ブリジャートン家3 もう一度だけ円舞曲を (ラズベリーブックス, ク2-29) 文庫 – 2021/4/9 ジュリア・クイン (著), 村山美雪 (翻訳)
から騒ぎ シェークスピア
から騒ぎ
プロローグ
<人>アンソニー・ブリジャートン 男
- 現・ブリジャートン子爵
- 18歳、オックスフォード大学への入学をひかえたころに、父親を亡くす
<人>エドモンド・ブリジャートン 男 故人
- 元・ブリジャートン子爵
- アンソニー・ブリジャートンの亡くなった父親・・蜂に刺されて38歳の時亡くなった(アンソニー・ブリジャートンが18歳ころ)
- アンソニー・ブリジャートンが生まれた時20歳
- 愛妻家で子煩悩
- 乗馬がうまい
<人>ヴァイオレット・ブリジャートン 女
ケント
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ケント(Kent)
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イングランドの地域で、ロンドンの南東にあり、ケント州(the county of Kent, Kent county)とも呼ばれる。ケントという名前は古のケント王国から来ており、州都はメードストンである。ケントはイースト・サセックス、サリー、大ロンドンと接し、テムズ川中流にエセックスとのはっきりした境界がある。ケントには英仏海峡トンネルが存在しフランスとの間には名ばかりの境界がある。
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ケントには市が2つあり、カンタベリー大主教のいるカンタベリーとロチェスター主教のいるロチェスターである。しかし、地方政府が再編された1998年からロチェスターは行政上の監督のできる市としての権限を失ったが、現在復活に向けた試みが行われている。その他の町は、下記の一覧表を参照のこと。
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「イングランドの庭園」という渾名のためにケントは絵に描いたような田園州と思われているかも知れないが、農業経営は今も産業である。何世紀以上も他の多くの産業は重要であったし、今も重要なものがある。羊毛製の生地製造、製鉄、製紙、セメント、工学、以上全ては工業分野である。漁業と観光は(特に海岸のリゾート地で)多くの人が従事している。東部ケントの炭田は、20世紀に採掘され、ダンゲネスにダンゲネス発電所がある。それでもサネット地域はイングランド南東部の最貧地区の1つと考えられている。
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フェリー港、英仏海峡トンネル、2つの自動車道は、ヨーロッパ大陸と結んでいる。マンストンとロチェスターに空港が、ヘッドコーンとリッドに小規模の飛行場がある。
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ケントに住む有名人は、チャールズ・ディケンズとチャールズ・ダーウィンなどがいる。ウィンストン・チャーチルの家だったチャートウェルもケントにある。
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ケントの史跡調査は、ヴィクトリア朝州史調査制度で制限されているが、広範囲にわたる調査は、1755年 - 1805年にエドワード・ヘイステッドにより50年以上にわたって行われた。ウィリアム・ランバルドは16世紀初期の作家であった。
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ケントはケント紙の発祥の地である。またタバコのケントも同地に由来があるとも言われている。
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テニス選手権の最高峰ウィンブルドン選手権で、優勝者を表彰するのはケント公である。
ケント | |
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<人>ベネディクト・ブリジャートン 男
- ブリジャートン子爵の次男
<人>コリン・ブリジャートン 男
- ブリジャートン子爵の三男
<人>ダフネ・バセット 女
- ブリジャートン子爵家の長女
- アンソニー・ブリジャートンの友人のサイモン・アーサー・ヘンリー・フィッツラヌルフ・バセットと結婚した。(「ブリジャートン家1」)
<人>エロイーズ・ブリジャートン 女
- ブリジャートン子爵家の次女
<人>フランチェスカ・ブリジャートン 女
- ブリジャートン子爵家の三女
<人>グレゴリー・ブリジャートン 男
- ブリジャートン子爵家の四男
<場>ブリジャートン家 オーブリー屋敷(ホール)
- ブリジャートン家の先祖代々の本邸
<人>ヒューゴ・ブリジャートン 男 故人
- 死んだアンソニー・ブリジャートンの叔父
1
<時>1814年4月20日
<人>キャサリン(ケイト)・グレイス・シェフィールド 女
- シェフィールド家の長女
- 「随一の美人の姉」と呼ばれる
- 髪も目も褐色の平凡
- 20歳、もうすぐ21歳
- 5年前に父親が他界
<人>エドウィーナ・シェフィールド 女
- ケイトの腹違いの妹
- ケイトより4歳下・・16歳
- 1814年のシーズンで、随一の美人と評されている
- バター色の髪に澄んだ青い瞳
- 読書家
<人>メアリー・シェフフィールド 女
- ケイトの育ての母で、エドウィーナ・シェフィールドの実母
<人>レディ・ホイッスルダウン
- レディ・ホイッスルダウンの社交界新聞
- ゴシップ記者
シェフフィールド家
- 5年前に父親が他界
- もともと裕福ではなかったが、父親が死んでからはさらなる倹約を強いられてきた・・・費用を工面してロンドンのシーズンにやってきたので、ケイトのデビューが遅い
<人>ペネロペ・フェザリントン 女
- フェザリントン家の三女
<動物・犬>ニュートン
- ケイトの愛犬
- 太めコーギー種
- カラメル色
『から騒ぎ』のなかでバルサザールが歌う『ため息はもうたくさん』
『から騒ぎ』
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『空騒ぎ』(からさわぎ、Much Ado About Nothing)
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ウィリアム・シェイクスピアによる喜劇。
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1600年に出版され、1623年のファースト・フォリオにも収録されている。
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『空騒ぎ』は名誉、恥、宮廷政治などに関する真剣な考察を含みつつも全体としては非常に陽気で楽しい作品であるため、一般的にシェイクスピアの喜劇の中でも最良の作品のひとつと考えられている。
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物語は二組の恋人同士を中心に展開する。ベネディックとベアトリスが策略にかかって互いに対する愛を告白するようになる一方、クローディオが恋人ヒーローを不実だと思い込んで結婚の祭壇で拒絶する。ベネディックとベアトリスは協力してこの間違いを正し、最後は二組が結ばれるのをダンスで祝って終わる。
バルサザール
- 『から騒ぎ』の登場人物
- ドン・ペドロの付き人
2
<時>1814年4月22日
毒人参(ヘムロック)
- ドクニンジン(毒人参、Conium)は、セリ科の有毒植物のひとつ。
- 多年草で薬草として使われる。ヨーロッパ(特に地中海地方)が原産の Conium maculatum と、北アフリカ原産の C. chaerophylloides の2種がある。葉の見た目から、「毒パセリ」とも呼ばれる。
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ドクニンジン (C. maculatum) の特徴
学名「コニウム・マクラトゥム」が意味する通り、ヨーロッパ種のほうが中毒性のある「毒草」として、はるかに有名である。ハーブとして有用な二年草で、1.5メートルから2.5メートルの高さに育ち、つるつるした緑の茎は、下半分に、たいてい赤か紫のぶちやまだらが入っている。ドクニンジンは、ソクラテスの処刑に毒薬として用いられたことが知られており、茎の赤い斑点は、ヨーロッパでは「ソクラテスの血」と呼ばれることもある。
小さな白い花は、花序の中で密集しており、全体で直径10センチメートルから15センチメートルほどになる。葉はきれいにレース状に分かれており、一様に三角形をしている。とりわけ若葉は、パセリや、山菜のシャクと見間違えやすい。また植物全体が、しばしばフェンネルやワイルドキャロット(菜人参の原種)と取り違えられる。種子はウイキョウ(フェンネルシード)に似ており、肉色をした根は、たいてい枝分かれしておらず、パースニップと取り違えられる。ドクニンジンは、植物全体が臭気を放っていることが特徴と言われているため、食用植物と区別するには、臭みが手がかりとなりうる。たとえばドクニンジンを潰してやると、葉と根は、腐ったような(あるいはカビ臭い)不快な臭いがするのに対して、フェンネルの葉は、アニスやリコリスのような芳香がする(ただしパースニップも同じくらい臭いといわれるため、どのみち注意は必要である)。ドクニンジンかそれ以外の安全な植物かの見分けがつかないような場合は、ドクニンジンの毒性の高さを考慮して、廃棄することである。
ドクニンジンは、かつては日本に自生していなかった。しかし近年北海道の山野に不法に持ち込まれたものが植生しており、このためシャクと誤認して採取され、摂取された結果の死亡例も報告されている(北海道のほかに、東日本やアジア各地、北米大陸、豪州などでも帰化植物となった例が報告されている。ドクニンジンは、しばしば水辺やどぶなど、水はけの悪い土地で発見される)。
ドクニンジンは、各種の毒性アルカロイド(コニイン、N-メチルコニイン、コンヒドリン、N-プソイドコンヒドリン、γ-コニセインなど)を含む。これらの毒の中でも最も重大なのがコニインである。コニインは神経毒性の成分で、中枢神経の働きをおかし、呼吸筋を麻痺させる。人間や家畜にとって有害である。
ドクニンジンは春に目立つ。春はかいばやまぐさが消えてしまうからである。ドクニンジンは全身に毒を含んでいるが、いったん乾かしてやると、大幅に毒は減る。それでも毒が完全に消滅するわけではない。葉の見た目から、「まだらパセリ ("spotted parsley")」という別名もある。蝶の中には、幼虫の頃にドクニンジンを好んで食べるものがある。
ドクニンジンは、英語では「ヘムロック」(「毒草」の意味)と呼ばれるが、この語は時どき、同じセリ科のドクゼリと混用されている(ドクゼリの英語の俗称は「ウォーター・ヘムロック」である)。ちなみにスペイン語やポルトガル語では、ドクニンジンのことを「シクータ ("Cicuta")」と呼ぶが、英語ではドクゼリの意味で「シクータ」を用いる。慣習的にこのような混乱が見られるものの、ドクニンジンとドクゼリの違いは、容易に見分けることができる。
3
<時>1814年4月22日
<人>ナイジェル・バーブルック 男
4
<時>1814年4月25日
<場>サーペタイン池
<人>ジェフリー・モントローズ
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<時>1814年4月27日
サーペタイン池に落ちて風邪をひいた妹エドウィーナ・シェフィールドが、音楽会に行かずに読書を楽しんでいた時読んでいた本
- オースティンの最新作
オースティンの最新作
- 舞台設定の1814年当時、ジェーン・オースティンはBy a Lady(某婦人)の著者名を使用していたので史実と異なる
アダム・スタイル
- 18世紀後期イギリスの建築家 R.アダムの繊細,軽快,優雅な古典様式を基本とした室内装飾の様式。彩色装飾の入念な仕上げと,浅いスタッコ装飾をきわだった特色とするほか,カーペットから金具にいたるまで,室内のすべての要素に細心の注意が払われている。代表作はヘアウッド・ハウス,オスタリー・パーク,ケドルストン・ホール,ケンウッド・ハウスの室内装飾で,いずれも 1760年代および 70年代の作である。
ロバート・アダム
- ロバート・アダム(Robert Adam, 1728年7月3日 - 1792年3月3日)
- スコットランド出身の建築家、家具デザイナー、インテリアデザイナー。
- イギリスに新古典主義建築を広めた。ロンドンに事務所を開設して、貴族の住宅を多く建設し、カントリー・ハウス(貴族が荘園に建てた邸宅)の作品も多い。
- ロンドンじゅうを魅了している新進ソプラノ歌手
- イタリア美人
- アンソニー・ブリジャートンの遊び相手
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<時>1814年4月27日
<場>ロンドン・ブリジャートン家
- 音楽会
7
<時>1814年4月27日
<場>ロンドン・ブリジャートン家
- 音楽会
- アンソニー執務室
8
<時>1814年4月29日
<場>ケント州・ブリジャートン本邸・オーブリー屋敷
9
<時>1814年4月29日
ペル・メル
- フランスで盛んな競技でペイユ・マイユという
- ペル・メル(イギリス: [pælˈmæl][1]、アメリカ: [pɛlˈmɛl]・[pælˈmæl]・[pɔːlˈmɔːl]
- 16世紀・17世紀に流行したローン・ゲーム(芝生の上で行う屋外競技)の一種で、クロッケーの原型になったとされる。
- 英語でのスペルには、Pall-mall、paille-maille、palle-maille、pell-mell、palle-malleなどがある。
- フェザリントン家の三女
- ペネロペ・フェザリントンは2シーズンめで、他の姉妹と同様に結婚を申し込む相手がいない
- フェザリントン姉妹の中で一番好感がもてる娘
- いつも母親の選んだ似合わない色のドレスを着ている
- 社交界で変わり者とみなされている母と姉を避けようとしている
<人>クレシダ・クーパー 女
- 美人
- ほっそり背が高く、金髪に緑の瞳
- 性格が悪い
<人>バジル・グリムストン 男
- 性格が悪い
- 無礼で傲慢でうぬぼれが強い
12
<時>1814年5月2日
<場>ケント州・ブリジャートン本邸・オーブリー屋敷
- 嵐の図書室
13
<時>1814年5月4日
蜂
14
<時>1814年5月4日
婚約
15
<時>1814年5月11日
<人>レディ・クーパー 女
- 悪評高い
- クレシダ・クーパーの母親
<人>ガートルド・ナイト 女
<人>レディ・ダンベリー 女
ダンガース
16
<時>1814年5月13日
結婚式
17
<時>1814年5月16日
初夜
18
<時>1814年6月10日
<人>ミスター・バグウェル 男
- エドウィーナの恋の相手
- 学者・・考古学
- 次男
19
<時>1814年6月13日
悪夢
雷
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<時>1814年6月13日
21
<時>1814年6月15日
ハイドパーク
ハイド・パーク Hyde Park |
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<人>レディ・ダンベリー 女
- 社交界の重鎮
- 年配のご婦人・・60~70歳
馬車の事故
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<時>1814年6月15日
アヘンチンキ
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アヘンチンキ (laudanum、opium tincture、阿片丁幾[1])
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モルヒネが高い濃度で含まれているため、アヘンチンキは歴史的に様々な病気の治療に使われたが、主な用法は鎮痛と咳止めだった。
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20世紀初頭まで、アヘンチンキは処方箋なしで買える場合もあり、多くの売薬の構成物質であったが、常習性が強いため、現在では世界の多くの地域で厳しく制限され、管理されている。現在では一般的に下痢の治療や、ヘロインや他のオピオイドの常習癖がある母親から生まれた子供の、新生児薬物離脱症候群を和らげるために用いられる。
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一部のヨーロッパ文化人もこれを愛用したといわれる。中国をはじめとするアジアでの、喫煙によるアヘン摂取と違い、アヘンチンキは腸を経由するため、常習性はあったものの、廃人となるようなことはそう多くなかった。
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英語圏ではローダナムとも呼ばれるが、現在の医学ではアヘンチンキの名称を用いることが多い。ローダナムという名前を与えたのはパラケルススで、その後時を経るにしたがって何種類かの処方のローダナムが誕生した。
販売会社 | 武田薬品工業、第一三共 |
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種類 | 麻薬、劇薬指定 |
エピローグ
<時>1823年9月17日
- 9年後の新聞記事
- エドウィーナはバグウェル夫人に
<人>エドウィーナ・バグウェル 女
- ケイトの妹
<人>マイルズ・ブリジャートン 男
- まだ幼い
- ケイトとアンソニーの子供
9年後、ケイトとアンソニーの間には、3人の子供がいる
読者のみなさまへ
ジュリアン・クインの設定
- アンソニー・ブリジャートンは92歳まで生きる
訳者あとがき
ジュリアン・クイン
- 19世紀初頭から2世紀を経て読み継がれる女流作家、ジェーン・オースティンの影響をうけたロマンス作家