サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇 (新潮文庫) (日本語) 文庫 – 1953/4/10
オスカー ワイルド (著), Oscar Wilde (原著), 西村 孝次 (翻訳)
サロメ (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 2000/5/16 ワイルド (著), Wilde (原著), 福田 恒存 (翻訳)
かさじぞうから
かさじぞう (松谷みよ子むかしむかし) (日本語) 単行本 – 2006/12/10
松谷 みよ子 (著), 黒井 健 (イラスト)
かさじぞう (日本語) 単行本 – 1966/11/1 瀬田 貞二 (著), 赤羽 末吉 (イラスト)
仏陀から
ブッダ全12巻漫画文庫 (潮ビジュアル文庫) (日本語) 文庫 – 2000/4/1 手塚 治虫 (著)
ブッダのことば: スッタニパータ (岩波文庫) (日本語) 文庫 – 1984/5/16 中村 元 (翻訳)
猫から
フルーツバスケット (1) (花とゆめCOMICS) (日本語) コミック – 1999/1/1 高屋 奈月 (著)
魔女の宅急便 (福音館文庫 物語) (日本語) 文庫 – 2002/6/20 角野 栄子 (著), 林 明子 (イラスト)
魔女の宅急便〈その2〉キキと新しい魔法 (福音館文庫 物語) (日本語) 単行本 – 2003/6/20 角野 栄子 (著), 広野 多珂子 (イラスト)
エジプトから
古代エジプトうんちく図鑑 (日本語) 単行本 – 2004/5/1 芝崎 みゆき
ゆるゆる神様図鑑 古代エジプト編 (日本語) 単行本(ソフトカバー) – 2019/10/17
大城 道則 (著), 橋本 ゆきみ (著)
リトル・ブッダ
- キアヌ・リーヴス (出演), ブリジッド・フォンダ (出演), ベルナルド・ベルトルッチ (監督)
ハムナプトラ/失われた砂漠の都
- ブレンダン・フレイザー (出演), レイチェル・ワイズ (出演), スティーヴン・ソマーズ (監督)
ハムナプトラ2/黄金のピラミッド
- ブレンダン・フレイザー (出演), レイチェル・ワイズ (出演), スティーヴン・ソマーズ (監督)
- ブレンダン・フレイザー (出演), ジェット・リー (出演), ロブ・コーエン (監督)
アベンジャーズ/エンドゲーム
<人>モッガラーナ
- 目連(もくれん、梵:Maudgalyāyana マウドガリヤーヤナ、巴: Moggallāna モッガッラーナ、意訳:菜茯根,采叔氏,讃誦、音写:目犍連,目健(腱)連)
- 古代インドの修行僧であり、釈迦仏の十大弟子の一人
- 正しくは目犍連(もくけんれん)であるが、目連と呼ばれることが多い
- 目連は原始仏教教団の長老の一人として十大弟子に列せられており、優れた神通力の使い手として神通第一と称された
- 釈迦の直弟子中でも舎利弗と並ぶ二大弟子として活躍したことから、Mahā(マハー,摩訶=大)を冠してマハーモッガッラーナ、摩訶目犍連、大目犍連などとも記される。また、パーリ名はテキストの異同によっては一部、モッガラーナ(Moggalāna)とも表記される。
- マガダ国の王舎城北、拘利迦(コーリカ、或いはコーリタ)村のモッガリヤ(Moggaliya)というバラモン女性の子で、もとは拘律多(コーリタ)といった。なお『盂蘭盆経』では父を吉懺師子(きっせんしし)、母を青提女(しょうだいにょ)というが、これは中国において作成された偽経とされている(後述)。
- 彼は容姿端麗で一切の学問に精通していた
- 幼い頃から隣のナーラダ村の舎利弗(シャーリプトラ)と仲がよかったが、ある日、人々が遊び戯れている姿を見て、厭離の心を生じ出家を共に決意し合った。彼らは当初、500人の青年たちを引き連れて六師外道の一人、懐疑論者サンジャヤ・ベーラッティプッタに弟子入りしたが満足せず、「もし満足する師が見つかれば共に入門しよう」と誓い合った
- 後に舎利弗がアッサジ(阿説示)比丘に出遭い釈迦とその理法の一端を知ると、目連にも知らせて共にサンジャヤの下を去り、250人の弟子衆を引き連れて竹林精舎に到り釈迦の弟子となった
- 目連は後に証果(悟り)を得て、教団の長老の一人として各地に赴き釈迦の教化を扶助した
- 彼は神通力によって釈迦の説法を邪魔する鬼神や竜を降伏させたり、異端者や外道を追放したため、多く恨みをかったこともあり、逆に迫害される事も多く、特に六師外道の一つジャイナ教徒からよく迫害されたという
- 釈迦教団の長老の一人であったデーヴァダッタ(提婆達多)の弟子たちに暗殺されかかったともいわれている
- また釈迦族を殲滅せんとしたコーサラ国のヴィドゥーダバ王(毘瑠璃王)の軍隊を神通力をもって撃退しようとして、釈迦から制止されたりしたこともあった
<人>サーリープッタ
- 舎利弗(しゃりほつ、梵:Śāriputra、Śāradvatīputra[1] शारिपुत्र、शारद्वतीपुत्र シャーリプトラ、シャーラドヴァティープトラ、巴: Sāriputta सारिपुत्त サーリプッタ)は古代インドの修行僧であり、仏教の開祖釈迦仏の十大弟子の一人
- 原語名シャーリプトラのシャーリ(サーリ)は母親の名前「シャーリー(鶖鷺)」から取られており、プトラ(プッタ)は「息子」を意味するため、漢訳では舎利子(しゃりし)や鶖鷺子(しゅうろし)とも表記される
- 舎利弗は釈迦の直弟子の中でも上首に座した
- 特に十大弟子の筆頭に挙げられ智慧第一と称され、親友かつ修行者として同期であった神通第一の目連(モッガラーナ)と併せて二大弟子とも呼ばれる
- 舎利弗は北インドのマガダ国の首都王舎城(ラージャグリハ)北部のナーラカ村出身で司祭階級(バラモン)の家柄であり、幼名はウパティッサ(巴: Upatissa)といった
- 彼は生来聡明であったのでバラモンの跡継ぎとして期待されながらヴェーダ聖典を着実に修めていたが、次第にバラモン教への不信感を募らせるようになり、隣の村に住んでいた親友の目連と共にバラモン教にとらわれず自由に思考を巡らせて真実の理法を求める出家修行者、すなわち沙門になった
- 初め二人は王舎城で名を馳せていた自由思想家(六師外道)の一人、不可知論者サンジャヤ・ベーラッティプッタに師事する。舎利弗はすぐにサンジャヤの教義を体得してサンジャヤ教団の高弟となったが、ある日、釈迦の弟子の一人アッサジ(阿説示)と出会い、アッサジを通じて釈迦の教えの一部を聞いたとたんに預流果(悟りの最初の段位)に達したと伝えられる
- 舎利弗は目連と相談して釈迦教団への改宗を決断すると、サンジャヤ教団の弟子信徒250人も二人に追従してサンジャヤの下を離れて、釈迦仏に帰依した
- 王舎城で名声と勢力を誇っていたサンジャヤ教団から高弟2人と徒弟250人が離脱したことに対する世間の動揺も大きく、釈迦教団の存在が知れ渡る一因にもなった
- 釈迦の弟子となった舎利弗はすぐに最高の悟りを得て教団の上首となった。釈迦からの信任も厚く、時には釈迦に代わって説法を委ねられることもあり、釈迦の実子である羅睺羅(ラーフラ)の師僧も任されていた
- またある時、教団の上首の一人デーヴァダッタ(提婆達多)が法臈の浅い比丘500人を引き連れ象頭(ガヤ)山に籠り釈迦教団からの分離独立を謀った事件(破和合僧罪)では、そこに舎利弗が出向いて説法をしたことによって下臈の比丘たちを挽き戻すことに成功しており、その際、彼が説法をした時に起きたブロッケン現象に比丘たちが驚いたことが引き戻る契機になったともいわれる
- 舎利弗と目連の二大弟子は、釈迦よりも年長ではあったものの教団の後継者になるであろう人物として注目されていた。しかし最有力とされた目連が外道に撲殺されてしまい、相次いで舎利弗もまた晩年に重い病に罹ると、釈迦の許しを得て侍者チュンダとともにナーラカ村(Nālakagāma)に帰郷し、母に看取られながら病没した。
- 実際に釈迦の入滅後に教団の後継者となったのは十大弟子の頭陀第一と称された摩訶迦葉であった
<悪魔>マーラ
- マーラ(Māra)
- 釈迦が悟りを開く禅定に入った時に、瞑想を妨げるために現れたとされる悪魔、魔神
- 愛の神カーマと結び付けられ、カーマの別名又はカーママーラとして一体で概念されることがある
- マーラを降すことを降魔という
- 煩悩の化身であるマーラにとって、釈迦が悟りを開く事は自身の破滅につながる。そこで手始めに釈迦のもとに美しく技に長けた三人の娘達を送り込むが、釈迦は数々の誘惑に屈せず、続いてマーラは恐ろしい形相の怪物達に釈迦を襲わせたが、なぜか釈迦に近づくことはできなかった。岩石やありとあらゆる武器を降らせ、周囲を暗闇に覆っても釈迦は動じず、最後はマーラ自らが巨大な円盤を振りかざして向かっていくが、円盤は花輪となった。こうしてマーラは敗北を認め、釈迦は悟りを開いた
- 魔王マーラ・パーピーヤス(Māra Pāpīyās、天魔波旬、魔羅、天魔、悪魔などの漢訳がある)
- マーラの語義は「殺すもの」であるとも、「死」の人称形とも言われる。
- パーピーヤスは「より以上悪いもの」の意。
- しかし、仏伝には天(deva、神)であるとの記述があり、「天」魔と呼ばれるのは、ここに由来する。そのためインドにおける肌の黒い被支配者が崇拝した神々を起源とする説もある。
- 摩と書かれていたのを梁の武帝蕭衍が、魔に改めたとされる
- マーラは原始聖典の阿含経『相応部』の「悪魔相応」Māra samyuttaに書かれている。
- マーラと外教徒をあわせて悪魔外道と呼ぶ
- 日本においては、マーラが釈迦の修行の邪魔をした故事から、修行僧達が煩悩の象徴として男根を“魔羅(まら)”と呼ぶようになったという。現在では一般社会でも同様に隠語として使用される
<人>サロメ
トーフ・オン・ファイアー
- Tofu on fire
- チューリップの名札の絵文字
<人>アナンダ
- 阿難(あなん、梵/巴:Ānanda आनन्द アーナンダ 阿難陀)
- 釈迦の十大弟子の一人であり、釈迦の侍者として常に説法を聴いていたことから多聞第一(たもんだいいち)と称せられた。
- 禅宗では摩訶迦葉の跡を継いで仏法付法蔵の第3祖であるとする。
- 阿難陀は漢語意訳では歓喜・慶喜とも記される。
- なお各種仏典には、仏弟子や龍王をはじめとして、「-nanda(○○難陀)」という名前が頻繁に登場する。たとえば孫陀羅難陀も本項の阿難陀と名前が似ているため、よく混同されるが別人である
- 彼の出身は経典によって諸説あり一致しない(後述)が、一般的には釈迦の従弟で、様々な経典に釈迦とその教団に違背した悪人として描かれているデーヴァダッタ(提婆達多)の弟と言われる。
- 彼は、釈迦が成道した夜に生まれたといわれる。
- 大智度論によると、彼の父である斛飯王(こくぼんのう、ドローノーダナ)が、釈迦の実父であるシュッドーダナ王(浄飯王)のもとに使者を送り、阿難の誕生を知らせた時、浄飯王は非常に喜んだので「アーナンダ(歓喜)」と名づけられたといい、また国民は皆、王子の誕生を喜び、それによって名づけられたともいわれる。
- 彼も阿那律(アヌルッダ)などの諸王子と共に釈迦仏の元に赴き仏弟子となった。時に釈迦が55歳、阿難が25歳といわれる(もしくは8歳で沙彌=年少の修行者となったという説もある)。
- なお、『仏本行集経』によると、出家する時に釈迦仏から許しを得ず、阿難と提婆達多の2人だけは、雪山(ヒマラヤ)のふもとの長老、優波陀(ウバッダ)に就いて出家し具足戒を受け、師の許しを得て仏所へ赴いて弟子となったとされる。
- 彼は美男子ゆえに、女難を被ることが度々あったと言われるが、志操堅固にして身を護り修行を全うした。
- また智慧多くして諸経を持誦していたが、心を摂する点に欠け、定と慧が均等でなく、漏尽通を起くことができず、仏の入滅時には未だ有学の人で阿羅漢果を得ていなかったと言われる。
- 釈迦の養母・摩訶波闍波提(まか・はじゃはだい=マハー・プラジャパティー)たちが出家する際、釈迦が女人の出家をなかなか認めなかったので、阿難が釈迦仏を説得し、釈迦が女人の出家を認めるようになったことは特筆する点である。
- 出家後、釈迦が死ぬまで25年間常に近侍し、身の回りの世話も行っていた。そのため釈迦の弟子の中で教説を最も多く聞きよく記憶していたので「多聞第一」といわれ、第1回の経典結集には彼の参加が望まれたが、当時結集への参加資格であった阿羅漢果を未だ得ていなかったので、釈迦の後継者であった摩訶迦葉(まかかしょう)は、阿難の参加を認めなかった。そのため彼は熱誠を込めて瞑想修行を続け、あるときその疲れから寝具に倒れ込んだ拍子に忽然と悟り、ついに阿羅漢果に達したという。ときに経典結集当日の朝のことであったという。
こうして王舎城・七葉窟にて行われた第1回の経典結集に晴れて参加した阿難は、記憶に基づいて釈迦の教えを口述し、経典が編纂されたという。漢訳経典の冒頭の「如是我聞」という定型句は、「我は仏陀からこのように聞いた」という意味であるが、この「我」とは多くが阿難であるとされる。 - 仏の入滅の前後には悲嘆慟哭したので、阿那律から制止されたといわれ、また経典の結集の際にも経典以外の戒律などは細部の点を覚えておらず、他の弟子衆や摩訶迦葉から「なぜ釈迦仏に細かい点を質問しなかったのか?」と責められたという話も伝わっている。
- 阿育王経巻7、阿育王伝巻4、法顕の仏国記、また玄奘の大唐西域記などによると、彼はマガダ国やヴェーサリー国の離車族(リッチャヴィ=ヴァッジ国)族の人々から厚く信頼されていたといい、彼は自分の死後に遺骨が争奪されることを憂い、ガンジス河の中洲において、マガダ国の阿闍世(アジャータサットゥ)王と離車族が相来した後に、舟中から虚空に上昇し、火光三昧に入って120歳にて没し、その遺骨をそれぞれ二分して両岸に落としたという伝説がある。各国の王は、その遺骨を奉じ塔を建立したといわれる。
- チベット仏教では、グル・パドマサンバヴァが出家する際に授戒した偉大な師としても知られている
<神>帝釈天
<神>梵天
<神>十一面観音
<神>鬼子母神
<神>地蔵菩薩
<鬼>賽の河原で子供が積んだ石をこわす鬼
<人>ジャンヌダルク
<神>ロキ
<神>ゼウス
<神>阿修羅
- LifeHack(ライフハック)
- 情報処理業界を中心とした「仕事術」のことで、いかに作業を簡便かつ効率良く行うかを主眼としたテクニック群である。ハッカー文化の一つ
- この言葉は、2004年頃から使われだしたもので、米国のテクニカルライターであるダニー・オブライエンの考案による
- これはいい意味でのハッカーやギーク(技術に対してマニア又はおたくないしフェチな傾向にある者)でもトップクラスの人々(いわゆるウィザードやグルという尊称を贈られる者たち)の過剰ともいえる生産性の高さの秘訣として様々な手法が紹介され、日本では2005年(平成17年)春頃から技術者筋や技術愛好者筋を中心に関心を集めるようになった。
- 方法論としては自身の生活や仕事のスタイルにおいて「気の利いた手段で、もっと快適に、もっと楽して、もっと効率良く」という方法を得ようとしていくことにほかならないが、これをコンピュータやシステムを解析し追求するように体系化していったものがいわゆるLifeHackである。
- これはコンピュータを使いやすいように工夫するというものから、ガジェット(気の利いた小物・小道具)を使いこなす、さらには人間の生理機能上で効率良く作業するための方法論(→人間工学)まで多岐にわたる。
- 例えば、「繰り返し作業になりやすいExcelでの打ち込み作業をVBAやマクロを使用することで作業を最小化」「UNIX系OSの環境構築や設定をシェルやスクリプトなどでオートメーション化」などの実作業における作業時間短縮の工夫はいうまでもなく、「わざとノイズの中で作業することで生産性を上げる」「昼休み中などに、いかに上手に机に突っ伏して寝るか」といった、作業者の生理的観点における工夫もLifeHackと言える。(15 - 20分程度の昼寝が午後の仕事の効率を上げるとされている
アヒンサーの教え
- ジャイナ教におけるアヒンサー(Ahiṃsā)は倫理・教理の礎石となる基本的な原理である。
- 「アヒンサー」(サンスクリット語: अहिंसा, Ahiṃsā)は「非暴力」、どんな形の生命をも傷つける欲求がないことを意味する。
- ジャイナ教における菜食主義その他の非暴力的な営為・儀式はアヒンサーの原理に由来する。
- アディアン・ランキンによれば、アヒンサーの概念はジャイナ教と非常に強く絡み合っているために、アヒンサーというとすぐに思い浮かぶのは口を覆っていて大病を患っていたり奇形であったりする鳥獣が守られ大事にされるジャイナ教独自の動物の聖域やもっとも小さな形の生命を傷つけるのも避けるために自分の前方の地面を小さな箒で掃く修行者であるという。
- 古代の宗教がこういったことをはっきりと表明したことは人間がほかの生物に優越しているという快適な―そして普遍的に近い―臆説に対する挑戦であった。
- ジャイナ教におけるアヒンサーの概念は他の哲学にみられる非暴力の教説とは大きく異なる。他の宗派においては、暴力はたいてい他者を傷つけることと関係している。一方、ジャイナ教では、暴力は主に自分自身を傷つけることを言う。暴力とは魂自体がモクシャ、つまり解脱へ至る能力を妨げる行動だからである
- これは他者を傷つけることが最終的に自分自身を傷つけることになるのだから、ジャイナ教におけるアヒンサーも他者を傷つけることの欠如をも意味する。
- さらに、ジャイナ教ではこのアヒンサーの概念を人間に限らず動物、植物、微生物、命のある全ての存在や生命力を持つものにまで拡張している。全ての生命は神聖であり、誰もが恐れを抱くことなく可能性を最大限に発揮して生きる権利を持っている。アヒンサーの戒律を守る者が生命に恐れを抱かせることはない。ジャイナ教によれば、「アブハヤダーナム」としても知られている生命の保護は人間のなしうる最高の慈愛である
- アヒンサーは実際になされる暴力がないことのみを指すのではなく、どんな種類の暴力に関してもそれにふけろうという欲求がないことを指す。
- こういったジャイナ教のアヒンサーの原理はマハトマ・ガンディーに、ジャイナ哲学者シュリマド・ラージャチャンドラとの親交を通じて強く影響した。これによって植民地支配に対抗してサティアグラーハ(真理の三角形)の基礎が形成され、ガンディーが現代ヒンドゥー教習俗の多様な面に関して再考することとなった
- ジャイナ教は異教徒に改宗を迫る宗教ではなく、教義を唱道する組織だった体系を有さないが、長い年月を通じて非暴力と菜食主義の唱道を強く前面に押し出し続けてきた
- アヒンサーはジャイナ哲学の中核をなし、長い年月を通じてジャイナ教のアーチャーリヤ達はアヒンサーの諸相に関する緻密にして精細な教義を作り上げてきた。
<神獣>スレイプニル
- スレイプニル(スレイプニール、スレイプニィールとも記す。古ノルド語:Sleipnir)
- 北欧神話に登場する神獣の一つ。主神オーディンが騎乗する8本脚の軍馬である。
- アイスランド語の Sleipnir、またスカンジナビアで言うところの Sleipner は、古くから北欧に伝わる名で、英語の slip などと同系の言葉であるとされ、「滑走するもの」などの意味に解釈される。
- 『古エッダ』の『グリームニルの言葉』第44節では「馬のうち最高のもの」と賞賛されている。
- 雌馬に化けたロキとスヴァジルファリの子供で、オーディンに献上された後は彼の愛馬になる。
- 8本の脚を持つ最も優れた馬であり、軍馬である。
- 非常に速く走ることができ、空を飛ぶことができたという。
- ただし、近代以降の大衆文化の絵画的表現においては必ずしも8本脚で描かれるわけではなく、通常の馬と同じく4本脚であったりもする。例えば、デンマークの挿絵画家ローランス・フレーリクが描くスレイプニルはときとして見た目はただの馬である。
- 伝承では、オーディンが人間の英雄シグルズに与えている名馬グラニが、スレイプニルの子孫であるという
スヴァジルファリ
- スヴァジルファリ(古ノルド語:Svaðilfari)
- 北欧神話に出てくる人間の石工に変装してミズガルズの壁を建造した山の巨人が所有する魔法の馬。
- 『スノッリのエッダ』第一部『ギュルヴィたぶらかし』では次の物語が語られている。 アース神族がミズガルズを造りヴァルハラを建てるなどして暮らし始めたある日、石工に変装した巨人がやってきて神々に提案を持ちかける。
石工は強く、高い、新しい壁を建ててミズガルズを囲むかわりに、月と太陽を手に入れフレイヤと結婚したいと要求した。神々は大いに怒ったが、ロキの助言により石工が誰の助けも借りずに冬至から夏至の間、約半年を期限に壁を完成させたら報酬を支払うが、もしその間に壁を完成させられなければ報酬は無効とするという対案を提示した。石工はこれに対して彼の馬、スヴァジルファリを使っても良いならばという条件を出した。
冬の初めの日から城壁の建設が開始された。スヴァジルファリは巨大な石を運んで石工以上に目覚しい活躍をした。夏の始まる数日前、壁が完成に近づいた頃、神々は条件について助言をしたロキに責任を取るように命じた。ロキは雌馬に化けてスヴァジルファリを誘惑しスヴァジルファリはロキを追いかけて作業を放り出した。
これにより作業は遅延し、期限に間に合わないと悟って石工は巨人の姿を現したので、トールはミョルニルで巨人を打ち倒した。その後、ロキとスヴァジルファリの間に生まれた馬がスレイプニルである。
カンタカ
- 迦嗟迦・特などとも音写。納と訳す。
- 釈迦が出家したさい、城からアノーマ(阿奴摩)河の辺まで乗って行った白馬
- 車匿(釈迦王家の御者)が御した。
- 釈迦と別れて帰城してから絶食して死に、天界に生まれたとも、バラモンの子に生まれ変わり仏弟子になったとも伝えられる。
<人>ナルキッソス
<人>アンデレ
- 新約聖書に登場するイエスの使徒の一人。
- シモン・ペトロの兄弟であるとされている。
- 西方教会、東方教会ともに聖人で記念日(聖名祝日)は11月30日。
- アンデレは格変化語尾をはずして名詞幹のみにした日本語聖書の慣用表記で、ギリシア語での主格表記はアンドレアス(Ανδρέας)。英語ではアンドリュー(Andrew)、フランス語ではアンドレ (André)、ドイツ語ではアンドレアス (Andreas) 、スペイン語ではアンドレス (Andres)、イタリア語ではアンドレア (Andrea)、ロシア語ではアンドレイ(Андрей)、ウクライナ語ではアンドリーイ(Андрій)
<神>ヘラ