宿酔い(ふつかよい)
- 二日酔い(ふつかよい)
- 酒の酔いが翌日まで残り、はきけや頭痛・めまいなどがして気分の悪い状態
肺尖カタル
<時>夏
- ・・・向日葵があったりカンナが咲いていたりする。・・・
- 蚊帳
- 花火
<場>京都
中山寺の星下り
- 古来より八月九日に中山寺にお参りすると、西国三十三所観音霊場の全てに参拝したのと同じ功徳があると伝えられております。
- またこの日は、「四万六千日功徳日(しまんろくせんにちくどくび)」とも呼ばれ、この一日で一生分の参拝の功徳を得られるとされています。
- 数字の由来は所説ありますが、一説には、一升(いっしょう)の米粒の数が四万六千粒あり、「一升」と「一生」を掛け、四万六千日の参拝を一生分の参拝とする言い伝えがあります。
・・・さまざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき、鼠花火・・・
- 花火の種類
<場>・・・二条の方へ寺町を下がり、そこの果物屋・・・
驟雨(しゅうう)
- 驟雨(しゅうう, 英: rain showers)
- 対流性の雲から降る雨のこと。
- しゅう雨。
- 降水強度が急に変化し、降り始めや降り止みが突然で、空間的な雨の分布を見ても変化が大きく散発的であるのが特徴。特に、短時間で止むような一過性の驟雨をにわか雨という。
<場>鎰屋(かぎや)
- 当時あった喫茶店
- 今はない
「売柑者之言(ばいかんしゃのげん)」
- みかん売りの言葉
- 『誠意伯文集』・『古文観止』の「売柑者言」のことかな
「売柑者言」(ばいかんしゃのげん)
- 明の劉基の作。
- 『古文観止』に収録。
- 役人の不正を正す商売人の話
- 洗練された比喩による風刺
『誠意伯文集』
- 『誠意伯劉文成公文集』 (20巻)
- 劉基(りゅうき)
『古文観止』
- 『古文観止』(こぶんかんし)
- 清の呉乗権(字は子輿、号は楚材)と兄の子の呉大職(字は調侯)が作った散文選集。
- 作成の目的は「蒙を正して養い後学に裨益する」ためだという。
- 家塾の訓蒙読本として清以来最も流行った散文選集の1つ
劉基(りゅうき)
- [生]至大4(1311)
- [没]洪武8(1375)
- 中国,元末明初の文学者,政治家。青田 (浙江省) の人。
- 字,伯温(はくうん)。
- 至順4 (1333) 年進士に及第,初め元に仕えたが,のち朱元璋 (のちの洪武帝) のもとに投じ,明の建国に大きな功績をあげた。
- 明初,多くの粛清が行われたなかで,一貫して洪武帝の厚い信任を受け,誠意伯の号をもらった。
- のち丞相の李善長,胡惟庸らと合わず,洪武4 (71) 年辞職して故郷に帰り,そこで没した。胡惟庸に毒殺されたともいう。
- 博学で天文,数学などにも詳しく,詩文にすぐれ,文は宋濂 (そうれん) に次ぎ,詩は高啓に次ぐといわれた。著書『郁離子』『春秋明経』など。詩文とともに『誠意伯劉文成公文集』 (20巻) に収める。
- 羅貫中は劉基をモデルに三国志演義の諸葛亮を描いたという話もある
<場>丸善
- 画集に檸檬をおいてきた
<場>京極へ
羅貫中(らかんちゅう)
- 羅貫中(らかんちゅう、簡体字: 罗贯中、生没年不明)
- 中国の元末・明初の作家。
- 『三国志演義』、『三遂平妖伝』、『残唐五代史演義』、『隋唐両朝志話』など数種の通俗白話小説の編者とされる。
- 山西太原の人とされるが(『録鬼簿続編』)、山東東原の人とも言い(『三国志演義』蒋大器序など)、また浙江杭州の人とも言う(『七修類稿』)。施耐庵の弟子だというが、施耐庵関係の史料の信憑性が著しく低いことから疑問視されている。
- 諱は本。貫中は字(『続文献通考』は諱を貫、字を本中とする)。
- 号は湖海散人。
- 四大奇書とされる『三国志演義』、『水滸伝』を「編した」とされる(『七修類稿』は「もともと原作があって、それをまとめたので『編した』というのだ」と説明する。
- 『施耐庵墓志』では、施耐庵の原作を羅貫中がまとめたものだとしているが、疑わしい)。
- 『西湖遊覧志余』には「小説数十種を編撰した」とあるが、現在、羅貫中が編者であることが確認できるのは数種である。
- また、同じく『西湖遊覧志余』によれば、通俗小説などという俗悪なものを書いたため、子孫三代が唖となったなどと悪評をたてられたという。
- 賈仲明の『録鬼簿続編』では「戯曲を数十曲書いたが、人付き合いの悪い性格で、最後には行方不明になってしまった」と書かれている。
- 清代の俗説(『塔影園集』、『徐鈵所絵水滸一百単八将図題跋』)では、元末の混乱時に張士誠に仕えたとされ、「(『三国志演義』の)赤壁の戦いの描写は、朱元璋と陳友諒の鄱陽湖の戦いをモデルにしていた」と言われる。しかし、彼に関する資料がとても少ないため、「三国志演義は、多くの講談師達が羅貫中の名を借りて出版した」という説もある。