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*本と映像の切れない関係
キューバンサンドイッチ
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ハムとチーズのサンドイッチの一種で、元々はフロリダに昔から存在している2つの移民のコミュニティーであるキーウェストとタンパのイーボーシティでキューバ人労働者に提供されていたものである。その後、キューバ人亡命者や国外移住者たちがマイアミに持ちこみ、そこではキューバンサンドイッチは今もなお人気がある。
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キューバンサンドイッチはキューバンブレッドにハム、ローストポーク、スイスのチーズ、ピクルス、マスタードそして時にはサラミで作られる。
- 2012年、「歴史的なタンパ・キューバンサンドイッチ」は、タンパの市議会によって「タンパ市の象徴」として指定された。
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キューバンブレッドと同様に、キューバンサンドイッチ(時には「キューバミックス」や「ミクスト」や「キューバ・プレスト・サンドイッチ」や「クバーノ」と呼ばれる)の起源は曖昧である。1800年代後半から1900年代初期には、フロリダ、特にキーウェストやタンパからキューバの間の移動は容易であり、雇用、娯楽、家族の訪問の為に船で行き来していた。大量の人々及び文化、思想が絶え間なく流動していた為、このサンドイッチがいつ、どこで生まれたのかをはっきりと言う事は不可能である。
1860年代からこのサンドイッチは、キューバ(特にハバナやサンティアーゴ・デ・クーバなどの大都市)の葉巻工場や砂糖工場と、そしてキーウェストの葉巻工場の両方において労働者たちの日常的な昼食であったとみられている。歴史家ロイ・グレン・ウエストフォールは「キューバで生まれ、キーウエストで学んだサンドイッチである」と述べた。
フロリダの葉巻産業は1880年代にタンパに移り、サンドイッチはすぐにイーボーシティで広まり、後にはウェストタンパの労働者たちのカフェに登場した。他の歴史家たちは、今あるサンドイッチがはじめて登場したのはそこであると分析している。歴史家アンドリュー・ヒューズは 「旧来の“ミクスト”(ミックスの意)がここにおいて今日愛されるタンパ独自のキューバンサンドイッチへと結実した。」と述べた。
キューバでフィデル・カストロが1959年に権力を握った後、多くのキューバ系住民が流入したので、1960年代までにキューバンサンドイッチはマイアミのカフェテリアやレストランのメニューでも普通に見られるようになった。共産主義革命はキューバ人在住者たちの他の地への移住の波を引き起こし、その上彼らは彼らの文化や料理をもたらした。キューバンサンドイッチとその派生料理は現在、とりわけニューヨーク、ニュージャージー、シカゴ、プエルトリコのような場所のさまざまなキューバ人国外在住者のコミュニティーで提供されている。
グリルドサンドイッチ