- 「華竜の宮」の世界観
華竜の宮(上) (ハヤカワ文庫JA) (日本語) 文庫 – 2012/11/9
上田 早夕里
華竜の宮(下) (ハヤカワ文庫JA) (日本語) 文庫 – 2012/11/9
上田 早夕里
魚舟・獣舟 (光文社文庫) (日本語) 文庫 – 2009/1/8
上田 早夕里
- 「 幻のクロノメーター」
経度への挑戦―一秒にかけた四百年 (日本語) 単行本 – 1997/7/1
デーヴァ ソベル (著), Dava Sobel (原著), 藤井 留美 (翻訳)
経度への挑戦 (角川文庫) (日本語) 文庫 – 2010/6/25
デーヴァ・ソベル (著), 藤井 留美 (翻訳)
海時計職人ジョン・ハリソン―船旅を変えたひとりの男の物語 大型本 – 2005/2/1
ルイーズ ボーデン (著), エリック ブレグバッド (イラスト), Louise Borden (原著), Erik Blegvad (原著), 片岡 しのぶ (翻訳)
四大悲劇
オセロ
夏の夜の夢
物語詩
ヴィーナスとアドーニス
ソネット集
火星ダーク・バラード (日本語) 単行本 – 2003/11/1
上田 早夕里
火星ダーク・バラード (ハルキ文庫) (日本語) 文庫 – 2008/10/1
上田 早夕里
結晶銀河 (年刊日本SF傑作選) (創元SF文庫) (日本語) 文庫 – 2011/7/27
大森 望 (編集), 日下 三蔵 (編集)の中の「完全なる脳髄」 ⋆ 上田 早夕里
美月の残香 (光文社文庫) (日本語) 文庫 – 2008/4/10
上田早夕里 (著)
ゼウスの檻 (日本語) 単行本 – 2004/11/1
上田 早夕里 (著)
ラ・パティスリー (ハルキ文庫) (日本語) 文庫 – 2010/5/1
上田 早夕里
ショコラティエの勲章 (ハルキ文庫) (日本語) 文庫 – 2011/3/15
上田 早夕里 (著), 中村佑介 (イラスト)
「幻のクロノメーター」より
ガリレオ Blu-ray BOX
福山雅治 (出演), 柴咲コウ (出演)
リリエンタールの末裔
<場>丘
<人>チャム・エ・ハイノキ
- 12歳まであと1日
- 鉤腕(こんわん)がある
- タザの翼で飛ぶ・・・滑空して広場に降りる遊び
- 高地の民
鉤腕(こんわん)
- 背から伸びている腕とは違う、おまけのように背中に生えている<第二の腕>
- 鉤腕(こんわん)を2本も利用して生活するのが、この村の日常
- 鳥の脚そっくり
タザの翼
- タザの茎で骨組みを作り、薄くて丈夫な布を張った翼
- 鉤腕(こんわん)であやつり飛ぶ
<時>翌日
<場>叔母の家
<人>セラ・ドゥー
- チャムのいとこ
<人>叔母
<場>階段状に切り開かれた高台に、村長と<隠者>の住む管理所
<人>メギ村長
<人><隠者>
- 箱
- 祝いの儀式の質問
<人>書記
<場>麓の海上都市ノトゥン・フル
- 村は海上都市ノトゥン・フルと経済的に連携
<人>レオナルド・ダ・ヴィンチ
<人>ジョージ・ケイリー
- イギリスの工学者
- 「航空学の父」
- グライダー
<人>オットー・リリエンタール
- プロシア生まれ
- グライダー
大規模海面上昇(リ・クリテイシヤス)以前の文明
<人>ライト兄弟
- アメリカ
宇宙
大規模海面上昇(リ・クリテイシヤス)
- 地球環境への適応を優先
- 人類は遠い宇宙へ出ていくための技術を捨てた
汎アジア連合
- 東経80度、北緯10度から30度あたり
オセアニア共同体
- 人工藻礁(アートリーフ)に彩られた荒々しい外洋
- 巨大な生物船・・・魚舟(うおぶね)と呼ばれる生き物と共に暮らす海上民
汎アジア連合の最南端
- 大規模海面上昇(リ・クリテイシヤス)の影響で、かなりの土地が没している
- <新しい時代>に適応した<新しい人類>が大量に流入
<新しい時代>に適応した<新しい人類>
- 旧時代の人間とは、すでに体の構造が違う人々
- 副脳を持ち、常時ネットワークで人工知性体と結ばれ、情報の沃野(よくや)を自由に行き来しながら生きている
- 麓の海上都市ノトゥン・フル
沃野(よくや)
- 地味のよく肥えた平野
ハングライダーを買う・・・海上都市へ働く
海上都市ノトゥン・フルで使われている言葉
- 汎ア公用語
- 英語
- 村の言葉と全く違う
<時>3年間待ったが、就職の機会なし
- チャムは村のプラントで働きはじめた
- 貯金
<時>チャム18歳
- ノトゥン・フルの運送会社
アシスタント知性体
- 思考補助AI
- ワールドネットと常時接続し、ユーザーにあらえる情報を伝達する
- 維持費がかかる
- チャムの村では、個人所有者がいなかった
- 1台だけで共有・・・<隠者>のこと
- 都市の永住権を持つ住民は、子供の頃からアシスタント知性体を使いこなす
海上商人(ダックウィード)
手の甲のタグを機械にかざす
- チャムは海上都市ノトゥン・フルのどこへも出入りできる
- 一般施設のみ
- タグチェックして、入店できない店や施設がある
<人>チャムを助けてくれた壮年の男
- 高原の言葉
- 肌は桃色がかった薄い色
- 目が一瞬だけ青色に輝いた
- 身なりから出稼ぎ民
- 鉤腕(こんわん)持ち
露店
- タグチェックして、はじかれる者
- 出稼ぎ民が食事をする場所
自警団を名乗る者
- 出稼ぎ民に暴力をふるう
- ゴロツキ
- 本当の標的は、鉤腕(こんわん)持ちだけ
<食>お粥、ミルクと香辛料がたっぷり入った紅茶
<時>運送の仕事に慣れ、休日に社員寮の外へ出る余裕が生まれる用になったころ
<場>海上都市の最外縁部
- 海との接点に位置する公園にでかけた
- 公園は、花びら状の壁の内側に点在
- 滑空するハンドグライダーが見える場所
- グライダーが飛ぶのも見える
- ハンドグライダーもグライダーも金持ちのもの
チャムはハンドグライダーの販売店を探す
<場>《Shearwat》
- 古びた看板をあげた小さな店
- 数々の飛行機模型が並んでいる
- erがかすれて読めなくなってからは、シアウォートと呼ぶようになった
- 水薙鳥のこと
Shearwater
- シアウォーター
- 《鳥》ミズナギドリ、水凪鳥
- ミズナギドリ科ミズナギドリ属(Puffinus)の10数種類の中型の海鳥の総称
- 海面を低く飛んで魚を取る姿からshearwaterと名付けられた
<人>バタシュ
- 店員らしい中年の男・・・実は店長
- 肌はチャムよりも少し濃く、頬から顎にかけて無精ひげがはえたまま
- 頭髪は飴色、目の色は黒っぽい
- 半袖のシャツの胸元が半分くらいひらいたままで、ズボンは皺だらけ
- 40歳はこえているか?
- バタシュ・・・古い言葉で風という意味
- チャムが高地の民とわかっても、差別しない
ハングライダーの値段
- 最低20年は働かないとだめ
- ハングライダーは受注生産
海上都市に住む人間の名前
- ファーストネーム・生物学的な性別と性指向を表すミドルネーム・ラストネーム
オーニソプター
- 英: ornithopter
- 鳥やコウモリ・翼竜・昆虫のように翼を羽ばたかせる事によって飛ぶ航空機のことである
- 日本語では鳥型飛行機、羽ばたき式飛行機、はばたき機などと訳されることもある
<時>次の休日
<場>シアウォート
- バタシュに相談
- 鉤腕(こんわん)を利用したハングライダー
- 計測
チャムの先祖
- 海面上昇が始まった直後、何百年も前の話
- 先祖は、海面上昇以前から山岳地帯に住んでいた
- 今は、汎アジア連合に所属している土地ですが、ユーラシア大陸が戦争で混乱状態に陥った時、先祖は戦争を逃れるために国の外に出た
- 高い山々を伝うようにして東西に移動していく途中で、殺戮知性体に遭遇したグループは、全滅した
- 辛うじて逃げ切ったグループも、他国からの逃亡民と遭遇すると、諍いに巻き込まれることが多かった・・・食糧や居場所の確保をめぐって人間同士の殺戮になった
- 少しでも生き延びるために、先祖は更に南へ北へ散っていき、昔は人間がいなかったような山まで利用した
- 厳しい環境に耐えるために、大陸を渡る商人から新薬や分子機械を買い入れ、飲み続けた
- 高地の薄い空気、低い温度、風土病、乏しい食糧・・・体に化学物質を入れることで、それらの問題を乗り切ろうとした結果、人間の体に異変をもたらし、鉤腕(こんわん)が生えるようになった
- 先祖は、自分たちの『名』も捨てた・・・名前は特定の民族の証になり、他民族と遭遇しても出自がばれにくくするために
- メギとかハイノキとか、鉱山植物の名前を姓として使うようになった
- 先祖は背中の鉤腕(こんわん)を受け入れ、除外せず、日常的につかった、汎アジアができて、大陸内の政治が安定して、海面上昇が止まって高地に永住できる土地を見つけても、鉤腕(こんわん)を捨てなかった
殺戮知性体
- 国境を無断で超える難民を殺すために世界中の国が作り出した人工生命体
- 最初に命令されたプログラム通りに人間を殺し、その死体を動力源にして動き続ける
- 政府が作った兵器のひとつ
- チャムの村には資料がない
- 《隠者》もそれだけは見せてくれない・・・村長が、代々ロックをかけている
メギ
- 目木、学名:Berberis thunbergii DC.
- メギ科メギ属に分類される落葉低木の1種
- 別名が、「コトリトマラズ」と「ヨロイドオシ」
- 和名は茎を煎じて洗眼薬に利用されていたことに由来する
ハイノキ
- 灰の木、学名:Symplocos myrtacea
- ハイノキ科ハイノキ属の常緑小高木
ハナカマキリの擬態する遺伝子の話
- まったく擬態しない普通のコオロギの中に、ハナカマキリの擬態を出現させるのと同じ遺伝子配列が存在する
- コオロギのあるその配列『何か』で刺激すれば、花に擬態するコオロギというものを人工的に作れるそうです
ハナカマキリ
- 花螳螂、学名:Hymenopus coronatus
- 節足動物門昆虫綱カマキリ目ハナカマキリ科に属する昆虫
- 熱帯のラン科の花に集まると考えられていたことから、「ランハナカマキリ」(蘭花蟷螂)とも呼ばれる事がある
- 花に擬態して似ているのは、雌だけ
<時>2週間後
<場>シアウォート
- チャムのハングライダーの立体画像
- 急降下できるハングライダー
- ハヤブサ、ハイタカは自然界にはもういないが、ペットとして富裕層に人気
- ハヤブサ、ハイタカは、グライダーみたいな滑空が得意
- 10年の歳月で研究する
バタシュはの告白
- 以前、前の都市に居た時、ハンドグライダーの事故で客を一人殺している
- 設計ミスの疑いがかかったが、証拠不十分で起訴されなかった
- 原因不明
<時>チャム23歳
<人>オットー・リリエンタール
- Otto Lilienthal
- 1848年5月23日 - 1896年8月10日
- ドイツの初期航空工学(応用空気力学)発展に貢献した航空パイオニアの1人
- ユダヤ系ドイツ人
- およそ20年に及ぶ鳥の羽根による飛行を研究した上でジョージ・ケイリーによる考案のハンググライダーを実際に作り小高い丘から飛行する無数の試験を行い、その詳細な記録を採った事で知られる
- この事から事実上ジョージ・ケイリーが確立した実験手法を引き継いだ功績を持つ
- リリエンタールが滑空する様子を撮影した写真が雑誌や新聞に掲載され、飛行する機械が実用化される可能性について科学界や一般大衆へ認知させつつ好意的な考え方をするようになる下地を作ると共にライト兄弟が歩む道を開いた先駆者の一人
<時>11年の歳月 チャム29歳
- ハンドグライダーの費用を完済した
<場>陸側
- グライダーの練習場所
- バタシュと二人でフライトテスト
<場>ノトゥン・フルのハンドグライダークラブ
- ノトゥン・フルのハンドグライダークラブへの入会は、バタシュが渡りをつけてくれた
- 申請書と会費を納めるだけでなく、会長ピタ=モリスとの面接で合格しなければ、参加資格が得られない
<場>洒落たレストランの個室
- 面接
- 昼食
- 薄味で、味わったことのない香辛料の魚料理
- サフランのスープで煮た米と鶏肉
<人>会長ピタ=モリス
- チャムが想像してたよりも年嵩、50代後半に見えた
- タンデムでなく単独で、まだ空を飛んでいる
- 半年だけ、クラブの会員権を与える、混乱が起きそうなら、その時点ですぐに退会処分
- 高地出身者が飛ぶことで、さわぎがおこる可能性があるから
<場>ノトゥン・フルのハングライダー発進台
- 高層展望台に併設
- チャムの初飛行
- 着陸地は展望台の前の広場
昔、人類は月や火星まで行っていた
無人機なら、今でもそのあたりまで飛ばせるかも
チャム
- 店長を見ていたら、エンジニアを目指そうとおもうようになった
- 勉強ならはじめている
マグネフィオ
<人>薙野和也(なぎのかずや)
- 事故の夢を見る
人工神経細胞(AN)
過去の夢
<場>観光バス
<時>秋晴れ
<人>樫原修介(かしはらしゅうすけ)
- 会社の同僚
<人>樫原菜月(かしはらなつき)
- 会社の同僚
- 地味で控えめな女性
<時>過去 事故前
<人>和也
- 医療機器を販売する会社に勤めていた
- 営業部
- 樫原修介とは同期
<時>結婚式の日
- 樫原修介と菜月の結婚式
- 菜月は結婚退職
<時>二人の結婚式から2年ほどたったころ
<場>信州行きの社員旅行
- 落石事故
- 死者はでなかったが、乗客全員が大小の負傷
<時>次に目が覚めた時
<場>病院
和也の容態
修介の容態
- 完全に寝たきり状態
- 脳死ではない
- 回復の見込みは不明
和也、営業から事務職へ
- 障碍者を積極的に採用している部署
- 給料が下がる
- 日本語の意味を取り違える
- 聴覚を研ぎ澄まし、相手の心理や内面を知ろうと努力した
高次機能障害
- この頃には、人工神経細胞(AN)の移植で治るといわれていた
- 神経細胞の移植は、壊れた細胞の代わりに脳のネットワークを再結線する画期的な技術
- アメリカでは脳外傷法が、1996年に制定されて以来、次々とケアプロジェクトが発足し、人工神経細胞(AN)も実用段階に移行済み
- 日本では、厚生労働省の認可がまだ下りていなかった
- 治療のためには、渡航費が必要
人工神経細胞(AN)が日本で厚生労働省の認可がまだ下りない理由
- 人工神経細胞(AN)が無節操に増えれば脳内で癌化するので、分裂回数を制限したうえで移植されるが、その際に使われる薬剤やナノ技術が、日本では認可されていない種類のものだったから
和也
- 人工神経細胞(AN)の移植のための手術費を貯金
- 医療センターでリハビリにはげむ
修介
- 回復のみこみがないので、会社を退職
<時>事故から1年後
- 和也に菜月から電話
- 家にきてほしい
<場>菜月の自宅
- 居間は、ホームケア機器で埋め尽くされていた
ホームケアシステム
- 介護ロボットと共に、日本では、公共の施設より普及している最終ケア装置
- 自宅を医療所に変え、介護施設に変えていく機械
- レンタルで使用できる
菜月と寝たきりの俊介に必要なもの
- 修介の脳活動を記録する装置
- そのデーターを視覚化する装置
- その二つの設計と組み立てを行えるエンジニア
- 装置全体を制御するソフトウェアを書けるプログラマ
脳の活動を測定する方法
- 脳波計
- 脳磁計
<時>次世代型の優秀な脳波計の組み立てに1年かかった
<人>迫田(さこた)
- イタリア語: Millefiori
- ガラスの一種。金太郎飴のように模様が入っているガラス棒、およびそれを使用して作った製品のこと
- イタリア語の Millefiori は直訳すると「千の花」になる
修介の心
- マグネフィオの姿
- 記録する
- =脳の活動
- 和也には、立体化した動くロールシャッハ・カードのような異形の形をとって見えた
<時>1年ほどたったころ
- 和也が菜月を食事に誘った
- 後遺症のせいで物の形が正確に把握できないと、外では怖いので和也にとっても久しぶりの外食
<食>イタリアン
- 前菜
- パスタ
- 紙包みの豚肉料理
- パエリア・・・和也にはムール貝の殻と中身の区別がまったくつかないので、海老と貝の身を菜月が取り分けてくれた
- デザートは、バニラアイスクリームのエスプレッソがけ
- カフェラテ
人工神経細胞(AN)の移植が日本でもはじまった
マグネフィオのアイディア
- マグネフィオの仕組みは、実は菜月のものでない
- 磁性流体を使うという部分は、菜月のアイディア
- 基本は、修介が十代の頃に考えたもの
- 脳腫瘍で亡くなった実母が、末期には昏睡状態に陥っては、時々意識がもどることがあり、目が覚めた修介のお母さんは、楽しそうに夢の話をしてくれた。長い昏睡状態中の母親の内面を外部で目に見える形にする方法を考えた
- それで医療機器メーカーに就職した
和也、菜月に告白する
音信不通
<時>事故から6年目
- 人工神経細胞(AN)の移植が日本で認可された
- 修介は、治療対象者として、手術の権利を得た
- 和也も手術の許可が下りた
手術
- 1ヶ月の入院期間
- 手術後、すぐには大きな変化なし・・・相貌失認はそのまま、形状認識異常もそのまま
<時>3日後朝
- 巡回に来た看護婦の顔が見えた
- 鏡でみた自分の顔は、自分の知っている二十代半ばの顔ではなかった・・・長い障害期間により刻み込まれた、精神的な疲労と加齢
- 和也の脳は百パーセント回復
- バス旅行の事故の夢を頻繁にみるようになる
<時>ある日
- 菜月から突然メールがきた
- 修介の手術も成功した
- もともと全身の衰弱が進んでいたので面会謝絶状態
<時>和也が就職復帰する直前ごろ
<場>和也の病室
- 菜月の顔を見た和也は、菜月の20代の頃の瑞々しさをうしなっていることに、わかっていたことだが、ショックする
- 修介の顔立ちは、和也や菜月と違い、加齢による変化がほとんどなかった
- 修介はディスプレイに文章を表し、和也と話し合う
菜月の考え
- もう少したったら、菜月のも人工神経細胞(AN)の移植手術をうけるつもり
- 自分も落下事故で怪我をしているから、理由をこじつけて
- 人工神経細胞(AN)の研究は、実用化された範囲よりも先にすすんでいて、新しい研究のためのモニターを探しているので応募した
- 感覚強化の実験
感覚強化の実験
- 生体チップを頭蓋内に入れて作動させると、脳の特定位置の情報を再生できる
- 修介と触れ合った記憶を彼が亡くなった後も思い出せるから
- 視覚情報をトリガーにしてチップのスイッチにする
- 視覚情報は、修介のマグネフィオの画像
<時>手術から2ヶ月後
- 修介は病院で死亡
<場>修介の葬儀
- 和也は1ヶ月ぶりに菜月と会う
人工感覚・強化感覚が、いつでもすてられる機能
飽きればいつでも捨てられる・・・その手軽さは、あらえる欲求を促進させるだろう
脳データが、商品になるということ
和也の考え
- 自分も感覚強化の手術をうけよう
- 菜月の姿を繰り返し見つめれるように
ナイト・ブルーの記憶
<人>霧島恭吾(きりしまきょうご)
<人>長妻涼子(ながつまりょうこ)
- 霧島恭吾(きりしまきょうご)が亡くなる1週間前にした取材申し込みをうけてくれると連絡してくれた相手
- 知らない名前
- 海老茶のワンピースを着た老婦人
- 霧島氏より10歳ほど年下に見えた
- 膝を悪くしている
- 霧島氏が亡くなる前に、インタビューに代わりに受けると約束した
<人>
- 私
- 科学蘭で去年から海洋開発に関する記事を連載をもち、「海洋開発史50年」という記事で、霧島恭吾(きりしまきょうご)氏のインタビューを数回に分けて載せるつもりだった
- 元オペレーターとして、海洋無人探査機の開発初期の話を聞くつもりだった
<時>大気に初雪の厳しさはなかった・・・冬
- 温暖化で気温が上昇しているせい
- 海は冬のほうが穏やか
<場>霧島恭吾(きりしまきょうご)の家
- 海沿いの小道の海の見える家
- 応接室へ
長妻涼子(ながつまりょうこ)の話
- 海を深く愛していた人
- 商船大学へ進学
- 船舶免許をとる
- 有人潜水調査船のコ・パイロットを経て
- 30歳の時、パイロット
- 勤務先は、民間の研究組織に雇われ、科学者を海の底へ連れていく仕事
- 40歳になった時、パイロットから退く
- 別の研究部門へ移動
- それが霧島氏と海洋無人探査機との出会い
- 霧島氏が任されたのは、最先端の海洋無人探査機
- 全長5m、潜水深度6000m、薬のカプセルみたいな外観
- 設計上は、深度8000mまで耐えられ、光ファイバーケーブルによる有線方式で、支援母船上の人間(オペレーター)と非侵襲型神経接続装置で繋がっていた
- 初期の海洋無人探査機は、すべて有線方式だった・・・オペレーターの体と無人探査機を同期させるためのソフトウェアが不完全で、確実にデータを送信するには有線の方がよかったから
- 後に改良され、無線方式に変わった
- 無人探査機の操作室は、《あかつき》の中にあった
- 《あかつき》は全長100m余、総トン数4500トン弱の海洋調査船
- 霧島氏はオペレータになってからは、潜水船には乗らないが、無人探査機は有人潜水船と一緒に潜ることもあったので、パイロットとは、とても仲が良かった
- 霧島氏の作業の目的・・・無人探査機に搭載された人工知能に、「熟練した潜水調査船のパイロットの動きを学習させること
- 長妻涼子(ながつまりょうこ)はシステム管理を行う技術班にいた・・・インターフェイス部門、メディカル・プログラマ
- 霧島氏と出会った頃、私達が30代に入る少し前・・・飯野祐介(いいのゆうすけ)も長妻涼子(ながつまりょうこ)は、当時28歳、霧島氏は40歳
- 霧島氏は深海の色を漆黒ではなく、「ミッドナイト・ブルー」だと言っていた
- だから霧島氏は、神経接続型無人探査機のことを《ナイト・ブルー》
海洋無人探査機
- 以前から、自立型無人潜水艦(AUV)というものがある・・・《海洋ロボット》といっていい
自立型無人潜水艦(AUV)
- autonomous underwater vehicle、AUV
- 水中で活動するロボット
- UUV(Unmanned Underwater Vehicles)ともよばれる
- これは蓄電池や燃料電池や閉鎖型内燃機関を動力として深度6000mで活動する物もある。推進装置と動力源の発達により活動距離と時間が伸びた
自律型無人潜水機の歴史
- 初期のAUVがマサチューセッツ工科大学で1970年代に開発された
- それらの一つがMITのHart Nautical Galleryに展示されている
- 同時期にAUVはソビエト連邦でも開発された(その事は後に明らかになった)。軍用のAUVはUnmanned Undersea Vehicles (UUVs)として知られる
- それらは水上からオペレータもしくはパイロットが制御する遠隔操作無人探査機(ROV)とは異なる
- 石油とガス産業は海洋掘削施設を建造する前にAUVを海底地図の作成に利用するために利用する
- AUVによってもたらされる詳細な地図は石油会社にパイプラインや海洋施設の建設において最小の経費と環境への影響を減らす資料を与える
- 従来の軍用のAUVは機雷のありかを認識するために地図を作成する
- 科学者達はAUVを海洋と大陸棚の調査に使用する
- 他に漁業の資源量把握や海流の調査にも使用される
- 随時オペレーションが必要ないことにより自動的に海中でのデータを収集できる
- 海中の開発において深海での油田開発や修繕経費をこれらの機材で削減可能である。
- 100種類に及ぶ異なるAUVが20年から30年間に設計されたがいくつかの少数の企業から販売されているに過ぎない
- ウッズホール海洋研究所が開発して現在はHydroid社が販売している小型のREMUS 100 AUVは軍用、科学用に現在最も普及しているAUVである
- Kongsberg MaritimeとNorwegian Defence Research Establishment(FFI)が開発した大型のHUGIN 3000 AUV は石油、ガス産業において広範に使用されている
- 他に特筆すべきAUV製造会社としてアメリカのBluefin RoboticsとカナダのInternational Submarine Engineering Ltd.がある
- 現在では海洋研究開発機構が、自律型無人潜水機である「うらしま」「ゆめいるか」「じんべい」「おとひめ」を海底調査に使用している
<人>飯野祐介(いいのゆうすけ)
- 長妻涼子(ながつまりょうこ)と同じ、インターフェイス部門
- 霧島氏と出会った頃、私達が30代に入る少し前・・・飯野祐介(いいのゆうすけ)も長妻涼子(ながつまりょうこ)は、当時28歳、霧島氏は40歳
海底地点の確定情報
<時>ナイト・ブルーの時期運用計画の検討が始まったころ
- あの事件
- 漁業協同組合からの問い合わせがあった
- 最近、漁網に異様な塊が付着するようになった
- かなり広範囲で被害
- 温暖な海域で発生する「粘質物」に関する情報
粘質物
粘質物の大量発生と地殻内微生物摂取との関係について
<人>黒山主任
- 研究班の責任者だった
- 粘質物の大量発生と地殻内微生物摂取との関係について
- はっきりとした関連性は見出されていない
- 海流の変化で、日本近海の海水温度の上昇
- もともと汚染されていた海域で、粘質物が発生しやすい条件が整ったことが原因
- 粘質物は栄養分の宝庫、これらを食う微生物を積極的に撒くことで、撃退する可能性の研究をわが社でしている
ナイト・ブルーの新たな任務
- 浮遊する粘質物の調査
霧島氏の告白
- マニピュレータを使っている時、指先から上腕にかけて、ぬるっとした官職が走る
- どんどん敏感になっていく
- マニピュレータが掴む物の感触
- マニピュレータの潮の流れ、海水温度の違い
- 潮の匂いや味、舌触り
- 海中雑音
- ザトウクジラの声
- 音波が肌を叩くリズム
- ナイト・ブルーの事故で霧島氏本人が脳震盪
錯覚か共感覚か
他の微生物による粘質物分解
- ラビリンチュラ類というアメーバ様生物を使う研究
霧島氏の診断名
- ヒト機械同化症候群(MMAS)
- 東京の大学病院での診断
<場>横浜
- 《あかつき》入港
- 黒山主任、長妻涼子(ながつまりょうこ)、霧島恭吾(きりしまきょうご)、打ち合う
- 霧島氏の仕事が、あと2年と決定
- ただし、霧島氏の体調を崩したらその地点で中止
<場>牛鍋屋
新しい仕事
- ナイト・ブルーの人工知能を鍛えるだけでなく、霧島さんの脳活動をリアルタイムで記録し、可能な限り「感覚」のデータを蓄積する・・・他人に共感してもらう(感覚の再生実験は成功している)
ナイト・ブルーえお使っている時、長妻涼子(ながつまりょうこ)と会話したい理由
- 今までは、モニター室から操作室へ命令指示だけに使っていた
- これからは、霧島から「私が感じていること」を長妻に伝えたい
- 霧島の脳活動の記録とリンクさせるため
- MMASのせいで霧島に起こる苦痛を和らげるため・・・幻肢痛
- みんなでバックアップすることに
<時>この頃になると
- ラビリンチュラ類を使う<粘質物除去計画>が始まっていた
- 長妻涼子たちも、テストに参加することに
- 実験室で粘質物の分解に成功した<対粘質物ラビリンチュラ>省略してabLを、ナイト・ブルーを使って、実際に海にいる粘質物に注入するテスト
- abLの挿入実験成功
- 本格的に粘質物除去作業スタート
<時>2年の期限が終了
- 霧島はナイト・ブルーのオペレータから降り、<あかつき>を下船し陸上勤務へ
<時>後年
- 長妻涼子は祐介と結婚
- 仕事の都合上、夫婦別姓
- 霧島さんは生涯独身のまま
霧島はナイト・ブルーを使わなくなっても、MMASが消えない
- 共感覚の定着
- 海と結婚したようなもの
- 陸上でも身体拡張があるというのは、たとえようにもなく美しい音楽を聴いた時、<音が降ってくる>という表現するのににた感覚
- 世界全体が降ってくる
MMASは今では、医学的な対処法が確立されている
- 霧島は、治療をうけなかった
脳の構造をいじる技術は、合法、非合法ともに進化した
- 人間の頭蓋内に、より複雑な働きをする機械器官を移植する技術が、本格的に実用化
- 人間にとっての第二の脳・・・副脳を作るのだと研究者は言っている
霧島がナイト・ブルーの人工知能に教え込んだデータは、今多くの海洋無人探査機に活用されている
- 彼の一部
幻のクロノメーター
<場>テムズ川
- 随分綺麗になった
- 100年前はもっと雑然としてた
- びっしり船が浮いて河面もみえなかった
- 私が生れたころ・・・100年前
<人>エリザベス
- 私
- 一時期ハリソン家で家政婦をしていた
- <不老のエリー>と呼ばれるくらい長生きしてる人間
- エリーと呼ばれてた
マリン・クロノメーターの歴史
- <幻のクロノメーター>
<時>1741年
<場>リンカンシャーのバロー村
- 私(エリザベス)は生まれた
- ロンドンから北へ遠く離れた場所
- 誕生日は6月28日、蟹座
- 兄が3人、姉が1人
- イギリス
- リンカンシャー (Lincolnshire [ˈlɪŋkənʃər, ˈlɪŋkənʃɪər])
- イングランド東部にあるカウンティ
- ノーフォーク、ケンブリッジシャー、ラトランド、レスターシャー、ノッティンガムシャー、サウス・ヨークシャー、ノーサンプトンシャーと接している
- カウンシル所在地はリンカン。
- スポルディング(英語版)は、フラワー・パレードという祭りで知られる
1741年のできごと
- 4月12日(元文6年2月27日) - 日本、改元して寛保元年
- 4月30日-6月11日 - イギリスで総選挙。与野党の議席が伯仲し、ウォルポール政権不安定に。
- 8月28日(寛保元年) - 北海道の渡島半島の熊石から松前にかけて謎の大津波が襲来し、1467人が死亡した。
- ベーリングがアラスカに到達
<時>私が3歳の時・・・1744年
- 2番目の兄と3番目の兄が、病気で死んだ
- 一番上の兄は私が物心つく頃には、もう働いていて、じきに結婚して独立した
- 姉も同じ
<人>ジョン・ハリソン
- バロー村に昔いたとても優秀な大工はいた
- 私(エリザベス)が彼の名前を知った時には、彼はロンドンへ引っ越したあと
- ロンドン一の時計職人(ウオッチメーカー)ジョージ・グレアムの後援を得て、王室天文官のエドモンド・ハレー博士にまで才能を認められた人
- 大工でありながら、時計職人として有名になった
- 生まれは、ヨークシャー
- バロー村には子供の頃引っ越してきた
- エリザベスの父はハリソン幼なじみで、一緒に大工の修行や仕事をした仲
- ブロックルズビー・パークのチャールズ・ぺラム卿の時計塔は彼が作ったもの
- <油を差す必要のない時計>を完成させた・・・ハリソン29歳
- 子供の頃、家にあった古時計を分解し、一瞬で心を奪われた
- ハリソンは、ヴィオールを奏でる音楽的感性を持ち、大工としても一流で、時計作りに抜群のセンスを備えていたが、文字の読み書きは才能がなかった
- そのせいか、シェイクスピアが大嫌いだった
ジョージ・グレアム
- (George Graham、1673年7月7日 - 1751年11月20日)
- イギリスの時計師、発明家
- カンバーランドでクェーカー教徒の家に生まれる
- 1688年にロンドンへ渡って時計師トーマス・トンピオンの晩年に彼のパートナーとして働き、振り子時計、太陽系儀、脱進機の発明・発展に貢献した(グラハムは後にトンピオンの姪と結婚している)
- 直進脱進梯(グラハム脱進機)、シリンダー脱進機、水銀補正振り子、ダンパー(弱音器)付ミニッツ・リピーターはいずれも彼が発明した
- また彼は、時計製作史上最初のクロノグラフを完成させ、グラハムの名声はたちまちヨーロッパ中に知れ渡ることとなる
- しかし時計の発展において特許を取得することを拒み、自らが開発した発明を他の時計師に自由に使わせた
- また天文学者エドモンド・ハレーに対して科学機器を開発し、ジェームズ・ブラッドリーとサミュエル・モリノーの光行差観測のために天頂儀を製造した
- 1721年王立協会フェロー選出
- 1751年にロンドンのフリート・ストリートの自宅で亡くなり、ロンドンのウェストミンスター寺院身廊に、チャールズ・ダーウィン、トーマス・トンピオンらと共に埋葬されている。現在では終焉の地のフリートストリートに彼とトンピオンの名を刻んだ記念額が設けられている
グラハム
- 彼の業績を称え、1995年から彼の名を冠した高級腕時計「グラハム」が発表されている
- 製造会社はエリック・ロト(Eric Loth)が創設したザ・ブリティッシュ・マスターズ社で、本社はスイスのラ・ショー・ド・フォンにある。ジョージ・グラハムの発明に敬意を示し、ほとんどのモデルはクロノグラフである
- また往年のクロノグラフやストップウォッチにインスピレーションを得て真円筒状のケース、円盤状のプッシュボタンなどノスタルジックなディテールを特徴としている
- クロノファイター
ケースサイドに取り付けられたレバー式大型リューズプロテクターが最大の特徴。福山雅治がドラマ「ガリレオ」で装着していたことで有名になった。 - シルバーストーン
真円状のケース、ネオクラシックなプッシュボタンが特徴。全モデル中、最も往年に近いフォルムを再現したモデル。 - ソードフィッシュ
3時、9時位置が大きな真円状のフレームで意匠されたフォルムが特徴。
2009年にはブラウンGPとパートナーシップ契約を結んだ
- (英語: Edmond Halley, 1656年10月29日 - 1742年1月14日)
- イギリスの天文学者、地球物理学者、数学者、気象学者、物理学者。ハレー彗星の軌道計算を初め、多くの科学的業績で知られる
- 1720年にハレーはジョン・フラムスティードの跡を継いでグリニッジ天文台長(王室天文官)となり、死ぬまでその職にあった。彼はロンドン南東のリーにある聖マーガレット教会に葬られている
ジョン・ハリソン
- (John Harrison、1693年3月24日 - 1776年3月24日)
- イギリスの時計製作者である
- 渡洋航海に必要とされる経度の測定が可能な精度をもった機械式時計(クロノメーター)を初めて製作した
- ヨークシャー州ウェイクフィールド近郊のフォールビーで、木工・大工職人の息子として生まれた
- 6歳の時、天然痘にかかって静養していた折に、父親が贈った時計の動きに心を惹かれた
- 成長すると、父親の仕事を手伝いながら、独学で物理学や機械工学を学んだ
- 1713年に、大工仕事の合間に自力で製作した時計が、性能の良さで近所の話題となり、注文や修理の依頼が相次いだ。このため、いつしか時計の仕事だけで生計が立てられるようになった
- 1722年頃には、グラスホッパー脱進機を発明している
- ジョン・ハリソンが21歳になった1714年3月25日、イギリス海軍とロンドンの貿易商人・商船船長達が合同で経度に関する請願を英国議会に提出した
- 詳細は「経度法」を参照
- ジョン・ハリソンは、開発資金を援助してもらうため1730年にロンドンへ行き、王立天文台長であったエドモンド・ハレーに会って自分の経度時計のアイデアを伝え、当時すでに時計師として有名になっていたジョージ・グラハムを紹介してもらい、資金援助を受けることができた
-
H1
1728年から7年をかけて色々な技術を開発し、H1を製作して1736年センチュリオンに乗り込みリスボンへ向かい、オーフォードで戻り、その高精度を証明した。経度法では西インド諸島までの航海で平均日差2秒以内でなければならない」と定められていたため賞金は獲得できなかったが、経度委員会に改良のための資金援助を願い出て500ポンドが与えられた。 -
H2
1739年にはH2が完成し、陸上でのテストを経て1741年には準備ができたが、ちょうどオーストリア継承戦争が起きており、敵国にクロノメーターが奪われることを避けるため航海実験は延期された。
しかし経度委員会からは再び開発資金として500ポンドを得、この開発資金でバイメタルを発明している。 -
H3
1757年にH3が完成した。この時計にはケージド・ローラーベアリングと、バランス・スプリングにバイメタルが採用されている。 -
H4
1760年に携帯用のH4が完成した。1761年にポーツマスからジャマイカ島への航海実験に供され、その結果61日間に45秒の遅れが出たのみでその正確さが立証されイギリス政府は20000ポンドの懸賞金を支払う旨公表した。しかしグリニッジ天文台所長ネヴィル・マスケリンをはじめとする天文学者は天文学的方法による経度測定法にこだわっており、ドイツの天文学者ヨハン・マイヤーが作成した月の運行表による方法の方が「正しい測定法」だと主張してハリソンを中傷する報告書を提出し、また議会でもハリソンが庶民出身であることに嫌悪を表す者もおり、公正に評価されなかった。当初の条件になかった追加試験を要求され、1762年には往路5秒復路1分49秒の誤差、1764年にはジャマイカ往復の156日間で54秒の進み、と良好な結果を出したが、1763年に3000ポンドが支払われたのみで賞金全額は支払われなかった。 -
H5
1764年にはH5が完成し、バルバドスへの5ヶ月間の航海で誤差15秒と優秀な成績を収めたが1764年に5000ポンド、1769年に5000ポンドとやはり全額は支払われなかった。時の国王ジョージ3世は「懸賞金は経度の正確な測定法を開発した者に授けられるもので、開発者の身分に対して授けられるものではない」と激怒し、H5を国王臨席の実験に付すようにハリソンに命じた。1773年に行われた実験では、ジョン・ハリソンの時計の誤差は1日あたり1/14秒に過ぎないことが立証され、議会も実験に瑕疵がないと判断した。経度委員会もこれを認め懸賞金の残り全額が授与されることになった。 - ジョン・ハリソンの製作した時計は、現在グリニッジ天文台にて展示されている
- ジョン・ハリソンの設計に基づき、1975年から2009年にかけてイギリスのマーティン・バージェス(英語版)により製作された振り子時計「Clock B」は、2015年にグリニッジ天文台で行われた100日間の試験の結果、誤差8分の5秒という成績を収め、「自由大気中で揺れる振り子を持つ世界で最も正確な機械式時計」としてギネスブックに掲載された
ブロックルズビー・パークのチャールズ・ぺラム卿の時計塔
- ハリソンは、依頼された時計の内部を意図的に木材を使った
- 金属の時計は湿気に弱く、度々潤滑油を差す必要があるうえ、時間がたつと潤滑油は内部で劣化して、機械の動きを損なうから
- 使用した木は、ユソウボク・・・樹脂をたくさん含んでいる
- 分解掃除の手間がはぶける
- <油を差す必要のない時計>を完成させた・・・ハリソン29歳
ユソウボク
- ハマビシ科(はまびしか、Zygophyllaceae)
- 双子葉植物の科のひとつ。30属250種以上からなる
- 特に熱帯から温帯の乾燥地に多く、草本から木まである
- 日本には、海岸植物のハマビシのみ1種類が自生する
- 経済的に重要な種はほとんどないが、その中ではユソウボク(リグナムバイタ( (Lignum vitae)、学名: Guaiacum officinale)が有名
- 木は多量の樹脂を含み、世界でもっとも硬く重い木材である(比重1.28~1.37)
- 木は木造船のスクリューの軸受けやギアなどに用いられ、特に木製ベアリングとしては極めて優秀な性能を誇る
- これは硬度の他に摩擦により油分が滲み出すことで潤滑性を発揮する為である
- 質量が非常に重く、この木材は水に沈むという特徴がある
- 樹脂をグアヤク脂と呼んで薬用その他に用いる事からもわかるように、ヨーロッパに持ち込まれた頃より薬効が信じられており、Lignum vitae(リグナムバイタ)はラテン語で Wood of life〈生命の樹〉を意味する
- またユソウボクも癒瘡木と書くようにこちらも薬用植物として扱われていた事がわかり梅毒の治療に用いられた
- 実際に樹脂はグアイアコールやグアイアズレンといった成分を含み、名称は学名の属名 Guaiacum に由来する
- グアヤクチンキはキノコの鑑別に用いられる
- また、ハマビシは欧米ではハーブとして用いられる
<場>ブロックルズビー・パーク
- バロー村の少し南にある
- 私(エリザベス)は、後年(1800年代)、チャールズ・ぺラム卿の時計塔を訪れたら、まだ動いていた
- 一度も故障したことがない
- ジョンがこうして作った時計と時計台は、なんと300年ほど経った現在も、イギリス、ブロックルズビー・パークで変わらず時を刻んでいる
ヴィオール
- ヴィオラ・ダ・ガンバ属(ヴィオラ・ダ・ガンバぞく)
- 弓を用いて演奏する擦弦楽器のグループ
- ヴィオラ・ダ・ガンバ属はヴァイオリン属に良く似ているが、ネックにフレットを備えること、なで肩の形状、弦の数が一般に6本で4度に調弦されること、などの点で異なる
- ウィリアム・シェイクスピア(英語: William Shakespeare, 1564年4月26日(洗礼日) - 1616年4月23日(グレゴリオ暦5月3日))
- イングランドの劇作家、詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物
- 卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、もっとも優れた英文学の作家とも言われている
- また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知るうえでの貴重な言語学的資料ともなっている
- 出生地はストラトフォード=アポン=エイヴォン
- 1585年前後にロンドンに進出
- 1592年には新進の劇作家として活躍した
- 1613年ごろに引退するまでの約20年間に、四大悲劇『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』をはじめ、『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』『夏の夜の夢』『ジュリアス・シーザー』など多くの傑作を残した。『ヴィーナスとアドーニス』のような物語詩もあり、特に『ソネット集』は今日でも最高の詩編の一つとされている
- 2002年にBBCが行った「100名の最も偉大な英国人」投票で第5位となった
- 「シェイクスピア」の日本における漢字表記(借字)は「沙吉比亜」だが、これは中国語での表記「莎士比亞」(繁体字での表記で、簡体字では「莎士比亚」)の「莎」を「沙」と、「亞」を「亜」と略し、「士」の代わりに「吉」を用いたもの。日本に作品が伝わってまもない明治時代などでは「沙翁」と表記されたこともある
マリン・クロノメーター
- 英: chronometer
- 船の揺れや温度変化に影響されない、高精度な携帯用ぜんまい時計
- デテント式脱進機を装備した時計
- 天文台で精度検定を受けた時計
- クロノメーター検定協会による検定に合格した機械式時計
- 名称はギリシア神話の時間神クロノスに由来する
- クロノグラフとは名称が似ているが別物である
マリン・クロノメーターの歴史
- 大航海時代
- 詳細は「経度法」を参照
- 大航海時代に航海が増加して海難事故が多発するようになり、現在位置を把握するため精密な緯度や経度の測定法が求められたが、緯度は六分儀等による天体の位置測定で比較的容易に求められるものの、正確な経度は測定困難であった。この問題を解決するため1714年7月8日イギリス議会は高精度で経度を測定できる方法の発見に懸賞金を出す内容の経度法を制定した。経度の測定にはいろいろな方法が考えられたが、その一つが時刻と太陽の位置から測定する方法であった。
- 18世紀初頭もっとも精度の高い時計は振り子時計であり、すでに充分な精度を出せるようになってはいたが、波による揺れの影響の大きい海上では機能しないため、揺れる船舶の上でも正しい時を刻む高精度の時計(マリン・クロノメーター)が必要とされた。
- ハリソン・クロノメーター
- ジョン・ハリソン
- 1735年イギリス人の木工・大工職人のちに時計職人のジョン・ハリソンは頑丈な梁に揺れや温度変化を吸収するバネを取り付け、ねじを巻いている間も機械が作動し、ねじが巻かれた当初と緩んだ後でも時計の回転力が一定になる装置を備え、温度や揺れに強い置時計「クロノメーターH1」を製作した。
- その後1759年には直径5インチの懐中時計である4号機「クロノメーターH4」を製作、その誤差はイギリスからジャマイカまで81日間航行した間に8.1秒遅れただけ、すなわち年差にして約30秒という高性能を実現し高精度な時計の代名詞となった。
- 経度法委員会はラーカム・ケンドール(Larcum Kendall 、1721年9月21日-1795年11月22日)に「クロノメーターH4」の複製を依頼、ラーカム・ケンドールは1769年に「クロノメーターK1」を作成した。
- この時計はイギリス海軍艦艇に配備され、ジェームズ・クックの第二次航海の際にもその実用性が改めて確認され、イギリス海軍の作戦実行に大幅な改善をもたらし、作戦遂行能力を向上させた。
- これらの時計は現在旧グリニッジ天文台イギリス海洋博物館に展示されている。
- デテント・クロノメーター
- ハリソンにより船舶上でも精密に作動する時計の製造が可能であると証明されたので、次の課題は安価かつ大量の製造に移った。
- フランスのピエール・ル・ロワがデテント式脱進機を発明し、これ以降船舶の位置把握方法がLORANに置換されるまでデテント式脱進機を備えることがこの意味での「クロノメーター」と呼ばれるための条件となった。スイスのフェルディナント・ベルトゥーやイギリスのトーマス・マッジらが同時代の製作者として著名である。
- スプリング・デテント式脱進機
- トーマス・アーンショウ
- トーマス・アーンショウ、ジョン・アーノルドらは18世紀後半にスプリング・デテント式脱進機を発明し、これまでと比較すれば非常に単純な構造で精度が出るようになったが、どちらが先に発明したのかが当時問題となり今もって判明していない。
- 1790年にトーマス・アーンショウが完成させた「No.928/3815」は事実上の標準製品となり、以降ほぼ全ての製品がこれを手本とした。
- ピヴォテッド・デテント式脱進機
- 後にはピヴォテッド・デテント式脱進機が一般的になった。ピヴォテッド・デテント式クロノメーターは姿勢差が大きいためジンバルサポートで水平を保つようにされているのが普通である。
- この分野ではスイスのユリスナルダンが圧倒的な地位を占めており、各国の海軍で使われた。
- 日本には代理店となった天賞堂により日本海軍に納入された。戦艦三笠に搭載されていたマリンクロノメーターもユリスナルダン製であり、横須賀市の記念艦「三笠」に展示されている。
- 他にはアメリカのハミルトンの製品が著名であり、その他デント、ゼニス、ブレゲ[2]、ジラール・ペルゴ、ランゲ・アンド・ゾーネ[3]、セイコー(現セイコーホールディングス)等も製造したことが知られる。パテック・フィリップはムーブメントのシリアルナンバー112131、ケースナンバー401640の一基だけを製作し1921年-1922年のジュネーブ天文台賞1位を取得している。
- ボード・クロノメーター
- 現在機械式時計の形式として一般的なクラブツース式脱進機を備える時計も充分な精度を持つようになってからは同様の用途に使用されるようになったが、これらは「ボード・クロノメーター」または「デッキ・クロノメーター」と称されデテント式脱進機を備える「マリン・クロノメーター」と区別されていた。またクォーツ式のクロノメーターも製造されるようになった
<時>私(エリザベス)が11歳になった冬・・・1752年
- 父は病で倒れた
- ロンドンのハリソン家で母と住み込みの家政婦になる約束を父親がジョンにお願いしていた
- 父お死
- ロンドンに向かったころは、12歳
<人>ボブ
- エリザベスの父親
<人>アン
- エリザベスの母親
<場>ロンドン
- 酷い臭気
- 騒音
<場>ハリソン家到着
<人>ハリソン夫人
<人>エリザベス・ハリソン(ベス)
- この時60歳
- 10歳は若く見えた
<人>ウィリアム・ハリソン(ウィル)
- ハリソンの息子
- 当時25歳
<人>エリザベス・ハリソン(リズ)
- ウィリアムの妹
- 当時21歳
- エリザベス(エリー)と同じ名前
- もうすぐ結婚する
- 結婚相手も時計職人
航海時計の試作品
- マリン・クロノメーター H-1
- 骨組みは真鍮製なのに、歯車は全部木製だった
- 揺れの影響をとことん排除する作りになっている
- 経度評議委員会が言うには、マリン・クロノメーターは、60日間の航海での誤差が、トータルで2分以内でなければならないということだ・・・1日1分狂うのが当たり前の当時の技術
- マリン・クロノメーター H-2
- 外装や支柱に真鍮がつかわれているのは同じだが、H-1と形が全然違う
<人>グレアム
- ウオッチメーカーのグレアム
<人>ハレー博士
- アイザック・ニュートン卿と一緒に天星録を出した人
- 王室天文官
当時、経度を計算するための時差を知る方法
- 天体のみで計算する方法・・・月距法
- 時計を一緒に使う方法
月距法
- 月距法(Lunar distance method)
- 古い技法は18世紀に改良された
- 現在は六分儀を趣味とする人や歴史家ぐらいしか使っていないが、時計がない場合や長い航海で時計の正確さが疑われる場合には十分使える技法である。
- 月距法では、月と太陽または黄道付近に位置する恒星との距離(角度)を正確に計測する。
- 各種誤差について補正したあとの角度は、ある時点で地球上の月が見えているどの地点で計測しても同じになる。
- 古い航海年鑑にはその角度の表が掲載されていた。従って、それによって測定時のグリニッジ平均時がわかる。
- 現代ではノートパソコンなどを使えば黄道近辺以外の天体を使って月との角度を計測することで瞬間的に計算することができる。グリニッジ平均時がわかれば、経度を測定することができる。
- 時計の使用
- 正確な時刻がわかれば、六分儀による計測で経度がわかる。
- 18世紀、より正確な航法のため正確なクロノメーターが次々と開発されていった(ジョン・ハリソン参照)。
- 現代ではクロノメーター、クォーツ時計、原子時計に基づく標準電波、GPSの時刻情報などで正確な時刻がわかる。クォーツ腕時計は一般に日差0.5秒以内である。腕時計を常に身につけて体温に近い温度に保ち、ラジオの時報などで時々誤差を補正していれば、月差1秒以内に抑えることができる。
- 古くは、天文学者が選んだ位置標識を使って六分儀でクロノメーターをチェックしていた。これは今では非常に珍しい技能である。
- 昔は船の中心付近の乾燥した部屋でジンバル上にクロノメーターを3台置いていた。観測に際してはクロノメーターに腕時計を合わせ、腕時計を観測現場で使ったので、クロノメーターは決して風や塩分に晒されないようになっていた。クロノメーターのぜんまいを巻くことや、3台のクロノメーターの相互の時刻合わせは航海士の仕事だった。今日でもそれは航海日誌に毎日記録され、午前直の八点鐘の前に船長に報告することになっている。航海士は船にある時計やカレンダーの設定も任されている。
- 優秀な経度測定法を提示できた者には、最高で2万ポンドの賞金を与える
ハリソン氏の目標
- マリン・クロノメーターを置時計(クロック)ではなく、携帯時計(ウオッチ)にする
- H-4
- そのためのH-3にかけた15年
ハリソン夫人の咳
- おさまらない
- 石炭の煤煙が原因かも
<時>夜
<食>夕食
- 野菜のシチュー
- ひどく不味い
- 料理にまで石灰の匂い
- 市場に並べているうちに食材が煤煙を吸ってしまう
- 酸味とえぐみ
<食>エリザベス(エリー)が都会で覚えた料理
- 鳥のロースト
- ウサギのシチュー
- 魚料理
- 冷たい肉の塩漬け
裕福な人は空気のいい農地で作った野菜やお肉をロンドンまで運ばせて、一流の料理人に食事を作らせていた
<時>最近(リアルタイム)
最近のロンドンの食事が変わったはなし
- あの機械が空気を綺麗にして、<掃除虫>が街中の汚物を処理してくれているおかげ
- 技術が進化してロンドンは変わった
- いずれはイングランド中がかわるでしょう
- 船は、もう空まで飛べるのではないかしら
<時>ロンドンの暮らしを3年半
- エリザベス(エリー)の母のアンが咳をするようになった
- 煤煙に呼吸器をやられてしまった
<時>エリザベス(エリー)16歳
- 体調不良でエリザベス(エリー)の母のアンがひとりでバロー村に帰ると言い出した
- 兄の家で世話になる
<食>エリザベス(エリー)がハリソンさんたちと母親の馬車を見送った日、ウィリアムにさそってもらった外食
- ウナギのゼリー寄せ
- 身の太ったぶつ切りのウナギがボウルに入ってでてきた
- 酢をかけて食べる
- レモンとナツメグの匂いがふわりと香った
- 骨がそのままなので注意しなくてはだめ
- ウィリアムは、ミートパイに緑色のリカーをかけ、美味しそうに食べていた
- リカーは、ウナギの煮汁に小麦粉を混ぜて作る、パセリを入れると緑色のなる家庭の味
- お店のリカーは、リズさん(ウィリアムの妹のエリザベス)がつくるものよりも酸味が強く、香辛料も強かった
時計の部品の宝石
- アンクルや軸受けに、ダイアモンドやルビーを使う
- 真鍮よりも硬い素材
<時>ウィリアムに時計の作り方を教えてほしいとエリザベス(エリー)が頼んだ時
- ウィリアム29歳
- もうすぐ結婚する
<人>エリザベス
- ウィリアムの妻
- 庶民出
サマセット・ハウスの向かいには、もっとにぎやかな船・・・
サマセット・ハウス
-
サマセット・ハウス(英語:Somerset House)
-
イギリス・ロンドンのテムズ川を望むストランド地区 南側にある大規模な建物
-
中央部は新古典主義建築で、1776年から1796年の建築家ウィリアム・チェンバーズによる大規模な建築プロジェクトであった
-
その後南北に古典主義的なヴィクトリアン・ウィングを増築。
-
もともと同名の建物がこの地に建てられたのは当時より200年以上前のことであった。
-
現在はさまざまな政府関連機関、芸術・教育関連機関が入っており、ロンドン大学付属のコートールド・ギャラリー等がその代表的な例である。 また中庭は冬季、アイススケートのリンクになり、ロンドンの冬の風物詩になっている。
ウィリアムのくれた古い置時計の分解
<時>エリザベス(エリー)が時計を分解始めたころ
- ハリソンさんが、クロノメーターH-3を完成させた
分解した時計の組み立てが成功
次の時計の部品をウィリアムがもってきてくれた
- 今度は、もう少し小さい置時計ができあがる
ウィリアムが経度評議員会へ予算のことででかけるようになる
- 19年の歳月
- 本当につくれるのかという疑い
- ウォッチメーカーのグラハムさん、王室天文官のハレー博士という後継者も亡くなってしまっていた
- この頃、月距法を採用しようという勢力が盛りかえしつつあった
- 観測データの蓄積や月の運行表が進んで、天測で経度を知るための資料が充分に整ったため
- ハレー博士の後に王室天文官になったジェームズ・ブラッドリーは、クロノメーターによる経度計算を認めようとしなかった
ジェームズ・ブラッドリー
- ジェームズ・ブラッドリー(James Bradley, 1693年 - 1762年7月13日)
- イギリスの天文学者。グリニッジ天文台長を務めた。
- グロスターシャー生まれ
- 1711年からオックスフォード大学のベイリオル・カレッジに学ぶ。
- 1718年には王立協会フェローに選ばれる
- 翌年牧師となったが、1721年にオックスフォード大学のサヴィル教授職に指名され教会を辞めた。
- 1742年、エドモンド・ハリーの後任として王室天文官(すなわちグリニッジ天文台長)に任命された。
- 最も有名な彼の業績は1728年の光行差の発見である。
- 1725年よりロンドン郊外に望遠鏡を設置し、りゅう座γ星(ロンドンの天頂を通過する)を観測し続けた。
- ブラッドリーはこの星の赤緯変化から年周視差を発見できると期待していたが、測定結果は光行差の存在を示すものだった。またこの結果から光速度を約301,000km/sと計算した。
- 彼は1748年には章動を発見している。これは主要章動と呼ばれる18.6年周期のものであった。
- また長年に渡って精密な観測を続け星表を出版し、位置天文学の基礎を作った
- 彼の功績を称えて、小惑星 (2634) ジェームズ・ブラッドリーが彼の名を取り命名されている。
<時>ずっと先・・・H-4が完成してから2年後くらいの話
<場>ロンドンの工具屋
- ハリソンさんとブラッドベリー王室天文官が、鉢合わせした
- エリザベス(エリー)とウィリアムはハドソンさんのお供をして一緒にいた
- 喧嘩
- 理学 対 工学
年周光行差
- ブラッドベリーの発見
ハドソンさんが持ち帰ったH-4の部品
- 1つだけ落としてきた部品
- もともと使う予定じゃなかったもの
- 宝石屋の主人も素材が解らない部品
- これまでに見たこともない石
- 真っ黒で艶々していて、一見オニキスに見えるが、もっと固い
- その部品で、アンクルを一つ作った
- 宝石屋は旅する商人からその石を買い取った
私の置時計がいつの間にか完成していた
- 外装はまだ組み立てられず、内部機構が剝き出しのままだった
- 見覚えのない部品がはまっていた
- 真っ黒で艶々と輝く平べったい塊が時計の心臓部におさまり、二番車に動きを伝えていた
- ゼンマイが残っていた・・・これがなければ時計は絶対に動かない動力部分なのに
- それは、ハドソンさんが無くした部品だった
- 石の塊にもどっていた
黒い石
- 正体はわからない
- 内部に動力源を持っている
黒い石の部品をおさめた置時計をもって、ウィリアムが航海実験
- 60日間
- グリニッジの時計と誤差がない
<時>このころ、ハリソンさんは64歳
ウィリアムは結婚を機に独立しようとしていた
- ロンドンに新しい工房
- 父のもとを離れて、黒い石を調べる
- 新工房へは自由にエリザベス(エリー)は入れた・・鍵のスペアをもらった
- 黒い石を使ったw-1の制作
テスト航海
- H-3とH-4は同時にテスト航海に出す予定
- ウィリアムはそのテスト航海の時に、こっそりw-1を持ち込むつもりだった
- 3つの制度を比較する
当時の置時計は、振り子式
- ゼンマイを巻くと振り子が揺れて、その力が脱進機を動かして針が回る
携帯時計
- ゼンマイがほどける力を直接歯車に伝えて、アンクルという部品を経由して脱進機を動かす
作業台の上を何かが歩いていた
- ぐにゃぐにゃした黒い塊
- 短い足を4本ほど出して、机の上をゆっくりと移動していた
- ゆらゆら体をゆらしながら、とても綺麗な音をだした
- こまどりのさえずりのような音
- 謎の石
- とても柔らかくて、どんなものにも形を変えれる
- エリザベスが飛び込んで掴んだら、掌の中で、石はびっくりしたみたいに大きく震えた
- 暖かかった、生き物みたいに
- 子猫をつかんだような感触
- 瞬間、何かが石の中から私の中へ流れ込み、私の中から石の方へも何かが吸い込まれた
- 金属をすり合わせたように、キュイッ、キュイッと甲高い音をたてた
- 生き物ではなく、精密機器か?
- ウィリアムも気づいていた
<時>1759年
- クロノメーターH-4完成
- ハリソン66歳
- ウィリアム31歳
- エリザベス(エリー)18歳
<時>2年後 1761年11月
ジョージ三世陛下の頃
デットフォード号という船
- 大型の帆船
- 航海中、H-4は四か所も鍵をかける箱に収められた
- 全部が異なる鍵・・・ウィリアム、船長、副官、ジャマイカ総督
<人>
- デットフォード号船長
<人>
- デットフォード号副官
<人>
- ジャマイカ総督
<場>ジャマイカ
- H-4の時刻と天測結果を利用して、予定よりずっとはやく到着
- 62日めに西インド諸島のジャマイカに到着
- 時計の誤差は、たった5秒
- 経度評議員会が定めた、60日間の航海で誤差2分以内という条件をかるかに上回る置で目標を達成
- 黒い石で作ったW-1は、誤差0
<時>その夜
<場>港の小さな宿
<食>父親の技術に負けて、しょぼくれたウィリアムにエリザベスが美味しい果物を買ってきて切ってあげる
- パイナップル
ロンドンの空気を綺麗にする装置
- 黒い石
<時>帰りの旅路
- 船は大きな嵐に遭遇
- W-1が止まっている
- 黒い石は、W-1の中から完全に姿を消していた
- 石が薄くなり、船の帆にはりついていた
黒い石
- ものの欠けた部分を補う機能を備えている
- 嵐で裂けた帆の修復
- エリザベスの時計に取りついた時も同様
エリザベス嵐の甲板で事故にあう
- 死を覚悟する
- 暖かい何かが、エリザベスの体をそっと包み込んだ
- ふいに背中から私の中へ、ぐいっっとはいりこんだ
エリザベスベッドで目覚める
- 甲板から船倉へ自力で戻った
- 背中に傷を負っていた
- 治療室で女の子だとばれた
黒い石は、エリザベスの心臓の代わりをしている
- 不思議な夢を見るようになった
- 石が語りかけてくる夢
- 石たちが住んでいた場所の光景
- 夢にでてくる人たちは、私達に似ているが、これはエリザベスを驚かせないために記憶の断片を使って<人工的に作って見せてる>
石の夢の内容
- いつも学者のような人たちが何かを話し合ってる
- 見知らぬ土地を探索しようと相談してる
- いろいろな装置を作っている
- 石は一種の探索装置
- 遠い距離を旅しても壊れないし、たくさんの記録を保存できる、環境に適応して変形する性質をもつ
- 学者たちは、たくさんの石を火を噴く機械に載せて空へ向かって打ち上げた
- それは、真っ暗な空間を長期間飛び続け、青い星にたどりついた
- イングランドはその一角にある
- 流れ星のように天から降り注いだ石たちは、イングランドのあちこちを調査
- 壊れたものにとりつく、物でも生き物でも
- 補整型調査機械
<場>イングランド
- 嵐を乗り切って帰宅
- H-4の誤差は、往復で2分
- しかし、評議委員会は合格と認めなかった
H-4の2度目のテスト航海
- 往復で規定の三分の一の誤差
- ブラッドベリー王室天文官のあとに同じ地位に就いたナサニエル・ブリス、素のあとを引き継いだネビル・マスケリンは、どちらも月距法の推進者だったので、クロノメーターは認められなかった
- 王室天文官は経度評議員会とも深く関わっていたから、圧力をかけて賞金を支払わせなかった
<時>2度目のテスト航海から8年後 1772年
- いやがらせがつづく
- 複製H-4・・・後にK-1と名付けられる時計を他の職人に作らせ
- さらに2台の複製を要求される
- H-5という改良機までつくった
- 経度評議員会はまだ認めなかった
- H-1からH-3までは国費で作ったのだからという理由で、政府が保管すべきとハリソン家から取り上げた
- H-1は、運び出す途中で過失により床に落ちて壊れる
<時>エリザベス(エリー)29歳
- 今後の身の振り方
- H-4の2度目の航海以降、ウィリアムに時計の作り方を厳しく習っている
- かれこれ6年になる
<時>1772年
- ハリソンさん79歳
- ウィリアムさん44歳
- 2代目のH-5の複製を作らなければならなかった
<人>ケンドール
- H-4の複製を手掛けた職人・・・K-1
- ハリソンさんが一目おくような熟練時計職人
- H-4の機構もよくしっていたので成功した
- それでも複製完成に2年半かかった
- H-4の機構は複雑だった
<人>ジョージ三世
- 直訴の手紙を書く
- ジョージ三世は経度評議員会に命じて、賞金の全額が二人に支払われた
- H-1から数えて38年目のこと
<時>数年後
- 複製H-4ことK-1を持ってテスト航海へ
<時>ハリソンさん83歳
- 亡くなられる日まで、エリザベスは家政婦として働く
- エリザベス35歳のおばさんになっているはずなのに、老けない
- 黒い石のせい
- 補整型調査機械は、エリザベスの心臓としての働きだけでなく、全身の臓器や細胞の修復もしているみたい
- エリザベスの外見は、テスト航海に出た20歳頃の容姿で止まっている
- <不老のエリー>と呼ばれるようになった
- エリザベスは時計職人の仕事につくことになる
<時>ハリソンさんの死後立った3年
<時>36年後の1815年
- 改良が重ねられ、何千個の時計が外洋航海の現場で使われるようになる
<時>この100年の間に・・・19世紀
- ロンドンは変わった
- 機械文明が進み過ぎている
- 本来の歴史がねじ曲がっている
- これは、補整型調査機械のせい
- 街中のあちこちで黒い石がつかわれるようになった
- イングランドの工業は、蒸気機関による産業革命という時代をすっ飛ばして、19世紀の時点で新しい工業革命をおこしてしまった
解説
香月祥宏
- SF書評家
華竜の宮
- ホットプルームの活性化により海面が260m上昇し、世界の大部分が海に沈んだ25世紀の地球
- 社会の枠組み、遺伝子操作により自らの身体を改変し、環境の激変に耐え抜いた
人類は2つのグループに分かれる
- わずかに残された陸地に残る・・・陸上民
- 巨大な生物船<魚舟>に乗って海で暮らす・・・海上民
対立が深まる
- 限られた資源の奪い合い
- 気風の違い
調整に奔走する日本政府の外交官