本の紹介
孔明のヨメ。7 * 杜康潤
ストーリー紹介
三国志の英雄・劉備についに仕えることになった孔明の親友・徐庶。
直後、劉備を邪魔に思う蔡瑁の企みで絶体絶命に。
徐庶はこのピンチにどう立ち向かうのか!?
一方、孔明と妻・月英の荘園にも新たな危機が!!
杜康潤が描く新視点三国志4コマ第7巻!!
*memo*
孔明のヨメ。
杜康潤
蔡夫人 さいふじん
蔡瑁 さいぼう
- 蔡夫人の弟
- 劉表に一番近い重臣
- 中国後漢末期の武将
- 字は徳珪(「襄陽記」)
- 荊州襄陽郡の人
- 父は蔡諷
- 長姉は黄承彦の妻
- 次姉は劉表の後妻(本書では蔡夫人のこと。側室だったが、本妻が亡くなった後、実質の妻)
- 姪は劉琮の妻
劉琮 りゅうそう
- 本書では登場してない
劉表 りゅうひょう
- 学問と平和を愛する荊州のトップ 刺史(しし)
- 劉刺史と呼ばれる
- 漢安元年(142年)~建安13年(208年)8月 享年67
- 中国後漢末期の政治家・儒学者
- 字は景升(けいしょう)
- 兗州山陽郡高平県の人
-
前漢の景帝の第4子の魯恭王劉余の第6子の郁桹侯劉驕の子孫。
劉備 りゅうび
趙子龍 ちょうしりゅう
- ?~ 229年
- 中国後漢末期から三国時代の蜀漢にかけての将軍
- 字は子龍(しりゅう)
- 冀州常山郡真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の人
- 封号は永昌亭侯
- 諡は順平侯
- 子は趙統・趙広
- 父と兄の名は不詳
- 本書では劉備の護衛
徐庶 じょしょ
- ? -~234年?
- 中国後漢末期から三国時代の魏にかけての武将・政治家
- 字は元直(げんちょく)
- 元の名は福であり、単家(たんか、あるいはぜんかと読み、権勢のない家柄、或いは寒門の意味)の出身である
- 豫州潁川郡長社県(現在の河南省許昌市周辺)の出身
- 本書では友人といることが多いので、兄貴分なので徐兄と呼ばれていることが多い
- 孔明の学友
的盧 てきろ
- 額に白い模様を有する馬、あるいはその模様
- 額の白い模様が口に入り歯に達しているものを「楡雁」またの名を「馰顙」、「的盧」といい、しもべが乗れば客死し、主が乗れば刑死するという凶馬である
- この特徴を備えたものとして劉備の乗馬が知られる他、東晋の庾亮も的盧のある馬に乗ったとされ、南朝梁・呉均の詩『行路難』にも「青驪白駮的盧馬」という句がみえる。
諸葛亮 しょかつりょう
- 181年 ~234年
- 中国後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍師
- 字は孔明(こうめい)
- 司隷校尉諸葛豊の子孫
- 泰山郡丞諸葛珪の子
- 諡は忠武侯(ちゅうぶこう)
- 妻は黄夫人(黄月英のこと)
- 子は蜀漢に仕え綿竹(成都付近)で戦死した諸葛瞻
-
親族として従父(叔父)の豫章太守諸葛玄、同母兄で呉に仕えた諸葛瑾とその息子の諸葛恪、同母弟で同じく蜀漢に仕えた諸葛均などが知られる。
-
一族には、魏に仕えた諸葛誕などがいる。
黄月英 こうげつえい
士元 しげん
関羽 かんう
- ? ~建安24年12月(220年1月)
- 中国後漢末期の将軍
- 字は雲長(うんちょう)
- 元の字は長生
- 司隷河東郡解県(現在の山西省運城市塩湖区解州鎮常平村)の人
- 子は関平・関興
- 孫は関統・関彝
- 後漢から贈られた封号は漢寿亭侯
- 諡が壮繆侯(または壮穆侯)だが、諡号は歴代王朝から多数贈られた
張飛 ちょうひ
- 生年不詳 ~章武元年(221年)6月
- 中国後漢末期から三国時代の蜀の将軍、政治家
- 字は益徳
- 幽州涿郡(現在の河北省涿州市)の人
- 封号は新亭侯、のち西郷侯
- 諡は桓侯
- 子は張苞・張紹・敬哀皇后張氏・張皇后
- 孫は張遵
黄承彦 こうしょうげん
- 生没年不詳
- 中国後漢末期の人物
- 妻は蔡氏
- 子は黄夫人(諸葛亮の妻)
- 義理の弟は劉表・蔡瑁。
- 『三国志』蜀書諸葛亮伝の註に引く「襄陽記」によると、河南郡の名士であったという。当時、隆中に住んでいた諸葛亮に「私の娘は顔こそ醜いが、才知は君にお似合いだ」と持ちかけ縁談を成功させ、娘を車に乗せて送り届けさせた。
妻は蔡瑁の姉であったという。 - 荊州に絶大な影響力を持つ黄家の当主
- 本書では、娘婿の孔明に自分の荘園を任せている
太公望 たいこうぼう
- 紀元前11世紀ごろの古代中国・周の軍師
- 後に斉の始祖
- 本書の黄月英や孔明たちの時代より、更に1300年くらい前の軍師
- 本書では、軍師の役職を与えられた徐兄こと元福(徐庶)が軍師と聞いて思いついた人物で登場
- 釣り好き
曹操 そうそう
- 永寿元年(155年)~建安25年1月23日(220年3月15日)
- 後漢末期の武将、政治家。詩人、兵法家としても業績を残した
- 字は孟徳(もうとく)
- 幼名は阿瞞、また吉利
- 沛国譙県(現在の安徽省亳州市、また河南省永城市という説もある)の出身
- 後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。
- 廟号は太祖
- 謚号は武皇帝。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれる。
- 本書では、北方の大勢力。天子と都を握る北の有力者で、現在、更に北へと勢力拡大中。
奉孝 ほうこう
- 郭 嘉(かくか)
- 170年 ~207年
- 中国後漢末期の武将・政治家
- 字は奉孝(ほうこう)
- 豫州潁川郡陽翟県(河南省禹州市)の人
- 子は郭奕
- 孫は郭深・郭敞(『世語』)
- 曾孫は郭猟。『三国志』魏志「程郭董劉蒋劉伝」に伝がある。
- 曹操に仕えた軍師の1人。曹操自らが軍師と認めた人物であり、重要な局面で数々の優れた献策を行なった。その覇業を大いに助けたが若死し、曹操に惜しまれた。
- 本書では、荊州に密かに策を仕掛けた張本人。
烏丸討伐 うがんとうばつ
- 袁家の残党と烏丸族連合軍
孫堅 そんけん
- 永寿元年(155年)または同2年(156年)~初平2年(191年)または同3年(192年)
- 中国後漢末期の武将
- 字は文台
- 揚州呉郡富春県の人
- 三国時代の呉を建国した孫権の父
- 廟号は始祖
- 諡は武烈皇帝
- 本書では、黄承彦が「月英の小さい頃は、襄陽でも賊がよく出たし、大きな戦いもあった」と娘に話すのを聞いて、孔明が孫堅との戦いのことだ・・・と思っているシーンにでてくる
曹操の禁酒令
曹仁 そうじん
- 建寧元年(168年)~黄初4年3月19日(223年5月6日)
- 中国後漢末期から三国時代の武将
- 字は子孝(しこう)
- 豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の人
- 父は曹熾(字は元盛、侍中・長水校尉)
- 従兄は曹操
- 弟は曹純
- 子は曹泰・曹楷・曹範ら
- 孫は曹初。『三国志』魏志「諸夏侯曹伝」に伝がある。
- 騎兵を率いて各地を転戦し、後には防衛司令官となり、晩年は大将軍・大司馬にまで昇った
雨師 うし
- 雨を降らせる神様
読みたくなった本