Corona Borealis

*読書*

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はじめまして。

ようこそいらっしゃいました。

本棚 明治・妖モダン (朝日文庫) 文庫 – 2017/7/7 畠中 恵

 

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I found a book that I want to read.

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明治・妖モダン

(朝日文庫) 文庫 

2017/7/7

畠中 恵

 

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本と作家のリスト
 

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainしゃばけ 畠中 恵

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainまんまのこと 畠中 恵

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plainアイスクリン強し 畠中 恵

f:id:coronaborealis:20170710085409g:plain明治・金色キタン 畠中 恵

 

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映像リスト

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memo

第一話 煉瓦街の雨

 明治時代

銀座の煉瓦街

 
1880年代の銀座煉瓦街
  • 1872年(明治5年)2月、皇居和田倉門付近から出火し、銀座、築地一帯の約95ヘクタールを焼く大火が起こった。当時の鉄道の起点で、東京の表玄関である新橋に近いこともあり、政府は西洋流の不燃都市の建設を目指した。同年3月には東京府により、焼失地域は道路を広げ、煉瓦家屋で再建するので、新築を差し控えるよう布告が出された。東京府は3月22日に、地券を発行して全焼失地域を買収し、区画整理を行った後、旧地主に旧値段で払い下げることを布告。地券を発行したが、土地評価の問題のため、買収は順調には進行しなかった。

    事業は大蔵省の監督下で東京府が進める予定であったが、府知事由利公正が途中から岩倉使節団に加わることになったこともあり、大蔵省建設局(中心は大蔵卿代理の井上馨)を中心に進めることになった。建設方法は官営(大蔵省建設局が直営施工で建築し、希望者に払い下げる。また、建築主が費用を負担し、建設局に設計施工を依頼するケースもあった。)で、設計はお雇い外国人ウォートルスが担当した。また、自営(民間が自費で建てる)も認められた

    同年8月から着工し、1873年明治6年)のうちには拡幅された大通り沿いに洋風2階建の街並みが出来上がった。ロンドンリージェント・ストリートがモデルになったと言われている

    府は完成した第1次工事に関して建物の払い下げを開始したが、市民には金額が大きく、申込みは少なかった。このため、納入に猶予を認めることとしたが、この結果、建設資金の回収が不可能となった。第1次工事から除外された地域では煉瓦街は建築されず、道路と堀割等の工事に限定されることとなった。しかし、それも住民の反対に遭い、木挽町より東の工事は放棄された。最終的に1877年明治10年)までかかって煉瓦街の計画は完了したとされた。

    煉瓦街と言っても外壁は漆喰などで仕上げられたものが大部分で、赤煉瓦の街並みだった訳ではない。また、1階が煉瓦造、2階が木造という建物もあった。

 

 
1905年頃の銀座煉瓦街
天水桶(てんすいおけ)

 
東京浅草寺の天水桶
伊勢(いせ)
  • “騙しの伊勢”
原田(はらだ)の旦那
  • 巡査
  • 士族の出

滝(たき)の旦那

  • 巡査
  • 原田の同僚
  • どこぞの殿様の御落胤のような風貌
  • 東京出身、古いだけが自慢の家

長太(ちょうた)

  • 16歳
  • 滝に捕獲されたかっぱらいの少年

銀座4丁目 巡査派出所

  • 朝野新聞社と綿・フランネル売店にはさなれた銀座4丁目の交差点角地の日本家屋
  • 鉄道馬車の線路を挟んだ向かいが、毎日新聞社と中央新聞社

銀座4丁目

 
銀座四丁目交差点。左が和光本館、右が銀座三越(2012年)

江戸時代から20年後

明治5年の大火

貧民窟(ひんみんくつ)

銀座3丁目・牛鍋屋「百木屋(ももきや)」

百木賢一(ももきけんいち)

  • 牛鍋屋「百木屋(ももきや)」の主
  • 呼び名 百賢(ももけん)
  • 大男

百木みなも

  • 百木賢一の妹
  • 女学生

お高(たか)

  • 「百木屋(ももきや)」の常連
  • 三味線の師匠
  • 近所に住む色っぽい後家

赤手(あかて)

  • 「百木屋(ももきや)」の常連
  • 煙草を商う
  • 笑みを絶やさない粋な男
  • みなも目当て

下谷(しもや)

  • 「百木屋(ももきや)」の常連
  • 40に手が届いた男
  • みなも目当て
  • 銀座で待合茶屋をもっている
  • 貧民窟の残飯売りで身を建てた
  • 胡散臭い

木島(きじま)

  • 「百木屋(ももきや)」の常連
  • 大男
  • 下谷(しもや)の用心棒
  • 気が短い

鎌鼬(かまいたち)

  • 鎌鼬かまいたち)は、日本に伝えられる妖怪、もしくはそれが起こすとされた怪異である。つむじ風に乗って現われて人を切りつける。これに出遭った人は刃物で切られたような鋭い傷を受けるが、痛みはなく、傷からは血も出ないともされる

    別物であるがを媒介とする点から江戸時代の書物では中国窮奇(きゅうき)と同一視されており、窮奇の訓読みとして「かまいたち」が採用されていた。

  • 由来 かまいたち」という語は「構え太刀」(かまえたち)の訛りであるとも考えられている。「いたち」という語から江戸時代中期以後、鳥山石燕の『画図百鬼夜行など(図を参照)に見られるようにのようなをもったイタチの姿をした妖怪として絵画にも描かれるようになり、今日に定着している。

 
鳥山石燕画図百鬼夜行』(1776年)より「窮奇」(かまいたち
 
歌川豊広『浮牡丹全伝』(1809年)より「窮奇図」
 
竜斎閑人正澄 画『狂歌百物語』(1853年)より「鎌鼬
  • 鎌鼬の伝承 

    人を切って傷つけると考えられた風は、中部近畿地方など全国に伝えられており、特に雪深い地方にその言い伝えが多い。各地に伝承されるかまいたちは、現象自体は同じだが正体についても説明は一様ではなく、また、つむじ風そのものを「かまいたち」と呼ぶ地方も数多くある東北地方ではかまいたちによる傷を負った際には、古い暦を黒焼きにして傷口につけると治るともいわれた

    和歌山県では、路上で誤って転倒するなどして傷を負ったとき、その傷口が鎌で切ったような形状をしていた場合、かまいたちのしわざであるとされていた奈良県吉野郡地方では、かまいたちに噛まれると人は転倒してしまい傷口が開くが血は出ないという。かまいたちは人間の目に見えないとされており、形は定かではない。

  • 悪神による かまいたち

    信越地方では、かまいたちは悪神の仕業であるといい、(こよみ)を踏んだりするとこの災いに会うという俗信がある。越後のかまいたちは、越後七不思議の一つにも数えられている(異同もあり、七不思議に含まれない場合もある)。また、飛騨丹生川流域でも神によるものと考えられており、その悪神は3人連れで、最初の神が人を倒し、次の神が刃物で切り、三番目の神が薬をつけていくため出血がなく、また痛まないのだと言われていた

  • 飯綱による かまいたち

    愛知県東部では飯綱(いづな)とも呼ばれ、かつて飯綱使いが弟子に飯綱の封じ方を教えなかったため、逃げた飯綱が生き血を吸うために旋風に乗って人を襲うのだというかまいたちによる傷で出血がないのは、血を吸われたためともいう

  • 野鎌

    高知県などではかまいたちのような現象は「野鎌(のがま)に切られる」と呼ばれる。野鎌は葬式の際に墓場で使われたまま放置された草切り鎌がなる妖怪だとされている。徳島県祖谷地方では、葬式の穴堀などに使った鎌やは墓場に7日間置いてから持って帰らないと野鎌に化けるといい、野鎌に遭った際には「仏の左の下のおみあしの下の、くろたけの刈り株なり、痛うはなかれ、はやくろうたが、生え来さる」と呪文を唱えるという

  • その他

    新潟県三島郡片貝町では鎌切坂(かまきりざか 蟷螂坂とも書かれる)という坂道で転ぶと鎌で切ったような傷ができ黒い血が流れて苦しむという。かつてそこに住んでいた巨大なカマキリが大雪で圧死して以来、そのようなことが起こるようになった、と伝えられている

    偽書とされる『上記ウエツフミ)』という文書には、その起源が豊国文字で書かれている。 弥生時代の第38代ウガヤフキアエズの命の御世に、新潟県の頚城辺りにロシア人が来襲し、日向軍に成敗されたが、このときに起きた怪現象を「鎌柄太刀(かまえたち)」と呼んだ。 この怪現象とは、地震のあと、地面から稲光りする鎌と太刀のようなものが噴出して、ロシア人の大軍を切り殺したものである。 当時から「大神のお陰であろう」ということで原因は不明であったが、日向軍に犠牲者は出なかった。 この怪現象にちなんで、「(ロシア人の首を切ったので)頚城という」とある。( 『上記』宗像本第31綴第25章)

    神奈川県では鎌風(かまかぜ)、静岡県では悪禅師の風(あくぜんじのかぜ)と呼ばれる。

    西国では風鎌(かざかま)といって人の肌を削ぐものだといい、削がれたばかりのときには痛みがないが、しばらくしてから耐え難い痛みと出血を生じ、古い暦を懐に入れるとこれを防ぐことができるという

    また野外ではなく屋内での体験談もあり、江戸の四谷で便所で用を足そうとした女性や、牛込で下駄を履こうとしていた男性がかまいたちに遭った話もある青梅では、ある女が恋人を別の女に奪われ、怨みをこめて自分の髪を切ったところ、その髪がかまいたちとなって恋敵の首をばっさり切り落としたという話がある

小股の切れ上がった

  • 主として女性の、すらりとして粋なさま。きりりとして小粋な婦人の容姿形容
    ※洒落本・後編風俗通(1775)「其容首筋少ぬき出、胴短く裾長に、腰細く小脵(コマタ)切れ上り、背は少こごみめにて、腰より末は反りたる」
    五重塔(1891‐92)〈幸田露伴〉二五「紺の腹掛頸筋に喰ひ込むやうなを懸けて小胯(コマタ)の切り上(ア)がった股引いなせに」
    [語誌](1)西鶴の「本朝二十不孝」に、背丈の高い形容として「徒俣(すまた)切れあがりて」という表現があり、これとの関連などから、背丈のすらりとしている形容とする説が有力である。安永頃の流行語であったらしい。普通、女性についていうが、挙例の「五重塔」にも見えるように男性にいうこともあった。
    (2)「小股」については「小」を接頭語とするほかに、「下腹部の左右を上に走る二つの鼠蹊線」とするなど、身体のさまざまな部位になぞらえる説もある。

    出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

小股とはどこか

  • 「小股」が躰のどの部分をさすのか、何をさすのかには諸説あります。

    ①うなじ 

    ②切れ長な目

    ③股の付近

    ④脛(すね)から、膝頭までの部分

    ⑤足首のアキレス腱の部分

    ⑥足の親指と人差し指の間

    江戸のころも現在も女性の好みは人それぞれです。女性に一番魅力を感じるところも人それぞれで、「小股」には多くの解釈があるようです。


羅宇屋(らうや)
  • 〈らう〉は煙管(きせる)の火皿と吸口の間をつなぐ竹管で,インドシナ半島ラオス産黒斑竹を用いたのがこの名の起こりという。江戸時代に喫煙が流行するとともに,三都などで〈らう〉のすげかえを行う羅宇屋が生まれた

 

大言人(だいげんにん)
大言(だいげん)
  • [名](スル)《「だいげん」とも》
    1 物事を誇張していうこと。えらぶって大きいことを言うこと。また、その言葉。高言。「大言を吐く」
    2 りっぱな言葉。堂々とした言葉。

    出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

京橋警察署

みなもの妹

濡女(ぬれおんな)

  • 濡女(ぬれおんな)は、日本妖怪の一つで、「ヌレヨメジョ」の名でも知られる海の怪異。多くは人間を喰うと伝えられるが、形状も性質も一様ではない。

 
佐脇嵩之『百怪図巻』より「ぬれ女」
 
鳥山石燕画図百鬼夜行』より「濡女」
第二話 赤手の拾い子

赤手(あかて)

  • 「百木屋(ももきや)」の常連
  • 煙草を商う
  • 笑みを絶やさない粋な男
  • みなも目当て
原田(はらだ)の旦那
  • 巡査
  • 士族の出
  • シウクリームが好き
  • 舶来品が嫌い

滝(たき)の旦那

  • 巡査
  • 原田の同僚
  • どこぞの殿様の御落胤のような風貌
  • 東京出身、古いだけが自慢の家

おきめちゃん

  • 赤手が見つけた迷子
  • ダイヤモンドを5つもっていた
  • 器量よし
  • 急に成長する

百木屋

  • 牛鍋屋

百賢(ももけん)

みずは

  • 百賢の妹
  • 行方不明のみなもの妹

丸加根(まるかね)

  • おきめの父親と名のる男
  • 深川で金貸しをしている
  • 大男でごつい男

鬼女(きじょ)

  • 鬼女(きじょ)は、日本伝承における女性
  • 一般には人間の女性が宿業や怨念によって鬼と化したものとされ、中でも若い女性を鬼女といい、老婆姿のものを鬼婆という。日本の古典物語昔話伝説芸能などによく見られ、有名なものには信州戸隠鬼無里(現・長野県長野市)の紅葉伝説鈴鹿山鈴鹿御前がある

    安達ヶ原の鬼婆(黒塚)も名前は婆だが、鬼女とされる。また土佐国(現・高知県)の妖怪譚を綴った『土佐お化け草紙』(作者不詳)には「鬼女」と題し、身長7尺5寸(約230センチメートル)、髪の長さ4尺8寸(約150センチメートル)の鬼女が妊婦の胎児を喰らったという話があるが、これは本来福島県の発祥である安達ヶ原の鬼婆伝説が土佐に伝わり、地元の話と共に語り継がれたものである

    転じて、鬼のように心の酷い女性も鬼女と呼称される

第三話 妖新聞

原田(はらだ)の旦那
  • 巡査
  • 士族の出
  • シウクリームが好き
  • 舶来品が嫌い

滝(たき)の旦那

  • 巡査
  • 原田の同僚
  • どこぞの殿様の御落胤のような風貌
  • 東京出身、古いだけが自慢の家

百木屋

  • 牛鍋屋

ちろり

原田靖子(はらだやすこ)

  • 原田の妻
  • 上司の仲立ちで妻を迎えた
  • 来年には初めての子が産まれる

お高(たか)

  • 「百木屋(ももきや)」の常連
  • 三味線の師匠
  • 近所に住む色っぽい後家

赤手(あかて)

  • 「百木屋(ももきや)」の常連
  • 煙草を商う
  • 笑みを絶やさない粋な男
  • みなも目当て
  • 若い

みずは

  • 百賢の妹
  • 行方不明のみなもの妹
  • 女学生

百木賢一(ももきけんいち)

  • 牛鍋屋「百木屋(ももきや)」の主
  • 呼び名 百賢(ももけん)
  • 大男

高良田(たからだ)

  • 多報(たほう)新聞に勤めている
  • 三十路に見える男

妖絡みの記事

芝区の愛宕山(あたごやま)

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愛宕山より撮影した江戸のパノラマ(1865〜1866年頃、フェリックス・ベアト撮影)。愛宕山の東一帯は愛宕ノ下と呼ばれていた。奥の広い緑地が現在の浜離宮恩賜庭園で、その右には江戸湾を臨むことができた。築地本願寺台場なども見える。
江戸橋近くの河畔
江戸橋

  • 歴史 

    17世紀に大船町(後に本船町)と本材木町の間の日本橋川に架けられた。当初の位置は現在より下流にあり、すぐ東脇を楓川が縦貫していた。1632年寛永9年)成立の『武州豊嶋郡江戸庄図』では写本によって江戸橋が描かれているものといないものがあり、創架年代を1631年寛永8年)頃とする説と、次に登場する『正保年間江戸大絵図』までの間とする説がある。橋名の由来は、隣の日本橋との連想から命名されたとする説の外、都市化以前の江戸中心部が この周辺だったのではないかと推測する説がある

    橋の下は漁船や乗合の舟が集まり、南側には船宿があった他、隅田川の舟遊びのための屋形船なども停泊していた。南西側は木更津河岸と呼ばれ、江戸と上総国木更津を行き来する木更津船が発着した。南詰には明暦の大火後防火のため江戸橋広小路が設けられ、賑わった。

    1875年5月に石橋に1901年には鉄橋へ改架されている。 1927年昭和2年昭和通り開通に伴い現在地に架け直された。

 
 
名所江戸百景』「日本橋江戸ばし」 作品名は日本橋から江戸橋を望むの意
<食> 記者の高良田のおみやげのワッフルス
  • ワッフル

若い菓子職人

  • 以前新聞社が仕事で、菓子職人と縁をつくった
  • 某家のパーティー用に西洋菓子を作るときいたので、高良田はいくつか多めに作ってもらった
  • 「若様」シリーズのミナこと皆川真次郎かもですね。明言されていません。

金平(かねひら)とお子

  • 亡くなった死体の身元
  • 京橋にある袋物屋の娘
  • 16歳

大町惣兵衛(おおまちそうべえ)

  • 亡くなった死体の身元
  • 神田の隠居

川上重十郎(かわかみしげじゅうろう)

  • 亡くなった死体の身元
  • 本所で、一帯の顔役のようなことをしていた

松木実夜(まつきみや)

  • 老女
  • 京橋近くに一人暮らし
  • 元は三味線など」を教えていた

中村太助(なかむらたすけ)

  • 若い深川の職人
  • 放蕩者

第一国立銀行

鎧橋

Yoroibashi 01.JPG

鎧橋、左岸側より。橋の向こうは東京証券取引所
 
名所江戸百景』のうち「鎧の渡し小網町」 歌川広重
  • 原田巡査が渡った鎧橋は、架け替えられる前のもの

 
ライトアップされた永代橋(2008年11月)。
笹熊(ささくま)
  • 遺体で発見

第四話 覚り 覚られ

銀座3丁目・牛鍋屋「百木屋(ももきや)」

百木賢一(ももきけんいち)

  • 牛鍋屋「百木屋(ももきや)」の主
  • 呼び名 百賢(ももけん)
  • 大男
原田(はらだ)の旦那
  • 巡査
  • 士族の出
  • 人間の方の原田は死んだ
  • 鎌鼬
  • 人間の方の原田には、身重の靖子という妻がいる。来年出産予定

滝(たき)の旦那

  • 巡査
  • 原田の同僚
  • どこぞの殿様の御落胤のような風貌
  • 東京出身、古いだけが自慢の家

赤手(あかて)

  • 「百木屋(ももきや)」の常連
  • 煙草を商う
  • 笑みを絶やさない粋な男
  • みなも目当て
  • 若い

お高(たか)

  • 「百木屋(ももきや)」の常連
  • 三味線の師匠
  • 近所に住む色っぽい後家

壮士(そうし)

 
壮士の一例
青山
  • 原田と滝が、百木屋に運んできた気絶した壮士の男
  • 免許代言人(だいげんにん)・・・紋付羽織
  • 『さとり』のこと
代言人(だいげんにん)
  • 江戸時代において、庶民の民事訴訟に介入して礼金をとる公事(くじ)師があり、弊害があったので幕府はこれを禁止した。1872年(明治5)8月にフランス法の影響の下に制定された司法職務定制は民事の代言人について規定した。代言人は形式的には弁護士の前身といえるが、当時の代言人は公事師の名残(なごり)を多分に有し、士族が代言人になるのは不名誉だと考えられた。しかし法律研究会を設けて正しい代言人の養成に努力した者もいる。1876年に代言人規則が制定されて、この規則によって免許を得た者以外は代言が許されなかった。代言人の社会的地位を向上させたのは、78年に司法省付属代言人になった星亨(とおる)である。82年施行の治罪法刑事弁護人が正式に認められた。1893年弁護士法の制定とともに、代言人の制は廃止された。
  • 紋付羽織に帽子をかぶりステッキ姿
  • 免許代言
  • 三百代言人・・・資格なしで、安い料金(三百文)で引き受け詭弁をろうする。

さとり

 
鳥山石燕今昔画図続百鬼』より「覚」
  • 『今昔画図続百鬼』には以下のように、飛騨美濃(後の岐阜県)の山奥に、人間の心を見透かす妖怪「覚」が住むと述べられている。

    飛騨美濃の深山にかくあり 山人呼んで覚と名づく

    色黒く毛長くして よく人のことをなし よく人のこころを察す あへて人の害をなさず

    人これを殺さんとすれば、先そのこころをさとりてにげ去と云[1]

    挿絵にある妖怪画は、江戸時代の類書和漢三才図会』にあるやまこをモデルにしたものと見られている。「玃」は本来は中国の伝承上の動物であり、人の心を読むという伝承はないが、『和漢三才図会』では人の心を読むといわれる飛騨・美濃の妖怪「黒ん坊くろんぼう」を挙げ「思うに、これは玃の属だろうか」と述べている。『今昔画図続百鬼』にも、「覚」が人の心を読むという記述があるが、これは「黒ん坊」の記述を引いたものと見られている

    「玃」を「かく」とも読むことから、より簡単な漢字である「覚」が代字として用いられ、この「覚」が訓字で「さとり」と誤読されたことから、「玃」とは別種の「覚」という妖怪の伝承が生まれた、との解釈もある

    また、『今昔画図続百鬼』や『百怪図巻』などの妖怪画集に見られる妖怪「山彦」は玃がモデルとの説があるが、民俗学者柳田國男は自著書『妖怪談義』において、覚が人の心を読むという昔話と、山彦が人の声を真似るという伝承を同根のものとしている

伊勢(いせ)
  • “騙しの伊勢” 二つ名

帝国議会 議員選挙

柏田(かしわだ)

  • 青山の依頼人で、昔からの知り合い
  • 知り合いが本物の『さちり』かどうか見極めたい

長太(ちょうた)

  • 16歳
  • 滝に捕獲されたかっぱらいの少年

魚心あれば水心

  • 《魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心がある意から》相手が好意を示せば、自分も相手に好意を示す気になる。相手の出方しだいでこちらの応じ方が決まること。水心あれば魚心。

第五話 花乃が死ぬまで

不惑(ふわく)

伊沢花乃(いざわはなの)

  • 40歳ごろ・・・42歳
  • 面差しの美しい女性
  • 災難続き

滝駿之介(たきしゅんのすけ)

  • 滝(たき)の旦那
  • 巡査
  • 原田の同僚
  • どこぞの殿様の御落胤のような風貌
  • 東京出身、古いだけが自慢の家
  • 20歳半ば
  • 神田の出で江戸っ子なので、気が短い

 辰次郎(たつじろう)

  • 伊沢花乃の風呂敷包みをひったくった髭面の男
  • 滝巡査に手棒を投げつけられた

沽券(こけん)

  • 沽券 (こけん)は、近世日本において、家屋敷の売渡しを証する書面をいう。沽券状とも。

    町役人五人組が立会いのもとで土地の売買が行われ、契約書である沽券が作成されたので、沽券は土地権利証としても機能した。契約書であるため土地の明細の他に売買代金も記載され、土地の価値を証明するものとされ、これから転じて「沽券に関わる」という慣用句が生じた。当時、火災が多発し家屋がしばしば消失したため、沽券に家屋の情報は記載されなかった。

    土地を担保にする場合も、町役人・五人組が契約に立ち合い、町役人が担保物件の沽券を完済まで預かった。

    売買契約書であるため町割りから一度も売買が行われていない土地には沽券が存在しない。また江戸開府にまでさかのぼる地主は「草分け地主」とよばれた。

原田(はらだ)の旦那
  • 巡査
  • 士族の出
  • 人間の方の原田は死んだ
  • 鎌鼬
  • 人間の方の原田には、身重の靖子という妻がいる。来年出産予定

伊沢花乃(いざわはなの)の知り合いの滝駿之介(たきしゅんのすけ)

  • 江戸時代、伊沢花乃が15歳のころすきだった人
  • 二親がなく、継ぐ家もなく、親戚もおらず、お金もない若者
  • 蘭学塾の塾生

嘉永6年

  • 浦賀に黒船来航 4隻
安政2年

井沢(いざわ)

  • 伊沢花乃の3度目の夫で20年連れ添った

銀座3丁目・牛鍋屋「百木屋(ももきや)」

  • 味噌味の牛肉

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百木賢一(ももきけんいち)

  • 牛鍋屋「百木屋(ももきや)」の主
  • 呼び名 百賢(ももけん)
  • 大男

赤手(あかて)

  • 「百木屋(ももきや)」の常連
  • 煙草を商う
  • 笑みを絶やさない粋な男
  • みなも目当て
  • 若い

お高(たか)

  • 「百木屋(ももきや)」の常連
  • 三味線の師匠
  • 近所に住む色っぽい後家
  • さとり

 明治20年  1887年

百木みずは

  • 百賢の妹
  • 行方不明のみなもの妹
  • 女学生

伊沢花乃の自称親戚たち

  • 辰次郎・・・伊沢花乃の2度目の亭主の末息子

遺言書

  • 明治政府 民法でさだめる動き

遺言

  • すでに養老令(ようろうりょう)(718)に「存日処分」として、遺言処分が認められていたが、中世においては、生前に処分状を作成し財産分けをするのが普通で、遺言処分は例外になった。封建時代には、武士階級と庶民とでは事情が異なっていた。すなわち、武士はその主たる財産を主君から封禄(ほうろく)として受けている関係で、これを自由に処分することはできなかったので、遺言は、まったく私的な財産についてわずかに行われたにすぎなかった。これに対して、庶民の間では遺言相続がむしろ原則となり、その内容も財産の分配のみにとどまらず、相続人の指定、後見人の指定にまで及んだ。これらは書置(かきおき)、譲状(ゆずりじょう)などとよばれ、普通は自筆・捺印(なついん)のうえ五人組などが加判(かはん)し、町内に寄託された。このように庶民の間で広く行われた遺言の慣行も、明治時代に入ると急速に衰え、諸外国と比べて遺言の行われることが比較的少なかった。現行民法では、遺言に関する事項は「相続編」の3分の1以上を占め(民法960条~1027条)、その内容において改正の影響がもっとも少ない部分である。

尾羽うち枯らす(おはうちからす)

  • 《鷹(たか)の尾羽が傷ついてみすぼらしくなるところから》落ちぶれて、みすぼらしい姿になる。尾羽うち枯れる。「失業して―・した姿」

素封家(そほうか)

  • 大金持ち。財産家。

素封(そほう)

  • 《「史記」貨殖伝から。「」はむなしい、「」は領土》位や領土はないが、諸侯に匹敵するを持っていること。また、その人。大金持ち。

解説

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