9 世界観
- 島々は海神(わたつみ)の抜け殻から生まれた。
- ゆえに島々のすべては海神(わたつみ)のもの。
- 海神(わたつみ)は、深く暗い水底に憩い、蟠(わだかま)る。
- 海神(わたつみ)の声を聞けるのは、巫女(みこ)王霊子(れいし)ただひとり。
- 巫女(みこ)王の島に集う巫女(みこ)たち。『海神(わたつみ)の娘』は、託宣(たくせん)により島への領主に嫁ぐと決まっている。
9 【🔎】ワタツミ
9 【🔎】蟠(わだかま)る
11 禍殃(かおう)一曲
11 【🔎】禍殃(かおう)
13 霊子(れいし)
- 巫女(みこ)王
- 海神(わたつみ)の声を聞ける
13 神の泉
- 霊子(れいし)の愛しき海若(かいじゃく)のすみか
13 海若(かいじゃく)
- あぶくが水底から湧きあがり、水面ではじける。それらは海若(かいじゃく)の言葉。
- 玉の触れ合うような、美しい言葉。
- 霊子(れいし)にしか聞きとれない、神の言葉を伝える。
- <海若(かいじゃく)とは、海神(わたつみ)そのもののことか?
14 翩翩(へんべん)
- 黒鵐(くろじ)の名前
- 巫女(みこ)王霊子(れいし)の命令で、島の領主に嫁ぐ『海神(わたつみ)の娘』を見守る。
14 【🔎】翩
14 【🔎】黒鵐(くろじ)
*
14 忌(き)
- 楽師の家に生まれた。
- 父は笛、母は琴(きん)の名手として知られ、ともに儀式のさいには必ず呼ばれた。
- 笛の才を見込まれ、10歳にならぬころから他家の師匠、徴(ちょう)のもとにやられた。
14 楽
- 海神(わたつみ)から与えられた、海神(わたつみ)へ捧げる音。
- 調和を奏でる音曲は人のためにあるのではなく、海神(わたつみ)を喜ばせ、慰め、楽しませるためにある。
14 楽師
- 神へささげるものだから、楽師は幼いころから厳しく仕込まれる。
- 楽の才がないとわかれば、表舞台に立てない。
- 儀式で楽を奏でられるのは、選りすぐりの楽師だけ。
14 徴(ちょう)
- 笛の才を見込まれた忌(き)が10歳にならぬころから預けらた、他家の笛の師匠。
- 当代きっての笛の名手。
- 忌(き)が弟子になった時すでに60という高齢だった。
- まわりからは。師徴(ちょう)と呼ばれた。
- 徴(ちょう)は盲目で、忌(き)は笛を習うとともに、相(しょう)という付き添い役も務めた。
- 稽古に厳しく、無駄口を嫌う。
- 師徴(ちょう)は毎朝、城の廟(びょう)に出向き、他の楽師と共に楽を奏でるのは、領主の祖霊、それにつながる海神(わたつみ)へ捧げる楽曲。
16 領主
- 必ず『海神(わたつみ)の娘』の血を引く。
- 海神(わたつみ)に選ばれた、海神(わたつみ)に仕える巫女たちが、『海神(わたつみ)の娘』。彼女たちは託宣(たくせん)により島々の領主に嫁ぐから。
16 沙来(しゃらい)
- 忌(き)の住む島。
- 小さな島。
16 沙文(しゃもん)
- 沙来(しゃらい)のすぐ隣にある、沙来(しゃらい)よりもずっと大きな島。
16 沙来(しゃらい)と沙文(しゃもん)が、また戦になる、今回の原因
- 沙文(しゃもん)の行人(こうじん)(外交官)が無礼を働いたので、捕虜した。
17 師徴(ちょう)の住まい
- 城内にあるが、廟から遠い。
- 宮城内の外れの詫び住まい。
17L5
17L14
- 楽の調和は、領の調和の意味
17 沙来(しゃらい)と沙文(しゃもん)
- 長年、しょっちゅう小競り合いを繰り返している。
- どちらの領も、金の鉱山が多くあり、採掘量を競っている。
18 沙来(しゃらい)と沙文(しゃもん)の戦のルール
- 海で行われる。
- 島に乗り込んだり、領主を殺したりはしない。島も領主も海神(わたつみ)のものだから。:島は蛇神たる海神(わたつみ)の抜け殻からできて、領主は「海神(わたつみ)の娘」を娶(めと)るから侵してはならぬ領域だから。
- おたがいに兵士は精鋭をそろえ、軍船を改良を重ね、優秀な水手(かこ)を育てる。相手の有能な兵士や将をお金で引き抜くこともある。
18 海神(わたつみ)の怒ればおこること
19 その年の戦は引き分けに終わる。
19 明くる年
- 忌(き)は15歳になっていた。
19 岬で師徴(ちょう)に笛を習う
19 風の向こうから音がする
- 滅びの曲
- 師徴(ちょう)に笛をたたき落とされ、叱られ、破門を宣言される
22 瑗(えん)
- お妃
- 30半ばの婦人
- 佳人
- 結いあげたつややかな黒髪に黄金の花を挿している。
- 袖口から、手の甲の文身(いれずみ)は、斜め格子の模様。
- 藍の衣
- 領主の、沙来の君の妃で、『海神(わたつみ)の娘』
22 瑗(えん)
21 文身(いれずみ)
- 島々では皆、土地や一族ごとに異なる部位に異なる文身(いれずみ)を入れる。
- 例えば、師徴(ちょう)は肩に山形の文身(いれずみ)、忌(き)は腕に縄目模様の文身(いれずみ)。
22 瑗(えん)は忌(き)に滅びの音を吹かせろと師徴(ちょう)に助言。
- 忌(き)は師徴(ちょう)から破門されずにすんだ。
23 忌(き)の名
- あえて不詳の名を冠することで、吉祥を呼び込もうという祝福の籠った名だと、瑗(えん)は言った。
24 城の外の岬から海を見るのが、は瑗(えん)のお気に入りの場所
- 岬で笛の稽古を続ける忌(き)に、ときおり瑗(えん)が現れ、笛を聞きたがったり、とりとめもない会話をすることもあっった。
- 黒鵐(くろじ)の翩翩(へんべん)が瑗(えん)についてきて、瑗(えん)の髪に挿した花を啄もうとするので、よく瑗(えん)に叱られた。
24 瑗(えん)は、雨果(うか)の出身
- 母が薬師
- 母と金梅花の思い出を忌(き)に語る。瑗(えん)の髪に挿している花は、金梅花。
24 戚(せき)
- 沙来(しゃらい)の君
- 瑗(えん)はわが君と呼ぶ。
- 壮健な偉丈夫。
- 気難しく冷徹だと言われている。
- 歴代の領主はいずれも好戦的で猛々しいかった。それに比べれば当代は戦が少ないほう。先代からの老臣がやたらと戦をしたがるので、うっとうしがっているらしい。
25 翌年の晩秋
- 沙文(さもん)との戦がおこる。
- 原因は、沙来(さらい)で沙文(さもん)を嘲る歌を流行らせているという言いがかりが発端。
- 領主・戚(せき)が、目を射貫いて、船から海へ落ちた。
- 海神(わたつみ)への配慮で、領主は狙わぬのが戦の決まりだった。吹き荒れる風がそれを破り、戦場は敵も味方も混乱に陥り、双方退却した。
26 領主・戚(せき)の亡骸は、発見されなかった。
- 同乗していた将と兵士は、皆、自裁して果てた。
26 嵐が押し寄せた。
- 神罰だと、人々は恐れた。
- 忌(き)は滅びの曲のせいではないかと、沙来(さらい)の君の死を招いたのは自分のせいではないかと責める。
27 瑗(えん)は海神(わたつみ)に祈り、海に身投げする。
- 沙来(さらい)の罪は私が負うから、夫の体を返してもらえるようにと。
- 黒鵐(くろじ)の翩翩(へんべん)が瑗(えん)の藍の衣を追いかける。
- 嵐がいつの間にかやむ。
28 まもなく領主・戚(せき)の亡骸は浜へ打ち上げられた。
- 長らく水に浸かっていたのに、美しい亡骸であった。
28 瑗(えん)の亡骸は見つからなかった。
- 海神(わたつみ)がとっていったのだ。
28 忌(き)は、笛を吹くのをやめた。
- 笛は、瑗(えん)が身を投げた岬から、海へと投げ捨てた。
28 数年がたった。
- 次の領主だと託宣がくだっていた、戚(せき)と瑗(えん)の息子が沙来の君となり、『海神(わたつみ)の娘』が嫁いできた。
28 累(るい)
- 嫁いできた『海神(わたつみ)の娘』
- 17歳の少女、沙来の君幕(ばく)と同い年
- 明朗
- 生まれは花勒(かろく)
- 豪商の娘として育った
- 12の歳に『海神(わたつみ)の娘』に選ばれ、巫女王の島に渡り、島では機織りをして過ごした。
28 幕(ばく)
- 沙来の君
- 17歳
- 戚(せき)と瑗(えん)の息子
- 父親ゆずりの恵まれた体格と、母親ゆずりの美しい顔立ちをしていた。が、顔に若さに似合わぬ翳(かげ)と苦悩が刻まれていた。
28 忌(き)は、師徴(ちょう)にに頼み込み、累(るい)の従者のひとりになった。
- 側に仕え、累(るい)を守ることが、瑗(えん)への罪滅ぼしになると思ったから。
29 『海神(わたつみ)の娘』は、政(まつりごと)に嘴をいれてはならぬ決まり。
- 巫女王の島でも、政治のことは教えていない。
- 沙来のことをよく知らないまま嫁いだ
29 累(るい)は、忌(き)が『奥方様』と呼ぶのを嫌い、『累(るい)様』と呼ぶにおちついた
29 累(るい)は、しばしば浜辺に行きたがった。
- 城から最も近い浜へ
- 戚(せき)の亡骸が流れ着いた場所だったので、沙来の者は誰も近づきたがらない。
- 呪われている、神罰がくだると流言
- 浜昼顔(はまひるがお)の生い茂る場所で、累(るい)は好んだ:花勒(かろく)の家の近くの風景に似ていたから
30 花勒(かろく)の累(るい)の両親
- 累(るい)の父親の商売は、珠玉商
- 累(るい)の母親は、漁の投網(とあみ)に使う糸を紡ぐのが仕事
- 父親は城下に住んでいて、母親の住む漁村に商いで立ち寄って、母を見初めて囲った。
30 領主は妾を置くことはめったにない
- 海神(わたつみ)の機嫌を損ねるのを恐れて、『海神(わたつみ)の娘』を娶った領主はめったに妾を置かない
31 婚儀の晩以来、沙来の君・幕(ばく)は累(るい)のもとを訪れないという召使いの間の噂
33 浅浅(せんせん)
- 累(るい)の鳥
- 茶褐色の小鳥
- 鷦鷯(みそさざい)
33 【🔎】鷦鷯(みそさざい)
36 最初の晩にもめたので、幕(ばく)が忌(き)に累(るい)の好きなものを尋ねて、浜昼顔を累(るい)の居室の前庭に移植したが、数日でしおれて枯れてしまい、幕(ばく)が落胆する。
38 累(るい)がわざと幕(ばく)を不快にさせつような一言を言う理由は、最初の晩に、幕(ばく)から海神(わたつみ)が嫌いだから、累(るい)を娶りたくなかったと伝えられたこと。それは母君が父君の亡骸を返してもらうために、海神(わたつみ)に身を捧げたのが理由だと累(るい)も理解しているが、その憤りを自身にぶつけられるのはどうかと思っているから。
39L3
39L6
- <よりそいたいという気持ちが出ている累(るい)のことば。
40 忌(き)のすすめを生真面目に耳を傾け、幕(ばく)は直接累(るい)に謝ってから、ふたりは仲睦まじくなった。幕(ばく)の累(るい)が縫った衣には浜昼顔の刺繍が施され、累(るい)の髪には金で浜昼顔をかたどった簪(かんざし)が挿してある。似合いの夫婦。
40 やがて累(るい)は身籠り、一子を産んだ。
40 由(ゆう)
- 幕(ばく)と累(るい)の男児。
41 数日後、巫女王からの使者が来て、「その子は次の沙文の領主になるであろう」と信託を告げた。
- 不可解な信託は、公には伏せられ、表向きは「沙来の領主」と信託が告げられた。
41 晩秋のこと、沙文の朝廷は沙来からの使者を、領主に対する拝礼のしかたが無礼だったという理由で斬り捨て、戦がはじまった。
- 久しぶりの戦で兵は沸き立つ。
- 雷雨が広がり雷が落ち、雷雲は沙来、沙文の島に広がり雷が落ち、大火になる。
43L10
44L2
- 炎をさけながら逃げた先は、笛の稽古の励み滅びの音色を聞いてしまい、瑗(えん)が身を投げたあの岬。
- 忌(き)は、累(るい)に由(ゆう)を抱きかかえさえ岩陰に隠れさせ、2人に狼藉者を近づけぬように岩陰を離れる。
44 浅浅(せんせん)が、忌(き)の頭上から捨てたはずの彼の笛を落とした。
- 海神(わたつみ)に所望された気がして、忌(き)は笛を奏でる。浅浅(せんせん)の鳴き声がひとつになる。
- 音色に惹き付けられて、何人もの人間があとを追いかけてくる。忌(き)は風と炎、鳥の音のなかに、海神(わたつみ)の声を聞いた気がした。
*
46L9
4612
- 『海神(わたつみ)の娘』である累(るい)に芽生えた海神(わたつみ)への疑問
46 ふいに笛の音がやみ、轟音とともに雷が落ちた。浅浅(せんせん)に導かれるように火の手が上がっている林のほうへ。
- 雷が落ちた場所
- 木も地面も人間も燃えていた
- 忌(き)が仰向けに焼けこげずに倒れている。どこも傷ひとつ見当たらなく、笛を抱え、満足そうな笑みを浮かべて、眠るように死んでいた。
48 再び浅浅(せんせん)に導かれるように岬へ。小舟が一艘(そう)浜辺に近づき、櫓(ろ)を漕ぐ水手がひとり、巫女王の使者である藍色の衣を身にまとった媼(おうな)がやって来て、沙文へ向かえと告げる。
- 由(ゆう)が沙文の次の領主である
- 沙来は滅ぶ:ほぼ焼き尽くされ、金も採取できない、人も住めないから残った者は沙文へ移住せよ
- 沙文の領主一族はことごとく雷に打たれて死んでいる。よって領主は沙来の生き残りとする。
- 沙来の領主と一族も死んだ。
48 媼(おうな)
- 巫女王の使者
- かつて累(るい)を迎えにきた媼(おうな)だった。
50 累(るい)は沙来の血族の者として息子が憎しみのまま殺されるのを避けるため、由(ゆう)が領主の子であることを隠し、自分は巫女王の使者の媼(おうな)と偽って、沙文へ渡る決意をする。
51 沙文の『海神(わたつみ)の娘』
- 領主を見捨てて従者とともに、船で逃亡した。どこへ行ったか知らない。
- 海神(わたつみ)の思し召しはわからないが、沙文の『海神(わたつみ)の娘』を見逃した。
- <沙文の『海神(わたつみ)の娘』が、『烏衣の華』に登場するんだな・・・
*
52 海神(わたつみ)こと海若(かいじゃく)は、滅びの曲をもう一度聞きたかっただけ。
- 最初からか、霊子(れいし)が巫女王に選ばれたときより以前、悠久のときのなか、海若(かいじゃく)はなにもかわらない。
- 霊子(れいし)にこわれ、新しい沙文の領主に、幸せであるように絶えることない海神(わたつみ)の加護を授けることを約束する海若(かいじゃく)。
55 黄金のうたかた
57 璋(しょう)
- 沙文(しゃもん)の名門、良鴇(りょうほう)一族の娘
- 父は朝廷の令尹(れいいん)(宰相)
- 母もまた名門一族
- 歳の離れた上に兄が2人、姉が1人
58 10歳ごろの冬、璋(しょう)が厨房の外の井戸端で青菜を洗う嬰(えい)に会った。
58 嬰(えい)
- 共に10歳のころ、璋(しょう)と出会った
- 口数が少ない子
- 肌の浅黒い瘦せぎすの少女
- 家族は母親ひとりきりで、母親も嬰(えい)も婢(はしため)
58 婢(はしため)の娘は、婢(はしため)
- 当時の沙文の決まり
59 母が病気で元気のない嬰(えい)に、自分の腕輪を換金して医者にみてもらってほしいと、無理やり手渡す璋(しょう)。翌日、盗みを働いたと男に棒で打たれる嬰(えい)を止めに入る。結局疑いは晴れるが、嬰(えい)の母親は死んでしまった。
62 数日後、璋(しょう)の家に巫女王のもとから使者が来て、嬰(えい)を『海神(わたつみ)の娘』として迎えに来た。
64 嬰(えい)が巫女王の島へと去り、数年がたった。璋(しょう)は17歳。
64 父母に連れられ梅見へ出かけ、偶然を装って鴇家(しが)家の嫡男と出会わせられる璋(しょう)。
- 璋(しょう)の結婚相手
64 展(てん)
- 鴇家(しが)家の嫡男
- 武人のような体格ながら、風雅さも備えた青年
- 口数は少なく、唇は凛々しく引き結ばれている
64 璋(しょう)の父親は、展(てん)は令尹(れいい)(宰相)になる男だと見込んでいる。
- 嫁入りは、一年後に決まった。
65 沙文の君のもとに『海神(わたつみ)の娘』が嫁いでくるので、父親が決めて璋(しょう)が、『海神(わたつみ)の娘』の侍女を務めることになった。
- 『海神(わたつみ)の娘』は政はかかわらないが、領主の夫人に娘をはべらせ、夫人への影響力は持っていたいと父親の考え。
66 婚儀の翌日、初めて顔合わせをした『海神(わたつみ)の娘』は、嬰(えい)だった。
- 昔とは別人、肌は白く、よく笑い、よくしゃべる娘。
67 嬰(えい)は、侍女頭を名門の家柄の璋(しょう)ではなく、別の娘を選んだ
67 嬰(えい)は、かつて良鴇(りょうほう)家の婢(はしため)であったことを隠そうとはしなかった。
- 嬰(えい)から直接の指示を受けるのは侍女頭で、璋(しょう)は雑用をしていたので、嬰(えい)と言葉を交わす機会はなかったので知らなかったが、嬰(えい)がときおり肩をさすり、古傷が痛むと侍女に訴え、それが婢(はしため)だったころ、良鴇(りょうほう)家で受けた暴力の傷で、お嬢様の腕輪を盗んだ濡れ衣を着せられたせいだと口にしたのが、周囲は、良鴇(りょうほう)家が婢(はしため)を虐待していて、それに璋(しょう)が加担していたと噂になり、璋(しょう)は屋敷内で孤立した。
69 鴇家展(しがてん)が心配して璋(しょう)に会いに来てくれた時、もう何年もなかった戦がおこるときいた。
- 沙文と沙文は長年戦を飽かず繰り返してきたしだがらだが、前の戦で沙来の領主が亡くなって以降、新たな戦はおこっていない。
- 領主を狙わないのが暗黙の了解であったのに、風向きのせいでも、矢で射殺してしまったことを沙文でも問題視したから。
- 璋(しょう)に侍女をやめて戻ってもいいというのは、噂のせいで父親の政治的立場が悪くなったわけではなく、戦になれば、令尹(れいい)(宰相)も左軍の将として海に出るので、その前に娘とゆっくり過ごしたいのでしょうと、鴇家展(しがてん)がなぐさめた。
72 嬰(えい)の鳥は、鶚(みさご)
- 名前では呼ばない
- あれは海神(わたつみ)の鳥で、嬰(えい)を見張っている忌々しい鳥だと、璋(しょう)に言っている。
72 【🔎】鶚(みさご)