル(ドイツ系市民の多いニューヨークの地域)

ウィンチェル

  • ウィンチェル,W.
  • 【コラム】より

    …著名な文人,筆力のあるベテランの記者の書くエッセー・コラムは,どこの新聞でも古くからの慣行としてあったが,コラムを新聞の目玉商品として発達させたのは,アメリカである。1920年代のタブロイド新聞の全盛期,ニューヨーク《グラフィックGraphic》(1924創刊)に〈ブロードウェー風のたよりBroadway Hearsay〉と題する芸能界内幕ニュース,ゴシップのコラムを書いたウィンチェルWalter Winchellらが,その典型である。彼のコラムはシンジケートによりアメリカ各地の165紙に配給,転載され,コラムニストcolumnistとして全国的な著名人となる。…

『ワン・タッチ・オブ・ヴィーナス』(クルト・ワイル作曲のミュージカル。1943年初演)

『ワン・タッチ・オブ・ヴィーナス』

  • ONE TOUCH OF VENUS
ONE TOUCH OF VENUS
  • 長い間行方不明になっていた「アナトリアのヴィーナス」が美術コレクター、サーボリの手で発掘された。さっそくニューヨークの美術館に展示しようとするが、サーボリの散髪に訪れた若い床屋ロドニーが、ちょっとした悪戯でそのヴィーナスに命を吹き込んでしまう。生身の人間となったヴィーナスは自分を自由にしてくれた目の前のロドニーに一目ぼれ、運命の男性と思い定める。ロドニーは怖くなってニューヨークの街に逃げ出す。彼を追いかけるヴィーナス。そこから奇想天外なドタバタ劇が幕を開ける。

    口やかましいフィアンセやその母親が介入し、ヴィーナス像の奪還を企む手荒なアナトリア人たちも登場、さらにはロドニーに対するでっち上げ殺人事件も絡みあって、ストーリーは予測もしない展開をとげる。

    ロドニーはいつしかヴィーナスの愛を受けとめるようになるが、彼の夢が「オゾンハイツ」に住むことであることを知ると、自分の将来にはそぐわないと悟ったヴィーナスは、彼を残して消えてしまう。悲嘆にくれるロドニーだが、ヴィーナス像を返せとアナトリア人がナイフを向けたとき、大雷鳴とともに、ヴィーナス像は台座に戻り、オゾンハイツから来たというヴィーナスに生き写しの美しい女性がロドニーの前に現れるのだった。

youtu.be

 エゴ

  • (ego 一人称単数の人称代名詞)⸨エゴー⸩
    [1]
    ① 認識、意欲、行動などの主体として、他と区別される自分。自己。自我
    ※徳川氏時代の平民的理想(1892)〈北村透谷〉三「彼のシバルリイは『我(エゴー)』を重んじて軽々しく死し軽々しく生きず」
    フロイトの用語。感覚の刺激や肉体的要求の知覚と、身体運動との間を調節する心理装置。自己保存の役割を果たす。自我。
    ③ 自分本位の考え方や態度。また、そういう考え方の人。エゴイスト。エゴイズム。「地域エゴ」 〔モダン用語辞典(1930)〕
    ※メサの使徒(1950)〈武田泰淳〉「気やすさに無作法とエゴをまぜ加へた客たちは」
    [2] 〘形動〙 「エゴイスティック」の

アングスト(不安感)

  • Angst
  • 不安、苦悩

「ハーパーズ・バザール」

Harper’s BAZAAR(ハーパーズ バザー)

  • ハーパーズ バザーHarper's BAZAAR)は、1867年にニューヨークで創刊した世界最古の女性向けファッション雑誌である。以来、一世紀を超えて32カ国で発行される世界有数のファッション誌として知られる。媒体の事業はアメリカのハースト・コーポレーション保有している。

    日本版は2000年9月、エイチビー・ジャパン株式会社から創刊。販売は朝日新聞が担当していた。発行人・桐畑忠彦、編集人・田上美幸。事業譲渡後、2010年12月号をもって一次休刊。

    2013年9月、ハースト婦人画報社から2代目が再創刊され、現在に至る。創刊発行人はイブ・ブゴン。編集人は森明子。毎月20日発売・年10回刊(5月・11月は合併号発売)。

 マグ・ワイルドウッド

  • アーカンソーのワイルッドウッドの出身(南部出身)
  • 背の高い、どもりのある女性(どもりはポーズで本当はどもらない)
  • 上の階のユニホシのモデルをしていて、階下のホリーの部屋のパーティーに押し掛けてきた
  • ホリーとは知り合いの様子

ホセ

  • ラテン系のハンサムな男
  • ブラジル人
  • ミス・ワイルドウッドを間違えて「僕」の部屋にたずねてきた

戦時中

ベルリッツ

1943年10月の月曜日

  • 4日、11日、18日、25日のいずれか

1943年

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

ジョー・ベルの店

  • マンハッタンを飲んだ
  • ショー・ベルは、お祝いにシャンパンカクテルを御馳走してくれた

<食べ物>マンハッタン

マンハッタン
Manhattan cocktail.jpg

 

五番街

  • 行進(パレード)・・・軍隊

公園のカフェテリアで昼食

公園

  • 多分セントラル・パーク
  • 動物園をさける
  • (今はもうない)ボートハウス

セントラル・パーク

セントラル・パーク
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セントラル・パーク動物園

デリカテッセン

ウールワース

  • Woolworth Corp.

  • アメリカのバラエティー・ストア・チェーン。創立者の F.W.ウールワースが 1879年にニューヨーク州ユティカに「5セント・ストア」を開いたのが始り。その後「5セント=10セント・ストア」を開設し,1911年現社設立。実用品がそろっていて経済的な店というのがバラエティー・ストア (日用雑貨店) としてのウールワースの特色で,全米各州のほかプエルトリコ,カナダ,ドイツ,メキシコ,スペインに進出した。歴史的にはバラエティー・ストアという新しい小売販売形態を創造したが,第2次世界大戦後の革新に立ち遅れ,業績が停滞した。しかし 62年には大型ディスカウント・ストアのウルコを開店,ショッピングセンターに中核店として進出したほか,63年には靴販売チェーンのキニイを,69年には紳士衣料専門店チェーンのリッチマン・ブラザースを買収して店舗の拡大をはかっていたが,97年以降は従来型店舗を縮小し,利益率の高い専門店への転換をはかっている。売上構成は,運動用品部門 45%,ドイツ・ウールワース 20%,アメリカ・ウールワース 13%,靴・アパレル部門 20%,その他2%。年間売上高 66億 2400万ドル,総資産 31億 8200万ドル,従業員数8万 2000名 (1998) 。

「僕」の就職

ホセ・イバラ=イェーガー

  • ハンサムなブラジル人
  • 周に3日ワシントンで過ごす
  • ブラジルの大統領になりたいと思っている紳士
  • ホリーの恋人

「ラ・ルー」

  • ナイトクラブ

「エル・モロッコ

  • クラブ・エル・モロッコ
  • ナイトクラブ

42丁目 市立図書館

ニューヨーク市立図書館は、ニューヨークにある世界屈指の規模を持つ公共図書館です。五番街と42丁目の交差点にあり、観光名所としても有名で、ニューヨークの総合的な教育や研究のための機関となっています。図書館の正面玄関の前には、トレードマークとなっている2体のライオンの像が設置されています。またニューヨーク市内の様々な場所には、80以上の図書館の分館があります。

歴史
ニューヨーク市立図書館の基となる2つの図書館が、19世紀のニューヨークにはありました。1886年ニューヨーク州の知事であるサミュエル・ティルデンによって、これら2つの図書館が統合されることで、庶民のための図書館が設立されました。1911年に本館が完成し、それ以降たくさんの分館が増設されていきました。また1980年には大規模の拡張工事が行われたことで、現在本館は主に人文系の研究図書館となっています。

見どころ
【高層ビル街の中にある荘厳な建築物】五番街と42丁目の交わった場所にあり、映画の舞台にもなっているため、多くの人が訪れる観光名所となっています。多数の高層ビルの中にある、荘厳な雰囲気の建物をぜひ眺めてみましょう。トレードマークであるライオンの像が、正面玄関前にあります。【美術館のような館内】館内の天井は高く、まるで美術館か博物館のようになっていて、雰囲気をゆっくり楽しむことができる場所です。また館内のツアーもあります。

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ミルドレッド・グロスマン
  • 図書館で書き留めているホリー・ゴライトリーの姿をみて、「僕」が学校時代のガリ勉の女の子のことを思い出した

ホリー・ゴライトリーが読んでいた本

「雷神鳥(サンダーバード)は南に」

「知られざるブラジル」

「ラテン・アメリカの政治精神」